ラピスの決断
「僕が、集歌の巡礼に……?」
唐突な提案にぽかんとして見上げると、さらに唐突な言葉が返された。
「家とその周辺には、結界が張ってある」
「結界?」
「ああ。他所から来た者は、こちらが招かない限り、家に来ることはおろか見つけることすらできないように」
「そういえば……」
最初に会ったとき、ジークムントもディードも「家なんかまったく見えなかったのに」と驚いていた。深く考えていなかったが、ラピスが招いたから彼らにも、この家が見えるようになったということか。
「わあ、すごいですねっ! さすがお師匠様! 僕、運よく団長さんたちと会えてよかったです。二人ともお師匠様に会うために、一生懸命来てくれたのですもんね」
「いや、運だけじゃない。地竜がお前をあの二人に引き合わせたし、飛竜は雨雲を呼んで奴らをこの家に引きとめた。……気づいてるか? ラピんこ。いつだって竜が、お前にとって重要な人間を連れて来るんだ」
パキン、と小さく薪が爆ぜた。
確かにそうだ、と。師の言葉が心にしみ込んでいく。
この優しく頼もしい師匠とも、竜がいなければ出会えていなかった。
「集歌の巡礼の護衛を買って出ている騎士団長を、竜が連れてきた。あの男は信用できるということなのだろう。……カメムシよりは」
「カメムシよりは?」
「『巡礼に参加するとしたら俺じゃなくラピスだ』と言ったとき、奴はなんの躊躇もなく『護衛の意思は変わらない』と返答したよ。そこは褒めてやってもいい」
振り返った姿勢でじいっと師の顔を見上げるラピスをどう思ったか、クロヴィスはなだめるような声になった。
「もちろん、嫌なら参加しなくていい。竜の意思よりラピんこの意思だ。でももしも参加するなら俺が万全の支度を整えてやるし、あの騎士団長には、ちゃんとお前を守らなかった場合は死んだほうがマシという目に遭わせるという、正式な契約を結ばせるし」
「やります!」
「へ?」
「僕、巡礼に参加します!」
張り切って答えたら、なぜか「はあ!?」と驚かれた。
「早すぎね!? よく考えて決めろよ、ラピんこ! お前そもそも、『巡礼』と呼ばれる意味わかってるか?」
「いえ、全然!」
「元気いいな! あのな、今回求められてる『竜の力が欠けたときの対処法』を知る竜は、おそらく竜王か、それに匹敵する古竜に限られる。彼らの棲む地を訪ね歩く集歌の旅は、巡礼と呼ばれる」
「古竜のおうちを訪ねることが、聖地巡礼ということですね!」
「おう、飲み込み早いな。いやいや、喜んでないで最後まで聞け」
久し振りにポフッと手刀を落とされた。でも相変わらず痛くない。
「古竜たちの棲み処も結界が張られていて見つけづらいし、まず人が足を踏み入れない場所にあるだろう。つーか実は運次第だったりもするけど、それはともかく。危険な旅になることが想定されるから護衛がつくんだぞ? そんな旅に、俺がどんだけ悩んでお前を送り出す決心をしたか……わかってるか?」
正直ラピスは、そこまで深く考えていなかった。
王都周辺で竜を探せばこと足りると思っていたら、それほど甘くはないらしい。
「……僕、しばらくお師匠様と会えなくなるのですか?」
「気にするのそこかよ。というかそういうことは先に訊いてから決断しろよ。ほんとお前は危機感薄くて危なっかしくてしょーがねえな。……まあ、しばらく会えないという心積もりをしとけ」
「それはすごく嫌です」
ちょっと泣きそうになりながら言うと、クロヴィスはなぜか「うっ」と呻いて胸を押さえている。
その服をきゅっと掴んで、胸におでこをくっつけた。
母が亡くなって以来、こんなふうに甘えさせてくれる人はいなかった。
母と同じようにいろんなことを教えてくれたり、ラピスの話に耳を傾けてくれたり、一緒に美しい景色や竜たちを見たり、歌を聴いて解き合ったり。
目ざめれば「おはよう」と言って、一緒に食事をして、お出かけもして、ときには遠慮なく叱られて。
一緒に歩いて、一緒に笑って、眠る前には「おやすみ」と言う。
竜から聴いた歌を、独りで呟かなくてもいい。
クロヴィスは、全部一緒に聴いてくれるから。
誰かに同情されることもない。クロヴィスが守ってくれるから。
まだ会って間もないのに。今ではもう、ずっと昔から本当の家族だったみたいに思える。
(家族)
そう思ったら、涙がぽろっとこぼれた。
涙の粒がころころ頬をすべり落ちて、次々あふれて、止まらなくなった。
「……ふえぇ」
母を喪い、どれほど悲しかったか。寂しかったか。
ここにきて、ラピスは初めて本当に自覚した。
父の嘆きがあまりに激しかったから、父の邪魔をしないよう、早く立ち直ってくれるよう、祈ることで精いっぱいだったから。
けれど父まで喪った。呆然とした。
そのまま今に至るのだ。まともに泣いたことすらないままに。
そんなことを上手く説明できるはずもなく、ただしゃくりあげていると、クロヴィスは何も訊かずにごしごしと目を擦るラピスの手を止めさせた。
そうして柔らかな布を押し当て、泣きやむまでずっと拭ってくれた。
この夜の、暖炉の熱と、オレンジ色の炎と、同じ色に照らされた師の銀髪と。
優しい沈黙と、あたたかい大きな手を。
きっとずっと忘れないだろうと、ラピスは思った。
それから……
「……やっぱやめとくか?」
ラピスが落ち着いたのち、本当に心配そうに言われたことも。
けれど「いいえ、挑戦しますっ」と首を横に振った。
「僕、竜に恩返しがしたいです。竜の力が欠けたときの対処法を探すっていうのは、竜のためになる、竜が元気になる方法を探すってことですよね?」
クロヴィスは微笑んで、「そうだ」とうなずいた。
「それに僕が『集歌の巡礼』でちょっとでも貢献できたら、お師匠様の評判も急上昇するでしょう、きっと!」
「……んあ?」
師の笑みが引っ込んだが、ラピスは気にしない。
盛大に泣いたことで、気持ちすっきり。目指す目標もはっきりした。
「本当は僕、お師匠様にバーン! と華麗に登場してもらって、最高にかっこいいお師匠様を、みんなに直接見てもらいたいのですけども! でもお師匠様と竜たちが『参加してみろ』と言うのなら、僕は頑張ります! 弟子として、お師匠様のことを誤解してる人たちの見方がガラッと変わるくらい、頑張りますからねっ!」
「え。ちょ、そういうことでは」
「よーし、やるぞー!!!」
☆ ☆ ☆
巡礼の参加登録日まで、あまり間はなく。
慌ただしい旅支度の合間を縫って、クロヴィスが魔法を教えてくれた。
魔法は、身の内に『竜氣』が宿ることで使えるようになる。
竜の歌をたくさん聴き、たくさん解くほど、竜氣はたまるという。
「炎の氣を持つ竜の歌をたくさん解けば、炎の魔法を使えるようになる。水、風、雷。さまざまな氣を持つ竜がいるが、どの竜がなんの氣を持っているかは宿ってみるまでわからない」
言いながら、クロヴィスが器に手をかざすと、底にほんの少し残っていただけの水が盛り上がってきて、みるみる泉のように溢れ出た。
驚いて大騒ぎするラピスに、「お前も魔法が使えるはずだ」と言い切る。
「できると思ったことがないから、できなかったんだ。なんだってそうだ。頭で受け入れたことが行動になり、結果を生む。ラピスはできる。そう信じろ」
そうして、あれこれの魔法を試してみた結果。
なんとラピスは、火と水を出せることが判明した。
「おおぉぉぉ……!」
自分の意志で、ちっちゃな炎や、ちょっぴりの水を生み出すことができた、その衝撃と喜びたるや。
まだまだクロヴィスの魔法の足元にも及ばないけれど、ラピスは興奮しまくりで、しばらく意味不明の声しか出なかった。
「……びっくりです……びっくりですーっ! こんなことができるなんて、考えたこともありませんでした!」
「そうだろうな」
クロヴィスも嬉しそうなので、ラピスも倍嬉しい。
教え上手な師は改めて、ラピスの手に『竜の書』をのせた。
真っ白い頁ばかりだった本も、今では素晴らしい歌がたくさん記録されている。
「忘れるな。『そんなことできるはずない』なんて言葉には、耳を貸すな。誰にもお前の可能性の邪魔をさせるな、そんな権利を持たせるな。お前を否定する奴より、お前を信じる俺の言葉を信じろ。ラピス。お前ならできるから。いろんなことができるから」




