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賢者の城は六畳間  作者: かわさきはっく


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50/80

第50話 嵐の前の静けさ

 あの日、田中修一が自らの手で、仲間たちとの絆を断ち切ってから、数日が過ぎた。

 コミュニティ農園の空気は、もはや、重たいという言葉だけでは表現できないほどに、冷え切っていた。

 作業日に集まる人数は半分以下にまで減ってしまった。残った者たちも、必要最低限の言葉しか交わさず、まるで、葬儀に参列しているかのように、黙々と手を動かすだけだった。

 修一は、誰とも目を合わせず、ただ狂ったように、自分の担当区画の世話に没頭した。彼の能力が、ささやき続ける、腐敗と、害虫の、おぞましい未来のビジョン。その幻影から逃れるように、彼は、過剰なまでに土をいじり続けた。

 凛は、そんな彼らの間を、痛ましげな顔で行き来するだけだった。彼女が、かつて夢見た、笑顔の絶えない共同体は、今や、見る影もなかった。


 そんな、最悪の雰囲気の中、一つだけ奇妙な変化があった。

 あれほど執拗に続いていた、岩田茂による陰湿な妨害工作が、ぴたり、と止んだのだ。

 ホースが切られることも、肥料がダメにされることもない。あの、侮蔑に満ちた視線が畑に注がれることもなくなった。

 その、あまりにも突然の平穏は、かえって不気味だった。


 だが、疲弊しきっていた参加者たちの心は、その、わずかな平穏に、すがりついた。

「……最近、何も起きないわね」

「犯人も、飽きたのかねえ」

「このまま、何事もなければ、いいんだが……」

 ぽつり、ぽつりと、そんな希望的観測が交わされるようになった。もしかしたら、最悪の時期は過ぎ去ったのかもしれない。ここから、また、やり直せるのかもしれない。

 そんな、淡い、淡い期待の光が、重く沈んだ空気の中で、かろうじて、またたき始めていた。

 それは、まさに、嵐の前の静けさだった。


 その夜。

 修一は、賢者の城へと帰還し、母・春子が作ってくれた、味のしない夕食を、機械的に口に運んでいた。

 リビングには、いつものように、夜のニュース番組が流れている。アナウンサーが、当たり障りのない今日の出来事を淡々と伝えていた。

 修一は、その音を、ただのBGMとして聞き流していた。彼の心は、明日、畑に、どんな絶望のビジョンが視えてしまうのか、その恐怖で、いっぱいいっぱいだった。


『―――さて、次は、お天気です』


 アナウンサーの明るい声。

 画面が切り替わり、にこやかな笑顔の女性気象予報士が現れた。

『週の半ばまでは、この時期らしい、穏やかな秋晴れが続きそうですが……』

 彼女は、そこで一度、言葉を区切り、少しだけ真剣な表情になった。

『……週末にかけて、注意が必要です』

 彼女が指し示した日本列島の天気図。シベリア大陸から強烈な寒気団が、まるで、巨大な青い魔物の腕のように、日本列島へと南下してきていた。


『この時期としては、十年ぶりの、非常に強い寒波が流れ込む見込みです。特に、土曜の夜から日曜の朝にかけては、関東の平野部でも、気温が氷点下まで急降下する恐れがあります』


 氷点下。

 その、たった一言が、修一の耳に雷鳴のように突き刺さった。


『農家の方は、霜による農作物への被害に厳重に警戒してください』


 テレビの中の、にこやかな女性が、無慈悲な死の宣告を告げていた。

 修一の目の前が真っ暗になった。

 霜。

 それは、まだ、か弱く、生まれたばかりの、あの双葉たちにとって、絶対的な死を意味していた。

 岩田茂の悪意など、比較にもならない。

 人間の力では、決して抗うことのできない、最大最悪の敵―――自然の猛威が、彼らの最後の希望を根こそぎ奪い去ろうと、すぐそこまで迫っていた。

 嵐は、もう、始まっていたのだ。

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