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ドラゴン・イェーガー ~狩竜人賛歌~  作者: 井藤 きく
6章 少年と少女は話す
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6-4

 

 2人の間にしばしの沈黙が訪れた。右手と左手はしっかりと繋がったまま。冷たかったエルの手はいつの間にかしっとりと汗ばんでいる。


「傷……残っちゃったね」


 流れる空気に気恥ずかしさを覚えたエルは、ついそんなことを口走ってしまう。ソフィアの首にはヤルガタインに切り裂かれた痕が残っていた。


「うん、でもこれくらいは勲章のうちよ。狩竜人になったときからこういうのは覚悟してたし」


 覚悟はしてたが気になってないといえばそれは嘘だった。女に向かって体の傷のことを言うとは気の利かない男だとソフィアは思う。でも気が利いて口が回るようだったら、それはそれでエルらしくないとも思った。若く有望な狩竜人など放っておいても女が寄ってくる。もしエルがそういう女性相手に器用に立ち回れるようになってしまったら、きっと私は嫌な気分になるだろう。そんなことを考えて自分は身勝手なんだとソフィアは笑ってしまう。


「そっか……えっとさ、明日は狩りに出ない予定でしょ。娼館に行ってこようと思うんだ。なにか買っていきたいけど僕じゃ女の人が喜ぶ物って分からなくて。ソフィアに買い物を手伝ってほしいんだけどいいかな?」


 本当に駄目な男だとソフィアは苦笑いする。話の流れから世話になった人に会いに行くという意味なのは分かるが、普通は娼館に行ってくるなどと男が口にすると別の意味にしか取れない。


「うん、あんたに任せるとそういうの全部食べ物になっちゃうからね。任せといて」


 明かりが切れかかっていて薄暗かった部屋がさらに暗くなる。竜油もなくなるしそろそろ寝るね、とソフィアが立ち上がろうとすると、エルが繋がったままの手に少しだけ力をこめた。


 顔と顔が息の音まではっきり届く距離に近づく。


 そのとき、呂律の回っていない男の声とともに隣の部屋の扉が乱暴に開かれる音が響いた。


「うぇっく、ここはどこじゃあ」


「ラグレスさん飲みすぎです。吐いたりしないで下さいよ」


 薄い壁を隔てた隣のガイツの部屋からする声は丸聞こえだ。


 飲み足りないからと深夜までやっている酒場に繰り出していたガイツが帰ってきたのだ。なぜかラグレスまで一緒に連れて。エルの部屋の扉がごんごんと叩かれる。


 2人は長らく繋いだままだった手を離して慌てて距離を取る。


「すまん、起きてるかエル?」


「いや、あの、はい起きてます」


 どうしてすぐに返事をするのかとソフィアは憤る。一緒にいるところを見られてはまずい。なぜか直感的にそう思ってしまい、嵌めごろしの木窓を蹴破って外に飛び出そうかと考える。しかしそんな暇もなくガイツは遠慮なく扉を開けた。


「なんだソフィアもいたのか。ラグレスさんが酔っ払っちまってな、連れ帰ろうにもどこの宿か聞いてなかったんだ。俺の部屋に泊めるから悪いけど俺はこっちで寝かせてくれ」


 ソフィアがエルの部屋にいるのは珍しいことではないのでガイツはなにも疑問に思わない。ガイツも相当飲んだらしく一瞬にして部屋中に酒の臭いが充満する。


 エルは引きつった表情でガイツを部屋に迎え入れた。冷たい床に転がって早くも寝息を立てている酔っ払いにソフィアは軽く殺意を覚える。直接文句を言うのも変なので、書きかけだったヴィスタ宛ての手紙に文句を書き連ねてやろうと心に決めた。




「あら、ここは恋人同士でくる場所じゃないわよ」


 若い2人の男女が入ってくるのを見て太目の女性が声をかける。


「いや、ごめんなさい客じゃないんです。ラマインさん覚えてませんか? 大竜災の前くらいまで色々お世話になったエル……エルミストです」


 ラマインと呼ばれた女性は口を開けたまま幽霊でも見たかのような顔をする。


「エルミスト……嘘、でもエルの顔だわ……ちょっとポリアっ。ポリアー!」


 ラマインの太い腕に掴まれ、ふくよかな胸と腹に抱きしめられてエルは苦しそうにもがく。そして奥から出てきた痩せすぎな女性もエルに気づいて抱きついた。死んだと思っていた子どもが狩竜人になって大量の手土産とともに帰ってきた。エルのことを知る娼婦はすでにほとんどいなかったが、それでも温かく迎えてくれたことでエルの目頭は熱くなった。


「良かったわね喜んでもらえて」


「うん、ソフィアが買い物に付き合ってくれたおかげだ。ありがと」


 前の晩にソフィアに全て話してしまったことでエルの晴れやかな気分だった。気になっていた娼館にも顔を出せて心に引っかかっていたとげが抜けたような気持ち良さを感じていた。それも全て隣を歩く大切な人のおかげだと思っている。感謝してもしきれなかった。


「さて、暇になっちゃったわね」


 ソフィアがエルの狩竜人仲間で恋人ではないと分かると、娼館では誰がエルの相手をするかの話が始まってしまい2人は早々に引き上げてきた。


「ガイツさんが寝込んでるしなにか買っていこうか?」


「いいのよあんなの。ただの二日酔いなんだしほっとけば」


 ソフィアが吐き捨てるように言う。まだまだ昨夜の酔っ払いの所業を許してはいなかった。


 今度は自分たちの買い物でもと店の多い協会近くの通りを歩いていると、エルと変わらないくらい背の高い女性に声をかけられる。


「あら、2人ともちょうど良かった」


 ソフィアに大きな恨みを買った酔っ払いの妻、ユニスだった。


「こんにちはユニスさん。昨日はごちそうさまでした」


「いいのよ、全部旦那の小遣いだから。それより昨日はごめんね、うちのが迷惑かけたみたいで」


「いえ、迷惑だなんてそんな」


 エルの言葉にかぶせるように、ソフィアが迷惑でしたと聞こえない程度の声でつぶやいた。


「そうそう、それでね。今協会の職員が白緋の女神の3人を探してるの。依頼を頼みたいとかではないみたいだけど、どうも急ぎの用みたいだから顔を出してあげて」


 まさかまた前のように昇段に関係するような失態を犯したのかと2人は不安になる。ユニスに礼を言って急いで宿に戻り、寝ていたガイツをソフィアが乱暴に叩き起こす。二日酔いで頭痛を訴えるガイツをエルが引きずりながら3人は協会へ向かった。

 



「やあやあやあ君たちかね。いやあ若いなあ。うんこれは凄いぞ」


 協会で3人を待っていたのは奇妙な男だった。背はソフィアと同じか低いくらいのその男は見た目からはまったく年齢が分からない。頭が異常に大きくて頭の小さいソフィアと並ぶと遠近がおかしく思える。でこが広いがはげているわけでもない。肌つやが異様に良くて顔つきは少年のようにも40代にも見える。


「あの……えっと、どちら様でしょうか?」


 男はエルのことを興味深そうに上から下まで見回していた。その様子は人ではない珍妙な他の生き物のようだった。


「いやいやこれは失敬。私はチャビレットと申します。王立研究所で主に竜学の研究をしております、はい」


 甲高い声で男は自己紹介をする。見た目も変わってるが声も変だとソフィアは思った。ガイツは王立研究所と聞いて二日酔いのぼけた頭が多少冴える。


「済まないね、わざわざ来てもらって。チャビレット先生がどうしても君たちに会いたいとおっしゃるのでね。じゃあ先生、存分にお話をされて下さい。私は仕事があるので失礼しますね」


 レズレンの協会支部長が丁寧にチャビレットに話すところを見て、この奇妙な男は偉い人なのかとエルとソフィアは意外に思う。支部長が退室して部屋には3人とチャビレットだけが残された。


「あの、王立研究所の学者の方が俺たちにどういったご用件でしょうか? わざわざこんな東の地にまで来られて」


「それはもちろん狩竜人として、いや、恐らく人として初めて人食い翼竜を狩った方々に話を聞くためですよ」


 興味津々といった感じでチャビレットは目を輝かせていた。ガイツはなるほどとうなずき、エルとソフィアは初めてのことだったのかと今更驚いていた。


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