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永劫の勇者  作者: 竹羽あづま
第2部鳥は哭く
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第21話: 片翼

──私の家族は翼だけだった


 飛鳥連理という少女は、母が15歳の時に産まれた娘だった。学校を中退して連理の実父である8歳上の男性と同棲を始めるも、無論様々な苦労はあった、親からの反対、中卒という経歴で働く事、世間体、他にも色々とあったが、それなりに母からすれば満足な生活をしていた。幼い連理を連れて両親は近くのデパートで買い物に行く事が多かった。若い両親、母にくくってもらった髪の毛。


「連理ちゃん、走ると危ないわよ!」

「ははは、連理はお転婆さんだな」

「今日すごく私可愛いの!だから皆に見てもらうの!」


 彼女はいつも買い物の時は歩いているだけで自慢出来る気分で、それがとても好きだった。


──翼だけが家族で、あの子は良い子だったけれど、それでも私が1番幸せだったのは幼い頃だったのかもしれない。あの頃の私の家族は私とお母さんとお父さんで3人、寂しくなかった


 連理が8歳の時に弟の翼が産まれる。連理への寵愛は産まれたての子供に向けられる、それこそ子供の嫉妬であり、赤子という面倒を沢山見なければ命にも関わる時期は常に目が離せないというのが実情ではあるのだが、幼い連理にはそんな事は分からず、弟に嫉妬していた。


──だからよく、意地悪を沢山しちゃったっけ。あの子を泣かしては、お母さんにもお父さんにも怒られたなぁ


 それでも、翼が言葉をある程度理解する様になった頃には親がいない時に絵本を読んで欲しそうにしたり、一緒に遊んで欲しいとせがんできた。小さくとも連理をしっかりと家族として認識して愛していたのだろう。そんな弟の様子を見続けた連理も彼の姉になりたい思いが強くなった。


「悪い魔物がお姫様を攫っていきました!きゃー!助けてー!勇敢な戦士は姫を助けに旅に出ました。待っていてくれ、姫!」

「ゆうかん、せんし!」

「翼も戦士になりたいの?」

「ん!」

「翼が戦士なら、私はお姫様になる!お姫様、可愛いもの!」

「お姉ちゃん、おひめさま!」

「えへへ〜」


 4人家族としての幸せを得られたのなら1番幸せな時間はその時だったのだろう。自分を頼ってくる自分が守らないといけない存在、彼女の大好きな人形とはまた違う、表情のコロコロ変わる生きた者、それが愛おしくて仕方なかった。大好きな美人のお母さん、優しくてスーツの似合うお父さん、守りたい弟の翼、彼女の世界がようやく構築されたかに思われた。


 だが、その世界は淡くも崩れていく事となる。母はまだ子供と言える時代に母となった人間である事、そしてそれで自分なりに折り合いをつけられなかったという事を連理は理解出来るはずもなかった。だが、それこそがその崩壊の始まりである亀裂で、最初からそうなる事は避けようがなかったという事実なのだろう。


──2人の世話、学校で他の親に年齢を聞かれた時の相手の反応、仕事の疲労。そんな日々が積み重なる度にお母さんは逃した学生時代の過程の重みに潰されたのかもしれない。


 世間の目が気になる様になった。愛のないものではなかったが、その年齢である事を考えたら少なくとも一般的な状況ではなかった事を理解させられる。

 何故、その年齢の子を相手に手を出してしまったのか、父の側もそれを問われる事がある。実際それは大きな問題だった、駆け落ちする様な形になったのも互いの両親が許すはずがなかったからだ。この時期になってお互いにとって、お互いが重荷になり始めたのだ。


「転勤?」

「そうなんだ、でも2人のことも考えたら俺1人で行こうかと思う」

「単身赴任だなんて……私、不安よ」

「こんな大変な時にごめんな。でも大丈夫、ちゃんと帰ってくるから。連理と翼の顔も見たいからね」

「いいえ、貴方も大変なのに弱音を吐いてごめんなさい……2人の写真、送るからね」

「ありがとう」


 しかし、1人になった彼女は自分しか大人と言える立場の人間がいない事を実感していく。親に頼ろうにも親にも黙って出て行った以上、彼女のプライドとしてもそれを許せなかった。加えて、頼るにも理由としてはただ心細くなったからとしか言いようがなかった、それは彼女にとっては親に頼る理由としての緊急性は低かった。

 その末に、知らない男が家に来る様になった。次の日にはまた違う人が、また次の日には違う人が、その次には──


──知らないふりをしていたかった、でも私は翼やお母さんを守りたいからちゃんと色々とお母さんの苦しみを共有したかった。でも……


 夜中、母と男が一緒にいる所に顔を出して、その人は誰なのかと問いかけた。母は顔を凍りつかせ、男も暫く困った様な顔をした後に溜め息をついていた。

 そして、2人を置いて母は行方をくらました。


──私があの時、部屋に入らなければ良かったの?それとも……


 連理は母の置いて行った携帯電話から父の電話番号にかけたが、その電話番号はどこも繋がることがなかった。

 母は家を出ていく前に自分の両親には電話したらしく、暫くしてから連理と翼を祖母と祖父が迎えに来た。祖母も祖父も2人の事を気の毒に思ってしっかりと面倒を見てくれた。


──それでも、やっぱり両親が恋しかった。4人でお買い物に行って、どんなに素敵な家族なのかを自慢したかった


 そして、連理が中学生になった頃に、行方不明だった母が病死した事を知る。

 葬式の棺の中にいる状態でようやく再会出来た母は、知っていた顔よりも痩せ細っていた。いざ顔を見たらどうなるかと思っていた連理は、予想外にも悲しみよりも、怒りよりも、不思議な虚無感が上回っていた。他人事みたいで、そして、そう思ってる自分に対して。


「あの子達が?」

「そうよ、中退して産んだ子供だって……しかも駆け落ちでしょ?ちょっと恥ずかしいわ」


 小さな声で聞こえてくる親戚の話に対しても、同感だという気持ちしかなかった。責任能力も、資金も持たない年齢で、自分達を何故産もうと思ったのか、物事が分かる様になる程にそうした考えは強くなった。

 ただ──


「お母さん」


 連理が手を握っている弟、翼はどう感じているのだろうかと思う。まだ小学1年生の彼には分からないことが多い、ただ純粋に母の喪失に対する悲しみが上回っているだろうか。

 そして、もうひとつ問題があった。父が知らない女性を連れて参列していたことだった。親戚達も祖父祖母も嫌な顔はしたが、彼を蹴り出す様な事はしなかった。彼自身の目的についても察していたからだろう。


「連理、翼。迎えに来るのが遅くなってごめんな、本当にごめん。寂しかったよな」

「お婆ちゃんとお爺ちゃんがいたもの、そんなにじゃなかったわ」

「そうか、連理は強いな」

「でも、何で今になって迎えに来たの?」


 彼は、妻の死を知るまで家族を忘れようとしていたのかもしれない。精神的に疲弊していたのは彼もだったのだろう、その結果両親共に過ちの象徴である子供を置いて行った。その事を後悔したのだろう、妻の訃報と共に娘と息子の姿が浮かんだのだろう、決して嫌いになったわけではなかったのだから。

 しかし、連理は彼に対して憎しみすら抱いていた。結局は若い女性との恋愛をする夢に溺れて、現実が追いつけばそれを捨て去ってまた違う夢に溺れようとしたのだろう、と。母に対しても同様に思っていたが、亡くなってしまっては文句の言いようもない。

 だが、翼の事を考えれば連理の一存では決めかねていた。祖父祖母も2人には事前にそう聞かれる可能性を提示して、2人の今後を2人自身に託していたのだから。


「……連理、翼。一生かけて償う。2人の望む事をいっぱい叶える、新しいお母さんも2人と暮らしたいって。だからまた一緒に暮らさないか?」


 だから、いざ問われると連理は即座に何かを言う事はできなかった。しかし──


「僕とお姉ちゃんで2人きりになった時、お姉ちゃんが泣いてた事覚えてるよ」

「──翼?」


 守らなければならない存在である弟が先に口を開いた。


「僕がお姉ちゃんを守るんだ。お婆ちゃんとお爺ちゃんの所で、ずっとお姉ちゃんを僕が守るんだ。絵本のヒーローみたいに!」


 あの絵本を読んだ日からなのか、あるいは泣いたところを見られてからなのか、どちらにせよ翼は幼いなりに連理を守らなければならないと感じていたのだ。男の子として、震える手で必死に翼の手を握ってくれる姉の為に。


「だからね、バイバイするんだ。お父さんもお母さんも大好きだけど、バイバイするんだ。僕が強くなれるように!」


 彼は連理よりも純粋に両親の事を愛していただろう。それでも、ずっと側にいた大好きな姉が不安に押し潰されながら泣いている事を知っている翼は姉を守りたいと思った。あの家族の思い出を守る為にも。だから、申し出を断ったのだ、きっと必死に考えて。


「翼……」


 連理は思わず翼をその場で抱きしめて、葬式の場で初めて泣いた。連理は両親の事がきっと好きだった、あの暖かい思い出があって、それが偽りではない事を知っていたから。だからこそ、この状況に嘘だと思いたかった、あの家族との日々を全て塗り潰すような母の死と新しい家族への申し出に。それが中学生の彼女には処理しようのない感情で、自分が頑張らねばならないと無理をしていた中で起きた事であったのだから尚更に。

 だから、翼を自分が守らねばならないのではなく、翼と2人でお互いを守り合うのだと理解したこの瞬間、彼女は翼に泣きつく事が出来たのだった。


 優しい祖父と祖母、日々元気に育つ翼、そんな3人に囲まれて過ごす連理、穏やかな日々だった。だが、連理の中には羨望にも似た物がずっと奥底で根付いて離れようとしなかった。それを見透かしたように、そんな日々が異世界へ迷い込んだ事で途切れてしまった。寂しくて、心細い、異世界へ。

 だけれど、その代わりに地球と違って魔術もあって、早く走れて、自由な夢の世界である事を実感するほどに欲求が姿を見せる。この世界の中でなら望んだあの日々を取り戻せるかもしれないと連理の中で燻り続けた物が発火してしまわなければ、変わっていたのだろうか?



「死ね!死ね!!翼を返せ!!返してよ!!」


 連理を庇う様に前に出た翼、翼の命だけは助けて欲しいと懇願する連理の叫び声、その全てが振り払われて翼の首は連理の目の前で刎ねられた。冷たい瞳と返り血を浴びたその顔は、同じ人間とは思えない程に恐ろしく、言葉なんて通じないと思わせた。そんな連理にはただ翼の胴体を抱きしめたまま泣く事しか出来なかった。あの時運良く相手が仲間の指示で撤退した事で命は助かったが、彼女にとってそれは幸運だったのだろうか?


『逃げ惑うぐらいならば、最初から邪神の仲間になどなるべきじゃなかったんだ。だが、そうなったからには、お前達に残されてるのは死のみだ』


 去り際に残されたその言葉は連理に重くのしかかった。この世界を本当にして幸せを得ようとした事が、翼の死に繋がったのだとしたら?自分が死なせたのではないかと自責の念に押し潰されそうになった。


『お前達は、人類の敵だ』


 怒りに狂いきれない脳の片隅がその可能性を提示する度に苦しみを覚えた。


「はぁ、はぁ……はぁっ」


 足の下では、勇者と呼ばれている黒い髪の高校生が血塗れで倒れていた。彼女のダウンバーストの直撃を受けた衝撃だけでも本来致命傷ものだというのに、その後も連理の猛攻は止まらず、腹ばかりを狙った攻撃は内臓に大きな損傷を与えた影響で、途中から意識を手放していた。


「翼のうけた痛みは、こんなものじゃ、ない……っ!」


 それでもまだ足を振り上げようとしたが、それをやめる、妙な疲労感が身体を襲うせいだろう。

 どんなに強い風を操れたとしても、翼の包み込むような優しい風は使えない。風が優しくない、自由に羽ばたけない、勇者にもがれた物は彼女の冷たい風だけを残していった。ただ、この世界で翼と自由で幸せな日々を過ごしたかったはずなのに、と。


「……もういいわ、興醒めした。正直生きてるのか分かんないけど、もう殺してあげるわ」


 勇者に慈悲や罪悪感を微塵も抱いてはいない。死よりも苦しい思いをしながら腐り果てて欲しいのは変わらない。だが、最早ただ楽になりたいという思いでいっぱいだった。彼を殺せば楽になれる、そう勝手に信じて見下ろしていた。だが、結果はどうだ?相手は知らないの一点張り、連理の復讐相手なのに怒りの行き場にはあまりに足りない。あの日々が本当に思い出の中でしか残らなくなってしまったのなら、虚無感のみがあるのだ。


「拷問は地獄の方に託す事にするわ、さようなら」


 雨と血と泥で顔も服も汚しながら倒れている葵を相手に、五体満足に見える状態で死ねる彼に苛立ちは一瞬湧いたが、それすらも置き去りにして今度こそ首の骨をへし折る様に足を振り下ろす。

 衝撃で地が震える。それほどまでにトドメとしては重すぎる一撃、骨を折るというよりも、粉々にしてしまうだろう。だが、どんな重い一撃でも弟の死を取り返せはしない。それでも、この世界を本当にすれば──


「!?」


 しかし、物思いに耽る暇すら与えない強烈な違和感、足から感じた物はあまりに無機質だった。パキリと、割れた。“ただそれだけだった”。


「君の言い分はよく分かった」


 背後から聞こえてきた声に、振り向きながら回し蹴りを即座に入れようとするが、それすらも割れる音のみが響く。鏡の様な割れる音だ。

 割れると同時にそれは更に背後から現れ、彼女の背中に刀の峰がぶつかる。


「っく、ぁ!?」


 振り抜かれた一撃。使徒とはいえ領域の外である上に、この世界で身体強化されているのは相手も同じ、決してやわな一撃ではなかった。連理の身体が吹き飛ばされ、岩壁に全身をぶつける。減速する隙すらなかった。


「ぅ、く……ッな、んでまだ、動けるのよ!!」


 全身の切り傷と、骨ごと傷つけられた内臓、地面に叩きつけられた衝撃で頭からの出血で片目の視界も赤く、刀を握る手も皮が裂けて肉がしたから見え、血の泡を吐きながらもなお、滝沢葵は立っていた。

 しかし、何故?連理に足蹴にされている状態かつ、これだけの傷を負っては高速で移動するなど出来るわけがない、ましてや単独での瞬間移動など──


「黎き鏡刀デザイア」


 黒く光る刀を振る、付着した自分の血を払うとその刀身に赤が映る。


「多分、まだ俺はこの武器の意味をちゃんと理解は出来ていない」


 だが、これが葵の根底に由来して鏡を象徴としている武器である事は確かだった。武器はどうして生まれるのか、武器とはその魂にまで刻まれた自我と希望の盲信、精神の叫び。これをどう使いこなさねばならないのかは、自分しか知らず、自分しか作り出せないのだ。


「でも、それは君に負けて良い理由にはならないってよく分かったよ」

「ごちゃごちゃと……!口を開けない様に顎を取り外してあげるわ!!」


 起き上がるという動作を飛ばし、足から瞬間的に強力な風を発生させて一気に葵に接近。その最中に回転をかける事で身体の向きを変え、勢いのままにその足を葵に突き立てんとする。

 だが、それを甘んじて受けるつもりなどない。


「っ!それが、手品ってわけ!?」


 そう、葵のいた場所には六角形の黒曜石鏡が代わりに浮かんでいた。連理の蹴りを受けた場所からヒビが入り、脆くもそれは粉々になる。だが、これを壊すためにやったわけではない。

 今度は頭上に鏡が展開され、そこから葵が出現して落下しながらの踵落とし。割れる、出現、攻撃、この間にほとんど隙も間もなく、慣れない攻撃を相手に連理はまた対応が遅れて一撃をもらう。


「あぐぅっ……ッ!?」


 頭への打撃に一瞬ふらつくが、その瞬間を狙った斬撃を間一髪で飛び退いて回避する。回避行動に交えて踏み締めた足から周囲に広がる風、広域の攻撃は脚を封じるための物。

 直撃すれば輪切りにされるだろう攻撃、葵はどう対処しなければいけないか、掠めるだけでもどうなるか分かったものではない。ついでの様にこんな攻撃を出来ることに理不尽さを感じずにはいられないが、迷いはなかった。


「──悪知恵ね」

「俺は地を這うしか出来ないからね」


 連理がトドメを刺しに来た時の一撃で地面に出来た穴、そこに葵は転がり込んでいた。本来の風は地形に沿うが、彼女から放たれた風の大半は直線に飛ぶ斬撃の様なものだった。相手を一瞬で刈り取る為のもの、こうした原始的な回避方法でも大丈夫と判断出来た。だが、同時にこの回避方法はその後の動きを保証するものではないからこそ、編み出した技が活用出来る。

 展開した鏡から鏡への移動、彼そのものであり刀の持ち主であり鏡が映すべき偶像を鏡は映し続ける。この武器を自分と定義した彼は鏡を通して短距離の出入りが出来るようになったのだ。無論、体勢を整える為に葵はまたそれを使って連理の向かいに立つ。


「それでも、アンタじゃ私は殺せないわ。打撃ばかり選んでるのも躊躇いがあるからでしょ、翼にはそんな事しなかったのに……どこまでも、不愉快ね……!!」

「それでも、俺は君に負けるわけにはいかない」

「勝ち負けですって!?殺し合いにそんなもの不要よ!生きるか、死ぬか、それだけ!!アンタは死ぬの!!」


 地を蹴り、葵に向けて猛攻を始め、葵もまたそれを迎え撃つ。回し蹴り、刀で流し、蹴り上げ、後ろ足をずらして上半身を逸らした最小限の回避から一文字斬り、身を捻って躱しながらの突き蹴り、鏡を展開してそれで勢いを弱めてからその足を踏み台にして背後に飛んでからの袈裟斬り、足裏から発生させた風で迎撃と回避、鏡を展開距離を取り──


「ちっ……!コイツ、さっきよりも動きが早くなってる……」


 しかし、実際の葵は傷の影響、特に内臓と骨の損傷によって息をしようにもその代わりに血液が出てくる事で常に消耗している、息も出来ない、喉が震えて視界も曖昧、相手が思うよりも余裕はない。

 そして、彼女の指摘の通りすぐに殺せるという気持ちには切り替えられない。それでも同時に彼女は敵ではある事は再認識出来た。その末の妥協点が負けたくないという言葉、彼を立たせているのもまた、自分自身のその言葉なのだ。


──自分がどうやら彼女の仇である事はよく分かった、そして恨まれるのも納得出来る状況だったらしい事も分かった


「だからこそ、もう感情のままに戦う以外ないんだ」

「……?」

「人の向けてくる感情をある程度理解してあげたいと思いながら生きてきたし、これからもそうすると思う。でも、やっぱりままならない、その全部を受け取って同調は出来ない。その末に答える方法は俺の死だけなのだとしたら、それを甘んじてあげる理由も俺にはない」

「馬鹿に、してるの……ッ?」

「俺だって信じたくないんだ、俺がそんな小さな子を殺したなんて。俺にはやっぱりそんな記憶がないんだ、でも君が嘘をついているとも思えない……」


 もし、それに記憶があって、本当に自分がやったという事がわかっていたら、あるいはその攻撃を受けていたかもしれない。だが、今の彼にその記憶はなく、勇者という肩書きは彼の後ろにいる人々を自然と意識させる。

 ならば、勇者と魔王の使徒、それ以上の掘り下げが互いに必要だろうか?連理もその方が良いはずだ、恨む相手が弟殺しの化け物ではなく、弟を止むを得ず殺した人間だと知るよりは絶対に。だから──


「だから、ここからはただの感情的な戦いだ。喧嘩をしよう、魔王の使徒。君はどうあっても俺の敵なんだから」

「…………」

「君が、俺の家族を殺した仇になる前に!!」

「えぇ、その減らず口、叩けなくしてやるわ!今度こそ!!二度と、翼の名前をその汚い口が吐けない様に!!」


 苦しめられて、ごめんなさいと誠心誠意謝罪をして、その末に殺されたところでそれで邪神の計画が終わるわけではない、彼女は加担し続ける。ならば、葵にとっては将来の仇として戦うしかなかった。

 まだ戦う事も、殺す事も怖いものに戦う動機が与えられる。どうせ微かに震える歯の音は自分にしか聞こえない、戦え、勇者よ、戦え──

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