第1話:初恋は、硝煙の匂いと口紅の色
「お嬢、ここから一歩も動くな」
低い、底冷えするような声が耳元で響いた。
黒いスーツに身を包んだ男――鬼島蓮は、私の手を強く引いて路地裏の影へと押し込んだ。
ここは、華やかな東京の裏に広がる裏社会の領域。
おっとりとした性格で、これまで父親の庇護のもとで温室育ちのお嬢様として生きてきた私――涼風ひなた(すずかぜ ひなた)には、あまりにも場違いな空間だ。
目の前で、鈍い金属音が響いた。
蓮が懐から取り出した黒光りする拳銃が、街灯の光を反射する。彼の鋭い眼光が、私を狙う敵対組織の男たちを射抜いた。
「(……怖い。でも、蓮さんが一緒なら、大丈夫)」
私は思わず、彼の黒いスーツの袖をきつく握りしめた。
蓮は大手極道組織『黒龍組』の若頭だ。鋭い目つきと全身から放たれる威圧感で、誰もが恐れる存在。もちろん私も、最初は彼を直視することすらできなかった。
だが、彼は違った。
私がまだ小さかった頃、母を亡くして一人で泣いていた私に、そっとハンカチを差し出してくれたのが、この蓮さんだったのだ。その時の彼は、怖い顔をしていても、誰よりも温かい目をしていた。
「……おい、お前ら。涼風組の娘に指一本でも触れてみろ。生きてこの街から出られると思うなよ」
蓮が低く凄むと、敵対組織の男たちが一瞬でたじろいだ。
彼の纏う圧倒的なオーラは、まるで獲物を狙う猛獣のようだ。
「蓮……っ! そこまでだ!」
敵が数発の銃声を響かせたが、蓮は微動だにせず、的確に相手の足元を撃ち抜いて無力化していく。その無駄のない動きは、息を呑むほど美しかった。
あっという間に周囲は静まり返り、敵の男たちは地面に倒れ込んだ。
蓮は銃をしまうと、乱れた前髪をかき上げながら、私の方を振り返った。
その顔は、極道の若頭とは思えないほど、痛切なほどに優しげで――けれど、すぐにいつもの不器用な表情に戻った。
「……おい、怪我はねぇか?」
「は、はい。大丈夫です。ありがとうございます、蓮さん」
「……ちっ。だから、こんな危ない場所に一人で来るなと言ったんだ。お前の父親が『絶対に外に出すな』と怒鳴り散らす理由が、今ならよくわかる」
彼はそう言って、自分のジャケットを脱ぎ、私の肩にふわりと掛けた。
タバコと、わずかな甘い香水の匂いが混ざった、蓮さんらしい匂い。
「お前は馬鹿みたいに無防備なんだよ。……これからは、俺が二十四時間、お前の傍についてやる」
「え……?」
「いいか? 涼風組の跡取り娘を守るため、そしてお前の父親との約束だ。俺の監視下で、お前と同居する。文句は言わせねぇ」
彼の言葉は強引で、まるで命令のようだった。
でも、その口元は少しだけ柔らかく緩んでいて、私は思わず胸が高鳴るのを感じた。
「……よろしくお願いします。蓮さん」
こうして、私と極道の若頭による、危険で甘い同居生活が始まったのだ。
第1話・完
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