6-3
元娼婦のネイファとその夫の営む宿屋。外で水浴びをしてエルが自分の部屋に戻ると、真っ暗な部屋の中にソフィアが立っていた。
「あれ、ソフィア寝ないの?」
「まだ寝ない。寝れそうにないから」
朝の早い狩竜人にとってはもう深夜といえる時間だった。日の長い夏とはいえ辺りはとっくに闇の中。エルは普段あまり使うことのない竜油の照明に火を灯す。薄明かりの中に浮かび上がったソフィアの表情を見てエルは驚いた。怒っているような悲しいような、その両方がにじみでている顔をしていた。
「座って」
「え……うん」
少しとがった声でソフィアはエルを座らせる。そんな顔をしている理由が思い当たらずにエルは困惑する。さっきまでソフィアは有名な女狩竜人のユニスと知り合えてはしゃいでいたのだ。ソフィアは深呼吸して話を切り出す。
「エルはさ、大人しい性格だと思ってたけどそうじゃないのよね。今日ちょっと分かった」
「えっと……どういうこと?」
ソフィアの唐突な言葉にエルはいぶかしげな顔をする。
「いつも自信なさそうなのもやっぱりおかしいと思ってたの。だってどう考えてもあんた強いじゃない。それに頭だって良いし。もっと堂々と振舞えばいいのに全然そうしないのは変だって思ってた。でも自信がないとか大人しいとか、そういうんじゃないってさっき気づいたの……あんた自分のことが嫌いなんでしょ。それもすっごく」
ソフィアはじっとエルを見つめるが、その表情は変わらない。エルはなにか言わなければと思っているが、口を横に結んだまま固まってしまう。あまりにもソフィアの言葉が正しかったから。
「あんた師匠だったって人に会う前の話はしたがらないよね。私はお祖父ちゃんが理力学者でとか両親が商売やっててとか弟が可愛いとか色々話してるのに、私はエルのことなにも知らない」
「それは……僕は両親とも死んじゃってるし兄弟もいないし……特に話すようなこともないから」
ソフィアは首を横に振る。
「嘘、ただ話したくないだけでしょ。別に話したくないならそれでいいって思ってたけど、やっぱり我慢できない。私は聞きたいもん。ネイファさんに聞いたら多分知ってることは話してくれそうだけど……それは嫌なの。ちゃんとあんたの口から聞きたい。家族はどんな人だったとか」
孤児院にいるとき、エルはやたらと子どもたちに菓子を買い与えたがった。それどころか見ず知らずの子どもにまで、エルが食べ物を買い与えている姿をソフィアは見たことがある。食べ物以外は欲しがらないのに、いつもエルの財布が軽いのはそのせいだろうと思っていた。自分が小さい頃に余程ひもじい思いをしたんだろうと容易に想像がついたが、エルはそういうことを話そうとはしなかった。
エルが困った顔でソフィアから目線を外す。ソフィアはただじっと見つめて待った。エルが話したくなくとも彼女は知りたかった。それが単なるわがままだと分かっていても。
「ネイファさん、最初にあんたのことエルミストって呼んだよね。エルだとどっちでもいい名前だけど、エルミストだと完全に女の子につける名前だよね。女っぽい名前だから、ほんとの名前も教えてくれなかったの?」
エルはゆっくりうなずく。
「それもあるけど、でもエルミストって名前はもう使ってないんだ。国の人別帳も協会に登録してる名前とかも全部、エルとしか書いてない」
「そっか、じゃあエルはエルでいいのね。言っとくけど私すごい悔しかったんだから。自分だけべらべら家族のこととか楽しそうに話しといて、あんたは自分の名前さえも言ってなかったのかって。なんか私が馬鹿みたいじゃない。私だけエルのこと信じて頼って、実はあんたからは全然信頼されてないのかと思っちゃって……そうなの? 私のこと全然信じてない?」
「そ、そんなわけないじゃないっ」
ソフィアはずるい言い方をする。そんなことを言えば否定の言葉が返ってくるのは分かっていた。
「そっか、ならよかった。じゃあ話してほしい。エルの両親のこととか全部聞きたい……だめ?」
少女のまっすぐな視線についにエルは観念する。大きく息を吐いて低い天井を見上げると、重たい口を開いた。
「父親は背が低くて、痩せててみすぼらしい人だった。髪が赤くて……黒髪の僕とは全然似てない。当たり前なんだけどね、実の父親じゃないから」
「育ててくれたお父さんと、ほんとのお父さんが違うってこと?」
「そんな感じかな。育ててもらったって気もしないけど。それで仕事は……仕事とは言えないけど、人竜会ってところに入ってたんだ」
ソフィアは人竜会という言葉を頭の中で探す。それがなんなのかを思い出し、少し顔を曇らせた
「人竜会って、竜と共存しよう竜を殺すなって主張してる……あの人竜会?」
「そう。イリシアの人たち皆で協力して築いたものを壊そうとしてる馬鹿な人たち。共存の道なんて600年の間に何度も模索されて、とっくに無理だって分かってるのに。まあ今は誰も相手にしてないみたいだけどね」
一時は人が住めなくなる寸前までいったイリシアの大地を、人々が努力し多くの犠牲を払いながら少しずつ取り戻していった。それでも竜の侵攻から600年経った今なお、以前人々が暮らしていた土地全てを奪い返せてはいない。
しかし自分が安全な場所にいると勘違いする者は現れる。その勘違いした人たちが竜はなにも殺す必要はない、共に生きていけばいいと大声で主張し始めた時期がある。そして同じ主張を持つ者が集まって人竜会という団体を作った。
「だから父親はほとんど働かずに、よく分からない演説とかしながらぶらぶらしてたみたい。僕がまだ赤ん坊の頃は、金もいくらか家に入れてたみたいだけど。歩けるようになったくらいから僕を殴るようなって、家にいてほしいと思ったことはなかったな。まあ母親が他の男と作った子どもだから、全然自分に似てないと分かってくれば当然腹も立っただろうね」
エルは自嘲気味に笑って話す。話したくないことだと分かっていてもソフィアは話を止めようとはしない。どんな話でも聞きたかった。
「母親は美人だけど頭の弱い人で……男なら誰とでも寝る人。色狂いって奴だね。僕が家にいても平気で男を連れ込んでた。特に狩竜人が好きだったみたいだね。なんで狩竜人とは正反対みたいな父親と一緒になったのかは知らないし……知りたくもない。ここはたくさん狩竜人が来るし母親も相手には困らなかったみたい。だから僕も多分どこかの狩竜人の子どもだと思う」
ソフィアは仲の良い家族に愛されて育ってきた。だからどんな状況でエルが幼い頃を過ごしたか、自分の経験からは想像がまったくできない。経験してないことを上手く頭で想像できるほど賢くもない。ただただ必死にエルの話を聞いた。
「家にいても食べるものがないから2、3歳から物乞いみたいなことをしてたんだ。村の人は皆優しかったね。飢えて死ぬことなく僕は生きてるんだから。特に狩竜人はいつもなにか恵んでくれたような気がする。母親が家に連れ込んだ狩竜人も、たまに金とか食べ物をくれたりしたな」
横並びにベッドに座っているのでエルの表情はソフィアには分からない。顔は見られたくないかもしれない。そう思ってソフィアは、代わりにエルとの距離を少し詰める。不器用な彼女なりの意思表示だった。2人の肘がこつんとぶつかる。エルはとっさに体を引こうとするが、ソフィアはそれを許さずにさらに距離を縮める。肌が触れると男は苦しくなるのを分かってほしかったが、エルは諦めてそのまま話を続ける。
「毎日物乞いしてるうちに娼婦の人たちが可愛がってくれるようになったんだ。恵んでくれるんじゃなくて子どもにもできそうなお使いを頼んでくれて、代わりに食べ物をくれたりした。ただで物をくれるんじゃないってのは本当にありがたかった。いくら子どもでも毎日物乞いしてると惨めだって思うんだ」
「ネイファさんともそこで?」
「うん。ネイファさんもそうだし、他にも何人か本当によくしてくれたんだ。色々お使いを頼んでくれたり、体洗ってくれたり、新しい服を用意してくれたりとか。新しい服を着てると父親が余計に殴ってくるからちょっと嫌だったけど。今思えば小さい子どものできるお使いなんてなんの足しにもなってないんだよね。でもそうやって娼婦の人たちが働くことを教えてくれなかったら、きっと生きてはいられなかったと思う」
エルの口調が親の話のときよりずっと穏やかになる。きっと本当に優しくしてもらったのだろうとソフィアは思った。
「娼館の客は狩竜人が多いから、娼婦の人がよく狩竜人の話をしてくれたんだ。それでいつか僕も狩竜人になれたらなって思ってさ。木の枝拾って剣に見立てて狩竜人ごっこして遊んでた。最初は1人でやってたけど、そのうち他の子たちが仲間に入れてくれるようになって。それまで誰かと遊んだことがなかったから本当に楽しかったな。よく考えたら今もソフィアと同じことやってるね」
「ふふっ、そんなの皆やるわよ。私だって子どもの頃はよくやってた。近所の子たちと木の枝で打ち合って、私は男の子にも絶対負けなかったわ」
そういえば子どもの頃の遊びでは1度も負けたことがない、とソフィアは思う。初めて負けたのは最近になってから、隣にいるのがその相手だと気づいた。
「父親も母親も相変わらずだったけど、そのうちどうにか仕事らしいこともできるようなったんだ。娼館だけじゃなくてそこに出入りする人たちにも仕事をもらって、生きてく分の食事は自分で確保できるようにもなった。充分とはいかなくていつも腹は減ってたけどね。親には頼りたくなかったし、1人で生きていけそうってのは思えたのは嬉しかったな。その頃にはもう自分の親がどういう人たちか分かってたから。たまに父親にも母親にも稼いだ金を取られそうになって、正直早く死んでくれないかとか思ってたけど」
自分の親を死んでほしいと思うほど嫌いになる。ソフィアには分からない感情だった。ただエルを不幸にするような人たちなら、きっと私も嫌いだっただろうと思うだけだ。その親よりも今目の前にいる人が大事だった。
「それで僕が9歳のときまでは、村の皆に助けられながら生きてたんだ。友達もできたし娼館の人は優しいし、親がどうでも不幸だとは思ったことなかった。それで……」
もうエルは全部話そうと覚悟を決めている。自棄になっているわけではなく、話すうちにソフィアにはやはり聞いてほしいと思い始めていた。ただ、上手く言葉が出てこなかった。
「うん、それで?」
淀みなく言葉を繋げていたエルの口が閉じる。それでも話の続きをソフィアはうながす。話したくないと分かっていても続きを求めるのは意地が悪い。そう思ってはいてもソフィアは我慢ができなかった。
「それで……9歳のときにレズレンの大竜災って呼ばれるレイダークの襲撃があったんだ」
「うん、私もその竜災はエルに会う前から知ってた。群れないはずのレイダークが20頭くらい村まで来ちゃったんだよね」
「そう。いくらレズレンに強い狩竜人が揃ってても20頭のレイダーク、それも人食い竜になった奴らは止められなかったんだ。どっちに逃げても竜と炎が待ち構えてて、どんどん人が食われていった。そのうちサルティスの木も焼かれて、レイダークだけじゃなく他の竜種も寄ってきちゃって、そいつらも人食いになって……」
子どもの頃にはただ怖くて逃げるだけだったが、狩竜人になった今ではその恐怖の意味がもっと理解できてしまう。人食い竜の出現に混乱して逃げ惑う人々が、他の竜に食われてさらに人食いを生み出す。悪循環の極みだった。
「村の近くにいくつも見張り台があるけど、あれには全部竜の接近を知らせる大きい鐘があるんだ。でもそのとき、鐘はすぐに鳴らなかった。鳴ってても村の人が全員助かるような状況じゃなかったけど、もし鳴ってたらかなり違ったはずなんだ。逃げる準備も狩竜人が戦う準備もできたはずだからね」
「なんで鳴らなかったの?」
「うん……それがね。鳴らなかったのは僕の父親……そう呼ぶのも嫌なんだけど、その父親だった男のせいなんだ」
エルの声が少し震えていた。ソフィアはエルの手にそっと手を重ねる。夜とはいえまだ夏。寒さなど一切感じないのにその手は冷たかった。
「その日たまたまお使いを頼まれて、僕はその見張り台に届け物をしにいったんだ。そこで父親だった男とすれ違った。ボウガンを手に持ってて、見張り台から逃げるように走ってたんだ。見張りの人に声をかけても返事がなくて、おかしいと思って昇ったら対竜用の矢が刺さった見張りの人が死んでたんだ。それにも驚いたけど、もっと驚いたのはレイダークの群れが近くまで迫ってたことだね。それでとにかく僕は必死に鐘を鳴らした」
抑揚のない声でエルは話し続ける。冷たい手を温めるようにソフィアはエルの手を握る。
「想像つくと思うけど、見張りの人を殺したのは父親だった男。たまたまじゃなくて狙ってその男が大竜災を起こしたんだ」
「それは……どうして分かるの?」
「追いかけて直接聞いた。でもこれは他の誰も知らない……怖くて誰にも話してないんだ。まさか人竜会といってもそこまで馬鹿なことをする奴はいないし……いや違うね。これは言い訳だ。自分が責められるのが嫌で話してないんだ」
「おとう……その男は?」
父親だと言われるのは嫌なんだろうと気づいて、ソフィアは言い直した。
「死んだ……そいつから話を聞いたあとに……僕が殺した。例え話とかじゃなくて直接僕が手をかけて殺した。かなり背が低くて体も小さい男だったから、子どもの僕でも不意打ちすればあっさり死んだよ。大きめの石で思いっきり殴って殺したんだ」
ソフィアは自分が9歳の頃を思い出す。成長が早く理力量も多かったソフィアは、大人の男と力比べをしても負けなくなっていた頃だ。きっとエルもそういう子どもだったのだろうと、今の強さから想像する。
「そう、じゃあよかった。エルはよかったと思ってるのよね、その男が死んで」
エルはソフィアの言葉に驚いて目を見開く。
「いや……僕は死んでほしいと思ってたし、そのことは全然後悔してないけど……でも、人を殺したんだよ? 本当なら死罪か、よくても一生の罪人奴隷だ」
優しいソフィアのことだ。直接責めるような言葉は口にしないと思っていた。しかしよかったと言われるとは、エルは全く想像もしていなかった。
「そんなわけないじゃない。だってその男は見張りの人まで殺して大竜災を引き起こしんでしょ? それに9歳の子どもが人を殺したってそんな重い罪にはならないわよ」
「いやでも……仮にも父親を殺したんだ。後悔はしてないけど……でも」
ソフィアは少し苛立つ。
「あのさあ、もしかして人殺しとか親殺しって思って私があんたを嫌いになるとでも? なんか腹立つんだけど」
「え、いやその……」
「あのね。自分から話聞いといてなんだけど、別に過去がどうでもあんたのことを見る目が変わるとか、そんなことは全然ないの。ただ聞きたかっただけなのっ。私だって前に話したでしょ、思いっきり人殴って殺しかけたって。それで私のことが嫌いになったりした?」
エルは首を思いっきり横に振る。ソフィアはだんだん興奮して声が大きくなってくる。
「私はね、エルが自分のことを嫌いって思ってるのが我慢できないの。それで子どもの頃になんかあったのなら聞きたいって思ったの。さっきユニスさんと話してるときに、大竜災のときに自分よりもっと助かるべき人がいた、とかなんとか言ってたよね。そういうこと絶対言わないでほしい。思ってもほしくない」
ソフィアがなぜ怒っていたのかエルはようやく理解した。自分を蔑ろにしたような言葉に怒ってくれたんだ。そう気づいてソフィアの手をぎゅっと握り返した。
「ごめん。もう言わない」
しかしソフィアの怒りはまだ収まらない
「そう、謝ってほしかった。だって私はすっごい嫌だったんだから。ほんとに嫌だったんだから。思い出すだけで腹が立つわ。あんたが死んでたら私とフェネラルで出会えなかったってことでしょ? そんなの嫌なの。そんなの絶対に駄目なのよ。私と同い年で同じ狩竜人で同じ夢を持っててそれで……私、馬鹿だから上手く言えないけど……とにかく嫌なの。エルが死んでて出会ってなかったらとか、想像もしたくないのよ、エルは私と一緒に南に行くんだから。そう決めたんだから……だから、ちゃんと自分のことを好きになってほしい。だって私もエルのことが……す……ごく大切な仲間だから」
夜でよかったとソフィアは思った。小さな竜油の照明が照らしているだけで部屋は薄暗い。ソフィアの不自然に紅く染まった頬にエルは気づかなかった。




