第90話:第4位の使徒
ライとギュンターであわや相打ちとなるところだったが、そこへ葵が現れた事でそれは免れた。その割り込みがなければ、頭を撃ち抜けた可能性はゼロではないが、葵はそれを見過ごす事を容認出来ない。
当のライはなんともタイミング良く出てきた彼に、思わず低く笑いを漏らす。
「っく、くく……おっせぇよ、本当に。おっせぇよ。死ぬかと思ったっつーの。いつも俺死にかけてんなオイ」
「本当にごめん……もっと早く復帰するつもりだったんだけど」
意識を失ってから戻るまでここまでの時間を要した。だが、その時間の分だけ研究出来る事もあったらしい。事実、彼の身体の状態は良くなっている。
「んで、やれんのか?」
「俺、こことは相性が良いみたいだからね。生者ではないから」
「マジで?」
「うん、彼が律儀に能力対象を絞った影響だね……いや、ギュンターさん、貴方らしい」
ギュンターは彼のその言葉に目を丸くし、葵もその反応を分かってか、あえて刀を地面に突き立てている。
そんな彼の姿勢にギュンターは強い警戒心を抱いている。普通に考えればそれはチャンスであるはずなのに。
「──どういうこった?」
「俺の転移を利用すればバレない様に棺の中に潜り込めると思ったんだよ。俺を吊るすのに使ってた棺にこっそり入ったんだ。外敵が棺に一緒に入ってたら攻撃する、そして外へと弾く、なんてわざわざ能力としてつけないだろうし。たから、心器に入って、凡その能力を考える事にした」
「なに……?」
「まず、使徒に術を仕込む余裕はあり、転移術の使用痕跡こそあれど、あれは使用に隙が生じる。最初のライの狙撃の位置と、実際に使徒を俺が見つけた位置には距離に大きな開きがあった。そこには当然陣もない、行きも帰りも陣が必要なのに。だから、1つの仮説を立てたんだ。使徒の心器同士もまた行き来が可能な扉になってるんじゃないかって棺と棺で入り口と出口になってるのかもしれないと」
そんな馬鹿な、とライは言いたかったが決まった法則下ならば可能な転移能力を持つ者は身近にいる。そうでなければあの距離、あの段階で獲物を逃すわけがなかったという彼の中の経験が語る。
「で、その仮説を元にして潜り込んでみた。そしたら、思わぬ効果があった、貴方と花嫁、この場ではケルベロスか、それ等が攻撃や殺しを重ねる毎に棺内で待機する者にはその分の回復と魔力の補充等がされて強くなる。俺の意識が戻って、動ける様になる頃には、俺の身体はいつになく元気になっていたから、多分そう。使徒の指定した罪人に枷をはめつつ、自分は隙を見て棺に入れば強くなれるし治癒もされる。花嫁も同様に。倒し辛い事をする──」
情報の共有の為とはいえ、そう長々と話し終えた彼はここに来るまで意識がなかった。そんな彼は周囲の目から見れば現状の緊張感に対する連続性が欠けているのではないかと思える程だった。
「ですが、俺はもう死んでいるのでね。貴方の裁きも受けられそうにないようだ」
言い終えた葵は小さく首に振り、片手で顔を覆う。どんな感情で飲み込むべきか、どんな顔でこの状況を飲み込むべきか、選ぶ様に。
しかし、それもはたから見れば短い時間、手を下ろして刀を手に納める。
「使徒ギュンター、貴方にはとても腹が立っている」
「だろうとも、それは正しい感性だとも思う」
「思うのは勝手ですよ。だけど、そう口先だけではなくで言っているのだろうから、尚更に。腹立たしい」
「……口先だけではない、か。さて。どうだかな」
「貴方が奥さんの為に動いている事も奥さんの為に非道もするのだと、俺も知っています。俺が同じ立場ならそうしなかったかどうかも、分かりません」
「分からなくても良い、分からない方が良いさ。こんな思いは。この憎しみを分かって欲しいのではない。こんな気持ちを生みだす可能性を持つ皆の罪にただ気付いて欲しいだけなのだから」
「だから、自滅させる狙いの能力が多い。罪悪感に応じての枷、罪悪感に応じての反射、罪悪感に応じての死、貴方の能力の本来のやり方を思えば、今の貴方の戦闘スタイルは恐らく合わない。花嫁に任せて棺にこもっている方が、勝手に皆が自滅して貴方の望んだ結果になるはずだ。でもそうしなかった」
「……」
「貴方自身の手でやりたいからだ。顔も知らなかった俺達相手にそうしたくなるのは、貴方の目には俺達が皆、とても許せない物に見えてるからだ」
ただ能力をそのまま使うだけでもっと効率的に戦えるはずで、それを思いつかない様な人物でもないはずだ。まず花嫁を出し、魔力のある場所からは亡者を出し、自身は探知されない位置を狙って棺に入っていれば、先に出したそれ等の軍勢が倒されたとしても、相手に残されるのは消耗した面々。罪悪感を全く持たない者などそうそうおらず、ましてや現代から突然殺し殺されの世界に落とされた者達には割り切る事は難しく、そこで生まれる心は罪悪感に直結してしまう。大抵の人間には効く能力だ。ならば何故そうしないのかが重要になる。
そして、そうしない理由など単純明快だ、感情的な問題だ。
「だから、腹立たしい。俺が知る以上に貴方の身に起きた事は何かとても酷く、悲しいことだったのかもしれない。でも、それは皆が死んで良い理由にはならない」
──分かっていたとも、それぐらい。だが、何も知らない者に言われる覚えはない。
「そして、貴方は最初から俺達の罪状を決めている。それは、気付かせたいんじゃない、貴方個人の怒りだ。高尚な言葉を被せるのは、往生際が悪い」
「…………」
しばしの沈黙の後、ギュンターは鎖を突如として伸ばし、葵の腕に巻いて瞬く間に自分のいる方に引き寄せたのだ。
無論、その行動にライは銃を構え、今度こそ自分から気が逸れてるその瞬間を狙い、射殺するつもりでいた。だが、葵がもう制する様にもう片手を彼等のいる方に出した事で、そのまま静かな問いかけが続いていた。
「──某国の10年前の事件を知っているか?立て籠もり犯が1人の女性を人質にし、駆けつけた警官が銃で撃たれたという事件。人質は妊娠中の妻で、犯人は精神的な異常が認められ、今はそうした収容所にいる。と、この辺りくらいなら報道もされたはずだが」
最後の問いかけになるのかもしれない、互いにしか聞こえない程に小さな声で言われるそれは、葵にのみ向けられた問いかけ。つまり、葵の返事は総意になると言っても過言ではない。
「俺が小学生の時の事件だ」
「ああ、まだ幼い頃だろうから知らない可能性もあるだろう。だが、少しでも聞いた事はないか?」
言葉で祈っている、これまでの怒りに一度だけ蓋をして祈っていた。しかし、祈りにはそれを向ける大きな対象が必要だ。彼は邪神にはこういう時に祈る事はない、どれ程に恐ろしく、悍ましい存在なのかを理解しているから。
ならば、妻を亡くした事で神を信じられなくなった男が、今更何に祈るのか。最も近いのは、目前の勇者という存在相手だろうか。彼がそれを知ってくれている事。勇者という存在ならばあるいは、と。人を信じ、人の為に生きたかった男にとって、世界を守る為に戦う勇者、それも敵である彼に祈るのはなんとも皮肉な話である。
葵もしばらく記憶を探るが、首を横に振る。
「──すみません」
目を逸らさずに葵は真っ直ぐと彼の感情に向き合う。自分のせいで傷付かせるのは嫌だ、自分のせいでガッカリさせるの嫌だ、そう思って過ごしてきた彼も今は昔。
「俺は、やっぱりそれを知りません……本当にすみません」
「…………いいさ、そんな事だろうと、思ったから」
正義の象徴、太陽、自分のかつて追い求めた姿に近い人間があの惨劇を知らないと言った。ギュンターからすれば、彼もまた無知の側であり、そのままこの世界で斬り続けてきた潜在的な危険人物に過ぎないのだと、確定した瞬間だ。
「世界の中の、そんな事件も知らないまま、そこで誰が死んだかも知らないまま、世界なんて全てを救えるわけがない。そう思わないのかね」
「誰かが救わなきゃいけなくて、救えるなら、俺は救います、絶対に」
「君の救いは、今の地球の、今の時代を助けて、そのままにしておくだけのものだ。妻も帰らない、愛しい我が子も、帰らない。なのに、それすらも些事として救うなどと、傲慢になるぞ」
「貴方もまた皆を知らないまま皆を死なせようとしている、無知を罪とするなら、言い出しっぺはどうなる」
「……」
「貴方もまた既に多くを殺した。それによって、貴方は誰かの仇で、誰かにとっての許せない存在になってる。でも、貴方は知ろうとした?今殺した俺の仲間の事……そこの彼、ナレさんは故郷に妻子がいるって言ってたかな。子供もまだ1ヶ月、早く帰って奥さんを安心させたいし、パパと呼ばれたいって言っていた」
いつしかの休憩の時、気軽に話しかけてくれた男性。その一度以外では話した事はなかったが、その時の少し照れ臭そうに、しかして幸せそうに語る姿が今も忘れられない。
「知らなかったでしょ。ねぇ、知らなかったでしょ?これが知らなかった事を罪として裁いて良いとするのは、貴方の本心か?違うよね、知って欲しかったのはただ同じ悲しみを味わう人、分かってくれる人が欲しかった。そうでないと耐えられなかったからだ。でも周囲にいなくて、この異世界にもいなくて、貴方に残された出せる感情が怒りのみだった。理性が皮を被せるだけで」
「──子供が、分かった口を」
「ほら、子供だって?今貴方の前に立ってるのは貴方にとっての大敵だ、勇者だ、貴方の理想を壊しに来た人間だ。それなのに、そう言ってしまう貴方には、まだ今もその残された物に対して理性を被せてる。理性があるのに、あんな事をしている。どういうことなんだよ、それは」
正義の象徴によって、正義によって、使徒の舌は回らなくなる。かつて追い求めた物、かつての自分が、あの憧れた警察官が、己を責めてくる様にも思えたから。
もっとも、当の葵はただ普通に理不尽な死をかざした相手に普通に怒りを向けているに過ぎないのだが、使徒にはそうは映らない。
「こっちは貴方の用意した罠で罪のない人が酷い死に方をして、貴方のせいで仲間が殺され、傷つけられ、皆が築き上げた集落を滅茶苦茶にされようとしてるんだ。俺が傲慢な救済者だと言うなら、貴方は傲慢な裁定者、互いに似合いもしない事をやってるものだね」
そして、当の葵は上がった怒りのボルテージのまま腕を振り、鎖を振り払う。
「だから、話は簡単なんだよギュンター。理屈とか色々抜きにして、もっと直接的にぶつけたら良いじゃないか……!」
問答の時間が終わったのか、葵は両の腕を広げて見せる。
「悲しさも、悔しさも、憎しみも、恨みも、全部込めた、貴方だけの、貴方の縋る最後の激情をぶつけろ!!勇者が受け止める!!そして、勇者が払う!その背に積もった怨みに貴方自身でケリをつけろ、勇者は逃げないぞ!!」
あの日から時の止まったギュンターのという人間の、最も晴らしたい恨みは法的に許されないもので、これまでは何も出来ず、妻を失った無力感に浸されながらただ泥の様に生きるしか出来ない日々だった。そんな彼の心には、どこまでも深い怒りが膿の様に蓄積していた。誰にも頼れない、誰も頼りたくない、信じられない、ディーケがいなくても回り続ける世界、我が子が産まれずとも回り続ける世界、何もかもに失望して何もかもが腹立たしくなった。
そんな風になった彼を支える1本の線。激情。最早道理に合うか否かとか、そんな物を捨てなければ使徒ギュンターは死んでも死に切れない。過去を振り返り、振り返るからこそ妻がどこまでも遠くなっていく男には、ただそれをぶつける以外に何が出来る?
「…………良いだろう、勇者よ!!」
そう言った次の瞬間には葵の横にあった棺を引き寄せる事で、彼の背後に向かってきていた。
「アオイ!!」
ライは戦いが再開されたと判断した時には、ギュンターのもう片腕も奪うつもりでいた。だから、先程の代償による痛みがまだ続く中で、更に代償を支払いながら引き金を引こうとしていた。
「うぉっ!?」
しかし、彼の首根っこを何かが掴む事でそれが阻止される。
「っ!?な、何が──」
「軽いんじゃないんでしょ、貴方の能力。使いどきは今ではないわ」
リンドの声も姿も見えないライは目を丸くして辺りを見渡す。轟の時と同様に、葵の祈りが込められたその手は確かに、彼等に触れる事が出来た。
だから、それを使って彼の仲間をリンドは守る事を選ぶ。他者の為に怒りを向ける彼が、他者の怒りを今受け止めようとしている彼が、その感情にのみ集中出来るように。
(本当なら、目的を達成するだけならば、ただ戦えば良い。相手の事情も相手の言い分も、勝ち負けには作用もしなければ、アオイの性格を考えれば、間に受けすぎない方が良い……だけど)
それが出来るならば、敵であるならばただそれで終わりだと言える人間ならば、この問答もなければ、彼の能力の目覚めもなかったかもしれない。
彼の能力はその人の負の感情も、背負った業も、彼自身が受け止める能力。そして、その魂にも安らぎを与える能力。望んだ力が故に、彼は敵と向き合い、その上で自分の手で斬らなければならない。
(本当…………馬鹿なんだから)
リンドの視線の先で、彼の二重の意味での戦いは始まっていた。
葵の背から迫ってきた棺、彼は鏡の転移を使って正面から使徒の身を抜け、相手の背後に回る。使徒の首の後ろ、宙に転移した葵はそのまま身体ごと振り回して刀を使徒の首に向ける。
無論、葵に届くはずだった棺は勢いを失い始め、攻撃を外した分の隙がないわけもない。しかし、確実に当たると思ってギュンターも鎖を引いたわけではなかった。
「はぁっ!!」
「甘い!!」
片腕だけであったとしても、片腕だけになったとしても、拳の鎖を巻いてる部分で葵の攻撃を受け切る。斬撃による鋭い一撃も鎖の硬度も斬れる物ではなく、そもそもが葵は以前に鉄格子を斬れるイメージを持てなかったという前例がある。それを知っているわけではなくとも、使徒の防御行動は的確だった。
手の甲で受けた攻撃をそのまま振り払う事で、宙にあった葵の身体ごと吹き飛ばす。しかし、葵もされるがままではなく柱に両足をつき、柱を蹴り、その軌跡から刃が放たれる。
(これは──)
ギュンターは見逃さなかった。その移動の最中に、ライが撃ち落とした帆桁の破片を刀で巻き上げていた瞬間を。それはダメージになる様な大きさでもなかった上に、それ以上の発展がなかったから良かったが、それに奇妙な物を感じていた。何かの意味を含ませているに違いないと思わせる程に。葵としても彼が視線でそれを追っている事に気付き、緊張感は強まる。
しかし、ここまではあくまで挨拶だ。本戦開始の為の。
刃を棺で防ぎ終えたギュンター、体勢を整えた葵、2人が武器を構え直しながら睨み合う。
「──魔王の使徒にして序列4位、ギュンター・エスマン。私は、人々に仇なす奈落の囚人だ!!」
「滝沢葵、人々の明日の為に戦う勇者だ!!」
武器を互いに振り上げ、ぶつかる。




