第50話 嵐の前の静けさ
あの日、田中修一が自らの手で、仲間たちとの絆を断ち切ってから、数日が過ぎた。
コミュニティ農園の空気は、もはや、重たいという言葉だけでは表現できないほどに、冷え切っていた。
作業日に集まる人数は半分以下にまで減ってしまった。残った者たちも、必要最低限の言葉しか交わさず、まるで、葬儀に参列しているかのように、黙々と手を動かすだけだった。
修一は、誰とも目を合わせず、ただ狂ったように、自分の担当区画の世話に没頭した。彼の能力が、ささやき続ける、腐敗と、害虫の、おぞましい未来のビジョン。その幻影から逃れるように、彼は、過剰なまでに土をいじり続けた。
凛は、そんな彼らの間を、痛ましげな顔で行き来するだけだった。彼女が、かつて夢見た、笑顔の絶えない共同体は、今や、見る影もなかった。
そんな、最悪の雰囲気の中、一つだけ奇妙な変化があった。
あれほど執拗に続いていた、岩田茂による陰湿な妨害工作が、ぴたり、と止んだのだ。
ホースが切られることも、肥料がダメにされることもない。あの、侮蔑に満ちた視線が畑に注がれることもなくなった。
その、あまりにも突然の平穏は、かえって不気味だった。
だが、疲弊しきっていた参加者たちの心は、その、わずかな平穏に、すがりついた。
「……最近、何も起きないわね」
「犯人も、飽きたのかねえ」
「このまま、何事もなければ、いいんだが……」
ぽつり、ぽつりと、そんな希望的観測が交わされるようになった。もしかしたら、最悪の時期は過ぎ去ったのかもしれない。ここから、また、やり直せるのかもしれない。
そんな、淡い、淡い期待の光が、重く沈んだ空気の中で、かろうじて、またたき始めていた。
それは、まさに、嵐の前の静けさだった。
その夜。
修一は、賢者の城へと帰還し、母・春子が作ってくれた、味のしない夕食を、機械的に口に運んでいた。
リビングには、いつものように、夜のニュース番組が流れている。アナウンサーが、当たり障りのない今日の出来事を淡々と伝えていた。
修一は、その音を、ただのBGMとして聞き流していた。彼の心は、明日、畑に、どんな絶望のビジョンが視えてしまうのか、その恐怖で、いっぱいいっぱいだった。
『―――さて、次は、お天気です』
アナウンサーの明るい声。
画面が切り替わり、にこやかな笑顔の女性気象予報士が現れた。
『週の半ばまでは、この時期らしい、穏やかな秋晴れが続きそうですが……』
彼女は、そこで一度、言葉を区切り、少しだけ真剣な表情になった。
『……週末にかけて、注意が必要です』
彼女が指し示した日本列島の天気図。シベリア大陸から強烈な寒気団が、まるで、巨大な青い魔物の腕のように、日本列島へと南下してきていた。
『この時期としては、十年ぶりの、非常に強い寒波が流れ込む見込みです。特に、土曜の夜から日曜の朝にかけては、関東の平野部でも、気温が氷点下まで急降下する恐れがあります』
氷点下。
その、たった一言が、修一の耳に雷鳴のように突き刺さった。
『農家の方は、霜による農作物への被害に厳重に警戒してください』
テレビの中の、にこやかな女性が、無慈悲な死の宣告を告げていた。
修一の目の前が真っ暗になった。
霜。
それは、まだ、か弱く、生まれたばかりの、あの双葉たちにとって、絶対的な死を意味していた。
岩田茂の悪意など、比較にもならない。
人間の力では、決して抗うことのできない、最大最悪の敵―――自然の猛威が、彼らの最後の希望を根こそぎ奪い去ろうと、すぐそこまで迫っていた。
嵐は、もう、始まっていたのだ。




