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センチな君は戦地へ向かう 2  作者: 相楽山椒


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エピローグ1

 僕はまた、皆川さんの運転するボロ車に揺られている。狭い後部座席で横になりながら。じゃあ助手席に座ってるのは誰かって? 大島さんだ。 


 大島さんの体重が重すぎるもんだから、車が左に傾いてえらく具合が悪い。それでしばらくは皆川さんに言われたとおり、行儀よく後部座席の右側に座ってたんだけど、馬鹿らしくなってやめた。


 大体なんで僕まで三浦さんの退院に付き合わなきゃいけないんだ。皆川さんと身元保証人の大島さんは判るけど、僕は関係ない。


 そう言って抗議したら「助けてもらった恩義もあるだろう、礼ぐらい直接言え」だって。確かにそうだ。確かにそうだけど、あの乱闘で真っ先に倒されたのは三浦さんだ。最後まで僕らを守って戦ってくれたカヲルさんとはあれ以来顔すら合わせていないし、改めてお礼も言っていないんだ。


 まあ、今は事務所の意向か何かで雲隠れして、所在が知れないから仕方ないけどさ。


 “レイに礼を言いに行く”暇すぎてつまんないことを考えてしまった。ちなみに三浦礼二の本名はインチェン・レイミュ・ウラジ・フィ。MIURAREIJI、ミウラ・レイジ、単純なアナグラムの偽名だ。当然不法入国者だから、身元を用意したのもまたこの助手席で巨体を縮込めるダルダルの身体をした怪しいスパイ要員であることに間違いはない。


 結果、これでよかったのだろう、大まかには。僕が関わった人たちの多くが混乱し、傷つき、運命を変えた。


 変わらなくていいもの、変わらなきゃいけないもの、それぞれに思惑もあっただろうけど、一応この北岸戦争から続いた一連の問題は終止符を打つ形になりそうだ。


 僕の個人的な感想を言わせてもらえば、みんなが必死で能動的に動いた結果、世界はほんの少しだけ前に進んだ。そしてほんのひとにぎりの人間が救われた。そんな風に捉えてる。


 そうじゃなかったら――そう思えなきゃやりきれない。


 早朝、北岸市について定食屋で朝食を三人で食べることにした。病院はもう目と鼻の先だ。皆川さんは店に入るなりトイレに駆け込んでいった。昨日から下痢なんだそうだ。


「あの、大島さん……後藤さん、雄輝さんと恵美さんの消息はわかりましたか?」器に落とした生たまごに醤油をたらしながら僕は訊いた。


「ああ、前にも言ったとおり、二人は別段何もしていない、ってことになってるから今頃は元鞘で元気にやってるだろう。俺だって暇じゃないからそこまで調査はしていない。奴らのことなら、あいつに……皆川に訊いた方がいいんじゃないか?」


「だって、あの人まともに答えてくれないんですよ」


「まったく、不真面目なやつだな――ああ伸也、卵かけご飯はな、先に醤油をご飯にかけて、その上から溶いた卵をかけるんだ、そうすっとしっかり味が付く」


 へえ、それは知らなかった。さすが情報通だ。


「ただ、後藤って奴はしっかりけじめ付ける男だったようだな。あの時点で自身が運営するキャンプ場および、関連施設の管理責任者を移譲するための申請許可書と権利書を役所に提出してたようだ。段取りが良すぎてため息が出るよ」そう言うと、大島さんは大きな口の中に卵かけご飯をかき込んだ。


 それはあの日、雄輝さんが山野愛へと手渡した書類のことだろうな、と思った。ならもう、あそこに雄輝さんたちはいないのだろうか。


「いやぁ、まいったぜ、くそっ」腰を押さえながらよたよたとトイレから皆川さんが戻ってきた。どかりと席に着くと生玉子の殻を割り、ご飯に直接落として醤油を三回転半上から垂らした。それから箸で丼の中をかき回す。そういうやり方もあるのかと味噌汁をすすりながら思った。


「手ぇ洗いました?」


「なんでぇ? 俺が食うんだから問題ねぇ。ノープロブレムだ」


洗ってないのか……。


 テレビが朝の情報番組を流している。ようやくテレビメディアも件の動画の話題に触れ、あらゆる考察を始めていた。もちろん僕に対しても取材の申し込みは多数あったそうだが、皆川さんを通してしか連絡が取れないように計らってくれたおかげで、毎日のんきに朝食を摂ることができていた。


 その反面、カヲルさんは大変だ。どこへ行こうが顔は割れている。事務所が了承したこととは言え、芸能活動に対する影響は小さくはなかった。一部の局や配給会社は今後彼を起用しないといった方針をとりもしたし、何本かのオファーが消えたそうだ。


《今、渦中の人、あの嶋田カヲルさんがホームに降り立ちました! 現場は騒然として、私も立っているのがやっとといった状況で――》


 が、どうも世間の目は概ね好意的だと見える。新幹線から降りてきたカヲルさんを報道陣と野次馬が囲んではいるが、方々から飛び交うのは野次でも罵声でもなく、拍手と喝采の嵐だ。


「カヲルも大変だな」皆川さんが他人事のように画面をちらと見た。


「そりゃ、カヲルは何も悪いことをしたわけじゃないからな。真実をありのままに自分の言葉で伝えただけだ。それが悪いだとか、出来ないだとかいう社会のほうがおかしいんだ」大島さんが続ける。


 北岸戦争以降のスキャンダルの暴露に続いて、元兵士の激白。街頭インタビューにおいて、世論はこれを自らの意思の代弁だと口々に語る。だけど今まで誰も言わなかった。おかしいって言わなかった。変えようって、変えなきゃいけないって思わなかった。


 現政権が訴追されることはなくても、この国は変わっていかなくちゃいけない。


 今後、合衆国とのすり合わせに石嶺首相は奔走することになるだろう、と皆川さんは言っていた。中核の当事者である矢部元首相は例のごとく“入院中につき面会謝絶”だそうだ。


「あの、皆川さん」


「なんだ」


「後藤さん達は……」


「さあな」


 やっぱり予想した通りの返事だ。


「さあ、そろそろ行くか」大島さんはゲップを合図に席を立ち上がる。僕らもそれに続く。


 三浦さんは総合病院の広い待合室で長椅子に座っていた。相変わらず貧相な背中はひと目でわかる。側近っていうくらいだからボディガードのような役目も果たすもんだと思うんだけど違うのかな? きっと勝負したら僕でも勝てると思う。


 三浦さんは僕らを見つけて立ち上がり、松葉杖をついて近づいてくる。申し訳ないといった表情の向こう側には薄い笑みが浮かぶ。でもそれは卑屈な笑みじゃない、人が安堵した時に漏れる穏やかな笑みだ。


「世話をかけた、済まない」大島さん、皆川さん、そして僕に視線を流した。


「ま、特務隊員相手にあそこまで善戦できりゃ、まだまだ現役張れるんじゃねぇか?」大島さんが冗談めかして言いつつ、三浦さんの背中を叩く。


「勘弁してくださいよ旦那。あそこでカタをつけるどころか、やられちゃ世話ねぇ」


「だが、お前がいなけりゃ全員やられてたさ」


 ふたりの会話からして、僕は三浦さんの評価を改めなくてはいけないようだ。彼は僕を振り返りこう言う。


「まさか君が姫様連れて逃げるとは思わなかったもんでな、二人は取り逃がしたが、うまく撒いたのには驚いた。それに――」


 僕らが逃げたあの大立ち回りの後、三浦さんは一人で四人の特務隊員をのし、加賀さんを追う途中でその銃弾を足に受けて倒れたのだという。拘束した特務隊員は大島さんの指示により公安に確保させ、大使館送りにされたそうだ。


 蓋を開けてみれば秘密だらけの撮影班、誰もまともな人間なんかいなかった。改めて訊くまでもない、どうせ桐生さんも東本君も、どっかのなんらかの組織の人間だ。何より驚くのは皆川さんの人脈と人望だ。一体どうすればこんなチームをまとめてひとつに出来たのかってことだ。凄すぎてため息が出る。


「あ、あの。すみません、僕の勝手な行動のせいで……助けてくれてありがとうございました」言っている途中でなんか変な気分になった。謝ったり感謝したり……なんだこれ、僕が悪くて僕のためになったことなのか?


 いや、そうじゃないか。


「礼を言わなきゃいけないのは俺のほうだ。姫様を守ってくれてありがとう」


 深々と頭を下げる三浦さんの言葉はすっと心の中に染みた。


 姫様を守った、か。まるでヒーローみたいな言われようだな。


 僕らはビートルに乗り込む。松葉杖を抱えた三浦さんはツードアのこの車の後部座席に座るには無理があるから、大島さんが僕の隣に座った。もういっぱいいっぱいだ。これでまた四時間の道程を帰るのかと思うと気が萎える。


ところが病院を離れて皆川さんの運転するビートルは北岸市駅のロータリーに進入し、歩道に横付けした。誰か降ろすつもりかな。


「おい、伸也」


「え?」


「お前は電車で帰れ」皆川さんが言った。


「えっ? なんで? 僕ですか?」


「ああ」


「えっ、え? だって僕は電車に乗れないんだから……乗せて帰ってくれないと。降りるなら大島さんでしょ」思わずそう言うと、大島さんに睨まれた。


「もう一人連れて帰んなきゃいけねぇ奴がいるだろが」


 皆川さんが運転席から振り返り顎でしゃくった方向を見ると、見覚えのある四輪駆動車が停まっていた。そこから降りてきたのは後藤さん……雄輝さんと恵美さん。


「ちょ、ちょっと、降ろしてください」慌てて僕はビートルのドアから飛び出した。


「後藤さん!」


 一発殴らなきゃ気が済まなかった。僕のパンチなんか痛くもないかもしれないけど、それ以前に避けられるかもしれないけど、それでも我慢できない。僕は歯を食いしばって雄輝さんに向かって走って行く。


 だが射程距離に達する前に足は鈍り、立ち止まらざるを得なくなった。


 彼らの背後から躍り出た彼女によって制止された。


「木田君やめて! 私が望んだことなの! 後藤さんが私をそそのかしたわけじゃないの!」


 それは分かってる。だけど、だからといって、あんなやり方……。


「散々振り回した私が言えることじゃないね……ごめんね、木田くん」落ち着いたいつもの顔で、見慣れた奥田の顔で、イムは言った。拳に集まった熱は一瞬にして冷めてしまった。肩を落として深いため息をついた。


「伸也でいいよ」


 僕がそう言うと彼女は首を左右に振った。


「ううん、私は前から君のことを木田君って呼んでたじゃない」


 彼女は伏し目がちにさらりと言ってのけた。


「イ……」


 何と呼べばいいのか……イムウァ・レイランはもういない。互いにかける言葉を失っていると、恵美さんが一歩前に出て僕に告げる。


「伸也君ありがとう、それから大切な物なのにごめんなさい、これだけしかないけど手元に残せた分」そう言って一通の封筒を僕に手渡し、深々と頭を下げる恵美さん。


「いえ、僕はなにも……むしろ、雄輝さんの計画を壊したわけだし」ちらと雄輝さんを覗き見た。彼は恵美さんに背中から促されて、所在無げに視線を泳がせながら口を開いた。


「伸也……いや、まあ、なんだ。何となくそれはそれでよかったんじゃねぇのかなって……、矢部のオッサンとは今後も付き合っては行くことになる。今後はまた別の方法を考えるさ」


 謝るわけでもなく感謝するわけでもなく、か。すると蛙を踏んずけたような声が雄輝さんの口から洩れ、彼は膝を崩してよろめいた。どうやら背後の恵美さんがグーで背中を思い切り殴ったらしい。


「痛ってぇ……うん、あー、黙っていたこと、黙ってお前を置いて行った事には謝る、すまん。それに、いい大人が都合のいい時だけ子供を使うなんてのも白い目で見られて当然だ。気が済むまで殴ってくれ」


 それは僕だっておあいこだ。皆川さんからも恨まないでやってくれと言われていたが、本当にここにいる一人一人が誰か一人一人を断罪するなんてできなかった。


「後藤、タバコをくれ」僕らのことなんか意に介していないかのように、皆川さんは快活に言った。


「また貰いタバコですか、先輩。ところでその指、大丈夫ですか――なんて訊きませんよ。お人好しにも程がある、何をやってるんです?」


「指一本で世界が動いたなら安いもんさ。理屈で動くほど俺は素直じゃないからな」


 前に恵美さんが“同志”と言っていた。雄輝さんの言動が皆川さんに似ているのがよくわかった。僕自身がそれに気づくのが遅すぎだ。僕が雄輝さんの事をすっかり忘れていたから、関係性を思い巡らせることすらしなかった訳だけど、結局彼らの行動に大差はなかった。


 裏切られたって思う気持ちが普段から多い分麻痺している僕は、まず皆川さんを殴るべきだという発想が浮かばなかっただけだった。


「ところで、えらくすんなり解放されたんだな」皆川さんは後藤さんが差し出したタバコに火をつけながら問う。それに対し後藤さんも自身のタバコに火をつけながら「ええ、親切な御仁が交渉材料を供出してくれましてね。まあ、ありゃ劇薬ですね。一介のジャーナリストが手にするには危険すぎる」と、応えた。


「なるほどな」皆川さんは煙を思い切り空に向かって吐き出した。


 そんなことよりも、彼女だ。


 泣きそうな彼女の顔が奥田に、奥田美和に重なってゆく。この期に及んでも、まだ。


 いや、それでいい。


 彼女はやがて両手を胸の前で握り合わせて、肩を震わせしゃがみ込んでしまう。僕は膝をついてそっと彼女の背中に手を回した。


「奥田、一緒に帰ろう。俺達の街に」


「ありがとう」そう言って彼女は僕に抱き付いた。


 瞬間、目の前の世界がぐらりと揺れ、僕の体は一瞬にして全ての感覚が麻痺した。体から力が抜けるというのでも、体が硬直するというのでもない。暑さや寒さでもなく、体がない、そんな感じだ。


 視界ははっきりと景色を捉えているのに、静止画のまま動かない。その代わり僕の脳の裏側で、すべての出来事が記憶の引き出しからひっくり返され、やがてその一つ一つは写真の整理をされるようにアルバムに綴じられてゆく。本来あるべき場所に戻ってゆく。


 どのくらいそうしていたのかはわからない。たぶん数秒だっただろうとは思うけど。


 やがて全身に血が巡るように感覚を取り戻してゆく。


 皆川さんと雄輝さんが僕らの前に立っていた。


「す、すいません。つい……」


「いや、かまわねぇよ」そう言って皆川さんははにかんだ。雄輝さんもにやにやと笑っている。二人の顔を見た瞬間妙に恥ずかしくなって、イムを立ち上がらせ離れた。


 彼女が顎を引き上げて、涙で濡れた頬を紅潮させ、笑った。その笑顔はもう誰のものでもない、彼女の、彼女自身の笑顔で当たり前のように、奥田美和にしか見えなかった。


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