イチャつくもの
「なっ、なんっ、なんでラピんこが竜にっ」
クロヴィスが魚のように口をぱくぱくさせて、突如現れた飛竜を見上げている。正確には、竜に乗って現れた愛弟子を。
兄のそんな間の抜けた表情もコンラートは初めて目にするが、無理もないと思った。絶対に自分も同じくらい、間抜けづらをしているだろうから。
皮肉なことに、呪術師となり竜を呪詛したことで、兄すら会ったことのない竜王を、引きずり出すことに成功した。
竜王は、歴代の呪術師たちがかけ続けた呪詛に病んだ身で、ほかの竜や、人と世界が受けるはずだった呪詛までも引き受けたのだ。
穢れに病ませた成れの果てとはいえ、コンラートにとっては昔よりずっと身近な存在になったと言える。
しかしそれを交流と呼べるとは、さすがにコンラートも考えない。
まして竜に騎乗するなど――竜が騎乗させるなど、絶対にありえない。
コンラートが知る限り、大図書館のどんな『竜の本』にも、竜に騎乗した者の記録などないはずだ。
なのに、この少年は。
強烈な風圧と共に地響きをたて、竜が降り立つ。
前肢を曲げた巨体がゆっくりと伏せの体勢をとると、少年はヤモリのように首に貼りつきながら、「よいしょ、よいしょ、おいしょ、さまっ」と降りようとし始めた。
「……おいしょ様ってなんだ……ああ待て、ラピんこ! 危ないから動くなっ!」
「だいじょぶです~! ミロちゃんは優しいから危なくないですよ~」
そのあいだにも、竜が与えた震動と風圧により、かろうじて持ちこたえていた廃神殿が、轟音と土埃を上げて崩れ出した。
が、透明な壁でもあるように、瓦礫も粉塵もこちらに到達しないまま降り積もっていく。
(結界?)
おそらく、そうなのだろう。
兄がコンラートのため結界を張ってくれるはずがないから、この竜が張った結界に違いない。
「ミロって竜のことか? 危ないのは竜じゃねえよ、お前が落ちそうだから……って、ああっ!」
クロヴィスは崩壊する星殿など目もくれず、竜のもとへと駆け寄り、巨大な首にひっついている弟子の下方で両腕を広げた。
「ラピんこ、ほら飛び降りろ! 受け止めてやるから!」
「えええっ! 危ないですよぅ、お師匠様っ! お師匠様が怪我しちゃいますっ」
「大丈夫だ。俺が大丈夫と言ってるんだから信じろ!」
「お、おおお師匠様、相変わらずかっこいいです~」
肩越しに振り返り、大きな瞳を潤ませた弟子は、「いいから早く!」と急かされて、「わかりました!」とうなずいた。
「それじゃあ、手を離しますねっ!」
「ああ、絶対受け止める!」
「お師匠様ったら……どうしてそんなにかっこいいんですか?」
「そんなん言ってる場合か!」
「じゃあ、行きますよぅ! ……ほひっ」
聞いてるほうまで脱力する声を合図に、少年は手を離した。
バンザイしたまま急斜面を落ちる格好で「わあぁぁ」と声を上げながら滑落し、しかし途中でふわりと速度が落ちる。
ゆったりと地上に近づくと、両腕を広げて待ちかまえていたクロヴィスの宣言通り、しっかりと受けとめられた。長い腕が、そのままぎゅうっと抱きしめる。
「ラピんこ……!」
「お師匠様っ」
金色の巻毛に頬ずりするクロヴィスの胸に、少年もぐりぐりと顔を押しつけた。
「お師匠様ぁ、会いたかったです~生きててよかったあぁぁ」
「生きとるわ。ほんとにお前は……なんでまた竜に。つーかミロちゃんてなんなんだ」
「水色だからミロちゃんです。ほら、お師匠様と一緒に保護者を探した幼竜ですよ!」
ようやく弟子の頭から顔を上げた白皙が、まじまじと竜を見上げると、呆れたように呟いた。
「……ほんとだ」
「ね、僕もびっくりしました! こんなに早く、こんなに大きくなって!」
瞬きした竜が、返答のように「ギュ」と鳴く。
どっぷり二人と一頭の世界に浸っている師弟は、何故ラピスが竜に騎乗してここに来たのかという経緯などを会話し始めた。コンラートなどすっかり蚊帳の外である。
それはまるで、兄が竜と交流する姿に見惚れるばかりだったときの再現だった。
あのときと大きく違っているのは、兄が愛おしそうに見つめる相手は竜ではなく、人の子だということ。
弟子の拙い説明に根気よく耳を傾け、うなずき、驚いたり呆気に取られたり、つつみ込むように微笑んだり、優しく抱きしめたり。
それはあの頃のコンラートが心の底から望み、手に入れようと足掻き苦しみ、けれどとうとう掴むことのできなかった兄の姿そのものだった。
(そんなふうに接してくれるあなたを、いつも想像していた)
夢の中ですら笑いかけてくれることはなかったから、実際にそんな姿を目の当たりにした今、現実感がない。まだ夢の続きを見ているような浮遊感すら感じる。
そのせいか、不思議と嫉妬も絶望も感じなかった。
出会ったばかりの赤の他人に、己の人生を懸けて欲したものすべてを、奪われてしまったというのに。
(――まあ、それこそ今さらだな)
望むものは絶対に手に入らない。
それを充分思い知ったからこそ、呪法という道を選んだ。
何やら妙な方向にことが進んでいるが、すべきことは変わらない。
呪詛の成り行きを見とどけること。
世界の崩壊を確信すること。
動き出した呪法は、もう止めることはできない。
兄にも、もちろんその弟子にも、もうどうすることもできない。
(できれば終末のときを、兄上と一緒に眺めたかったけれど)
そのために、手間暇かけて巡礼に即席の弟子を参加させ、兄たちを呪法に巻き込んだのに。
だが呪殺されていたはずの少年は今、竜に案内されて乗り込んできて、コンラートの思惑を遥かに超えてしまった。
もはや苦笑しか出てこない。
こんなにも住む世界の違いを見せつけられては、妬む気力すら尽き果てる。
この少年は、兄と同等の才能を持ち、兄と共に同じ歌を聴き、解き、歌える、おそらくこの世で唯一の存在。
弟子であると同時に、兄の最高の理解者なのだ。
ゴルト街の騎士団詰所で初めてラピスと対面したとき――子犬に一時的に術をかけて、彼をおびき寄せた。それは彼を確実に呪詛するため、直接関りを持つ必要があったからだ。
可能ならば、そのまま拉致してしまおうとも考えていた。すぐそばに騎士団長がいる状況では、無理なこととわかっていたが。
しかしラピスは、あまりに無防備だった。
初対面だというのに臆面もなく、「大好きな師匠自慢」まで始めて。
こういう人物は生まれながらの聖属性で、呪詛のかかりが悪い。
だから挑発して負の感情を引き出そうと、わざと兄を「傲慢」と批判し、憎んでいると匂わせてみたのだが。
尊敬する師を悪く言う相手に食ってかかるでもなく、澄んだ瞳でこう言った。
『きっと本当はあなたも、ナイフみたいな言葉は捨てて、善き言葉を抱きたい方なんだと思ったのです』
美辞麗句も綺麗ごとも、妬み嫉みも恨みごとも、さまざまな者からさまざまな言葉を聞いてきたコンラートだが。
あれほど説明のつかない、思いやりにあふれているのに心臓が止まりそうな、そんな言葉は初めてだった。
本心はあのときすでに、認めていたのだ。
兄に慈しまれるだけのものが、この少年にはあると。
だから。
(さようなら、兄上)
これ以上、駄々をこねて騒げるほど若くない。
体力のあるうちに今一度竜王を召び、近場の村にでも災害を起こしてこの二人を釘付けにすれば、姿を隠す時間稼ぎくらいにはなるだろう。
そう結論づけて、賑やかに喋り続ける二人と一頭に背を向けた、そのとき。
「あっ! アードラー大祭司長様!」
ひときわ大きな声が追ってきた。
ぴくりと肩を揺らして振り向くと、真ん丸に目を見ひらいたラピスがこちらを見ている。
「こんばんはぁ、お久し振りですっ! わあ、偶然ですねっ。今ここに着いたんですか?」
「さっきから居たよ」
師の指摘に、「えっ!」とのけぞっている。
続けて、すまなそうに頭を下げた。
「ごめんなさい、僕ちっとも気づかなくて。お師匠様に会えた喜びのあまり」
「……謝りたいのか、惚気たいのか、どっちなのかね」
「ええっ! 惚気るなんてそんな、恥ずかしいぃ」
「今さらか」
「えっと、僕は謝りたくて、お師匠様が大好きなのです。ん? お師匠様大好きな僕が、謝りたいのです?」
自分の言ったことに首をかしげている。
「二回言っただけだな」と呟くと、兄が「そんな奴に謝る必要はねえよ」と睨んできた。
「ラピんこを呪詛した上に、竜の書を焼かせた張本人だぞ」
するとラピスは、「あっ、そうでした!」と、ポンと両手を合わせた。
「そういうわけで、これからみんなで王都に行きましょう!」
「……なに?」
どういうわけだかさっぱりわからないコンラートと違い、すぐに何か思い至ったらしきクロヴィスは、「マジか」と呆然と弟子を見つめた。




