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8-1

 樫尾町についた直後、僕の携帯が鳴った。奥田だろうかと思い、あわてて電話をとった。


《伸也、今どこにいる?》なんだ、美咲だ……。


「いまは、えと。樫尾町の灯台の近くだな」


《ねぇ! 知ってる?》


「なんのことだよ? いきなり……」こっちは仕事の方でピリピリしてたからさっさと電話を切ってしまいたかった。たぶん大した用じゃない。


「おい伸也ぁ! 仕事中は電話切っとけ! 音声に入るだろが」やっぱり東本くんが怒ってる。僕は受話部に手をあて「すみません!」と叫ぶ。


《伸也? 何してるの?》


「いや、大したことじゃないんだ。またあとでかけなおすよ、それじゃ!」


《ちょ、ちょっと!》


 ため息をつきながら携帯の終話ボタンを押して電源を切った。急用だってことは判るけど、それより現場が緊迫していて焦っていた。


「なんだ、どうした」皆川さんがタバコを取りに来るがてら声をかけてきた。


「いえ、地元の彼女からで、またあとでかけなおします」


「ああ、美咲ちゃんな」


「よく覚えてますね、っていうか名前まで教えましたっけ?」


「俺はなんでも知ってるの。ほら、行くぞ」


 灯台を背にしながら皆川さんとカヲルさんの掛け合いが始まった。二人とも随分長いあいだ一緒にいたせいか会話も自然になってきて、冗談の一つや二つも入るようになっていた。僕はカメラに映りこまないように慎重に位置を決めてシャッターを下ろす。


 ところでこの僕のフィルム代は会社が出してくれるんだろうか。このロケに参加し始めてスチールの担当になってから、僕のジャケットのポケットには常に裸のままのフィルムがジャラジャラと入っていた。フィルムチェンジのたびに、いちいちケースに仕舞っていたりしてたら間に合わないからだ。


「最後の拠点になったのがここです」カヲルさんは灯台のたもとを指差した。


「残ったのはカヲル君を含めて何人?」


「六人、みんな二十代の若者です。手持ちの弾倉は全員合わせても五十発あったかなかったかくらいです。正直全滅は覚悟しました。絶望的な戦況でしたから」


「教国の兵士は君たちを殲滅しようとしていた?」


「ええ、包囲されてましたから。籠城したところで希望がもてる状況じゃありませんでした。薄暮を待たずに閃光弾とスモークで追いやられて、散ったところを機銃で掃射です。前も後ろもわからないまま、ほふく前進のまましのいで……」


「相手方の兵士は何名?」


「おそらく、正確に数えたわけじゃないですけど四、五名だったんじゃないでしょうか。相手もわかっていたはずです、こちらが寄せ集め部隊だってこと。こちらのほうが高台で形勢が圧倒的に不利だってことはありませんでしたけど、弾薬の量からすれば勝てる見込みは少なかった。ド素人ですよ、弾薬をセーブしていられる状況じゃなかった」


 カヲルさんは当時の戦闘の様子を自嘲的に話した。その後仲間の一人が敵陣に飛び込んで機銃を奪取し形勢逆転へと傾くが、一人は内蔵貫通の重傷を負い、一人は手榴弾の爆発に巻き込まれ片腕を失った。形成が逆転したのを見越して敵は敗走を始めたが、いきり立っていた彼らはその背中に銃口を向け弾丸を発射した。


「今やっておかなければまたいつか自分たちが襲われる、作戦は終わらないって考えたんです。その時は無我夢中でした。相手の立場なんて考えることができない狂気でした。とにかく全員片付ければ俺たちは解放されるって、帰れるんだって。そう思ってた」


 カヲルさんは冷静にそう答えた。そしてカメラに目を向けてさらにこういった。


「でも、人殺しには変わりありませんよ」


 そのセリフに僕は胸を射抜かれ、とっさに加賀さんの方を見た。今回のロケでも一番大事な部分の撮影に、カットなしの長回しで撮影しているのは余計な思惟が割り込むのを嫌ったからだろうと思う。加賀さんは真一文字に口を噤んで撮影風景を見つめているだけだった。


 この後、三十分の休憩をかねた移動のあとで再び樫尾峠から樫尾町を見下ろす画を撮るそうだ。それで今回のロケスケジュールは全てこなすことになる。あとは帰ってからの編集作業だそうだけど、そこんところに僕は関係ない、はずだ。


「というわけだ、正午には解散だ。あとは行きたいところ行っていいぞ。だけど宿には戻って来い」皆川さんが一服しながら言った。行きたいところって……僕はすっかり拘束されていたことに改めて気づく。そうだ、奥田に電話しなきゃいけなかったんだ。撤収作業を手伝う傍ら、携帯電話の電源を入れて奥田にコールした。


樫尾峠は小高い山で周囲はパノラマのように開けている。綺麗な景色だ。真夏のさなかだけど心地よい風が吹いていて思わず天を仰いで深呼吸をしていた。


「あそこに見えるのが樫尾町だ」皆川さんが言った。


「わかってますよ、あそこから来たんですから」


「北岸市から来たのならお前もここを通っているはずなんだよ。もちろんカヲルちゃんも、俺もな」皆川さんはカヲルさんにも目を向けて言った。カヲルさんは何も言わずに眼下に広がる樫尾町を見つめていた。首をひねらなくても見渡せるほど小さな町だ。


「おそらく、お前たちがここを通過したとき、樫尾町は既に戦場だったはずだ。今みたいにのどかな風景ではなかったはずだ――人は過ちを犯す、その過ちに気づいて止める、そしてまた立て直す。町は何事もなかったかのように復元される、だが人間は戻ることは出来ない。心に傷を残し、体に傷を一生抱えてその後の人生を生きる。そして死んだ人間は戻らない、二度とな。だから俺たちはこの戦争という悲劇を二度と繰り返してはいけないと心に誓うんだ、戦争が起きるたびに、そして終結するたびに。だがやはり繰り返す。悲しいものだよな」


ありがちなドキュメンタリーの締めくくりのような言葉に辟易した。馬鹿にしてんのかと思った。だからこう言ってやった。


「皆川さん、僕は、違うと思います。ここに居る、樫尾町の人々は何も過ちを犯しちゃいない。そうじゃないですか、口当たりのいい二元論で終わったような気分にならないでください。彼女だって――彼女だって、何もわからないまま殺されたんですよ……あなたなら、皆川さんなら、わかるでしょう」僕は奥田のこと、それもあの場面を頭に描くと胸が苦しくなって倒れそうになる。電車の改札をくぐれない時と同じように一歩も動けなくなる。周囲から見れば何かの発作のようにも映るだろう。


「おい、大丈夫か」皆川さんはこんな僕の状態になれているから、跪く僕の肩に軽く手を置いた。僕はその手を払いのけ、呼吸が苦しいのをこらえて言った。


「戦争は誰が悪いんですか、あの戦争は何のために、誰が起こしたんですか! このロケはそんなことのために始めたんじゃないだろ、なあ、皆川さん!」息が続かない。


 カヲルさんと僕の関係を知っていたのだ、この人は。僕が記憶を失っていることをいいことに黙っていた。偶然なんかじゃない。恣意的に僕とカヲルさんを引き合わせたんだ。


「……ちっ、やっぱ気づいたか。ちょっと言ってみたかったんだよ」


「何年付き合ってると思ってるんですか!」僕のその言葉にカヲルさんと加賀さんは驚いていたようだった。気づくと僕ら三人を桐生さんのカメラが捕らえ、東本くんが音声マイクを向けていた。大島さんはモニターの後ろで真剣な顔をしていた。


 みんな、なにを? こんなもの撮ってどうするんだよ。


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