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ドラゴン・イェーガー ~狩竜人賛歌~  作者: 井藤 きく
11章 上に向かって
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11-9

 

 フェネラル周辺は、すっかり平穏を取り戻していた。そしてそれを確信できた協会は、白緋の女神をハイウェスラルに戻すことを決定した。


 南の街でも、火山活動の影響は当然出ている。高段位の狩竜人たちを、いつまでも遊ばせておく余裕はなかった。


 そして4月。


 エルたちよりも先に、サピンがフェネラルを発つ日がやってきた。孤児院の皆が、総出でサピンを見送る。幼い子たちは、よく遊んでくれた兄との別れに泣きわめき、それより少し年長の子たちは、笑顔で送りだそうと涙を堪えていた。


「ソフィアさん、ありがとう」


 孤児院に居ついた変わり者の狩竜人2人が、こっそり資金を用意してくれた。だから王都に出て勉強できることを、サピンは知っていた。


 しかし、過剰な礼は言わなかった。恩を返すためには、勉強するしかない。そのことも、賢い少年は知っていたからだ。


「頑張れ! サピンなら絶対、王立学院に入れるから。もしなにかあったら、私の弟に頼って。コーディっていう生意気な弟だけど、頭は良いから役に立つわよ」


 ソフィアは少年の手を取り、ぎゅっと両手で握りしめて別れの挨拶をする。ソフィアは悔しかったり寂しかったりして泣きそうになると、唇を噛んで我慢する癖がある。今も少し顔をゆがめ、唇を軽く噛んでいた。


 サピンは少し照れながら、その手を握りかえす。そして少年はソフィアの手を放すときに、少し名残惜しそうな顔をした。


「エルさんも……ありがとうございます」


 ソフィアには少年らしい笑顔だったのに対し、エルには少し強い目を向けて礼を言う。この大人びた少年は、自分のことを敵だと思っている。エルは別れのときになって初めて、それに気づいた。


「うん、頑張って」


 サピンから差し出された手を、エルが取る。少年はその手を、力いっぱい握りしめた。エルは一瞬戸惑ったが、すぐにその意味を悟った。エルも力を込めて握りかえす。それが少年に対する、礼儀だと思ったからだ。もちろん手加減はしていたが、それでも痛みを感じるほどに強く。


「痛っ……」


 エルは、狩竜人の中でも筋力に優れている。12歳の少年が、力比べで勝てるわけもない。サピンも負けることはわかっていた。それでも少年ではなく男として、エルに挑まないわけにはいかなかった。負けたことに満足し、サピンの顔は笑顔に戻る。エルは本当に、大人びた少年だと感じた。


「な……なにしてんのエル!」


「あ、いや、これは違うんだ」


「なにが違うの、もう! サピンの手は、これから勉強するための大事な手なのよ」


「知ってるよ……いや、ごめん」


「ばあか、ばあか! こんなときに、そんな子どもみたいなことしちゃだめ!」


 サピンはソフィアに恋慕しており、それでエルに敵対心を持っている。それに気づけなかったソフィアは、エルを本気で非難した。


 喧嘩している姿を見ても仲が良いと思われる2人に、少年の淡い恋心も諦めがつきそうだった。


「ヴィスタ姉さん、ガイツ兄さん。それじゃあ、行ってきます」


「ああ、行ってこい。手紙、ちゃんと俺たちにも書けよ」


「行ってらっしゃい、体に気をつけて」


「うん。姉さんも、どうか丈夫な子を産んでください」


 血の繋がらない兄弟たちは、きつく抱擁を交わす。ヴィスタもガイツも、笑顔だった。勉学のために王都に出る少年は、孤児院の誇りだ。春らしい、爽やかな空の下。その門出を、泣いて湿らせることはしなかった。


 規模は小さいが、気の良い者ばかり集まった商団が少年を迎えにきた。


 また会えるから、大丈夫。別れに耐えられず泣いている子どもにそう言い残し、サピンは街を発った。


 賢くて正直な少年の言葉は、嘘になってしまった。


 サピンが発って4日後。フェネラルより西にある街の狩竜人協会から、竜の被害報告が届けられた。


 大街道の途中、小さな商団がシュブイールとリグトンの群れに挟撃された。狩竜人が駆けつける間もなく全滅。遺体などの状況から、シュブイールの群れからは逃れたものの、リグトンの群れに捕まったと推測される。人食いらしきリグトンの群れは、その街の狩竜人が殲滅済み。死者8人。そういう報告だった。


 大街道はイリシアで最も安全な道だが、それでも竜の被害が皆無ではない。年に何度かは、商団や旅の者が犠牲になる。


 そして8人の中に、12歳の少年が含まれていた。


 竜の被害を、イリシアでは竜災と呼ぶ。人がどんなに抗っても、時にはどうすることもできない天災、という意味だ。人が竜に殺されるなど、イリシアではよくあることだ。なんら珍しいことではない。


 身近な人を竜に食われた経験は、イリシアに住む者なら多くが持っている。事故のようなものだ。だからといって、悲しさも悔しさも、薄れるわけではない。よくあること。だからといって、慣れたりするはずもない。


 学者になることを夢見て、王都に旅立った少年。その夢は、夢のままで終わってしまった。





 サピンの死を知らされた孤児院は、静まりかえった。ヴィスタもガイツも言葉を失い、呆然とするだけだった。現実を受けいれられず、しばらくは泣けもしなかった。


 妊娠していることに気づいてからも、懸命に働いていたヴィスタが、その日初めて働くことを放棄した。自室にこもり、混乱する頭でヴィスタはひたすら自分を責めた。


 なぜ自分は、王都などに行かせようとしたのだろう。そんなことを考えなければ、サピンは死ななかった。ヴィスタは賢くないかもしれないが、馬鹿ではない。そんなことを考えても無意味なことは、わかっている。それでも、考えてしまった。


 少しずつサピンの死という現実が、ヴィスタの心を侵していく。そして、泣き叫んで暴れたくなる衝動に駆られた。しかし、お腹の子がヴィスタの理性を繋ぎとめた。


 どんなに悲しいことがあっても、お腹の子を守らなければならない。そこに負担はかけられない。母親としての強さが、大切な弟を失った悲しみに勝ってしまう。その理性が、余計にヴィスタを苦しませた。


 ガイツが、ヴィスタの部屋に入っていく。夫婦になった2人だが、このときは兄妹に戻っていた。兄と姉として、賢い弟の死を、受け入れなければならない。わかっていても、時間がかかった。先にガイツが泣きだし、それを見たヴィスタも、堰を切ったように涙を流した。一晩中、泣いていた。




「ソフィア……今日は僕の部屋においで」


 ソフィアは孤児院にいるとき、ヴィスタと同じ部屋で寝泊りしている。しかし今日は、ヴィスタとガイツを、2人にしてあげなければならない。そうエルは思った。ソフィアは唇を思いっきり噛み締め、無言でエルの言葉に従う。


 ソフィアは、泣き叫びたかった。しかし、ヴィスタとガイツより先に、自分が泣いてはいけないと思った。エルの部屋に入っても、ソフィアは一言も喋らなかった。口を開けば、大泣きしてしまいそうだったから、喋れなかった。


 強く噛んだ唇から、血がにじみはじめる。


「ソフィア、そんなに強く噛んじゃだめだ」


 ソフィアの唇にエルの指が触れ、口を開けるようにうながす。ソフィアは赤ん坊がいやいやをするように、その指を拒んだ。


「ヴィスタが……泣いてないから……私は、泣いちゃだめなの」


 エルは知っていた。ヴィスタもガイツも、きっと泣くまでは時間がかかることを。


 9年前のレズレン大竜災で、エルは友人をすべて失った。そのとき、ただ呆然とするだけで泣けなかった自分を思いだす。大きな悲しみを突然押しつけられても、人はすぐに理解できない。それをエルは知っていた。


 ソフィアの口端に、大きく血がにじむ。


「いや……だめ、だって……」


 泣けるのなら、泣いたほうがいい。そう思ったエルは、ソフィアの固く閉ざされていた口を強引に指で開く。その瞬間、ソフィアは大粒の涙をこぼしはじめた。


「ひっ、ひっく……なんで、リグトンなんかに……やられちゃうの? 私たちがついてれば、絶対そんなことなんて……ない」


「うん、そうだね。ソフィアか僕か、ガイツさんでもついてれば、サピンは死なずに済んだ」


 エルの言葉に、ソフィアの悲しみは深まる。回避できたはずの悲劇が、自分たちのせいで起こった。そう思えてしまった。


「わかってたならっ! わかってたなら……エルがそう教えてよ……私が、サピンについていったのに」


 狩竜人の数は有限だ。そして、充分ではない。誰かを守れば、誰かを守れない。それをソフィアはわかっていた。それでも、エルに理不尽な怒りを向けてしまう。行き場のない悲しみと憤りを、誰かにぶつけなければ耐えられなかった。


「強いのに……私は強くなったのに……なんで、こんなことに……なんで、こうなっちゃったの?」


 ソフィアを優しく撫でるだけで、エルはなにも言えなくなる。エルも、同じ思いだった。


「南に……南に行かなきゃ……毒を、見つけないと。竜なんて全部、殺してやる」


 竜は、天災のようなものだ。竜は敵ではあるが、憎むべき悪ではない。憎むと、人のほうがゆがんでしまう。タシネートにそう言われたことを、エルは思いだす。


 竜に恨み言をぶつけるソフィアは、エルも見たことがない表情をしていた。


 立ったまま泣いているソフィアを抱え、エルはベッドに横たわらせる。


 ソフィアは安全な場所で生まれ、幸せで裕福な家庭で育った。身近な人を竜に殺されたことは、幸いにも今までなかった。


 なにを思い、なにを考えていいのか、ソフィアはわからなくなってしまう。ただ泣くことしかできない自分が、嫌になっていく。


 時折また、苦しそうな顔で強く唇を噛もうとするソフィアに、エルは自分の小指をくわえさせる。苦しさと悔しさで、歯噛みしようとするソフィアが、エルの小指に幾つも歯型をつける。しかし、大切なエルの指を、血が出るほどには噛み締められなかった。


 ソフィアが泣きつかれて眠るまで、エルはそうしていた。


 2人が出会い、1年が経っていた。そのあいだ、2人は多くの人に助けられてきた。守りたい、守らなければならない人は、日に日に増えている。いくら2人が強くなったとしても、守りきれないほどに増えていた。





 狩竜人はどんなときでも、街を守るために仕事に出なければならない。残り少なくなったフェネラルで過ごす日々を、白緋の女神は狩竜に明け暮れた。なにも考えず、ひたすらに竜を狩った。


 そうしているうちに、フェネラルを発つ日も近くなっていた。


 ハイウェスラルに向かう前に、ソフィアとエルは空いている時間を見計らって協会へと顔を出す。狩竜履歴など、街を移動する際に必要な書類を受け取るため。そして、昇段の報せを受けたためだ。


「はあい、お待たせ。まずは昇段のことね。2人はなんと、23段になっちゃいます。20段以上で一気に3つも上がるなんて、なかなかないことよ」


 窓口に出てきたのは、シロノだった。協会職員は、竜の犠牲になった者などを把握している。シロノも当然、孤児院の子が犠牲になったことを知っていた。そしてガイツだけではなく、ソフィアとエルも孤児院に関わりが深いことも知っている。


「はい、ありがとうございます」


 昇段を告げても、今までのような喜び方ではないことに、シロノは寂しさを覚えた。特にソフィアは、普段の明るさが微塵もない。おせっかいだとは思いつつも、シロノはなにも言わないままではいられなかった。自分が引き合わせた2人だ。口に出しては言えないが、誰よりも思い入れが強かった。


「ソフィアちゃん、竜の犠牲者って毎年何人くらい出るか知ってる?」


 突然の質問に、ソフィアは横に首を振る。考えたこともなく、想像もつかなかった。


「約2000人。ここ何年かは増えもせず、減りもせずって感じね」


 その数字が多いのか少ないのか、ソフィアには判断できなかった。ただ、サピンが死んで自分が悲しんでいるように、大切な人を失って悲しんでいる人が、大勢いることだけはわかった。


「10年くらい前まで、イリシア全体の人口は増えて、逆に犠牲者は減り続けてたの。狩竜人たちが頑張ってくれたおかげね。それが、急に変わらなくなっちゃたのよね。国も協会もいろいろ考えてるけど、犠牲者を減らす打開策は、打ち出せてないのが正直なところなの」


 暗い話題にならないようにシロノはごまかしたが、竜の被害はこれから間違いなく増えていくと考えられていた。レズレンの陥落は、とてつもなく大きいできごとだ。


「今までのやり方だと、そろそろ限界だってことね。それでね、私も2人と同じ。これから被害を減らすために希望があるとしたら、南方遠征団の活躍だと思ってるわ。私は中でも、ソフィアちゃんとエル君にすっごい期待してるの。はっきり言って、2人くらい強い狩竜人なんていないと思ってるわ。これ、お世辞じゃないからね。だから、自信を持って南に行ってらっしゃい」


 1年前にも、ソフィアは同じようにシロノに励まされたことを思いだす。シロノは2人にとっての恩人だ。その期待に応えるためにも、うつむいている暇なかった。


「はい、行ってきます!」


 まだ少し虚勢交じりの元気だったが、ソフィアの声に明るさが戻る。ソフィアはやるべきことを、シロノに教えられた気がした。


 白緋の女神は、再び南に向かう。


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