聖魔のはじまり
「ライラ、そろそろ時間だ」
「……分かりました」
ライラは立ち上がり、邸宅の裏庭のほうへ向かっていく。
裏庭へ出る扉前まで来ると、幾人かの使用人が集まってきた。
「出発ですか?」
「そうみたいです」
「行先は」
「北東のジェサの街です」
「馬車を用意します。しばらくお待ちください」
使用人たちは、慌てる様子もなく支度をはじめる。
ライラの荷をまとめる者と、馬車を邸宅の裏へ回す者。
邸宅内にいる職人や、客人たちに話を付けに行く者。
なにもかも、慣れたことのように。
「どうかなさいましたか??」
ベッダが血相を変えて駆けてきた。
リザリオと、リーダー的な役割を担っているであろう職人の男たちも、彼の後ろに控えていた。
「急用で。今すぐに引っ越しをします」
「どういうことで??」
「実は私、魔女とか……そんな風に呼ばれてまして」
「存じております。しかし、それらはほとんど真実でないと、この街の者は皆知っています」
ベッダが力強く言った。
リザリオと職人の男たちも同意して頷く。
ライラは飛び跳ねたくなるほど嬉しかったが、ぐっと堪えた。
そうして、ベッダを静かに見据える。
「ほとんどが、でしょう」
「ほとんどが。とても長い時を生きていらっしゃるのは、見れば分かります。しかし、それだけだ。あなたと話した者なら、皆そうだと知っています」
「それ以外にも、あるとしたら」
「どのような??」
「たとえば、魔物を呼ぶとか」
「馬鹿馬鹿しい」
ベッダが嘲笑うように言った。
そんな噂こそ根も葉もないことだ、と。
しかし、ライラは寂しそうな表情を浮かべ、首を横に振った。
そうして、東を指差す。
指が差す彼方には何も見えない。
しかし、たしかな悪意が迫っていると、ライラには感じられた。
「もうじき、魔物が押し寄せてきます」
「この街に?」
「いえ、私を狙って」
「まさか」
ベッダが息をのむ。
ライラも、まさかと思いたかった。
しかし、逃れられないのだ。
この呪いからは。
かつて、ライラに恨みを抱いた大貴族は、ひとつの魔法道具でライラに呪いをかけた。
その呪いは、呪った対象が命を落とすまで魔物に追われるというものだった。
とはいえ、その呪いはさほど強力ではない。
魔物が絶えず襲ってくるわけではなかった。
「ですが、一所に留まると、襲いかかってくる魔物の数が増えていくのです」
ライラは諦めたように言う。
これまでは、ライラを狙って街に迫っていた魔物を、ブラムが対処していた。
しかしブラムの力でどうにか出来るのは、5年が限界だった。
5年を過ぎると、どこからともなく溢れ出た魔物の群れが一斉に襲いかかってくる。
「抗えないのですか」
「抗おうとして、村をひとつ潰してしまいました。70年くらい前に」
「そんな」
「でも、いいんです。今回は収穫もありましたから」
ライラは小さく笑い、裏庭を見た。
そこには、巨大な馬車が曳かれてきていた。
馬車は絢爛豪華で、小さな邸宅のようだった。
あまりの大きさと重量のために、それを曳く十頭の馬も雄々しい。
「リザリオさんが、この馬車に取り付けられる小さな陶器の暖炉を作ってくれたんです」
「あいつ、そんなことまで」
「おかげで快適な旅ができそうです」
「……はは。それはなにより」
ライラの諦めた表情に、ベッダが苦笑いを向ける。
もはや別れは避けられないと悟ったのだろう。
「ライラさま。どうかお気を付けて」
「ええ、ベッダさんも」
ライラは丁寧に礼をして、一歩下がる。
すると、ライラの後ろに控えていた使用人がベッダの前へ進み出た。
使用人の手には、大きな木箱があった。
木箱の中には、ライラが住んでいた邸宅の権利書などが入っている。
これらをベッダに渡しておかなければ、この先、陶器の暖炉を作っていくのは困難になるだろう。
ベッダが深く礼を返す。
ライラは微笑み、踵を返した。
巨大な家馬車の前。
ブラムが立っている。
家馬車を挟むようにして、普通の馬車も数台並んでいた。
それらは、ライラと共に行く魔族の使用人たちが乗る馬車だ。
「行きましょう、ブラム」
「ああ。あんまり猶予がねえ。街を出たらすぐに魔物どもをボコるぞ」
ブラムがにかりと笑う。
その表情。
顔。
ライラは少し、眉根を寄せる。
100年ほど前まで、美男子な顔立ちだったブラム。
今では少し、歳を取っていた。
と言っても、外見は普通の人間でいうところの30代中頃といったところか。
やや渋い顔立ちになったというだけ、とも言える。
しかしブラムも、ライラと同様に450年以上生きてきた。
長命な魔族とは言え、永遠に生きられるわけではない。
そう思うと、少し足が重くなる。
「どうした、ライラ」
足を止めたライラに、ブラムが首を傾げた。
ライラはハッとして、首を横に振る。
「なんでもないです。でも……あまり無茶しなくていいですから」
「ああん? 俺がやらねえと、お前が魔法道具ぶっ放しちまうだろうが」
「それでもいいじゃないですか」
「魔法道具がいくらすると思ってんだ。無駄遣いするんじゃねえ」
ブラムが顔をしかめ、ライラの頭を抑えつける。
すると後ろから、幾人かの笑い声が鳴った。
振り返ると、ベッダとリザリオたち以外にも、邸宅中にいた職人全員が集まっていた。
皆にこやかな笑顔で、ライラを見守っている。
「さようなら、お元気で!」
ライラは大きく手を振り、家馬車に乗りこんだ。
つづいてブラムも馬車へ飛び乗る。
しばらくの間を置いて、ゴトンと馬車が動きだした。
家馬車を挟む、前後の馬車も走りだす。
王侯貴族も目を丸くするほどの、豪壮な馬車の列。
雪降る街を煌びやかに照らす。
これは、どんな時でもお金に“だけ”は困らないライラの、旅の物語。
半ば諦めつつも、安住の地を求めて、今日もまた彷徨う。
そしていつしか、魔女ではなく、聖魔と呼ばれるようになる。
聖魔ライラの旅は、北の大地バラスより始まった。
「聖魔のはじまり」の章はこれで終わりとなります。
次章は、7月投稿予定です。
宜しければ、本作の前章となる同タイトル
「どんな時でもお金には困りません!」も、お手に取ってみてください。
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