衝撃のディアナとイーライ
ノイシュタッド王国王都・ユールシュテーク 。
その日、竜識学大図書館の学術研究棟大ホールには、朝から大勢の人の列が途切れることがなかった。
アカデミーに所属する全魔法使いに令達された『集歌令』――その参加者と護衛たちの、登録日だからである。
正確には、事前申請で登録された参加者及び護衛者の、本人確認の日だ。
参加者の殆どがアカデミー所属の魔法使いなので、確認はすぐに済む。行列はできても捌けるのも早い。
一番に手柄を立てようと、登録を終えるやいなや出発する者がいる一方で。
大ホールの入り口近くに陣取り来場者を品定めする集団も、そこかしこに見受けられる。その面子は、多くがアカデミー付属学院の生徒たちだった。
学院では、魔法使いとしての才能を認められた者が、主に優秀な聴き手となるべく教育・訓練を受ける。
基本的に入学に年齢制限はない。だが、十代半ばから二十代後半までに魔法を使えぬ者には、その才はないと言われているゆえに、自然とその年代の者たちが多くなった。
聴き手は人々から尊敬される。
創造主であり守護者でもある竜たちの言語を解し、竜たちの知識と情報を伝えてくれるからだ。
さらにドラコニア・アカデミーの上層部が、国政においても大臣相当の権限を与えられているため、『アカデミー卒業が出世コース』とも言われている。
自然、アカデミーの生徒たちは優越意識を持ちやすい。
なんの成果も出さぬうちから、他者と自分を比較し、優劣をつけることに時間を費やすようになっていく。
そんな彼らの多くは『集歌令』も『集歌の巡礼』も初めてだ。
優越意識をさらに満たすべく名声を望むと同時に、出発前から、自分より下位にいてくれるであろう者を探していた。なんの結果も残せなかったとき、「あいつよりはマシだ」と思えるための相手を。
ラピスの義理の姉兄であるディアナ・カーレウムとイーライ・カーレウムも、その例に違わず。
この二人がアカデミーの生徒としてここにいる時点で、『魔法使いの才能を認められた者が入学できる』という前提の崩壊は明らかなのだが……
そもそもアカデミー上層部の面々からして、聴き手の能力で選ばれているわけではない。むしろ聴き手は少ない。が、魔法の才はなくとも権力闘争に勝ち残る才能はある。
そういう人間たちが運営するのだから、学院の質に歪みが生じるのは必然だった。
なんにせよ、ディアナとイーライは幸せだ。
能力もないのにアカデミーに在籍している事実を、恥と捉える感覚はないから。
だから彼らは前日から、彼との再会を待ちかまえていた。
「なあ、ディアナ。本当に来るのか? ラピスの奴」
「来るわよ。グレゴワールの弟子が参加するって、先生たちが騒いでたもん!」
姉弟二人の標的はラピスだ。
自分たちの留守中に、突然『大魔法使いに弟子入りして』消えた義弟。
もちろん、手ぐすね引いて待っている理由は、義弟を心配するゆえではない。
どれほど悲惨な様子でやって来るかを見物し、笑い者にするためだ。
共に来場者を品定めしていた学友たちも、面白そうだと会話に参加してきた。
「グレゴワールってアレだろ? 反逆者として追放されたっていう爺さん」
「それは噂だろ。本当に反逆者なら、大魔法使いの称号だって剥奪されるはずだ」
「なんにしても、良い噂はねえよな。短気だの乱暴だの傲慢で冷酷だの……」
ディアナは時間をかけてカールさせた髪を指に巻きつけ、「ラピスってほんと鈍くさいよね」と笑った。
「皮なめし職人への弟子入りから免れたと思ったら、大魔法使いに弟子入りだって聞いたときは、何それ悔しい! って思ったけど。よくよく話を聞いたら、偏屈の老いぼれが師匠だっていうじゃない。笑ったわーそれって弟子じゃなくて介護人じゃん? どんだけ運がないの?」
イーライもニヤニヤしながらうなずく。
「集歌の巡礼に参加するったって、どうせ厄介払いみたいにして追い出されたんだろ? あのボーッとしたガキが弟子入りからこんな短期間で、古竜の歌なんて解けるわきゃないし。ボロキレみたいになって来るんじゃねえの」
「護衛も雇ってもらってないんじゃない? アカデミーが用意した得体の知れない護衛役と旅するなんて、あたしなら絶対にごめんだわ!」
個人で護衛を雇う余裕のない者は、アカデミーの援助を受けられることになっているが、人選もアカデミー任せとなる。
ディアナとイーライには、母グウェンが金とコネを結集した結果、騎士五名が護衛につけられることになっていた。裕福な学友たちは皆、似たようなものだ。
ディアナはギリギリまで、アシュクロフト騎士団長と契約してもらえるよう、母に泣いて頼んでいたのだが。それが叶わなかったのは今も不満でならない。
そのとき、列の後方で賑やかな声が上がった。
なにやら黄色い声も混じっているなとそちらを見たときには、波が押し寄せるように、ざわめきが近づいてきていた。来場した誰かと共に、騒ぎが移動しているのだ。
「なんだ?」
イーライが顔をしかめたと同時に、周囲の生徒たちから歓声が上がった。
「アシュクロフト騎士団長様よっ!」
「どうしてここにいらっしゃるんだろう。確か誰の護衛も受けてくださらなかったはずなのに」
アシュクロフトの名を聞いた途端、ディアナは思わずそちらに突進しそうになって、どうにか踏みとどまった。
駆け寄るまでもなく、憧れの騎士団長はこちらに向かってきているのだから。
「嘘……来てくださったんだわ、やっぱり引き受けてくださったんだわ! あたしの護衛を!」
学友たちが驚いてディアナを見る。イーライも小さな目を瞠って姉を見たが、
「そうか。ママが上手くやってくれたんだな!」
と満面の笑顔になった。
カーレウム家は財力はあるが、貴族の学友たちからは格下に見られている――と二人は思い込んでいる。
しかし高位貴族の依頼にも頑として首を縦に振らなかったアシュクロフトが、二人の護衛についてくれるとなれば、鼻高々。虚栄心も大いに満たされるというものだ。
「失礼。通してくださるかしら」
嫉妬と羨望の眼差しを浴びながら、得意満面、ディアナはアシュクロフトの前へと進み出た。そうして、自分が一番魅力的に見えると思う角度で笑みを浮かべ、エスコートされる姫君よろしく、片手を差し出す。
――が。
アシュクロフトはその手を、一顧だにせず。
威風凛然。堂々たるその姿によって割れた人波を振り返ると、恭しく連れを招いた。
「クロヴィス・グレゴワール卿、ラピス殿。どうぞこちらへ」
自然、皆の視線が、騎士団長が見つめる二人連れに集中する。
そこには、星の輝きのような金髪、水色の空を映した瞳の美少年。
そして彼の手を引く、月の化身のような銀髪をした長身の青年。片目は黒い眼帯に覆われているが、その怜悧な美貌は少しも損なわれていない。
「ねえ、あの方たちはどなた!? 貴族かしら」
「たぶん。でもアカデミーでは見たことないな」
「絵になるお二人ね! ほら見て、アシュクロフト団長と並ぶと、絵画にして飾っておきたいような光景よ」
「あのアシュクロフト団長が護衛につくなんて、いったい……」
「ちょっと待って。クロヴィス・グレゴワール卿って言った?」
噂しながら、皆の視線が、騎士団長の視界にすら入っていなかったことが明白の、ディアナへと移動する。
「……残念だけど、勘違いだったみたいね」
誰かが放った言葉に、別の者がこらえきれぬように吹き出すと、聞こえよがしな嘲笑が伝染した。
赤カブに負けぬほど赤くなり、恥辱と驚愕に目を剥いて、差し出した手を引っ込めるタイミングを逃したまま、ディアナは叫んだ。
「ななな……なんで!? なんであいつが、ラピスが、アシュクロフト様と一緒にいるのよーっ!!」




