第96話:デストルドー
ギュンターとの戦いから数日後、穴の空いた船の修理、集落の復興作業等、やる事の方から駆け足で出現し続けていた。
そして、目処が立っていない問題も多い。重傷者達の事だ。ギュンターの亡者による反射で、殺す為に向けた一撃を受けた者達は、今も生死の境を彷徨っている。むしろ、今も境に留まっている方が奇跡に近いだろう。ダルガもまたその1人のままだ。
「ん〜……」
故に、滝沢葵はそれをなんとか出来ないかと考え、資料室の文献を読み漁っていた。
身体の再生は、思い描く幻想の類の物よりも、肉体そのもの回復能力に頼むものであり、それを促進させるレベルまでしか開発は出来ていない。加えるならば、それを可能とする段階の術者こそが不足する。想像の具現化の能力に対する性質だけを言えばともかく、それに使用するリソースが最初から相性が悪い。憎悪で向いた負の感情、それを生を選ぶ為の力に変えるには、術者自身の負担が大きくなる。
「ふむ……」
「おや、もう怪我は良いのかい?」
「どひゃっ!!」
椅子の音を鳴らしながら思わず声をあげる葵。そして、当の背後から近づいてきたブランは、彼の大げさにも思える反応に頭をかいた。
「アンタ、私をお化けか何かだと思ってるのかい?」
「も、申し訳ないとは思いますが、集中してる時に不意打ちで声をかけられるとビックリしてしまうんですよ……」
「小心者だな……もっと大変な事も経験してるだろうに。それより、何を悩んでる?それは私が書いた魔導書じゃないか」
「あっ、本当だ!名前書いてあるや!えっと、読ませて頂いてます。勉強の為っていうのも当然あるんですけど……基礎的な事について知りたい事があって」
ブランは彼の手元の本に視線を落とす。そのページに記載されていた内容を見れば、彼が何を調べようとしたのかを理解出来た。どれだけ微弱な効果であっても、現実的に可能な範囲に近付けないかは何度も考え、試してきたのだから。
「分かってるんです。この世界の先輩であるブランさんや、色んな人が既に試して、それでも実現しなかったのならそういう物なんだと。これは、逃避に近いのかもしれないって」
「そればかりは、この世界の法則ですら適さないのさ。でも、既にある程度結論付いてる物に対して、疑問と共に調べる事にも意味はある。何故出来ないのかを知る事は、それについてよく知る事に繋がるのだからな。故に、聞きたい事があれば私に聞くと良い」
「良いんですか?調べ物の為に来たのでは……」
「構わんさ、ちょっとした復習をしに来ただけなのだし。アンタの質問に答える内に、自然と復習に繋がるさ」
「じゃあ、お言葉に甘えさせてもらいますね。ではまず、何で出来ないのかは改めて理解したのですが、リソースの側が少し違えば結果も変わるんですよね?」
「そうだな。出来ない原因はこの世界の魔力にあるからね。例えるなら、大体は黒を無理やり赤色にする事は出来ないだろう?」
「そうですね。そして、その黒自体が完全に基礎の色になってるんですよね?」
「そうさ。完全な白を使いたいのに、それだとどうしようもない。要するに、怨霊になりそうな物の欠片でなければ良いってわけだが、そんな魔力は見た事がない。強いて言うなら、分解される前の魂があればってとこか」
「仮に、それがあったとしてもぶち当たる問題がありますね……」
「分解される前の魂の使用、それはつまり邪神に喰われていない魂である必要があるけれど、それは奴がいる限り存在しない物だな。そして、アンタの言いたい問題の方は……そこは救う事が出来ない状態、ではない物を魔力として使用する事になるって点か」
無言で葵は頷く。この世界で一般的に魔力と言われる物は元の魂の形すら損なわれてしまった邪神の食べ残しの様な物、そこから元の形に戻す事が出来なくなってしまっている。
だが、分解される前の魂ならば、死んでいる事実は変わらずとも魂そのものは還るべき場所に還る余地が残っているかもしれない物。それをリソースとして消費するのは、息がまだ辛うじて残っている間に焼却炉に放り込む様な物なのではないか、それが葵の懸念だった。
「目の前に救える命があって、救う手段としてそれがあったとして、俺はそれを使った後に使徒達に何か言えるのかって……」
「……考え続ける事に意味はある、絶対にね。だが、アンタにはこう言っておくとしようか。それは考えるだけ無駄って物だ」
「無駄、ですか?」
「そうさ、ない物はないし、その状況になり得ない。魂があるとおかしな形で証明する世界ではあるが、私達は魂を見れないし、その魂は邪神が貪る。言ったろ、存在しない物だって。ない不安で脳を疲れさせることはないさ」
ブランとしても思うところがないわけではない。魔導書を記しながら、その為に実験を繰り返しながら、もしそれがあったとしたら、あったとして自分はどうするかと考えた事は何度もあった。
だが、考えても模範解答が用意されているわけでもない以上は、彼女はそう結論付けた。そう結論付けるしかなかった。もっとも、すぐに思考を転換出来るのならば苦労などない事も、よく分かっている。
「何故、今更そんな物を?」
「少しでも、出来る事を増やしたくて。仲間がいっぱい……本当にいっぱい、倒れましたから」
「それは良い心がけだが、それなら既に貢献はしているだろう」
「貢献、してるのかな……」
葵にとってこの罪悪感はどれだけ善行と言えるものをしても決して拭えない。だが、ここまで来た以上止まれない、止まるわけにもいかない。自分も、使徒達も。
だから、ただ必要なままに身体を動かすが、既に未来を持たない自分が人々の未来を奪い続け、その手を血に染めているという葵の考えは消えない。それがある上で戦える、そんな自分は正しい姿と言えるのだろうか、と。少しでも何かをしていたい、貢献したいという彼の精神はそんな疑問を拭う為でもあった。
(これは、確かに間違った事をしているわけではないはずだけれど……)
間違っていないからと、自分を肯定出来もしなければ、自分の行いを正しいとも言い切れはしない。それで泣き喚くことが出来ない事すらも、自身の薄情さ、鈍化し始めた可能性を感じて否定に繋がるのだから。
「貢献してなかったら、生きてない奴が沢山いるし、その分アンタは人から感謝もされた。アンタはそれをもう知ってるだろう?」
「そうですよね」
騙るものとの戦いを経て帰還した時、クライルを倒した時、ギュンターを倒した時、人々はいつも助けてくれた葵達に感謝の言葉を直に伝えてくれていた。
「そうですね」
「勇者だろう、胸を張りな。何でもかんでも手を広げようとするんじゃなくても、アンタは十分やってるよ」
「……はい」
ブランは葵より大人であるから、彼の不安を感じ取る事もある程度は出来る。だが、それでもういいとは言える立場でもなければ、言える程に彼の事も知らない。今、彼が必要である事もよく知っているから。
だが、葵は葵で彼女の気遣いを理解しているから、そんな不安を見せて甘えたくはなかった。そもそも、他者に甘える事が苦手な彼にはそんな隙を見せた事すら過ちだったと考えてしまう。だから、彼女の質問の話題に戻す様に笑顔を浮かべなおす。
「──その、何故今更って言う事については、自分なりにこの分野について調べているのは、何か浮かびそうだったからっていうのもあるんです」
「何か?」
「騙るものと戦った時もそうでした、こうしたら何か出来る、必ず出来るって浮かぶ瞬間があるんです」
「それはまた……じゃあ、この事実的に不可能も覆せそうって言うのかい?」
「自信をもってそうとは言えないんですけれど、自分の心器の能力の事もあって、少し気になるところがあるんです」
自分にしか出来ないことだから、ブランの様に魔導書に記せる物ではないが、少なくとも魂を取り込む能力を持つ分だけ魂については身近な身。その前例がない中ならば、新たな視点は得られるかもしれないと考えたのだ。
「だから──」
続きを話そうとしながら、葵はふとページをめくる手を止めた。先程のブランとの会話、葵自身の持つ特殊な要素、それらを合わせたら出来る事が見えた気がしたのだ。
急いで本を元の位置に戻し、資料室を飛び出す。
「お、おい!いきなりどこへ行く!?」
「すみません、ブランさん!話につき合わせてしまって!俺、ちょっと試したいことが出来たので!」
嵐の様に去ってしまった彼に唖然としながらも、彼の利他的行為に対する積極性への信頼と、不安とが浮かんでいた。また何をするのか、と。
「まったく、なにを焦っているのやら……これも老婆心ってやつか、そんな歳食ってはないけどな」
聞こえない相手に冗談をこぼした後、わざと遅れてから様子を見に行くかと考えていた。
*
葵は自室に駆け込み、扉を閉める。今からやろうとしている事は、何をしていたのか人に聞かれたら説明に困る上に、上手く誤魔化せる気がしない。だが、これが出来るのと、出来ないのとではきっと大きく異なる。
ベッドの上で眠るリンドは未だに目を覚ます気配を見せていない。落ち着いて眠っている様だが、顔色があまり良くない。これが記憶を取り戻す為に必要なプロセスだとしたら手を出してはならないかもしれないが、苦痛が伴う必要を感じられない。葵はそんな彼女の苦しみを少しでも軽減したい、その手段にもなるからここに来た。
(出来ない原因が魔力との相性だけで、邪神の手にかかる前の魂を利用すればある程度の実現が可能なら──)
これまで魔術を行使する時、対象に向けて放出する様に手をかざす事が多かったが、今回は今までと異なる力の使い方をする分、よりイメージを明確にする為にも自身の胸の位置を掴む。
(ある、ここに!!)
葵は魂を利用する。だが、それはこれまで自分が手にかけ、自分の中に留めてきた魂ではない。
魂のみでこの世界にいる、自分自身。
「苦痛、憎悪、悲哀、もう掻き毟る事はない。それは誰かを抱きしめる手、爪の紅を拭おう、負の檻を解かそう──“星の欠片”」
魔術を使う時だってあらん限りの魔力を使うわけではないならば、自分を消費しきる事もない。
自分の魂を吐き出す吐息の様に感じ、中和、調整を繰り返す。パズルに合うピースを探す様に。この術は理屈としては失敗があったとしても対象には跳ね返らない。ただし、その反動は術者にのしかかる。今この時にそんな失敗は出来ない。
「っ、ぉお……!ゔ、ぐ!」
しかし、自分の魂を削りながら行う治癒。行使するだけでも消耗は避けられない。脳を突き抜ける痛みに耐えながらも、彼女の身体に宿る光を見て効果を実感する。
だが、その安堵の瞬間──
「なっ!?」
互いの間で光が同調し、2人を包んだ。
*
葵はどこからが夢でどこまでが現なのか分からなくなっていた。光に包まれた後、何が起きたのか、葵の意識は戸惑う事しか出来なかった。
(なんだ、この空間。いや、違う?ここに俺はいない……気がする。じゃあ、空間ではない?これは、一体──)
その無限の様にも感じられた光に、突然断ち切られたかの様な切れ目が発生し、一転して暗闇の中に入った。人の気配も、魔力の気配も何もない。物質界でもない、それは3次元に属する領域でもない、それは人が触れる事のないどこかで、人には遠すぎる場所。
だからこそ、1つだけある何か、1つだけ居る何かは異様だった。それを見る事が出来ない、本能的にこの視界を動かせば確実に自分の精神が破壊されそうな気配を感じたのだ。
『己の欲を満たさんが為に、我が敷居を卑しくも跨がんとすると輩がいる』
聞こえた声は、荘厳で、綺麗で、重々しく、恐ろしくて、悍ましい物く、あまりに人地を離れた物だった。男とも女ともつかない、しかし人の手には余るほど美しさがある事だけが確かだ。それだけに、不気味だった。それを聴覚で認識出来ている様に思えるのは、この意識の世界の主がそうしてくれているとでも言うのだろうか?
『時という物は、元より1本の糸で成立する物ではない。故に、分かたれる事そのものに否を唱えているのではない。だが、俗な言い方をあえて選ぶのならば──』
『調子に乗りすぎた。と言うべきだろう』
それは、この存在に相手には珍しい地雷を踏んでしまったと言うことなのだろう。冒涜的な事を犯したものがいて、犯せるものがそうした。
それは、誰か?そんな事が可能なのは誰か。
『新たなる門番、我が仔、対なる鍵よ。理解しているであろう、その禁忌を』
暗闇の中、光の糸が辺りを舞い、それが束状になって流れ星に姿を変える。それは葵にとって何故だか分かないが、行く先を示す道標だという事がすぐに理解出来た。抽象的だが、そこにそう理解出来る情報が詰められている様だ。
『渦の中心たる場所へ』
『狂いの元へ』
『征け』
『使命を果たせ』
『物語を狂わせろ』
それは産まれる事がなかった子供。しかし、産まれ落ちなかっただけで、誕生はした胎児に告げられた言葉。産まれた時から1つの使命を持っていた子供。
その胎児の姿も掻き消えて、静寂が訪れる。
葵はその様子を見届けながら、これまで聞いた話を思い出していた。自分達の知る邪神だけではなく、それに類するものがいると言う話を。間違いなくこれはその話に該当する存在で、その存在が障害……というよりも不愉快と感じたというべきだろうか、そう感じた対象もまた邪神であったと。
だというのに、こちらの味方に回ってくれてるという楽観は少しも出来なかった。あくまで目的が一致しているだけに過ぎず、安易に近付く事も、安易に頼る事も決して許されない、そう葵は感じていた。直感というよりも、人類という種の生存本能によって。
『然り。弁えよ、下等』
(っ!?)
しかし、あくまで過去の投影だと思われていた物が、その投影の言葉を向ける先が、葵に向いたではないか。
いや、あるいはこうなる事を見越して、この時にはもう葵に向けてメッセージを残していたのか。それすらもないとは言い切れない。
『誇大化された願いは、いつしか我が門を侵そうとした。蒼き星と漂着者の結びつきを強くするに至ったのは、全ては卿の脆弱さが招いた結果だ。そこまでは、まだ我には関係のない事であったが、そうではなくなった』
何故、相手は怒っているのか、何故不愉快そうにしているのか分からないままに、自分には覚えのない理由で負の感情を向けられた事はあるが、これは言い掛かりとは感じられない、審判じみている。葵は相手に対する恐れから何も言えなかった。あるいは、言う事がこの場において許されていなかったのやも。
『そして、心せよ。其の望みが、渇望が示す道が如何様な末路を映そうとも、次はない。その運命から逃れる事罷りならぬ』
葵は自分の望みを振り返る。
(でも、望み?俺の望みは、望みは──)
皆を地球に帰らせる事?勇者の名に相応しくなる事?その為に強くなる事?あるいは……彼には、そのどれが自分の心器を形作っているのか、今ははっきりと答えられなかった。心器の本質は鏡だ。だが、それが何の望みを示すというのか。浮かぶ物はあっても、そのどれもがこの様な事態に繋がるとは思い難かった。
しかし、言葉は容赦なく続く。
『大罪を自覚し、その果てにて、去ね。寄生された有機生命体、己が望みを餌に肥えさせた、愚者よ──』
自覚のない彼には、とてつもなく理不尽な話ではあるが、ただの嫌悪、ただの差別のみで物事を語る存在にも思えない以上、疑うべきは自分。
それは、葵のいつも通りであり、だからこそ自分が何をしでかしたのか分かっていない今が、とても恐ろしかった。そして、それ以上に今言われた事に対して、自分がショックを受けているのが大罪の方であったという事の驚きも大きかった。
『鍵の運び手と知れ』
先程の様に光の束が葵に降下する。だが、これは直接的に伝える為なのか、葵に直接多大な情報を含んだ光が入っていったのだ。体内の物を内側から破裂させようとする様な質量を感じられる、声も出せない状況で、それを感じている葵の苦痛は悲鳴にすらならずにただ感覚が鋭敏に与えられるのみ。それ程までにこういった手合いの持つ情報は、本来は人には過ぎたる物なのだった。
この痛みは、罰のひとつなのか、この中で行われた話をただの夢で終わらせられない為の処置なのか。
確かなのは、その情報の中には今聞いた物とは異なる情報、何かの位置を示すものだった。座標というデータというよりも、その道に対する既知感を与える物。どこに向かえば行けるのかを感覚的に直接打ち込まれた様な物だった。それが何なのかは教えられる事も、知らされる事もない。
試練を与えられている、知らない大罪の為の試練を。越えなければいけない何かの為の。
葵の意識が薄れていく。胎児の、リンドの記憶から今度こそ弾き出される。




