闇黒の天敵
ファリク=ケラーの反対意見を秘かに叩き込んだ拳骨で封殺するという裏技で、指揮権を強奪したローズメイ。
最初、ケラー子爵家の騎士達の視線は半信半疑であった。
武勲を求めて無意味な危険を背負いかねないファリクに指揮権を持たせ続けることは危ない。
それなら比較的冷静なローズメイ指揮下のほうがまだ安全であろう。戦士としての実力は疑いないが、指揮官としては未知数。……まぁ至らぬところは我々が手伝えばいい。
そんな風に思っていたのだが……ローズメイは総大将としての細やかな指示も適切であり、長年ケラー子爵家に仕える騎士達も文句のつけようがなかったのである。
二万もの騎士団を差配していたローズメイからすれば、300と少し程度の兵の指示など片手間で済ませられる程度であった。
「……それにしても、酷い戦でしたね。ローズメイ様」
「む」
指揮を終えて、自分の兵達の様子を見に戻ろうとしたローズメイだが、そこでシディアに捕まり話を聞くこととなった。
シディアと共にあった兵達は今回の戦に身を投じておらず、体力にはまだ余裕があった。だが、戦後の後始末で働いた彼らの着衣はすでに汗と泥、亡骸の血でぬれて酷い有様である。
今では下穿き一つにほぼ全裸のいでたちで、湯で濡らした布で清拭の真っ最中の男たちがそこかしこでたむろしていた。
もっともローズメイもシディアもいまさら異性の全裸で悲鳴をあげるような軟弱な神経はしていないが。
シディアは溜息を吐いた。
あの家来衆の半分は死んだ。生贄の儀式で出会った大勢の悪漢たちも今ではもう三名ほどしか生き残ってはいない。
「それにしても、ひでぇよな、ファリク様も」「前線で頑張ってた騎士ごと射殺そうとしたんだろ?」
戦闘も終わり、一息ついた兵士達がそれぞれ噂話をしているのを聞きつけ、シディアも頷いた。
もともと、シディアもファリク=ケラーにはいい印象を持ってはいなかった。
ローズメイ様に求婚するのは男ならば当然のこと。シディアも同じ女ではあるが、主君の堂々とした振る舞いに時々求婚したくなるから、求婚は別にいい。
しかしハリュとの決闘で、試合が終わった後であったのに攻撃した反則行為からすっかりファリクを嫌っていたのだ。
「酷いですよね、味方を見殺しにして逃げようとするなんて……」
「それは、少し違うぞ。シディア」
周りの兵士達の愚痴に賛同するシディアの言葉に……しかし、ローズメイは意外にも否定の言葉を返した。
「違うって。どうしてですか、ローズメイ様」
思わず尋ね返すシディアに、ローズメイはゆっくりと答えた。
「……先ほどケラー子爵家の騎士から話を聞いた。ファリクは騎士セルディオを見殺しにして逃げようとした――とな」
「ええ。卑劣で恥ずべき行いに思えます」
「うむ。そこはおれも否定せぬ」
歩きながらローズメイは続ける。
「だがな。……それは、おれがいたから――卑劣で恥ずべき行為になったのだ」
意味が分からず首を傾げるシディアにローズメイは笑った。
「もし敵の貴族連合軍におれが強襲をかけねばどうなっていたか?
彼らはケラー子爵家に一斉に襲い掛かり、全滅させていただろう。だが、騎士セルディオを見殺しにして逃走に成功していれば……ファリク=ケラーは『情に流されることなく、多数の為に少数を切り捨てる判断のできる男』という評価を得ただろうよ」
シディアは、そういう見方もできるのか――と目を見開き……しかしひとたび心の中に住み付いた嫌悪感は簡単に拭えそうにはない。
ローズメイは空を見上げながら慨嘆した。
「人の上に立つものとは、そうした苦しみを背負っている。
おれがおらず、負けていたならファリク=ケラーは敗戦の傷を最小限に抑えた有能な指揮官として見られただろう。
だがおれはいた。そして勝った。ゆえに彼は勇戦した騎士を見殺しにした卑劣漢として名を残すことになった」
「なら、ファリクは……正しかったのですか?」
ローズメイは首を横に振る。
「……正しいか間違いかなどは蓋を開けてみなければ分からない。
何を理想として行動したか、ではなくどのような結果を残したかで是非を問われる。だが指導者に命を賭けるより他無い兵たちの事を思えば、それも間違いではない」
自分が本来負け戦で終わる戦いを力づくで勝利へと捻じ伏せた。
それはファリク=ケラーを除く全てのケラー子爵家軍にとって幸運だっただろう。子爵家軍の安全を考えるなら、ファリクの判断は決して誤りではなかったのだ。ローズメイがその絶大な武威で盤面をひっくり返すまでは。
ただ……この時、ローズメイはファリク=ケラーのことを過大評価していた。
ファリクが騎士セルディオを見殺しにし、全軍撤退の判断を下したのは生存者を少しでも多くするための判断ゆえではない。
単純に自軍に倍する敵に恐れをなし、命惜しさに逃げることを決めただけのことである。
醜女将軍ローズメイが二万の兵を率いていた時代、周りには命惜しさで敵前逃亡を考える騎士など一人もおらず。
敵として相対したサンダミオン帝国の騎士もまた敵ながら敬服に値する見事なもののふばかり。
だからこそ、彼女が考える世の騎士、世の指揮官の水準が並外れて高いということは誰も指摘するものがいないままだった。
「どのみちこの戦が終われば、出るべきだろうな」
「どこに行こうとお供しますっ」
だが、当主であるケラー子爵は老齢で先は長くない。もし当主がファリク=ケラーに代替わりした際、彼との軋轢は避けられまい。
この戦が終わったなら、また旅に出るべきだろう。
「貴族諸家、連合軍の使者としてまいりました。神殿騎士団の長を務めまする、メリダと申します」
指揮官の天幕に戻ると、しばらくして使者がやってきた。
齢を重ねた老女だが背筋はぴんとして姿勢は美しい。かくしゃくとした彼女は丁寧に一礼した。
地上の権力の全てから中立を守り、邪神の脅威から人の世の理を守護する騎士団の長。
つい先ほどまで命賭けの戦争をしていた相手との仲介役としては最適な立場であろう。
「ケラー子爵軍の指揮官代行を務める。ローズメイという」
「お目にかかれて光栄です、ローズメイさま」
メリダ老の言葉は別に世辞ではない。
誰もが戦死を覚悟するような窮地で暴れに暴れて不利な戦局を強引に覆したその超絶の武力は人の極みであろう。会ってみたいのは本当のこと。
だが彼女には別の疑問と興味があった。手紙を受け取り文面を確認する黄金の女ローズメイ。
その総身よりこぼれるのは――まぎれもない、善の神々の中でも慈悲深さで知られる強力神の神威である。
「共同戦線の申し出、確かに引き受けた」
「ありがとうございます」
「なに、敵の指揮官殿に持ちかけたのはおれからだ」
ローズメイは満足げに頷いた。あとの細やかな連携などの打ち合わせはメリダ老と共にやってきた文官との話しになる。
メリダ老は疑問を口にした。
「ローズメイ様……一つこの婆めに教えてくださいませぬか? あなたは……どこかの神職の出なのでしょうか?」
「む?」
その問いかけにローズメイは首を傾げる。
彼女は神官の出ではない。ただ……ローズメイの親戚には確かに強力神に仕える神官がいたし、幼きあの日、力を求めて神に祈ったのはその親戚が縁である。
ローズメイはその言葉に答えようとした――その時であった。
「いや、おれではなく親戚が……」
ぐおおおおおおおぉぉぉ!!
遠吠えの声がする。
ローズメイ一党は聞き慣れた咆哮だが、兵達は初めて聞くであろう狼龍シーラの声である。天幕の周囲から恐慌と戦慄の声があがってくる。
「どうした、シーラ!」
「テキ……!」
狼龍シーラは主人であるローズメイの声を聞くと、背中に鞍もつけぬままこちらへと駆け寄り、叫んだ。
この時狼龍シーラが鋭い嗅覚で感じ取ったのは――あの山村の中で出会った屍術師と同様の悪臭。この世の生命全てを冒涜する、根源的な敵の気配である。
ローズメイは眉間に皺を刻む。シーラは賢くある程度人語さえも解する。その彼女が明確に『敵』と答えたのだ。彼女は自分の愛騎の言葉に従い叫ぶ。
「作業中断! 戦闘準備の銅鑼を鳴らせぇ!」
全軍に命令を下す。
兵達に武装を命令する銅鑼の音が響き渡る中――ローズメイは頭上の陰りを感じた。
暗い。
先ほどまで地面を照らしていた月光は雲間に攫われて姿を隠す。
視界を確保するのは陣地に設けられた松明の光。
闇黒の神々の、おぞましき威光が月光のほのかな光さえも塗りつぶしていくようだ。
「うわあぁぁっ!」
「死人が……歩き出したぞぉぉぉ!!」
聞こえる声が――何が起こっているのか、正確に教えてくれた。
「火矢をあちらへ」
ローズメイの下知に対して数名の騎士が松脂を染み込ませた布を巻いた矢を構える。
兵士が先端に火をつけて発射すれば、光源が闇の濃いほうへと着弾し、周囲を皓々と照らし出す。
動く死者たち……手足をあらぬ方向に捻られているのに、なんら痛みも感じずに動く不自然極まるもの。
この世にあるものとして、決定的な部分を間違えたものたち。
だが……ローズメイはアンデットがいる事に驚きはしなかった。
驚いたのはアンデットの中に、平民服を纏ったものがいたことだ。
先の戦争で出来た死体が動いているのではない。これは……目的地であるアンダルム男爵の領都からここまで移動してきたのだ。
「攻めてきたのか?」
ローズメイは呻き声をあげる。
彼女もアンデットへの知識はある程度持ち合わせていたが、自我を失った彼らは確たる目的を持たず周囲を徘徊するのみのはず。
そんな疑問に、横に控えていたメリダ老が答えた。
「ええ、ええ。恐らくはねぇ――……アンデットを操る邪神の神官がいるものだと」
これは実のところ大変に厄介だ。
疲労もせず死にもせぬ、そのくせ殺意だけは持ち合わせたアンデットたちが津波の如く生者へと襲い掛かる。
そのくせ殺されたものはそのまますぐにアンデットとして蘇り、数を増やす。きりがないのだ。
「酷使者そのものを降臨させようとしているのかもしれませんわねぇ。これほどの邪気は――」
邪神に仕える神官たちの最終的な目的は神を地上へと呼び起こすことだ。
そのためならば他人の命だって自己の命だって平気で差し出す。大量の死者を呼び水として邪神を呼びやすい環境を作ろうとしているのかもしれない。
この地に集った1300人を利用するため、敵は屍都より攻撃を仕掛けてきたのだ。
呻き声をあげながらこちらへと駆け寄るアンデットの群れ。
この絶体絶命の状況を前に、この黄金の女はどうするのだろう――神威を帯びた絶世の美女の横顔に目をやり。
ローズメイの身より感じられていた強力神の威光が、うっすらとした神気となって立ち上っているのを見た。
そしてその美貌の口元は確かに……なんと、微笑む形に歪んでいたのである。
なぜ笑えるのだろうと疑問を持つメリダ老に答えるようにローズメイは言う。
「つまり……敵には指揮官がいてその命令に従っているだけ、なのだな。
それは実に助かった。つまるところ、死者相手の戦いといってもこれは――いつもの戦と大差ないわけだな」
ローズメイは寡戦(敵より味方の少ない戦)の達人である。
だが少数を持って多数を倒すには指揮官を倒す以外に有効な手立てはなく、いつもの戦法がこの相手にも通じるのだと知って安堵の微笑を浮かべたのだった。
メリダ老の目は黄金の魔女より発せられ、強さを増す強力神の威光にひれ伏したくなる衝動を必死に我慢せねばならなかった。
(……おお、おおぉ! そういう事かえ……光が強ければ闇が色濃くなるように、闇が深ければ光もまた燦然と輝きだす!
酷使者の闇黒の威光を前に、強力神様の加護が強さを増しているというわけか!)
そんなメリダ老の前でローズメイは口から火を吐きながらアンデットの群れを睥睨する。
『龍の住む』ものにしか現れない龍鱗、龍爪、龍眼、そして龍炎――歴史に名を残す稀代の英傑が有する身体的特徴にメリダ老は置いた体を震わせた。
状況は悪い。今まで見たことが無い規模の邪神の力。その勢いはとどまるところを知らず、このままでは危機は免れない。
だが。
これほどの武威を持つ強健の肉体、神威を纏う器であるならば。
『邪神降臨』に対抗できる、ただ一つの返し技を使えるかもしれない。




