3-2
エルがソフィアの部屋に行くことは滅多にない。それはもちろん相手を女性として扱っていて、彼なりに気を遣ってのことだ。ソフィアもエルの部屋を訪れて長居することはなかった。それはもちろん相手が男性なので、警戒してのことだった。だったのだが、ソフィアは相手に危険がなさそうだと分かってくると、勝手に出入りさえするようになっていた。
「ソ、ソフィア。なんか買い物から帰ってきたら部屋にこんなものが……」
この日は珍しく、エルがソフィアの部屋の扉を叩いた。両手に抱える木箱は開かれ、中から甘い匂いが漂っている。
「あっ、お帰り。それ私が置いたのよ、一緒に食べようと思って。あんた甘いもん好きでしょ。好き嫌いしてるの見たことないけど」
「で、でもこれ砂糖菓子とか砂糖漬けの果物とかだよ……すっごい高いよ? 食べたかったけど買えなかったものがこんなに……」
「言っとくけど私が買ったんじゃないからね、無駄遣いとかじゃないわよ。お茶入れるからお湯もらってきて」
ソフィアが木箱の中からビン詰めの茶の葉を取り出す。甘い匂いに気を引かれ、茶の葉まで入っていたことに気づいてなかったエルは更に驚く。酒をほとんど飲まない2人は、普段飲むといったら水か湯だ。いちいち茶など買っていたら、ただでさえ軽い財布はあっという間に底を突く。
エルの部屋の小さなテーブルに、ところ狭しと並べられた様々な菓子と果物。日持ちするものばかりのそれらは砂糖がふんだんに使われているので、菓子の1つが普段の食事の1食分の値段に相当するものまである。
「ソフィア、これはなんなの? どうしたの? なにがあったの?」
エルの視線は菓子に釘付けだ。しかし手は出せないでいる。さながら、人から餌を与えられた野生動物が、空腹なのだが手を出していいか分からず警戒している姿。そしてその美味そうな匂いにそろそろ我慢も限界がきている。罠かもしれないと思いつつも、今にも手を出しそうだ。
「そんな不審がらなくていいわよ、出所があやしいもんじゃないから。実家から送ってきてくれたのよ」
「そうだったのか……じゃあこれ、ソフィアのために送ってくれたんでしょ。僕が食べてもいいの?」
「いいに決まってるじゃない。これは私がもらったものなの。私があんたと食べたいと思ったらそうしていいのよ。というか、なんでそんな警戒してんのよっ。さ、食べましょ」
エルは礼を言って恐る恐る菓子に手を伸ばす。そのハチミツとは違った上品な甘さに感動する。普段は量を食べるだけに早食いのエルも、1口ずつを味わうように噛み締めている。飲み込むのがもったいないほどに口に広がる優しい味は、エルが初めて体験したものだった。
「すごい……なんだこれ。甘いんだけど、ただ甘いんじゃなくて、美味いと甘いが両方だ」
いちいち感動しながら食べるエルに、ソフィアも嬉しくなる。別に頼んだわけではないが、手紙とともに菓子詰めの箱を送ってくれた家族に感謝した。
「エル、もしかして砂糖菓子食べたことなかったの?」
「うん。ハチミツならあるんだけど、こんなに美味しいものだとは思ってなかった。もっと早くに買えばよかった。でもこれ、果物のハチミツ漬けも普段食べてるものと全然違う。同じハチミツなのにこっちのが断然美味い」
いくら砂糖が貴重で高いといっても、普通の家で育ったなら1度くらいは口にするだろうと彼女は思う。自分と出会う前にエルがどんな生活を送っていたのか想像がつかなかった。ただ普段の食事の姿をみても、あまり普通ではなかったのだろうとは思っていた。
「エルってさ、山にこもってたって言ってたじゃない。なんで?」
「うん、僕は竜災孤児ってやつなのかな。10歳になる前に親が死んでから師匠と2人で暮らしてて、12歳くらいからかな、人里からは離れて東の山の向こう側にいたんだ。レズレンの村ってところの東の」
「レズレンって……知ってるわよ。炎竜の村じゃない。えっちょっと待って、東ってレズレンの東にいたの?」
「そう、あっ山ごもりって言ったけど実際はそこまで山じゃないかも。あっちは山を越えると広い平野になってて、そこにいることも多かったから」
そんな多少の言葉の違いなどどうでもいいだろうとソフィアは思う。
「いやいや、あんたなに言ってんの。山とか平地とかそういう問題じゃないでしょ。炎竜の村って東の最果てじゃない。そこの東ってもう竜だらけの場所で、人なんて住んでないって聞いたわよ」
「うん、そうなんだ。だから何年も師匠以外の人と話してなくて。人がたくさんいるとこに久しぶりに来たら、なんて言うのかな、普通の会話がわからなくなってたんだ。自分でも驚くくらい、なに話したらいいのか分からなくて」
山にこもるといっても、まさか人の住まない竜が支配する大地でとは思っていなかった。エルが嘘をつくとは思っていなかったが、それでもどこか信じきれずに話の続きを求める。
「その師匠ってのは?」
「うん、もう死んじゃったけど色々教えてくれた。狩竜もそうだし歴史とか、字もそうだね。師匠に教わってなかったら書けないままだったと思う。親が生きてたときより、まともな暮らしをさせてくれたんだ」
「人が住めないとこに子ども連れてってまともって、あんたの両親はどんなだったのよ……いや、その師匠ってのもおかしいでしょ。なんでそんなところに住んでたのよ」
「それがなんでか教えてくれなくて、結局知らないままなんだ。最初に拾われたときは子どもだったし、深くは聞かずに着いていっちゃったし」
「理由も教えてくれないって、まさか犯罪者とか? どっちにしろまともだとは思えない人ね」
「うーん、気が荒いとかはなくて、犯罪者とは思えないかな。でも確かに、今考えると変な人だったと思う。師匠は無駄が嫌いというか、必要なことだけしかしないって感じの人で、僕にとっては恩人だけど優しいとかでもなかったかな。この前会ったウィクラスさんとか他の狩竜人の人も、本当に良い人だったよね。シロノさんとかヴェンコイさんとか、最近会う人は皆優しい人ばっかりだ。小さい頃は親より他の人に頼って生きてたし、分かってたはずなんだけど。皆優しいってこと、忘れてたかもしれない」
竜という人々に対して明確な敵がいる分、イリシアでは他の大陸よりも人の命を大切にする。人の命が軽く竜に踏み潰される大陸では、人同士が争いをしている暇はない。皆が手を取り合っていかなければ、竜に蹂躙されてしまう。ときには狩竜人が守りきれず、竜に滅ぼされる村もある。人同士の争いがなくても、気を抜けば人の数は減ってしまう。イリシアはそういう大地だ。
「なんかもう色々あれすぎて、聞きたいことだらけなんだけど。師匠って狩竜人なんだよね?」
「それが……そう思ってたんだけど、もしかしたら違うかも」
「かもって、何年も一緒にいたんじゃないの?」
「そうなんだけど、自分のことも全然話さない人だったから。理力学とか歴史とか、勉強のことになるとよく喋ってくれたんだけど」
「そういえば私みたいな体質の人がいること、その師匠から聞いたって言ってたわね」
「うん、なんか色々本持ってたね。村から出て、山を越えるときにほとんど処分しちゃったんだけど。多分色んなことを知ってて、特に理力の関係は詳しかったと思う。僕じゃわからない難しい本ばかりで、どれくらい詳しいとかは分からなかったけど」
「でもあんたの師匠なのよね? 狩竜の腕はすごかったんじゃないの」
「いや多分いつからか、14歳くらいで僕のほうが強くなってたと思う。今考えると狩竜人っぽくなかった、ってのは最近気づいたんだけど。竜種の生態は詳しいけど、解体のことはあまり知らないとか。狩竜人のことも、どういった役目だとか心構えとかは話してはくれたけど、協会の規則とかはあまり知らなかったんじゃないかな」
「ますます分かんないわ。あっ、でも認可は? 協会の認可受けるのに狩竜人の推薦がいるじゃない」
「それは師匠が死ぬちょっと前に、死んだらこうしてくれって色々言われてて。で、狩竜人になるならこの人を頼れって手紙を書いてくれてたんだ。レズレンの村から西の村に行って、そこで師匠の知り合いだって狩竜人、って言ってもかなり年の人だったから元狩竜人なのかな。その人が推薦してくれて認可を受けられたんだ。他に当てもなかったから、本当によかっったよ」
「よくない、なんか色々よくないけどまあいいわ。過去は過去。それで今、エルは私と組んでるのよね?」
「えっ、そう……だと思ってるけど……あれっ違うの?」
「確認よ確認。で、そんな変人師匠と暮らしてきたエルは、狩竜人になってこれからどうするとか、夢とか目標とかあるの? ないわよね」
そんなものあってたまるかという勢いで、断言するソフィア。
「いや、一応あるけど」
「そうよね、人も住めないとこに2人で暮らしてたんじゃ夢や目標なんて持てるわけ……ってあるの? なんでよっ」
「いや、なんでって。狩竜人になったらしてみたいというか、行ってみたいとこがあって」
「なに……どんな夢なの?」
「えっと、師匠が持ってた本の中に1冊だけ、僕でも読めるというか、好きになれた本があって。それが『南の大地の冒険』っていうんだけど……ソフィア?」
エルの言葉の途中で急に部屋を飛び出すソフィア。どたばたと自分の部屋に戻り、また慌てて戻ってくる。彼女の手には1冊の本。
「これ、この本」
「あっそれ、その本。というかソフィア、勝手に部屋に入るなとは言わないけど、いや言いたいけどそれはいいとして。せめて僕の物を持っていくときぐらい、なにか言ってよね」
いい加減ソフィアの遠慮のなさには慣れたが、さすがに自分の大事な本を持っていかれては困る。そう彼は思う。
「違うから、これ。そうじゃなくて」
「あれっ、なんか綺麗になってないその本?」
「だから違うってば。これは私のなのっ」
「えっ、だってそれは……あれ? 僕のこっちだ……」
エルは自分の鞄の中を確認する。そこには同じ本が入っていた。それを手に取り不思議そうにソフィアの持つ本と見比べる。エルの本は元々古かった上に何度も読み返したせいで、崩れそうなほどにボロボロになっている。それに対してソフィアの持つ本は読み込まれてはいるが、そこまで古くはない。
「ご、ごめん。勘違いだ。ソフィアも同じ本持ってたんだ」
「あんたこの本好きなのよねっ」
「え、あ、うん」
「南、行ってみたくなったでしょ」
「そう、いつか南の大地に行ってみたいって……ソフィア?」
これまでにないくらいに表情を崩して笑うソフィア。エルの背中をバシバシと叩く。
「痛っ、痛いって。なんだよ、もう」
「私もっ、私もなのよ。南に行きたいって、それで狩竜人なのっ」
興奮して話すソフィアに、ぽかんと口を開けて呆けているエル。
「だからっ、エルもなんでしょ。南、目指すのよ一緒にっ。もう、そういうことは早く言いなさいよ」
ただ彼女に出会えたことさえ、これ以上ない幸運なのだと思っていた。知らなかったこと。忘れかけていたこと。それら全てが彼女によってもたらされて、これ以上なにを望むのだと思っていた。出会ってからの日々はとても魅力的で、そこに伸ばす手を止められなくなりそうで怖さすら覚えていた。
偶然にも同じ夢を持ってたことをはしゃぐ彼女を見て、僕はそんなふうには喜べないと彼は思う。胸が苦しいくらいに嬉しさが込み上げてきて、言葉が出てこない。彼はなにかをごまかすように、目の前の菓子に手を伸ばして口に放り込んだ。




