動く亡骸
シディアとハリュが預かった兵達はその日の夕方頃にようやく合流が叶った。
彼らは急設された味方の旗がひるがえる陣地を前にし、幾度かの交渉の後で事態を把握する。
「……まぁ、あの女傑のことだ。意外な事じゃないな」
「……うん」
シディアは、少し暗い顔をしていた。
一度は彼女を誘拐しようとした悪相の家来衆のうち、半分は戦死。幾ら彼らの獅子奮迅の働きがあったからこそ、ケラー子爵家の兵が大半生き残ったと分かっていても……残念は残念だ。
「そういえばわたし、あの人たちの名前あんまり聞いたこともなかったなぁ」
「こっちもだ」
あの悪相の家来衆は元々アンダルム男爵に雇われていたごろつきに毛の生えた程度の連中である。この時代、正業につく機会もなく身を持ち崩して悪事を働くものなどはいて捨てるほどいるだろう。
シディアは誘拐されるもの、誘拐するものとしての関係。
そしてハリュは……彼らの仲間であった男達の殺害に直接関わっている。
彼らが死んで涙を流すほどではないが……寂しさを感じるぐらいには親しかった。
「うん、よし」
兵達に天幕を用意させた後は、彼ら総出で死体処理が行われることになる。
死体が少ない場合、周囲に森など燃料を確保できる場合ならば、火葬がいい。
この世界では邪神が存在し、無念のまま亡くなった場合は恨みの重さで天に上がることもできずにアンデットとして蘇る場合がある。死者の正しい埋葬は本当に必要なことだった。
シディアは気合を入れて袖をまくり、まず火と湯を起こすことにした。
周囲には死臭が溢れている。遺体を穴を掘って埋葬する際には土くれで体中汚れることになるだろう。
体を温かい湯で清拭するにも使えるし、役立つことは間違いない。
燃料の備蓄を使って薪を準備し魔術で着火。それに並行して食事の準備も進めておく。
「あ、お坊様」
そうやって男衆が力仕事をしている最中に、ふと視線を向けると……純白の鎧とマントに身を包む騎士の姿があちこちにあると気付いた。
神に仕える神殿騎士たちが亡骸を前に祈祷を行なっている。この量の亡骸を埋葬するとなるとかなり時間がかかるだろう。もちろん一日や二日放置したところで彷徨い出でて立ち上がることはない。
しかし……酷使者の勢力が近くにある現状では、油断はできなかった。
ふと、シディアは視線をはるか彼方、領都のほうに向ける。
空には暗雲が沸き立って、おどろおどろしい妖気で満ちていた。ここしばらくの間、ずっと黒雲に遮られているらしい。
邪神の勢力下。あそこに自分達は向かうのだと思うと、背中に走る寒気を堪えられなかった。
あの黒雲をずっと見ていると気が沈みそうに感じて、手元の炎に視線を向け、気を取り直そうとして……。
「どういうことですかっ!!」
遠くから聞こえる女性の金切り声に、首を傾げる。
シディアは首を傾げたが、ここは戦争があった直後のこと。
何か親しい人が亡くなったりと悲劇など有り触れているから関わろうとは思わなかった。
関わろうと思ったのは……兵達を指揮して遺骸の埋葬を指揮していたハリュのほうである。
悲痛な女性の声に聞き覚えがあったためだ。
何事かと駆け寄ってみれば……見覚えのある女性、昔なじみのリーシャが神殿騎士の一人に食ってかかっている。
「天に昇れないって……どうしてっ!!」
彼女もここに来ていたのか、だがリーシャは若様お付きの使用人だったはず――不思議に思ったハリュだが……中央に置かれた亡骸を前に驚きの声をあげた。
「せ……セルディオ様!!」
ハリュは血相を変えて亡骸を前に跪く。
一介の騎士と、アンダルム男爵家の御曹司となると接触する機会は少なかったが、その温和ななりひとと優れた見識は知っている。何度か穏やかに声をかけていただいたこともある。
だが、ハリュは亡骸の異様さに耐え難い憤懣を覚えた。
彼の亡骸はうつぶせになっている――仰向けに寝かせることができないからだ。
なぜなら、彼の背中には何十本の矢が突き刺さり針鼠のようなありさまとなっている。
「……こんなっ……馬鹿な?! どれも背中から?!」
「ああ、ハリュッ……あなたもいたのねっ」
この怒りと悲しみを共有できる友人ハリュの姿に、セルディオの侍女リーシャも気付く。
「リーシャ、これを……これはどういう?! セルディオ様は……味方に殺されたのか?!」
少なくとも敵前逃亡をして味方に射かけられるほど臆病な方ではない。
無言のまま頷く彼女に、ハリュは頭をぶん殴られたような衝撃を受けた。
目が見えずとも剣持て槍構え、戦いにいったことは間違いない。それなのに、その死因が味方からの射殺であっては――あまりにも報われないだろう。
傍に控え、申し訳なさそうな目をしていた神殿騎士の青年は言葉を頷く。
「……我々も遠方より、孤軍奮闘する騎士殿は見ておりました。その最後が味方陣地から放たれた一斉掃射であることも……」
「セルディオ様は……わたしを守って死んだのよ……! 味方からの射撃から守るために!」
ハリュは、その言葉に、なぜ彼が昇天できないのか悟る。
「……その恨みと憎しみの重さが……女神の御許に行くことを妨げている?」
「はい……」
神がいて、邪神もいるこの世では魂もある。
だが神の御許に行くことのできない魂は消滅すると言われていた。
「祈祷は続けます。しかし……この方は亡くなられる時、よほど強い怒りと無念のまま絶命したのでしょう……」
そういった怒りと憎しみに塗れた魂を女神の御許に送るため、神官の祈祷はある。
だが彼の表情をみれば、セルディオの魂を慰撫し、女神の御許に送るにはよほどの力が必要なのだろう。神官は申し訳なさそうにしながら、ほかに祈祷が必要な場所へと立ち去り。
ハリュはしばらく彼女の恨みや憤懣を聞くことにした。
聞けば聞くほどはらわたが煮えくり返る思いである。
斥候が未帰還との報告を受け、セルディオは索敵を厳重に行うことを提言したのに、ファリクはそれを受け入れず。
単独で一騎打ちに出て味方が陣形を整える時間を稼いだのに、ファリクはセルディオを見殺しにして全軍撤退を開始し。最後にはリーシャ諸共敵を殺害しようとして、セルディオを後ろから射殺した。
「……ハリュ……あなたは無事だったのね。あの黄金の女のおかげで」
君も無事だった、良かった……などとハリュは言えない。
もう何度も泣いていたのだろう。リーシャの瞳は赤く泣き腫らしている。
「あの人にもお礼を述べておいてね……たぶん、彼女がいなければ私のほうの命も危うかったもの」
「……ああ。伝えておく」
はぁ……と溜息を一つこぼすと、リーシャは立ち上がった。
顔色はまだ悪く、体全体から絶望と不幸の気配を纏っていたが、少しは気持ちが晴れたのかぎこちない笑顔を浮かべる。
「……少し、外に出るわね」
「大丈夫か?」
夜が近づき、風も涼しくなりつつある。しかし風が死の気配も運んでくるからあんまり気持ちを静める役には立たないだろう。
気遣うハリュに対してリーシャは大丈夫、と微笑む。
「大事な仕事を思い出しただけのこと……心配しないでいい」
「……無理はするなよ」
今はしばらく一人にしたほうがいいかもしれない。
仕えていた主の死を受け入れるには時間が掛かるだろう。ハリュも自分の仕事に戻ることにした。
リーシャは陣地をゆっくりと歩いていた。
周りには大勢の兵士がいるが、誰も戦争直後の後始末で忙しかったり。怪我を縫い合わされる痛みで悲鳴をあげたり。女一人の事を気にかけるものはいない。
リーシャはハリュに言ったとおり大事な仕事を片付けるつもりでいた。
「……女神様、女神様、どうか私の主人の魂を慈しみください」
あんな死に方をするはずじゃなかった。
セルディオ様は勇敢で優しくて、守ろうとした味方から射殺されるなどという無惨な最期を遂げていい人ではなかった。
味方から裏切られ、絶望と憤怒に呑まれた――けれども、セルディオ様は自分が死ぬ事を恐れてはいなかった。彼が怒り、憤ったのは……私を、私ごと、射殺しようとしたからだ。
あの方が昇天できないのは私が原因なのだ。
ならば私は、復讐をしなければならない。
ファリク=ケラーを殺す。
勝算は少ないだろう。そもそも接近する見込みさえない。女の細腕が奴に届くかも分からない。
だが、そうしなければならないという熱情が彼女の体を突き動かしていた。
剣も使えず策もない。
あるのはもう永遠に報われない愛だけ。
もう生き長らえる必要もないと、惜しむ必要もなくなった捨て身の体をただ唯一の武器とする。
せめて一太刀でもいい。主君の無念を僅かなりと晴らせば――怒りと恨みで満ちた彼の魂も少しは軽くなって天が近くなるだろう。
リーシャは思いつめた表情で、ファリク=ケラーの下に向かった。
誰もいなくなった天幕の中で、セルディオの亡骸はゆっくりと動き始めた。




