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賢者の城は六畳間  作者: かわさきはっく


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第48話 凛との亀裂

 あの日、岩田茂の家から逃げ帰って以来、田中修一は、再び城に籠っていた。

 農園には顔を出していない。彼には、もう、仲間たちの顔を、まっすぐに見る自信がなかった。自分はリーダー失格だ。賢者などではない、ただの臆病者なのだ。その事実が、鉛のように彼の体をベッドに縫い付けていた。


 そんな重苦しい午後のことだった。

 玄関のチャイムが、短く、鋭く鳴らされた。モニターに映っていたのは、佐々木凛の硬い表情だった。修一は、居留守を使おうとした。だが、彼女はドアノブをガチャガチャと回し、もう一度、今度は叩きつけるようにチャイムを鳴らす。

 その音には、彼女の、ただならぬ決意がこもっていた。

 修一は、観念して重い体を起こした。


「……何の、ご用ですか」

 ドアを数センチだけ開けて、鎖をかけたまま、修一は、かろうじて尋ねた。

 凛は、そんな彼の防御壁を、いとも容易く突き破ってきた。

「お話があります。中に入れてください」

 その、有無を言わせぬ強い口調に、修一は、逆らうことができなかった。


 リビングに通された凛は、ソファに座ろうともしなかった。彼女は、部屋の中央に仁王立ちになると、まっすぐに修一を睨みつけた。その瞳には、もはや、以前のような尊敬の色はない。あるのは、深い失望と、苛立ちの色だった。


「単刀直入に聞きます、田中さん」

 凛は、切り出した。

「なぜ、警察を呼ぶことに反対するんですか?」

「……それは、言ったはずです。事を荒立てたくない……」

「では、聞きますが、このまま黙って、畑が荒らされるのを見ているつもりですか! 仲間たちが、不安に怯えているのを放っておくつもりですか!」

 凛の、普段からは想像もできない、鋭い声が、修一に突き刺さる。

「あなたは、何か知っているんじゃありませんか? あの妨害工作の犯人の心当たりが、あるんじゃないですか?」


 図星だった。

 修一の肩が、びくりと震える。彼は咄嗟に視線をそらした。

 その、あまりにも分かりやすい反応に、凛は確信を深めたようだった。

「……やっぱり。何か隠しているんですね?」

 彼女は、一歩、修一に詰め寄った。

「教えてください、田中さん! あなたが知っていることを全部! それが分かれば、対策の立てようもあります! なぜ、一人で抱え込むんですか!」


 言えるわけがなかった。

『犯人は岩田さんです。でも、彼は、本当は畑を愛する孤独な老人なんです。それは、俺の不思議な能力で分かりました』

 そんな、荒唐無稽な話を信じてもらえるはずがない。彼女は、きっと、俺のことを頭がおかしくなったと思うだろう。

 そして、何より―――

『岩田さんを前にしたら、怖くて、何も言えずに逃げ帰ってきました』

 そんな、惨めで情けない、本当の自分の姿を、彼女にだけは知られたくなかった。

 彼女が自分に向けてくれていた、あの尊敬の眼差しを失いたくなかった。


「……あなたには、分かりませんよ」

 修一の口から最悪の言葉がこぼれ落ちた。

 それは、彼女の真摯な問いかけを、完全に拒絶する一言だった。

 凛の顔から、すっと、表情が消えた。

 彼女の瞳から、最後の、かすかな期待の色が消えていくのを、修一は、ただ、見ていることしかできなかった。


「……分かりました」

 凛は、はっきりとした、氷のような声で言った。

「田中さんが協力してくださらないというのなら、もう結構です。私一人でやります」

 彼女は、修一に、くるりと背を向けた。

「これ以上、あなたに相談はしません。私のやり方で、この場所を守ります。市役所の上司に報告し、正式に警察と警備会社に話をつけます」

 それは、決別の言葉だった。

 かつて、同じ夢を語り合い、固い信頼で結ばれていたはずのパートナーシップの、完全な終わりを告げる、冷たい宣告だった。


 凛は、一度も振り返ることなく、部屋を出て行った。

 バタン、と、閉められたドアの音が、がらんどうの部屋に虚しく響く。

 修一は、その場に立ち尽くした。

 彼は、自分の弱さを、プライドを守るために沈黙を選んだ。

 そして、その沈黙によって、彼は自分を信じてくれた、たった一人の大切な仲間を、永遠に失ってしまったのかもしれなかった。

 深い亀裂が、二人の間に決定的に刻み込まれた。

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