猫叉先輩と僕と不動尊君のお付き合いの話
不動尊君が居る。
僕と同じクラスの男子。顔つきが若干老けて見えるのが災いして、女子人気はさほどでもない。しかし、その体格は大変優れていて、運動部の武闘系に勧誘されることもしばしばだ。しかし本人は争うのが苦手なタイプなので、そういうのは常にお断りしている。それも女子人気が陰る要因だ。顔が老けて、派手さもないとなると、これはもう好事家の手が伸びるのを待つ以外に無い。
その彼にラブレターが届いたというのを聞いた時は、僕らに色々と失礼な想いが過った。とうとう好事家が動いたか、というのが最初である時点で失礼極まりない僕らである。
「……」
放課後。不動尊君の希望により人気のない空き教室に僕、姫子さん、猫叉先輩、そして不動尊君は集まっていた。その件の不動尊君は顔を厳めしくして、悩んでいるようだった。
「悩むようなことかなー」
姫子さんが静かに切りだす。
「どういう意味だね!」
質問する声も厳めしい、不動尊君。
対する姫子さんはお気楽な様子である。
「単純にー、申し出を受けるか受けないかだけじゃないかなー、と」
「気楽に言ってくれるね!」
「そりゃそうだよー。お友達のこととはいえ、こればっかりは他人事だものー。というか二者択一だから、10円の裏表で決めたらー?」
「そんな訳にはいかないよ!」
「まあそうだよね、不動尊君の性格だと。真面目だし、きっちりしてるし。そういうとこが好かれたんだと思うし」
「う、うん、そうだな!」
僕の言葉にそう頷く不動尊君。だがすぐに表情は厳めしくなる。そしてぶつぶつと大きい声で何事か呟き始める。
「しかしいやしかししかしいやしかししかしいやしかし!」
「怖いよ、不動尊君」
猫叉先輩がそう言ってくつくつ笑う。今日の猫叉先輩はちょっと猫っ気が強いらしく、不動尊君を見る目が獲物を弄ぶ猫のそれになっている。確かにちょっと面白い状況ではあるけども、知り合いの恋愛関係にそういう目はどうだろうか。
「猫叉先輩」
「ん? ああ、確かに面白がり過ぎたかな。でも、これは中々興味深い状況だよ?」
「それはよく分かりますけど、それでも、ですよ」
猫叉先輩は「君は友達甲斐のある人だねえ」と返してくる。その隣で姫子さんが不動尊君に問い掛ける。
「で、どうするのー、不動尊君。受けるのー? 受けないのー?」
「むむむ……!」
悩む不動尊君。そこで、僕は重要なことに気が付いた。
切り出す。
「あの」
「なんだい?」
猫叉先輩の誰何に僕は言う。
「思ったんですが、その手紙の主、僕達知ってますっけ」
「……」
「……」
「……」
「……」
「そこで不動尊君が無言になったら駄目だよ!」
「いや、小生もどなたか面識が無いし、名前にも覚えが無い!」
「駄目じゃん! そこの所、ちゃんとしてないと」
「いや、あまりに突然のことで全然想い及ばなかった!」
思った以上に駄目な感じである。そんな駄目な不動尊君に、僕は提案する。
「じゃあ、とりあえず一度会ってみればいいんじゃないかと思うんだけど。一回話するくらいは、どの道必要でしょ?」
「……そうだな!」
まだ迷いがあるような表情にも見えたのだけれども、最初よりはマシになっている不動尊君であった。
体育館裏。僕と猫叉先輩と姫子さんは物陰に隠れて様子をうかがっていた。不動尊君は、指定された場所に立っている。そこからは僕達の位置は丁度死角になっているので、いる事がばれる心配はない。
しかし。
「どういう子が来るんでしょうかね」
「不動尊君を見初める相手だから、ねえ」
「すぴすぴ」
姫子さんは静かに立ち寝していた。いつものことなので特に起こさない。
「いい子ならいいんですけど」
「悪い子でも全然構わないと思うけどね。どっちにしろだし」
「すぴすぴ」
声をひそめて喋る僕達。そこに、人が不動尊君の前にやってきた。
不動尊君が先制する。
「こ、こんにちは!」
「……こんにちは」
答えた女子は、地味な子だった。長い髪はつややかだし、服装もきっちりしているが、どこか野暮ったい感じがぬぐえない。化粧っ気がないのと、黒縁眼鏡、そしてきっちりしているが故に古臭い感じを受ける着こなしが問題なのだろうか。とにかく地味という言葉でしかくくれない。そんな子であった。
「誰ですか、あの人」
「あたしも知らないよ。見れば分かるかもって思ってたんだけどなあ。あそこまで妙な地味キャラの子って、逆に目立ちそうだけど」
「すぴすぴ」
向こうでは、話が進んでいる。
「小生は、不動尊明夫! あなたは……」
「……慈嶋未来です。……手紙読んでいただけましたか」
「ええ!」
「……では、……お返事を」
「ただ、待っていただきたい!!」
不動尊君は大きな声で 慈嶋さんを制止した。そして言う。
「流石に、初対面でお付き合いと言われてもですね! お互いの事が全く分からない訳ではないですか!」
「……つまり?」
「少しお話しませんか! お互いについて! それからでも遅くはないのではないかと!」
それが、不動尊君の考えたことだった。全く知らない相手とはいえ、いきなり振るのも気が引けるらしい。真面目と言えば真面目である。
さて、それを聞いた慈嶋さんは、というと。
「……いいですよ」
と答えていた。表情を見るに、それほど嫌ではないようである。
「……でも、どこで?」
「……! どこがいいでしょうか!?」
聞くなよ! そこはちゃんとリードする場面だろ! と思ったが口には当然出せないので、堪える。だが、その辺はどうでもいいのか、慈嶋さんは特に表情を変えず、「……なら」と提案する。
「……私の後についてきてください。……いい場所があります」
ということで、移動となった。
移動先は、墓場だった。僕達はバレないように尾行して、そこに着いた。
どうしてここに。
「どうしてここに!」
僕と同じことを、不動尊君が言う。慈嶋さんは静かに微笑んで答える。
「……静かで、……この時間なら人も来ない。……ムードもあるでしょ?」
ムード? という疑問は、慈嶋さんが不動尊君に急接近した。
「お!」
「……どうしたの? ……付き合うっていうのは、……こういうこともあるんですよ?」
「ええまあそうですが! それより前にお話ししましょうってことでして!」
接近に及び腰になる不動尊君。近づかれた分の距離を離れる。
「……それなら尚更近づかないといけないんじゃないですか? ……もっとお互いを知る為なんでしょう?」
「いや! まあ! ええ、そうですけども!」
「……じゃあ、……何から話しますか? ……スリーサイズなら」
「いや! そこは!」
見るからに赤い顔になる不動尊君。純である。
「……88、……70、……88。……わりといいでしょう?」
「え! あ! はい!」
更に赤くなる不動尊君。話の主導権は完全に慈嶋さんの物だ。
「……不動尊君、……貴方の話が聞きたいです。……一つ話したから一つ、……ね?」
「あ! はい! 身長190㎝の体重95㎏!」
「……ふうん。……いい体付きですもんね」
そう言って、慈嶋さんはまた近づく。今度は不動尊君は逃げない。背後に墓石があり、動くと倒してしまいそうだからだ。だからと言って、慈嶋さんを押しのけるのも出来ないのが不動尊君である。というか、慈嶋さんが地味なのに妙に妖艶に見え始めた。特に脱ぐとかしていないのに。
「不動尊君、案外垂らしこまれるタイプだったか」
「女性で身を持ち崩すタイプという方がいいのかもですね」
「すぴすぴ」
外野が静かに言いたいことを言っているうちに、不動尊君と慈嶋さんはくっついてしまった。そして、慈嶋さんはまた一つ自分の情報を開示する。
「……今のワタシの下着は」
「いや! 待ってくれませんか! なんでそう卑猥な話に!」
「……下着というのが何故卑猥なんです? ……貴方も着ているでしょう?」
「それはそうなんですが!」
「……ちなみにどちらも赤です。……それも大変扇情的なものですよ? ……見ますか?」
「いえ! それは断じて結構ですので!」
「……そうですか。……見てもらおうと、……ちょっと自信のあるのを選んできたんですけど」
「小生達は、まだそういうのは早いと申しますか!」
「……もう高校生です。……そういうことしている人だって沢山いますよ?」
「いや! しかしですね!」
迫る慈嶋さんと、逃げ腰ながら逃げ道が無い不動尊君。どう考えても今の段階では負けである。
「助け舟要りますかね?」
「これくらいはどうにか自分でやってもらいたいし、何より楽しいのでもうちょっと見てましょう」
猫叉先輩が、やはり猫っ気が強くてサディストめいている。それが自分に向かないのを喜ぶと同時に、走喜ぶことに罪悪感を感じる僕。とはいえ、今は助けることは出来そうにない。
「すぴすぴ」
姫子さんは寝ている。そう言えば、姫子さんはどうやってここまで来たんだろうか。
そういう謎は置いておいて。
慈嶋さんと不動尊君の攻防は不動尊君の防衛一辺倒になってきている。慈嶋さんはその地味な見た目とは裏腹に大分淫の気が強いのがさっきまでの言動で分かってきたが、それは不動尊君の最も苦手とするジャンルである。クラスの男子の程度の低い猥談にも眉をひそめる彼である。ひそめることで赤面に対処していると言う方が正しい彼である。そんな彼がこの猥談な流れに耐えられるとは思えない。というか下着の形状と色程度であそこまで動揺してしまうのだから、もっとどぎついのが来たら卒倒するんじゃなかろうか。
と。
「……不動尊さん」
慈嶋さんのトーンが変わった。
「あ、はい」
それを敏感に感じ取り、攻勢が終わった安堵を見せる不動尊君。声の調子もストンと落ち着いてしまってい、いつもの大声ではない。それだけ追い込まれていたのだ。
それより慈嶋さんだ。トーンがまるで変わって、静かで、どこか切なそうに、そして儚げに見える。それよによってさっきまでの喋っていたアケスケなのとはまた違った、静かゆえににじみ出る淫の気を感じる。さっきまでの攻勢とのギャップで、それが際立ち、ぶっちゃけよりエロく見える。
ごくり、と不動尊君が唾を呑む音が聞こえたような気がした。それも無理からぬ、突然の変容である。エロ方面なのは変わらないが、全く方向性が違う。振り幅にやられているのは、僕らより間近な不動尊君だろう。実際、顔は赤いのから一転して青くなっている。息でも止めてるんだろうか。
「……不動尊さん」
「は、はい!」
「……こんなワタシじゃあ、……貴方の彼女にはふさわしくないんでしょうか」
「それは……」
「……お話しましょうと言われて、……ワタシは卑猥な発言ばかり。……幻滅もしますよね」
そもそも全然知らないんだから幻滅も何もとも思うが、向こうはそうでもないらしい。不動尊君がフォローを入れる。
「確かに、その、卑猥なことが多かったですが、でも知ってもらいたいという気持ちだったんですよね!」
「……」
沈黙のまま、首肯。そのしぐさが、どうにも艶めかしい。なんというか、魅入られてしまうというか。不動尊君の目も泳ぐ。
既にくっついているこの状態で、慈嶋さんは更にしなだれかかる。その仕草は本当に美しいと感じる。地味さがかえってアクセントにすらなっている。吐息もかかっているのだろう。不動尊君の視線は泳ぐ。
泳いで泳いで泳いでから、その口を開く。
「そ、その気持ちは分かりました! その上で、言うことがあります!」
「……はい」
雰囲気的に、断りにくいものがあるだろう。慈嶋さんは既に瞳が潤んでおり、泣く一歩手前のそれだ。厄介なことに、それが彼女をより魅力的に見せている。魔性の瞳とはあれのことだろう。それに引きこまれているような、そんな状態の不動尊君。
そんな彼の答えは決まってしまったも同然だ。
「お付き合いは!」
「……はい」
「お付き合いは、出来ません!」
ほら。……って。
「え!? 断った!?」
「しっ。声が大きい」
口を塞がれて、僕はすぐに混乱から覚める。あの空気から、どういう風にしたら断れるのだろうか。そう言ってしまえる状況だ。
静かな、そして嫌な緊張感が場を支配する。その中から一歩出したのは、慈嶋さんだった。
「……はい、分かりました」
泣き出しそうな顔で、慈嶋さんは受け入れた。
「申し訳ない!」
「……いえ、……いいんです。……やっぱり、……卑猥なワタシでは」
「それは違います!」
不動尊君は大きな声で言った。
「これは、そう言う問題ではないのです!」
「……と言いますと?」
「小生には、既に心に決めた相手が居るのです! それが、今ようやく分かったのです! これは、あなたのおかげだ!」
「……それは嬉しくない思いやりです」
「む……!」
「……でも、そう言ってもらえてすっきりしました。……こういうのもなんですけど、……ちゃんと振ってくれて、……ありがとうございます」
そう言うと、慈嶋さんは一礼して去るそぶりを見せる。移動方向がこっちなので、僕達は慌てて姿を隠した。
慈嶋さんが、すぐそこを通り過ぎる。泣いているのがちらりと見ても分かる。なんだか、こっちが悪い気になってしまう。
慈嶋さんが去った後、僕たちは不動尊君のいる所に。
「……」
不動尊君は、ただ沈黙していた。それは、どこか悲しそうですらあった。振った方も痛手があった、というべきなのだろうか。
そんな不動尊君に、猫叉先輩が話しかける。
「不動尊君」
「……なんです?」
「心に決めた人って、誰?」
その質問、今する!?
不動尊君は不意の質問で面くらい、あわあわする。
「そ、それは言えない! 言えません!」
「それは、私達が知っている人ってことなのかな?」
「断固、言いません!」
「ふーん。まあ、そうなるとは思ってたし、大体誰かの目星も付いてるけどね」
そう言って笑う猫叉先輩。今日はやはり猫らしいサディストの気が出ているなあ。
「まー、とにかく事は終わったんだしー、こんな所かはさっさと離れましょー」
いつの間にか起きていた姫子さんの言葉に従うように、僕らはその場を後にすることにした。
帰り道。僕は不動尊君と隣り合って歩いていた。不動尊君は心労からかどこか疲れて見える。
だから、僕は励ます言葉を口にした。
「ところで、心に決めた人って誰なの?」
「……っ! よもや君まで! 見損なうぞ!?」
「ごめんごめん。冗談だよ、冗談。でも、不動尊君に好きな人がいる、ってのがちょっとね」
「微妙に心外なんだが!?」
「はは、ごめんごめん」
そんな他愛のない話をしながら、僕達は家路に着いたのだった。
思ったより終わらないな、この話。どういう結末になるか、は決定してますが、そこに到達するまでの話数が見えない。むがー!