天使様、うっかりつるんする
翌日。ゴルト街を発つ際もまた、大騒ぎになった。
竜に騎乗して帰るらしいという話を聞きつけた街の人々が、二度目はないであろうその光景をひと目見ようと、またも騎士団詰所へと押し寄せてきたのだ。
日中なので、人出は深夜の比ではない。
周辺の大通りは人で埋め尽くされ、彼らと門番たちが押し問答しているまさにそのとき、二頭の竜が舞い上がった。
ミロちゃんに乗っているのは、ラピスとクロヴィスとコンラート。そしてディードとヘンリックと、第三騎士団の騎士三人。
ジークとギュンターと同行の騎士三十名は、もう一頭の竜に乗っている。
人数配分が偏っているのは、クロヴィスが「お前らは頭に血がのぼっている」と言って、ジークたちをコンラートから引き離したためだ。
ついでに「むさ苦しいから」と騎士たち全員をそちらに乗せようとしたが、ラピスの「アロちゃんが『重い』って言うかもですよ」という説得により、渋々三人だけミロちゃんに振り分けてくれた。
アロちゃんとは、あとから来た成竜の名だ。
例によってラピスが「蒼い色だからアロちゃん」と名づけた。
ちなみにドロシアは、あの直後から熱を出して寝込んでいるらしい。イーライが付き添っているようだ。
そんなわけで――
騎士(と見習い)たちは、おっかなびっくり、大喜びと大騒ぎを繰り返しながら竜に騎乗したはいいが、いざ空中に舞い上がると「ぎゃーっ!」と魂消る悲鳴を上げて、眼下を見る余裕などなく、全力で角にしがみついている。
さすがにジークは目を瞠りながらも平静を保っているし、ギュンターはむしろ面白がっている様子だが、ほかの者たちは伏せの姿勢で角に貼りつきっぱなしだ。
(こうして見ると、コンラート様の肝の据わり方はすごかったんだなぁ)
竜に乗るのを嫌がってはいたが、怖がりつつも冷静だった。
さすがは師の兄弟と納得したときには、ミロちゃんは騎士団詰所の周辺に詰めかけた人々の上空に至っていた。
驚愕の表情でこちらを見上げている彼らに、お世話になったお礼を言わねばと思い至ったラピスは、急いでミロちゃんに頼んでしばしホバリングしてもらい、できる限り身を乗り出して手を振った。
「お騒がせしてすみませんでした! たくさんお世話になりました、ありがとうございましたーっ!」
轟くような歓声が返る。
「すごい! 本当に竜に乗ってるよ!」
「嘘だろ、信じられない!」
「うおい! また天使の坊ちゃんかいっ!」
顔役の老人の声が聞こえた気もしたが、顔までは見えない。
「まさかこんな光景を見られるなんて……」
「天使様だ!」
「竜に愛されし天使様!」
大興奮状態の群衆たちだったが、一転。急にへろへろと座り込む者が続出した。
竜の風圧で倒されてしまったのではとラピスがあわてると、クロヴィスは「竜酔いだ」と苦笑した。
「竜と離れりゃ、すぐ元に戻るよ」
その言葉にホッと安堵して、そういえばと思い出す。
「コンラート様は、竜酔いされてなかったみたいですね」
「様なんて言わなくていい」
吐き捨てるように言ったクロヴィスに怒るでもなく、コンラートが首肯した。
「別に、呼び捨てでもなんでも、好きなように呼べばいい」
投げやりというのでもなく、淡々と。しかし本当に呼び捨てするわけにもいかない。「あうぅ」と悩んだあげく……
「じゃあ、コンラートさんで!」
と決まった。
思えば王太子であるギュンターを『さん』付けで呼んでいるし、ディードに至っては呼び捨てなのに、大祭司長にのみ『様』付けはおかしいのかもしれない。
――師匠にだけ様をつけるのもおかしいのだが。
クロヴィスはすべてにおいて特別と考えるラピスは、そこには疑問を感じない。似た者師弟である。
「……竜酔いとは、誰でもするものなのか?」
逸れていた話題に質問を返され、ラピスは「いいえ」と首を振った。
「僕は酔ったことないです。でも今まで見てきた中では、初めは酔う人のほうが多いみたいです。竜に慣れていないと力に中るからだそうですけど……あ、そうか! コンラートさんはきっと、お師匠様を通して、竜に馴染んでいたのかもですねっ」
途端、クロヴィスもコンラートも、驚いた顔でラピスを見た。
「ほえ?」と目をぱちくりさせると、今度は二人一緒に視線を逸らす。
「わぁ、さすが双子さんです! 動きが綺麗にそろってました!」
思わず拍手すると、「双子ーっ!?」とすぐうしろから声が上がった。
ディードとヘンリックだ。
ちょっと前までカチコチに緊張していたが、いくらか竜の騎乗に慣れて会話をする余裕が生まれたらしい。がっちりと角につかまったまま、しっかりとクロヴィスたちを見ていた。
「双子って? ままままさか」
「グレゴワール様と、その男が?」
そういえば、ディードたちはまだ知らないのだった。
本人たちが公にしていないことを、迂闊に口にしてしまったとラピスは気づいた。
「ごめんなさい! お師匠様、コンラートさんっ!」
「謝らなくていい、いずれ知れることだ。……ゾンネ辺りはとうに承知していたんだろうし」
クロヴィスの言葉に、コンラートも同意した。
「はい、神殿の幹部は当然知っています。名を捨てた者の経歴は一般には開示されませんが、聖道に入る際は身元を明かしますから。兄上ほどの有名人と生家が同じとなれば、たとえ絶縁されていようとすぐに知られます」
「絶縁? コンラートって?」
ディードが説明を求めてこちらを見たが、ラピスにも詳しい事情はわからない。
少し離れて座っている騎士たちの耳には入らなかったようで、彼らは彼らで「こえーっ」などと騒いでいるのは幸いだが……今は王都と竜王を救うことに集中しなければならないのに、本当にいらぬことをしてしまった。
「あのねディード、ヘンリック。僕がつるんと口を滑らせてしまったことは、今は忘れてください!」
「ラピス。つるん違う。ぽろりだ。ぽろりと口を滑らせる」
ヘンリックから指摘を受けたが、ディードが「違うだろ! ポロッだろ!」と怒り出す。「そしてそんなこと、今はどうでもいいだろ!」
自分のうっかりから他所様の家庭の事情を漏らし、友達を怒らせてしまった(そしてなぜかヘンリックも怒られてしまった)ことに、ラピスはしょんぼり肩を落とした。
「ごめんね……」
するとディードは焦った様子で「ち、違う違う!」と両手を振る。
「ラピスに怒ったわけじゃないよ! そんなわけないだろ」
「そうだぞラピス。ディードは怒りん坊なんだ、気にするな」
「うるさいヘンリック、元はと言えばお前のせいだろ! 何がぽろりだ!」
「なんでぼくのせい!?」
また喧嘩が始まってしまった。
けれどこの乳兄弟の遠慮のない言い合いには悪意がなくて、いつもラピスに不思議な安心感を与えてくれる。
にこにこ顔になって見つめるラピスの視線に気がつくと、二人は決まり悪そうに声を落とした。
赤くなったディードが、コホンと咳払いをする。
「ごめんねラピス。いろいろあって気が立ってたみたいだ。それでえっと……双子というのは本当で、でも今は忘れてほしいんだね?」
「うん!」
ディードがちらりと視線を向けた先、当のクロヴィスたちは我関せずのまま。
ヘンリックの「似てないような、似てるような」という呟きに、ラピスも心から同意した。
とはいえ双子の件を蒸し返すわけにはいかないので、その話はここまでにして、先の話をしておくことにする。
「あのね。お師匠様とも相談したのだけど、王都に戻ったら、」
「「戻ったら!?」」
二人の目の色が変わった。
本当はずっと、王都にいる家族が心配で気が気じゃないのだろう。ディードが苛立つのも無理はない。
ラピスはすでにクロヴィスと、この先どう動くかについて話し合っていた。
これ以上の災害を食い止めるのはもちろんだが、それだけでは竜王を救うに至らない。
竜王が穢れに病んだままでは、世界に災禍をばらまき続ける。災禍による人々の嘆きや怨嗟は、竜王をますます苦しめ、ますます病ませる。
その負の連鎖を食い止め、竜王を助けるには――
「ディードの父様に、頑張ってもらいたいの!」
「え。父上?」
「へ。陛下?」
乳兄弟の声が重なった。




