此処は生と死の曖昧成る
神殿騎士団が保有する、アンデットや不浄のもの達に対する秘密兵器『火尖槍』は用いられている『黒い水』そのものを除けば有り触れた原理で作られたものでしかない。
「火尖槍並べ、はよぉ!」
メリダ老の下知に従い、彼女と共に準備された兵器が一列に並ぶ。
中央には鍛冶場で使われるような『ふいご』を思わせる噴霧器、後方には『黒い水』を蓄えた大樽が設置されている。
原理的にはそれほど難しい兵器ではない。
蛇腹状のふいごを持ち上げ、内部に空気が充満していく。
「放てぇ!」
「そーれっ!」
その上から数名の男達が体重をかけると、弁式の空気流入口は即座に閉鎖。押し出された空気が狭い噴射口に集中し、激烈な勢いで『黒い水』を霧状に噴霧。先端に用意された火により着火し――その名の由来となる灼熱の槍が伸びていく。
攻城戦には向かないだろう。しかし対人やこういったアンデット相手であるならば非常に有用な兵器はわらわらと集まるアンデットの群れを蹴散らしていく。
「そうだ、まずは徹底して守りを固める」
その陣頭にてローズメイは頷く。
彼女は、最初こそ『敵の指揮官を討てば終わる』と評したものの、これが常の戦とまるで違うことを理解していた。
ローズメイ自身は別にいい。一撃で人間を両断する武力の持ち主であり、アンデットを即座に戦闘不能に追い込める。しかし普通の兵士はそうではない――人間は心臓周辺を刺されれば死ぬ。頭を三寸切り込まれれば死ぬ。そんなにも脆い生き物だ。
だがこの敵は違う。誰も彼も、不死殺しの剣術など学んではいない。
「この分だと……増援を期待するのは無駄かな」
ぎょろり、と両眼を動かして周囲を睥睨するローズメイ。鷹の如き広い視野の彼女は――はるか遠方でも同様の事態が起こっていると悟っていた。ついぞまで敵だった指揮官のところには神殿騎士団の本体がいるからそこまで酷くはないだろうが、と考える。
「メリダ老」
「はいはい」
「敵の指揮官の位置を探りたい。可能か」
ローズメイは、分からぬものは分からぬと謙虚に教えを請うことにした。
ここはその筋の専門家に問うほうが早かろう、そういう判断である。
「はいはい……しばしお待ちを……んん?」
メリダ老は目を閉じ瞑目するのだが……そこでふと妙な気配を感じ取り眉間に皺を寄せた。
敵陣の奥にひときわ濃い邪気を感じるが、それとは別にケラー子爵家の軍の陣幕におかしな気配を覚えたが……それは一瞬で消え去った。
気にはなる。
「敵陣のあの位置に、ひときわ濃い邪気を。それからお味方の陣地に不可解な気を感じました」
「承知した。ハリュ、シディア、彼女の言葉に従い気配の元に赴け」
「はっ」
「任せてくださいっ!」
「残り三名、おれの供をせよ」
リーシャのその足取りは夢遊病者のように覚束ない。
セルディオ様に裏切りと無惨な最期を与えた恥知らずのファリクに対して復讐を果たす一身で歩く彼女。普段ならば周囲の善意を持った騎士やら悪意を帯びたならずものかが声をかけただろう。戦地においてはただ『女』というだけで危うい。
殺意、憎悪で凝り固まった彼女は、だからこそ『全軍戦闘準備』を告げる銅鑼の音を聞こうともまったく気に留めなかった。
周囲の兵士たちは上からの命令に従うべく即座に行動するため、女一人にちょっかいを出す暇もない。
リーシャはその事を特に不審に思う心も擦り切れていた。
頭の中でぐるぐるとめぐり続けるのは……主人であったセルディオの最後の姿。自分を庇って針鼠のような傷を受け、死亡する光景のみを延々と反芻する。
暖かな思い出もあったからこそ、その無惨な最期がなおさら引き立った。
……天幕を探す。特に一番大きな奴。リーシャはセルディオの傍仕えとして一緒にケラー子爵家軍の本陣にも赴いたこともあるから、どこにファリクがいるか、おおよその察しも付いていた。
「おお……君か」
「え?」
懐かしげに語りかけて来る声にリーシャは思わず振り向く。
聞き覚えのある声の主を見た時……彼女は思わぬ人物の姿に言葉を失った。
「……男爵様?」
「セルディオめによく仕えてくれた。リーシャだったな」
そこにいた人は……ここにいるはずがない人物。
今や『ガレリア諸王国連邦』内、混沌と騒乱の中心と化したアンダルム男爵家の長。
セルディオの父、ビルギー=アンダルム男爵がそこにいた。
リーシャは言葉に詰まった。
この時彼女の頭には、この戦争状態の引き金となった元凶に対する怒りや非難ではなく。
リーシャの仕えるべき主であり、男爵の息子であったセルディオを守れなかったことへの罪悪感などのほうが上回っていた。
「あ、あの、旦那様」
なんと言葉を発すればいい?
自分を庇ったせいで息子を失った父親にどんな言葉をかけるべきなのだ?
困惑と狼狽、罪悪感でアンダルム男爵を正視出来ない。
……だからこそ、リーシャはアンダルム男爵の顔の色がすでに死者のそれであることには気づけなかった。
空に広がる雲は分厚く、月光さえも閉じ込めている。死が濃密な場所近くに陣地があるせいか、彼の肉体から死臭がすることも察せない。
だが男爵は彼女の葛藤や罪悪感すべてを許すと……そう言うように穏やかに微笑んだ。
「息子の為にそこまで憤ってくれて、ありがとう。すまぬ……」
「お、お待ちください。セルディオ様の」
亡骸と対面せずにいいのか――リーシャはそう叫びかけた。
目の前に確かに、はっきりと写っているはずの男爵は。しかしその姿は蜃気楼の如くおぼろげにゆがみ、最初から存在していなかったように消失する。
「……今のは」
リーシャは自分が白昼夢を見たのだと思った。
主人の父親が自分のやろうとしている決断と行為を後押ししてくれたのだと信じることにする。
そうしたあと、懐に隠した短剣の冷たさに身震いした。こんなにも冷たいものを自分は今から人間の体に打ち込むのだと思うと恐ろしさがいまさら募ってくるが……怒りと恨みがそれを掻き消した。
「ここね……」
目当ての天幕を見つける。
彼女にとって幸運な事に、ファリクのいる天幕には誰もいなかった。
先の戦闘ですっかり信望を失ったファリク。その上ローズメイに指揮権を強引に剥奪され、現在は軟禁に等しい状態にあった。
これはケラー子爵家の家臣達の処置になる。もちろん彼は腹に拳骨を叩き込まれ、しばらく後で回復した後は怒り狂って剣を抜き、すぐさまローズメイに復讐するつもりでいた。
初対面だった頃、彼女に求婚した記憶などもう思考の彼方に消し飛び、あの美貌をどうやって穢すかということしか頭にはない。
リーシャは恐る恐る天幕の中を盗み見た。
ファリク=ケラーは豪奢な天幕の中、寝台で寝転がっている。
きちんとした建物があったのなら、恐らく外から錠でもかけられて監禁されていただろう。だが天幕に鍵などはなく、かといってファリクを野放しにしておいたら、せっかくローズメイ一本に指揮権をまとめた状態に混乱をきたす恐れがある。
だからファリクは片足を鎖で繋がれていた。
「……誰だ」
「……夜伽に参りました」
横になっていても怒りが激しくて到底寝付けなかったのだろう。ファリクは天幕へと入ってくる気配に質問し、リーシャは答える。
リーシャはいまさら惜しむものなどないと覚悟を決めていた。
自分はか弱い娘で相手は屈強な成人男子。獲物は短剣ひとつしかない。必殺の機会を狙うには相手の油断を誘う必要がある。そのためなら自分の純潔さえ武器にしてもよいと彼女は思っていた。
「……寄れ」
未だ背を向けないファリクへと間合いを詰める。
肌を許しても構わないと思ったが、これだけ隙だらけならば近づいてそっ首掻ける。リーシャは一歩、また一歩と近寄る。
後少し、後少しでセルディオ様の仇が討てる――そう思った矢先、彼女は自分へと振り向くファリクの眼に浮かぶ、激烈な憎悪の感情に思わずびくりと震えた。
「この……女め! 女め!」
「きゃあ!?」
ファリクは飛び上がるとリーシャを掴んで寝台の上に引き摺り倒す。
リーシャは、見破られたのか? どうして? と困惑する。未だ懐中に剣を隠したままで害意を見せてはいないにも関わらず、ファリクは暴力に及んだのだ。
……リーシャの誤算は相手の憎悪が想像よりはるかに激烈であったことだ。
セルディオの死で周囲の眼は冷ややかになり、名誉を回復するため下に見ていたローズメイに先鋒を命じて大勝しようとしたのに拒絶され指揮権を剥奪される始末。
さらには犬畜生の如く天幕の中で鎖に繋がれる屈辱を受け、彼の中では殺意が満ち溢れていた。
リーシャを引き倒したのは、彼女が懐に隠し持った剣の存在に事前に気付いたのではない。
今のファリクにとっては、ローズメイと同じく、ただ『女』だというだけで八つ当たりの対象になったのだ。
「ローズメイ、あの女め、引き裂いてひん剥いて辱めて……き、貴様、きさまぁ!!」
ファリクは、憎悪の只中であっても本能的な性欲はまだ残っていたのか――服を引き裂いたところでリーシャが懐に隠し持っていた短剣の存在に気付いてしまう。
夜伽の相手と思って懐に招き、暴力を奮おうとした娘が自分の暗殺を目論む刺客だった。
リーシャのことを自分に媚びへつらう誰かが送ってきたに違いない、そう思っていた。なのに、自分に媚を売ってくれる相手がどこにもいないと突きつけられ……ファリクは奪った短剣を引き抜いた。
リーシャは震えた。命の危機に対する怯えではない。主人の仇さえ討てず殺される自分自身への怒りがあまりに激しすぎたせいだ。
振り上げられる短剣を防ごうと反射的に両腕を掲げるリーシャは……不意に、室内に入り込む濃密な死の気配を感じた。
剣光が蝋燭のほのかな光を反射して輝き、ファリクの手にあった短剣を跳ね飛ばす。
突然の乱入者に振り向いたファリクは、驚愕に凍りついた。
「……良くも射殺してくれたな、ファリク。恨みが大きすぎてろくに成仏も出来ず彷徨い出たぞ」
閉じられた双眸、血まみれの肉体。一度脈打つことをやめたはずの肉体は、闇黒の神秘に支えられて一見すれば生者と代わらぬように装っていた。
ああ、だが。
かつて暖かな血が脈打つ体は一度停止したためだろう、青ざめた顔色はやはり死者のもの。
許されざる力によって彷徨い出たセルディオ。
その動く亡骸は剣を引っさげたまま、自分を射殺するように命じた男に殺意を向ける。
ファリクは青ざめる。彼とて後ろからセルディオを射たことが到底褒められたものではないと自覚はある。恨み骨髄に徹し、復讐のため冥府より還ったのだから、彼の目的は明らか。
ファリクの顔はすでに死人めいた蒼白となり、真正の死人であるセルディオの顔と見比べても、どっちが死者なのか分からなくなるぐらいだった。
「き、きさ、きさま……なぜ」
「今回だけだ、今回だけは……様々な要因が重なって、こうなった」
黄泉還ったセルディオは、ファリクとリーシャの間に割っているように踏み込み、自嘲の笑みと共に剣を構える。
「たまには邪神もいい仕事をする……こうして復讐の機会をくれたのだからな」
『火尖槍』と聞いて哪吒ではなく戦争イベントで使える火炎放射器の『火尖槍』を思い出す幻○水滸伝世代。
2はいいぞ。




