第99話:咎人の遺跡
「──」
何も言えず、葵はしばらく呼吸しか出来なかったが。ようやく落ち着いてきた頃に、助けられなかった悔しさと、異様な状況に対する恐怖心に、一気に自身の体温が下がった気がした。そんな葵に出来たのは、彼の瞼を下ろしてあげる事だけだった。
そうする事で、おかしな形で1人に戻ったことを実感するのだ。目の前で死んだ調査員の血がついた自分の手を見ながら、ゆっくりとその手を閉じ、歯を鳴らす。
「っ、ぐ!!あぁ、クソっ……!クソ、クソ!!」
不条理に対する怒りは勿論、恐怖心はあってもこの状況に悲鳴をあげる事はないぐらいの耐性が出来ている事に対する罪悪感がなにより強く、ようやく口に出来た内容は感情をただそのままに出した様な物にしか出来なかった。力を得ても命を必ず全て救えるわけではない。分かってはいても、見えてる範囲すら救いきれない事にはどうしようもない悔しさが募る。
自身の前髪を鷲掴みにして感情を発散させていたが、こうしている間にも中にいるという生存者の身に危険が迫っているかもしれない事実を思い出す。
「……そうだ、船に、船に連絡しないと」
危険を感じたらすぐに連絡するのはエレンに言われていた事だ。用意していた魔道具に魔力を流し込む。
「あれ……?繋がらない?」
ノイズばかりで繋がる気配がない。使徒との戦いの後にメンテをしてもらっていないから、故障した可能性も考えて、ベースキャンプに備えられていた魔道具の方に同じ様に魔力を流して耳を当ててみる。
しかし、それも結果は変わらなかった。耳を不快感で擽る様な雑音が響くばかりで、船の方から声がする様子もない。先程の調査員の奇妙な死と、遺跡の気配もあって、葵の中の嫌な予感は増すばかりだ。
「……ジャミングの類とかは、これまでなかったけれど、あったら魔王達はそれを利用しない手はないはず。環境の影響か?」
遺跡に入る前から異常事態が続いているとなれば、船に一時帰投しなければいけない可能性が既に高い。だが、中の生存者も急を要するのは間違いない。他の調査隊員がまだ死んだと決まったわけではない。
(仮に、仮に亡くなっていたとしても、せめてその遺品ぐらいは持ち帰れたら良いんだけれど……)
むしろ、死んでいる可能性の方が高い事は葵も薄々と感じていた。それでも、そうだからと切り捨ててしまうのは個人的な感情で嫌だった。今この瞬間にも心細い思いをし、外からの助けを待ってる人がいるのかもしれないのだから。
その狭間で葛藤しながらテントから出た時、先程までの不気味なまでの静けさとは異なる、攻撃的な気配、微かな地面の振動に気付く。
「な、何!?地震!?」
その揺れは徐々に大きくなり、体勢を崩して片膝をつく。この世界は様々な不安定な要素を持つが、まるで狙ったかの様に起きたこの地震に、何らかの意思を感じざるを得ない。これも、この場所へ導いた者の干渉だというのだろうか?
それを裏付ける様に、大きな変化が周囲で発生していた。
「っ!!ま、魔石が突き出てくるッ!?まずい!!」
葵の来た道を、それどころかこの遺跡そのものを囲い、出ることを阻む様に地面から魔石が突き出してきた。魔石が完全に道を塞ぐ前に遺跡の敷地外に出ようと走り出すが、それより早く遺跡の周囲は閉鎖されたしまう。物体の規模に反して塞ぎきるまでの速度は早く、転移を利用してですら間に合わなかった。
足をもつれさせ、息を切らしながら壁の様に立ちはだかる魔石に正面から身を預ける。
「っはぁ、はぁ……!な、なんだよ。次から次へと!!あのリンドの夢に出た人、最初から騙す為にあんな事を!?」
魔石に手を触れる、材質はよく知る魔石よりも少し硬質で、内部から感じる魔力はどこか拒絶的に感じる様で、どこか馴染みの良い物に感じられた。この特異な感覚のする魔力が術式を乱しているのだろうか、魔石として固められる程にその特異な性質の魔力が集まっているというのだろうか。
この辺りの魔石は紫色の物が多かったが、見慣れた水色の結晶の物も辺りにはあった。しかし、ここで突き出ているのは紫色の物だけだった。これは何か特別な物なのだろうか?葵の中で、自分を閉じ込めた魔石に対する疑問が次から次へと湧く。
(待てよ。思えば、ベースキャンプに置いてあった物はどれも水色の方だった。紫色の方は採取出来なかったのかな?)
だとしたら、これは何なのか。魔力は確かに込められていて、魔石としての要件は達成されているが、明らかに普通ではなくて、これそのものが阻んでいるのもまた事実だった。
しかし、これの正体を探ったところで見上げる葵の首が痛くなりそうな程の高さのある魔石を飛び越える事も、破壊も出来なさそうである事に変わりはない。
「ッ、中に入るしかなくなったか……中に入ってこの状態が解消されかは分からないし、すごく誘導されてる様な気がするけれど……」
気分としてはこのタイミングで道を阻んできた魔石を軽く叩きたいほどだが、ここでそんな事をしてもただの八つ当たりにしかならない上に、拳を痛めるばかりで生産性もない。
「内部がどうなってるか分からないけれど、とりあえずこの補給物資はある程度持っていかないと」
中にまだ生存者がいるのならば、怪我や飢餓に苦しんでいるかもしれない。食料だけではなく薬等の物資も入っているだけに、そんな彼等の助けになるのは間違いないだろう。仮に、生存者がいなくても、葵には必要になる可能性だってある。
持っていって困る事は機動力がし少し低下するのみ、それも必要そうな物といらなそうな物を仕分けしていけば、自然とマシになるのだから、問題ない。
「──入るか」
意を決して、葵は結晶に覆われた謎の遺跡に内心で溜め息を吐きながら、背後に佇む遺跡に足を運んだ。邪神の口の中に自ら入る様な緊張感を抱きながら。
*
外から見えていた範囲から中に入ってもそこまで奥行きはなく、紫の魔石で覆われた壁と、その中央には下へと向かう底が見えない長い階段があるのみだった。入り口はあくまで入り口でしかないのだから、意外性はないかもしれないが、その階段は引き返せと警告している様でもあった。
仮にそうだとしても、警告を破って葵は下るしかない。そう導かれた、あるいは強制されたのだから。
「……これ、足を滑らせたら大変だなぁ」
途中までは壁があったが、何段目なのか数えるのをやめた辺りからか、最初からそこに何もなかった様に壁のあった場所は暗闇に変わり、手すりのない階段と化していた。高所恐怖症ではないが、下に視線を向けると身体が傾きそうで、流石に危機感は覚える。
この遺跡に辿り着くまでの形容し難い心細さが戻ってくる様だった。ここからは何が起きてもおかしくない、どんな要因で理不尽な苦しみが待っていてもおかしくない。RPGをやっていたのに、突然助走をつけて飛ばないと届かない穴が絶対に通らないといけない道に現れる様な事があっても、おかしくないのだ。
吹き上げてくる冷たすぎる風に時折震えながらも、一段、また一段と下りる。それを繰り返していくうちに、異なる景色が視界に入る。
「ッ何だ、これ……」
最後の一段から床に足をつけた時に得られたのは安堵感や達成感ではなく、ここからが始まりであるという実感のみだった。それは目の前に光景のせいだろう。
石造りの床と解読不可能な文字が書かれた壁は遺跡らしい見た目だが、無理やり捻じ曲げられ、糸の様に複数に絡まれた電柱がゲートの様な形状にされているのがまず目に入る。この場所に不釣り合いにも見える物だが、この世界の歪さを表しているようだ。
ゲートの中央から垂れているのは信号機、それが赤色にチカチカと点滅している。それに意識を向けると、不思議と頭痛がした。
(俺が、地球で命を落とした時、本当の意味で俺が死んだ時の記憶のせいなのか……?)
しかし、そこだけに気を取られていると、ゲートから先の異常さが更に葵を驚かせる。重力を無視した様に通路がうねり、曲がり、等間隔に並んだ像が天井に見える中、足を進めていく。
ゲートから離れる内に頭痛はマシになっていったが、妙な気味の悪さは本能的な部分から消える事はなく、気分は良くない。見るからに生理的嫌悪感を催すものとして出来ているわけではないのだから、もっと根源的な所に直接指を突っ込まれている様なものなのやもしれない。
(人間の法則で建てられた物ではない。いや、そもそもこの世界が人間の為の物ではないだけに、当たり前なのかもしれないけれど──)
そうして、その先を行くと外からは想像がつかない程の広大な空間が広がっていた。だが、そこは降りていく為の場所ではないらしい。
苔とフジツボの生えた神殿、突き立てられた電車、壁から直に生えた木々、幾何学的な形状の建物らしき物。そのどれもが雑多に置かれ、遥か下まで続いている。壮大なゴミ箱の様に捨て置かれているのだ。見上げても天井は見えず、縦に長いフロアになっている様だ。
ここを飛び降りる以外に道がなかったら困っていたところだが、幸いな事に地続きの道も脇にあった。調査隊の人達もここを通っていったのだろう。行き先は当然薄暗いが、壁にかけられた松明が辺りを照らしている。
場所が場所だけに、蛾を誘き寄せて焼き殺そうとする様でもあった。足元が見える様に、などという親切心には最初から期待していないのだから。
「ここからが、本当に咎人の遺跡なんだな」
どういう意図で、どう思わせるつもりで、この場所があるのか。夢の中の世界が現実ではないかという認識はあくまで人間の視点だからかもしれないが、それにしたってこの遺跡は何やら重要な意味合いを持つにしては、とっ散らかってる印象を拭えなかった。魔石に閉じ込められた遺跡、邪神は何を魔石で隠しているのか、あるいはここへ導いた何かが見せたがっているのか。干渉してくる神に近い存在は、どちらも言うことが掴み辛く、意地の悪いものだから尚更困るばかりだ。言葉を要するからと、それはこちらに近付く為のコミュニケーション手段として使っているだけ。
ここについてはますます分からなくなったが、葵はこの違和感を覚えておくだけに留めて、通路に足を進める。
「ここまでは平気だったんだ、気を引き締めて──」
そして、通路に入って足を1本踏み出した。
が、直前まで地面だったものに穴が空いているのだ。
「え?」
下には酸化した血液と、古びた肉片がついた鋭利なトゲが床の下から飛び出ており、トゲの周囲には先人達の骨が落ちている。
「うわぁぁあああっ!?」
落とし穴がこんな所にあるとは想定しておらず、バランスを崩しそうになった瞬間に心器を取り出し、転移で辛うじて対岸に逃れる。
もっと精神攻撃を主体にした遺跡なのだと思っていたから、この様な古典的かつ、物理的に危険性の高い罠が早々に襲ってくるなどと想像がつくはずもなかった。
「はぁっ、はぁっ、はぁ──」
振り返り、穴の中を覗き込む。新しい遺体は見えず、調査隊の人間は少なくともまだ無事である可能性が上がった。無論、この無残な遺体を悼む気持ちも、死の恐怖と苦しみを思えば手放しで安心なんて出来たものではない。
「手を合わせるぐらいしか今の俺には出来ません。すみません……」
彼等の遺体を拾い上げる為に落とし穴に飛び込む様な事は流石に出来ず、穴の前で手を合わせる。古典的な罠に驚きこそしたが、実際にあれば相応の犠牲者もいて、相応に命を奪う刃物の様にもなれる。決して冗談の様な代物ではないらしい。
1つの罠を前に、その犠牲者に対して思いを馳せ続けるわけにもいかない。立ち上がり、葵はまたその足を進める。
「え?」
が、直前まで地面だったものに穴が空いているのだ。
「えぇっ?」
下には酸化した血液と、古びた肉片がついた鋭利なトゲが床の下から飛び出ており、トゲの周囲には先人達の骨が落ちている。
想定外を超えた想定外に対し、咄嗟に転移するよりも先にバランスを崩した。
「ぎゃああぁぁぁぁ!!!」
冗談の様なものではないと実感したが、冗談の様な状況が発生してしまったのもまた事実だった。罠が多いのならば、罠の間隔など狭くて当たり前、分かってはいたが、圧倒的な不条理、圧倒的な滑稽さに葵は怒りすら湧いていた。こんな時に。怒っても仕方ないのに。
落ちると確信した瞬間、頭の中で記憶が巡る。それは、人類という生物を生み出した何かが、危機を脱する為に本能という機能として与えた物なのかもしれない。
なんとか、仮に刺さっても助かる手段はないか、死なずに済む手段はないか。葵はこれまでに色んな仲間や敵と言葉を交わし、自分にはない価値観や言葉をもらった。それが生きる為の引き出しとなって今、フル回転した脳が1つの言葉を思い出した。
『ここはざっくりバッサリいってあげるのが慈悲ってものヨネ!』
半魚人を解体していた時のリーメイによるありがたいお言葉だった。
「生存本能の生存と本能の部分を抜かれたか!?」
このタイミングで最悪の切り抜きをして思い出してしまった。このトゲが邪神からの慈悲だとでも自分は少しでも考えたというのだろうか?死が救済とはあまりに悪い冗談である。リーメイへの謝罪か、いやそれよりも先に死ぬ気がすると、葵の中の葛藤は巡り、葛藤の時間すら惜しくなる。
荷物を背負っている背の側を下に向ければ多少は軽減出来るかと身を捻りつつも、覚悟を決める。この勢いで落ちるのならば自身の重量も加味すれば、相応のダメージが確実に入り、運が良ければ死なず、死なずに済んでもその後が保証されない。
葵は歯を食いしばり、思わず目を閉じる。
「〜〜〜……あれ?」
──しかし、訪れると思っていたざっくりバッサリとした衝撃が来ることはなく、強烈な浮遊感も突然なくなる。
ゆっくりと目を開き、見上げる。誰かが葵の手首を掴んでいた。白く、細い手だ。
「だ、だれっ?」
問いかけよりも先に、その誰かは葵の身体を振り上げる。
「うおぉぉぉ!?」
その力強さに驚きながらも、地面に距離が近付いたチャンスを逃さない様に転移を使用する。着地した場所に罠があるなどという事もなく、普通に着地出来たのだった。
しかし、落ち着いてる暇はない。自分を助ける為に危険な場所にいる人がいるのだから。今度はこちらから手を差し伸べる番だと急いで振り返るが、間もなくその人物も軽い靴音だけ立てて葵の背後に着地した。
「ッ……あ、ありが──」
相手の無事に対する安堵と同時に、冷静に物を考える事が出来る様になる。
この世界に来て長く、適応が進む類の人間ならば、重量のある荷物を背負った葵を片手で掴むまでなら出来るだろう。だが、振り上げるだけの力と、その後になんらかの手段を使ったと考えたとしても、自力であの高さを跳躍して戻って来れる程の身体能力を持っている様な人間は多くないだろう。無論、そうした者も中に入るだろうから、ここでそれだけを理由に決めつけるものではない。普通の人間かもしれない。
しかし、そうではない可能性を断つのは葵の持つ魔力を感知する能力。それが本能的に、1番最初に、警鐘を鳴らした。
自身の能力を信じるタイプではないが、クライルを前にした時、ギュンターの位置を見破った時というこれまでの経験がそれを真実だと告げる。
「な、何故」
戸惑う葵を前に、その相手は何か言おうとする様子もなく、おかしな動きをする様子もなく、ただその人形の様な透き通る双眸で葵を見つめていた。そう、クロエとは違って本当に表情がない彼女を表現するのに相応しいのが人形だったのだ。
「何故、俺を助けたんだ……!?魔王の使徒!!」
その問いかけに、何もせずに答えてもらえると思っている時点で、自分を助けてくれた人間という前提が入ってる甘さの自覚はあった。だが、聞かずにはいられなかったのだ。当然だ、魔王の使徒と勇者は互いに決して目的が交わらないのだから。
そして、それを裏切る事もなく、少女は唇をようやくゆっくりと動かし始めた。
「──|Te ustus amem《テー ウストゥス アメム》」
抑揚こそないが、ピアノの旋律の様に優しく、美しい声が紡いだのは異国の言葉。
「は……?」
問いかけに対する答えになっていない事はなんとなく分かったが、それがどういう意味なのか分からず、葵はそれ以上の言葉を言えずにいた。
「わたしの造られた意味、貴方を観測し、貴方に接触する。わたしは待っていた、貴方の来訪を」
話しかけているのか、それとも詩を語っているのか。主語を抜いて連ねる言葉の数々は、それでも間違いなく目の前の葵に対して向けられていた。
「灰になっても、貴方を愛する」
頬を赤らめる事もなく、口にした言葉と共に瞳が蕩ける事もない。言葉の熱烈さとの温度の差は大きい。
それでも、魔王の使徒の少女は確かな愛の言葉を口にしていた。




