第49話 負の連鎖
佐々木凛との間に、修復不可能なほどの亀裂が入ってしまった、次の作業日。
コミュニティ農園の空気は、これまでで最も重く、冷え切っていた。
凛は、ほとんどの時間を携帯電話を片手に、畑の隅で誰かと話して過ごしていた。市役所の上司か、あるいは警察の担当者か。彼女は、もう、修一に何かを相談することはなく、その視線が彼と交わることさえも、巧みに避けていた。
リーダーである二人の、その断絶は、参加者たちの心にも暗い影を落としていた。
何のために、ここに集まっているのだろう。誰の指示を信じればいいのだろう。
楽しかったはずの畑仕事は、ただの気まずい労働へと成り果てていた。活気のない、その淀んだ空気は、まるで、植物たちの生命力さえも、吸い取っていくかのようだった。
修一は、そのすべてを苛立ちと焦燥の中で見つめていた。
(ダメだ……このままでは、全部、ダメになる)
彼の、狂い始めた能力は、その不安を、さらに増幅させた。
渡辺さんの妻・佳代子さんが、少しぼんやりと、ホウレンソウの畝に水をやっている。その、何の変哲もない光景が、修一の目には破滅への序曲のように映った。
彼は、その畝に能力を集中させる。
【警告:腐敗ポテンシャル:急上昇】
【原因:過剰な水分供給による、根腐れの危険性】
【予測ビジョン:数日後、この区画のホウレンソウは、根元から黒く変色し、粘液状になって、すべてが腐り落ちる】
その、鮮明で、おぞましいビジョンに、修一の理性の糸が、ぷつりと切れた。
彼は、佳代子さんの元へ、ずかずかと、すごい剣幕で歩み寄った。
「渡辺さんっ! 何をやってるんですか!」
その、これまで聞いたこともないような鋭い声に、佳代子さんの肩が、びくりと跳ねる。
「水のやりすぎです! そんなやり方じゃ、ここのホウレンソウは全部、根腐れして、ダメになってしまうんですよ! 分かっているんですか!」
それは、もはや、アドバイスではなかった。一方的な詰問であり、叱責だった。
「も、申し訳ありません……」
佳代子さんは、青ざめた顔で俯いてしまう。その様子を見た、夫の渡辺さんが、慌てて間に割って入った。
「先生、まあまあ。そんなに大声を出さなくても……。家内も、悪気があったわけじゃ……」
「悪気があるとか、ないとか、そういう問題じゃありません!」
修一は、止まらなかった。
「少しの油断が、すべてを台無しにするんです! この畑は、遊びじゃないんですから!」
その、あまりにも高圧的な言葉に、その場の空気が完全に凍りついた。
参加者たちは、信じられないという目で、修一を見ている。
あの、いつも、おどおどと、しかし、優しく丁寧に教えてくれた先生は、どこへ行ってしまったのか。
目の前にいるのは、まるで、昔の職場で自分たちを罵倒した、嫌な上司のような、独善的で高圧的な、見知らぬ男だった。
修一の暴走は止まらない。
彼は、鬼の形相で畑を見回り、参加者たちの些細なミスを、次から次へと大声で指摘し始めた。
「そこの草取り、雑です! 根が残ってる!」
「畝の形が、歪んでる! やり直してください!」
彼の『攻略マニュアル』は、いつの間にか、皆を導くための希望の設計図から、人々を裁くための冷たい戒律の書へと、姿を変えていた。
その日の作業は、これまでで最も早く終わった。
いや、終わらされた、と言うべきだろう。
参加者たちは、一人、また一人と、逃げるように道具を置き、無言で畑を去っていく。彼らは、もう、修一に挨拶さえしなかった。
凛も、ただ、悲しげな目で彼を一瞥すると、力なく踵を返した。
あっという間に誰もいなくなった畑。
修一は、その真ん中で、一人、立ち尽くしていた。
(……これでいいんだ)
彼は、自分に言い聞かせた。
俺が、厳しく管理しないと、この場所はダメになる。俺が、たった一人で守るしかないんだ。
だが、その心は、まるで極寒の地に置き去りにされたかのように、冷え切っていた。
負の連鎖。
岩田の悪意が、修一のトラウマを呼び覚まし、その恐怖が、凛との間に亀裂を生み、その孤独が、彼の能力を呪いへと変え、そして、その呪いが、最後の砦であったはずの、仲間たちとの絆を、完全に破壊した。
賢者は、自らの手で、自分の王国を焦土へと変えてしまっていた。
彼は、今や、誰からも見捨てられた孤独な王だった。




