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5-3

「紹介するまでもないが、今回撮影のリポーターとして協力を申し出てくれた嶋田カヲル君だ。そしてマネージャ-の加賀忍さん。んでこっちはDの大島、ADの三浦、音声の東本にカメラの桐生、それから私が皆川で、あと雑用係の伸也、以上、皆さんよろしくお願いします」


 慇懃無礼な皆川さんの挨拶に続いて皆が「よろしくお願いします」と立ち上がったので僕も同じようにしたけど、なんで僕だけ名前なんだ。しかも雑用係とか。僕はここのスタッフじゃないぞ。


 それにしても驚いた。あのテレビでも映画でも引っ張りダコの嶋田カヲルがこんなとこで、こんな小さな制作会社の仕事に来るなんて。もちろんマネージャーが同行しているから事務所も了承してのことだろうけど皆川さんが関わるようなデリケートな問題にも触れるわけだし、なんだか信じられなかった。


 嶋田カヲルは自ら全員に握手を求めた。最後に僕の手を握りしめた。一瞬体に電気が走ったかのように感じた。言っておくけど僕は特別嶋田カヲルのファンというわけではない。写真家としてのKAWORUには憧れてはいるけど、美咲が熱狂しているような感情とは違う。だけどなんだ、さっきの感覚は。ぼんやりと首筋の方に何かが残留している。


「よろしく」嶋田カヲルは僕を一瞥していった。


「は、はい、よろしくおねがいします」ファンじゃない、ファンじゃないけど、ちょっと自慢したい。美咲が聞いたら悔しがるだろうなと思うと自然と笑みがこぼれた。


 その後小一時間ほど僕が聞いてもよくわからない打ち合わせが続いたが、どうやら嶋田カヲルは自らこの仕事を望んだらしく、四年前の戦闘現場までの経緯と現地のリポートを皆川さんとのやり取りで行うということらしかった。


 皆川さんがテレビに映るというのも賛成できる話ではないが、そのむさくるしい男と、超売れっ子の飛ぶ鳥を落とす勢いの嶋田カヲルが共演だなんて不自然極まりない。だいたい嶋田の事務所もよく了承したものだと思う。


 それに、国民的スターといえど、まだ戦傷も癒えないこの土地に、当事者でもないのにしたり顔で戦争を語るなんてのも反感を買うのではないかと思う。


 専門用語が飛び交う退屈な打ち合わせの中で、あくびを噛み殺しながらぼんやり座っていた。


 まあ、僕には関係のない話だし、最終的にはこういったドキュメンタリーは口当たりのいい文言で締めくくられて無難に終わるものだし、ちょっと嶋田カヲルの社会派な一面を見せるパフォーマンスのような番組になるんじゃないだろうかなんて斜に構えて考えてた。


「じゃあ、まずは一番近い北岸市駅の方からいきましょうか」大島さんが言うと皆は一斉に席を立った。振り向くとADの三浦さんがそそくさとレジで支払いを済ませていた。


 スタッフと僕らはめいめいに車に乗り込み、嶋田カヲルとマネージャーはちょっとした高級セダンに乗り込んだ。まあ、スターなんだから当然といえば当然か。


 それにしてもこの世間を揺るがした名ジャーナリストの愛車はクーラーすらついていないオンボロなのはどういうことだろう。打ち合わせをしてる間、車は喫茶店の駐車場で朝日に照りつけられ車内温度は急上昇していた。乗り込んでから慌てて窓を開けようとしたが、行きがけに僕が自らウィンドクランクを壊したことを思い出した。


「暑いかぁ? 人間、集中していればどんなに暑くても汗をかかないって時田美智代が言ってたけどな。ま、俺にしてみりゃこんなもんは慣れだ」


 時田美智代っていうのは化物かと思えるほど、二十年も三十年も変わらない容姿で七十を迎えた今も現役で女優を続けている熟年の大女優だ。けど、多分ミッチーだってこの車に乗れば汗をかくに決まってる。なんせ意識せずとも自動的に汗が吹き出てくるのだから。皆川さんだってもう汗かいてるし。


「驚きましたよ、嶋田カヲルが来るなんて」


「この俺様の脇を固めるのは大スターくらいじゃなきゃ安売りしてると思われちまうからな」


「さっき嶋田カヲルは自分から出演を申し出たって言ってたじゃないですか。本人が、ってのも引っかかりますけど、普通はイメージとか大事にする商売だし、こういう仕事は受けないんじゃないかなって思ったんですけどね」


「ま、事務所とひと悶着はあったみたいだけどな。そのうちわかるよ、黙ってついてきな」


 そういえば僕はこのロケにいつまで付き合うのだろうか? よく考えたらいつ帰るのかってのも聞いていなかったし、だいたい僕の課題の撮影をする時間はあるのだろうか?


 北岸市駅までは三十分そこそこのドライブだったけど、路上の気温計は既に三十四度を指しており、駅に着いた頃には僕たち二人は冗談みたいに汗をかいていた。ただ、それだけに構内のクーラーの冷気に触れた心地よさは、他のスタッフの何倍にも感じているはずだ。


 北岸市駅は僕の住んでいた南辺の駅なんかよりもずっと立派で大きい。僕の過去の記憶が正しければ多分ここにも来たことがあるはずなんだけど何も思い出せることはなかった。


 辺りにいる人たちは、テレビ撮影を察知して興味深げに視線をこちらに送っていたけど、まだ嶋田カヲルがそこにいることは誰も気づいていないみたいだ。


 嶋田カヲルは目深にハンチングをかぶり黒いTシャツにスリムのジーンズという地味な服装で目立つ素振りもない上に、皆川さんと並んでもさほどに違和感を感じない。

 何か違うと思ったら、皆川さんのほうが小奇麗になっていた。無精ひげを剃り、ボサボサだった髪は整髪料らしきもので整えて、薄汚れたさっきまでのTシャツを着替えてなんか質の良さそうなシャツに着替えていた。どうりで長いトイレだと思った。


 撮影が始まった。


「私の出発点でもあったのがこの北岸市駅。当時ホームの一部は国防軍が接収し陸上火器と兵員を輸送する軍用貨物を運用していました。カヲル君がここに着いた時には既に敵性勢力と交戦状態にあったそうですが――」皆川さんが身振り手振りを交えながら改まった口調で言うと、桐生さんはカメラをパンして嶋田カヲルを捉える。


「ええ、僕らが輸送されている途中、迫撃砲で列車を攻撃されましたね。運が良かっただけですけど、その時は幸い誰も無傷でした。ただ、北岸市が交戦状態になっているなど予想だにしていなかったのは事実です。その情報はまるで僕らに伝わってはいなかったんです」


 あれ、嶋田カヲルがあの紛争に参加していた? なるほど、そういうことか。彼は戦争の体験者として、語りべとしてこの仕事を受けたのか。僕は桐生さんの後ろでモニターをチェックする大島さんの横で一人で納得していた。


 大きな坑道のような北岸市の駅舎は終点の駅で、ちょうど何本もの列車が雁首を揃えて並んでいる。改札をくぐると一番端のホームに二人は向かい指差しながら何かを話している。


 五メートルほど離れたところで僕は見ていたんだけど、たまたまだろうけど、時折嶋田カヲルが僕を見つめている気がして反射的に目をそらしてしまった。


「それで、僕が所属していた隊の分隊長がこの辺に気絶して引きずり出されて、えと、まあ失神に失禁のおまけ付きで」嶋田カヲルははにかみながら当時の状況を克明に話していた。


「戦車や自走砲はこのホームから?」


「ええ、この駅は非常事態時に車両の乗り入れが可能な通用口がありますから、そこから」嶋田は振り返り駅舎の隅の巨大な鉄の扉のようなものを指さして言った。桐生さんもそちらにカメラを向けてズームする。


 大島さんはすっと立ち上がりカットを入れた。「じゃあ、次は電車に乗ってみようか。どの辺で攻撃されたのかを確認する画がほしいな」


「ああ、そうですね」桐生さんがカメラを下げてこちらを向いた。ところが嶋田カヲルは困ったような顔をしてマネージャーの加賀さんの方を見ていた。


「あの、カントク」僕の隣にいた加賀さんが口を開いた。「実は……嶋田は電車に乗れないんです、ええと、つまり……」


「どういうことだい?」大島さんが不思議な顔をしたので嶋田カヲルが頭を掻きながら近寄ってきた。


「すみません、実は俺、あの時以来電車に乗れなくなっちまったんですよ。電車だけでなく線路の上を走る乗り物全部。それだけは勘弁してもらえませんか」


 嶋田カヲルは本当に済まなさそうに言った。僕と一緒だ、電車に乗れない。僕も線路の上を走る乗り物は全てダメだ。特にあの規則的なレールの継ぎ目の音を聞くと気を失いそうになる。だから線路に隣接している道も通るのが億劫だ。今は電車に乗るという目的でなく構内にいるから何も感じてはいないけど、実際乗り込んだらたぶん気を失うと思う。


「誰かさんと同じだな」背後から僕の肩を叩いて皆川さんが小声で言った。


「そうですね。僕もあの日から電車に乗れなくなったんです」


「国防軍の兵士と列車に乗り合わせたって件、あながち嘘じゃないのかもな」


「まさか、どうやって?」


「さあ、な。可能性は五分五分だ。それにお前は自分の足跡を知りたいのか?」


「いえ……僕は自分の動機が知りたいだけです」


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