姉と聖女と武器屋(8)
あ、やばい。
と思ったときには、すでにシシルは私の頬に両手を添えていました。
そのまま、首の回転を抑えられます。
目を瞑ろうと抵抗しますが、彼女に人差し指と親指によって無理矢理見開かれます。
このまま目を合わせてしまえば、彼女に気づかれてしまうでしょう。
そう、目を合わせなければ良いのです。
私は眼球が乾き、ひりひりと痛むのを我慢しつつ目線を下へと向けます。しかし、その思考が読まれていたのでしょうか、すでにそこには彼女の瞳がありました。
翠色の綺麗な瞳。
私の魂を覗く、神秘の瞳。
私は、吸い込まれるようにその瞳を凝視し――。
「ん?」
「え?」
シシルは、怪訝な顔をしていました。
しかし、私の目と彼女の眼はしっかりと向き合っています。
というより、彼女が私の魂を見ている間はどうやら目線を離せないようです。
が、眼球が……乾いてきて、ドライアイに……。
「あの……痛いんですけど、目が」
「あ……ごめんなさい」
私の両頬から手を離して、シシルは席に座ります。
椅子には私から奪い取った(私がカルから奪い取った)眼鏡が置かれていました。
私……見られましたよね?
ではあの悪魔のように私の正体に気づいたのでは?
それなのに、なぜ彼女は不満げな顔をしているのでしょう。
「はっはっはっ! おもしろいことを言うな、聖女様は」
そこで、カルがこの前のように突然笑い出します。
何しろ、彼女がこうして笑い出すのはよくあることではありますが、本当に突然なので慣れません。私もシシルも驚いて、少し肩が震えましたよ。
「それに、いきなり姉の前で妹の唇を奪おうとは……なかなかに挑戦的ですね」
「は、はあ? いやそんなことはして――」
「いやいや、皆まで言わなくて結構ですよ。私は世界を旅してきましたからね。同性との恋愛などよく見てきましたし、そこに偏見などありません。清い交際を約束するというのであれば、そして妹もそれを承知するというのであれば、姉の私から言うことはなにもありません」
「だから、さっきのはそういう意味じゃ――」
「ただし、私の妹は誰かの代わりじゃない」
そこで、シシルの動きがピタリと止まります。
今まで彼女に重圧に息が苦しい思いをしてきましたが、今度はまさか姉から重圧を感じることになろうとは思ってもみませんでした。
重圧……いえ、これはもう殺気かもしれませんね。
しかし、それは一瞬のことです。
すぐに彼女からあの重圧が消え去り、カルはいつもの朗らかな笑顔をしていました。
「私の妹の名前はルミスですよ。これからはそう呼んで上げてください」
「……ええ、そのようね。ごめんなさいルミスさん。さっきの言葉は忘れて頂戴」
そう言うと、シシルは立ち上がって部屋から出て行きました。
あの格好のまま出て行って、教徒の人たちに見られたらまずいのでは? と思いますが、まさかそんな真似を彼女がするとは考えられませんし、放って置きましょう。
それでも、何も言われずに部屋に取り残されるのは気まずいのですが……。
「ふぅ……疲れたな」
カルはシシルがいないことを良いことに、一気に寛ぎ始めました。
柔らかい椅子に深く腰掛け、膝を曲げて縮こまっています。
「ありがとうございました。……最近は助けられてばかりですね」
「なに、気にすることはない。姉だからな。妹を助けるのは当然のことだ。……ところで、結局のところ……ばれたのか?」
そう。
私もそこが気になるところでした。
しかし、それ以前にカルに確認しておきたいことがあります。
「……なんで、眼鏡が外されるときに助けてくれなかったんですか?」
「ん? ああ、実のところよく見えてなかった。眼鏡を取ったと気付いたのは、聖女様の顔がお前の近くにあると気付いたときだったからな。本当に接吻したのかと思ってどきどきしたぞ」
呑気に笑うカルでしたが、やはり眼鏡が無い状態では護衛などできるわけがないのでした。
駄目なことは駄目と言って下さい。
まあ、無理矢理奪ったのは私なんですけどね!
やはり自業自得でしたか。
私は、机の上置いてある眼鏡を彼女に手渡します。それに気づくと「おお、これこれ」と慣れた手つきで装着し、得意げな笑みで私に微笑みます。どうだい? きまってるだろ? と言いたげな顔です。
「どうだい? きまってるだろ?」
「言うんですね。本当に」
「まあ冗談はさておき……どうなんだ?」
カルの問いかけに、私は考えます。
私が【武器の声】を聴けるように、シシルは人の魂を視ることができます。魂を視るというのはどういう感覚は私にはわかりませんが、どうやらその魂というのは人それぞれで違うようです。現に、悪魔はそれで私の正体に勘付いたようですし。
悪魔……。
そういえばシューカは『魂を視てわかった』と言ってました。
それはもしかしたら、問題の解答を覗くようなものではなく、ヒントを覗くような感じなのでしょうか。シューカたち悪魔は魂を視ることに熟練しているためにすぐにわかりましたが、シシルはまだその領域まで達していないとしたら?
それならば、すぐにはわからないはずです。
今の私の魂は……間違いなく、あの頃と同じものではないはずですから。
「多分……ばれてないです。しかし、さっきの会話から察するに、確証を持って行動しているようです。まあ、頼みの綱である【魂の鑑定】が不発に終わったので、今は混乱しているのではないでしょうか」
「ふむ。それは重畳……といえるか? それで、これからはどうするんだ?」
どうする?
今後の方針ということでしょうか。
それならば決まっています。
「今までと変わりませんよ。誤魔化して、嘘吐いて、逃げます」
「……なるほど。了解したよ」
本当に、いつも通りだな。
と、カルは肩を竦めました。
シシルが淹れた紅茶が底を尽きそうというときに、やっと彼女が戻ってきました。
扉を開けて入って来た彼女の腕の中には、白い布に巻かれた大きな棒状の物が抱えられていました。彼女の身長よりやや長く、その上端は布が大きく膨らんでいます。
「待たせたわね」
それを引きずるようにして室内へと運び入れ、お茶が置かれているテーブルにゆっくりと倒すように置きます。慣れない力仕事をしかたらでしょうか。彼女の額に玉のような汗が浮かび、長い髪がうざったそうに肌に貼り付いていました。しかし、それらを気にせず、その棒状の物を指差して言います。
「これが、今日の本題よ」
「はあ……」
てっきり、一連の言動から私を詮索することが本題だと思いこんでいまして、いきなり本題と言われて驚きました。しかしよくよく思い出しましたら、シシルは私に武器の鑑定ができるかどうかを訊いていました。
本当に、本題があったんですね。
急に用意した本題かと勘違いしました。
「布を解いても?」
「構わないわ。ただし、注意してね。取扱いに失敗したら大聖堂ごと吹き飛ぶわ」
それは怖い話です。
私が布を解くのを見て、カルも手伝ってくれます。冒険者である彼女が、力まかせに布を破かないか心配でしたが、そこは意外にも慎重な手つきでした。
そして布に包まれてた棒状の……いえ、戦鎚が姿を見せます。
その柄の部分は黄土色のような着色がされていますが、その上には赤錆びのようなものが浮き出ており、長い間放置していたことが窺えます。しかし、異様なのはその頭の大きさです。柄の部分が長いことから想像できましたが、通常の戦鎚の三倍を越える大きさで、無骨な直方体の中心には光を失った魔水晶が取り付けられています。
「よく、この重量の物を女性一人で持ってこられましたね……」
「これ、見た目に反して割と軽いのよ。私でもぎりぎり持てるくらいにはね」
彼女は鑑定を依頼していました。
何も言いませんが、さっさと始めてしまいましょう。
その後、私は戦鎚に使用されている鋼材や、魔水晶について調べました。途中、「あなた眼鏡は?」と訝しむ目で言われ、焦って「え、遠視なんです。近くのものを見るときは裸眼なんですよ」と嘘を吐くイベントなどがありましたが、そんなに時間は必要とせずに終わりました。
「全体的に錆がひどいですね。しかし、まだ錆びとりをすれば使えると思います。また、魔水晶があることから、何らかの特殊な力を秘めているとは考えられますが、すでに機能停止している状態のため確認できません。さらにいえば、これは使い手を選ぶ武器でもありますね。このような超重量級の戦鎚であると、限られた人にしか扱えないでしょう。しかし、きちんと整備をすれば見た目を裏切らない破壊力が出ると思います。それら諸々を考えて、武器の価値としては――」
「もういいわ。わかった」
鑑定の最後として、この戦鎚の武器としての値段を言おうとしましたが、遮られてしまいました。
まるで、そのこと自体にはさほど興味が無かったような物言いです。
「ありがとう。参考にさせてもらうわ。これで用事は終わりよ」
「え……」
「悪いけど、この姿じゃ教徒の前に出れないし、見送りは室内で終わらせてもらうわ。出口までの道のりは一本道なんだから覚えているでしょう?」
私が何か言う前に、彼女は立ち上がって扉を開けます。
その目線は冷たく、さっさと帰れと言わんばかりの態度です。
「それじゃ、お暇させてもらおう」
「……そうですね」
私たちも、彼女を追及することはなく部屋を立ち去りました。
大聖堂の出口までの道のりは、私が覚えていたため迷うことなく辿り着くことができます。そして大聖堂を後にし、十分な距離が離れたことを確認すると、カルが言います。
「で、あの戦鎚は何だったんだ?」
「……名前は【金剛鎚ヴァジュラ】。正真正銘の【創造武器】ですよ」
私の言葉にもさほど驚く様子も無く、「ほお……」と頷くカル。
彼女自身も創造武器を持っているため、どうやら察するものがあったようです。
「しかし、それをなぜ彼女に伝えない?」
「シシルは完璧に私のことを疑ってましたからね。あの状態の武器を【創造武器】と言い当てれば、さらに疑いが強くなりますよ。言葉通り、嘘吐いて、誤魔化して、逃げたわけです」
一目見ただけで、それが創造武器であることはわかりました。
勿論、あれにどのような力が秘められていて、あの錆びて汚れた姿は決して放置していたことが原因ではないことも知っています。あの姿こそが、ヴァジュラの正常な仕様です。
しかし、並の鑑定師ではそれらを看破することはできないでしょう。
それこそ、小道にひっそりと赤字の武器屋を経営している少女がわかるわけがないレベルです。
そこで言い当ててしまうと、シシルの詮索が始まることでしょう。彼女も、あれが創造武器であることは知っているはずですし。
「しかし、どうだろうな」
歩きながらも、会話は続きます。
時折、すれ違った人に聞こえてしまうのではないかとも思いますが、そこまで注目されているわけもありませんし気にしなくて大丈夫でしょう。
「聖女様の性格からして、まだ諦めて無さそうだったが」
「でしょうね。彼女は自分の直感が正しいと信じて疑わないタイプですから。さらに負けず嫌いも合わさって、こういった状態の彼女は非常に厄介です」
今も、あの部屋で次の策を考えているのかもしれません。
もしかしたら神罰隊に私の身辺を調査するように指示するかもしれません。
そう考えると、落ち着いて生活もできませんね……。だからといって、こちらから行動を起こすのは、彼女の疑心をさらに増長させる要因にもなりますし。
「結局、いつも通りの生活を続けましょう」
「……なあ、ルミス」
そこで、カルが立ち止まります。
私も自然とその場に立ち、彼女の顔を見ます。すると、頬を指でひっかいて困ったような顔をしていました。目も泳いでおり、どうやら私に言いにくいことがあるようです。
「どうかしたんですか?」
「いや……その、ルミスがそう決めたなら私はそれをサポートするだけだと決めてはずなんだけどな。……このままずっと隠し通せることでもないんじゃないか?」
私は、何も言いません。
彼女の次の言葉を待ちます。
「ルミスの気持ちもわかってるつもりだ。けど、今日の聖女様の様子からして、お前のことを探しているようだったじゃないか。……その気持ちに応えてやるつもりはないのか?」
「……どう、でしょうね」
何も言わずにいなくなって、待ってても帰って来ず、世間はまるで死んだように彼のことを扱います。
誰かが彼は英雄と褒め称えれば、一方は無能と罵ります。
真の勇者だと尊敬する者もいれば、ただの偽善者だと侮蔑する者もいます。
そんな彼らに対して反論さえできない彼女の気持ちを考えると……何も言えません。
「別に言っても良いのではないか……と考えたこともあります。しかし、やはり隠しておくことが最善だと思うのですよ。とくに今回のようなケースの場合には」
「今回のような……というと、お前の知人が迫ってきたときの場合か?」
「違いますよ。私が武器屋として狙われたときの場合です」
シシルではなくて。
キョウヤのことです。
「ありえないとは思いますが、もしかしたらキョウヤこそが私の中身に気づいているかもしれません。それならば、狙われる理由もわかります」
「……まあ、否定できない話ではあるな」
ここ数日に起こった様々な事件に、頭が混乱します。
一体何から手を付ければいいのか、私は何をすればいいのかわかりません。
何が正解で、どれが失敗なのか。
私の手の中にある選択肢が多すぎて、困ります。
もう、本当に、困っています。
なぜみんなして。
なぜこんなにも。
彼の後を追いかけたいのでしょうか。
「やはり、言ってあげた方が良いんでしょうかね?」
事実を。
真実を。
嘘も誤魔化しも無い、本当のことを。
「彼は間違いなく死んだってことを」
ポツリ。
と、水滴が私の頬に触れます。
空を仰ぐと、重たく鈍い灰色の雲が広がっていました。
雨だ――。と思った瞬間に、それは勢いを増して降ってきました。
突然のことに、往来の方々は雨を凌げる場所を探して走っています。
そして、私もまた走り出しました。
しかしそれは雨から逃げるためではありません。
雨に打たれながらも、私は来た道を駆け抜けます。
「ルミス!?」
カルも私の後を追って走って来ますが、すぐに私の横に並び、そして先日と同じように私を抱え上げました。走るのが遅いからっていきなりお姫様抱っこするのはどうかと思いますけどね!
けれど、助かりました。
「このまま直進して大聖堂に向かって下さい!」
「わかった。しっかり掴まってろ」
事情も聞かず、カルは走り始めました。
私を抱えているというのに、凄まじい速さで駆けて行きます。
その間にも雨脚は激しくなり、遠くからは雷が轟く音が聞こえてきます。
ついに、視界に大聖堂を捉えた――と思った瞬間に。
強い雷光が視界を遅い、遅れてきたその轟音と衝撃波に私とカルは吹き飛ばされました。
地面に強く打ちつけられた苦痛に耐えながらも、顔を上げます。
突然の強い光と音に、視覚と聴覚が麻痺しますが、明らかに異常な事態にすぐに気づきました。
「ああ、まずいですね……」
あの荘厳な大聖堂が、見事に半壊していました。
どうやら先ほどの落雷は、大聖堂の一角に落ちたようです。
雷により発生した火災が大聖堂を襲い、純白の壁や床、そして屋根が煙で黒くくすんでいきます。
まるで光が闇に覆われるかのように。
黒く、汚れていきます。
「ルミス、大丈夫か」
自由に動けない私に、カルが駆け寄ってきました。
私の身体を抱き起して素早く触診し、以上が無いか確かめています。
「聞いて下さい。カル」
「大丈夫だな。骨に異常はない。ちょっと待ってろ。今、治癒弾頭を――」
「聞いて下さいってば、カル」
私は大丈夫ですから。
だから、目の前の惨状に注目して下さいよ。
シスコンにもほどがありますって。
私がカルにあの雷の正体を話そうとした瞬間に、先程よりも大きな稲光が私たちを襲います。
カルはとっさに私を庇うようにして抱きしめ……そして、内臓に重く圧し掛かる轟音とともに衝撃波が私たちを襲います。一度目のように吹き飛ばされはしませんでしたが、それでもその衝撃にカルの顔に苦悶の表情が浮かびます。
衝撃による麻痺が身体が引いた後に再び大聖堂を見ると、明らかに火の手が強まっているのがわかります。二度目の落雷も大聖堂に対して落ちたのは明らかでした。
「カル、どうやら最悪の事態です」
「全て言わずとも私にもなんとなくわかるさ。ほら、立つんだ」
私に肩を貸すようにして、カルと私は立ち上がります。
自分の力だけで立てることをカルに見せると、彼女は頷いて微笑み、腰のホルスターから二丁の短銃を取り出しました。
そして、その銃口を正面へと向けます。
いえ、正しくは、大聖堂から悠然と歩いてくる一人の人間に対してです。
全身に包帯が巻かれています。
まだ傷が塞がっていないのか、所々を赤く染めており、見ただけで顔を顰めてしまうような衝動に駆られます。しかし、彼が歩く姿に、その傷に対して反応を示す様子はありません。
それは、そうでしょう。
彼に――そう、今のライカさんに痛覚は存在しないのですから。
右手に握られているのは、黄金に輝く一振りの戦鎚。
無骨な直方体の鉄塊はその姿を美しく変貌させています。色を柄と同様の黄金に変え、両側を蓮の花びらのように広げ、鋭利な刃物と化していました。そして、その中心には赤い魔水晶が爛々と輝いています。
金剛鎚ヴァジュラ。
あれこそが、彼の真の姿。
雷を纏い、曇天を支配する創造武器のひとつ。
その前に立ちふさがるのは、【千の弾丸】と呼ばれた冒険者たった一人。
彼女は自分の敵に対して叫びます。
「どんな事情でここにいるかはわからない! どんな理由でその武器を手にしているかはわからない! しかし、その武器を手にして罪なき人を傷つけることは、この私が許さない!」
二丁の短銃――右手のソルブライト、左手のルナダスト――の撃鉄を起こし、引き金を引きます。
戦いの始まりは、その銃声でした。
また詰め込みすぎてしまいました…。
裏側で何が起きていたかは、後々わかる……はずです。




