船旅
マレアはシグールトでもっとも南に位置する港町だ。
町というより、村と言った方があっているくらい小さな町だが。
それでも、小規模ながら定期的にバザーが開かれ、それなりの賑わいをみせる、こじんまりとした良い町だ。
「な……ッ! あの島に行くゥ!? バカッ! やめとけ!」
その町で、これから向かう決戦場-――すなわち、幻竜の眠る南海の孤島についての情報を得ようとしたアドは、いきなり店の主人の猛反対にさらされた。
「あの島はな、アンゴル島って言われてるんだぞ!」
「へ……?」
目を丸くするアド。
「……そりゃまた、物騒な……」
アンゴル。
それは知恵の神ペルタニウスの影。
無知ゆえに生じる恐怖、苦悩、不和をもたらす暗黒の神。
人の苦しむ声、苦悶の表情が、彼の食事であり、また供物である。
真実を求める者は、知らぬ間に彼に着けられた、偏見という名の目隠しと、思い込みという名の足枷を、まず取り去らなければならないと言われている。
そんな暗黒神の名を冠されられたということは……
「その島のことを良く知らないで上陸するなってこと?」
「いや、それ以前に近付くなってことさ」
店の主人は、手近の椅子を引き寄せ、アドに坐るよう手で示すと、自分も側の椅子に腰を下ろした。
「いいか、良く聞けよ。あの島は、近付いた者を飲み込んじまう、恐ろしい島なんだ」
恐ろしそうに声を潜めて語り出す。
「まず、あの島に近付こうとすると、どんなに晴れてても、必ず、暴風雨になる」
「ほえ?」
「それをムリヤリ進んで行くと、今度は海の底から、アンゴルの使いが現れる」
「アンゴルの使い?」
「命からがら逃げ帰った者の話によると、そいつの体長は約10メートル。少なくとも6本の長い腕を持っているらしい」
「少なくとも?」
「少なくとも、だ。本当はもっとあるのかも知れん。その上、その腕は、ぬらぬらしていて、グニャグニャなくせに、ものすごい力を持っていて、船のマストに巻き付くと、そのまま二つにへし折ってしまったそうだ」
「……………マジ?」
「マジ、マジ、大マジ。何てったって、俺のじーさんの体験談だからな」
と、そこで何故か胸を張る店の主人。
「でもって、船を転覆させると、海に放り出された乗組員を、パクッと一口で食っちまったとか」
「うげ……」
流石に眉をひそめるアド。
「おっさんのじーさん、良く生きてたなあ」
「何せ、日頃の行いが良かったからな」
「……そういう問題?」
「何を言う! 大事だぞう、日頃の行いは! 何を隠そうこの俺だって」
「あーとりあえず、それ、いい。それより、そのアンゴルの使いの先は? 何か出るのか?」
店の主人は話を途中で遮られて不満そうな顔をしながらも、客の注文に応じた。
「さあて。そっから先は、知らん。行った奴もいるのかもしれんが、生きて帰った奴がいねぇんだ」
答えになってなかったが。
「だからいいな、近付くなよ。死ぬぞ」
と、言われても、行かねばならない。
「………わかった。教えてくれてサンキュ」
とりあえず店の主人に礼を言うと、アドは、リートに相談しよう、と、そそくさと宿に戻っていった。
「ああ。それ多分、クラーケンですよ」
話を聞いたリートは、驚くどころか、さも当然のごとく『アンゴルの使い』の正体を言い当てた。
「クラーケン? なにそれ」
「正確には、古代の伝承に基づいて妖精がクラーケンと名づけたもの、ですが……」
リートは一旦言葉を切って、どう言えば良いか、思案した。
(『悪しき気』の影響で突然変異を起こし、巨大化した凶暴な頭足類って言ったって、解りませんよねぇ……)
「……要するに、『悪しき気』で姿を変えられた海の生物です」
まあ、間違いではないだろう。
「それが、人間食べちゃうわけ?」
「お腹が空いていれば、多分」
彼らにとって、魚も人間も、大差ないだろう。サイズ的に。
所詮、エサでしかない。美味いか不味いかは別として。
「あ、それから、『近付くと必ず現れる暴風雨』って言うのは、シルフがあの島の周囲に張り巡らせている結界のことです。今回は心配いりません」
「うん、だろうと思った。だからそっちは心配してないけど……。大丈夫なのか?その、クラーケン」
「何言ってるんです。クラーケン程度でおびえられちゃ困りますよ」
「……………へ?」
「あの島は『悪しき気』に満ちているって、言いませんでしたっけ?『悪しき気』が、海の生物『だけ』に、作用するとでも?」
アドは目を丸くした。
「もしかして、島中、似たような化け物だらけ?」
「だから、最初からそう言っていたつもりだったんですけど………」
答は、無情だった。
「………アンゴルか。なるほど」
大きなため息を吐くアドに、しかしリートは、いつになく真剣な表情で、告げた。
「やめても、いいんですよ」
「え?」
驚いて顔を上げるアド。
「今ならまだ、間に合います。ここでやめても」
「冗談」
リートの台詞は途中で断ち切られた。
「俺がやめたって、お前はやめないんだろ?」
「ええ。それはまあ」
「だったら、俺もやめない。こぉんな面白そうなこと、人任せにしてられるか」
「ですが……………」
「ストォップ!それ以上、言いっこナシ!」
両手をあげて、押し止める。
「ごめん。悪かった。そういう意味で言ったんじゃ、ないから」
「アド…………」
「ま、大丈夫だろ。相手が無知神なら、知恵神の知恵で退治できるさ」
そう言って、にっこりと笑うと、アドはくるりと踵を返した。
「買い物、途中だったんだ。行ってくる!」
バタバタと走り去る背中に、リートはこっそり呟いた。聞こえないように、小さく。
「ありがとう」
と。
三週間後。
改造が終わったというエギルの伝言を受け、一行は桟橋へ赴いた。
「なにこれ」
船に取り付けられた見たことのない道具に、アドが首を捻る。
その横で、その正体を推測したリートは思わず唸った。
「まさかディーゼルエンジンですか?」
「っぽいもの、だがな」
エギルは得意げに鼻を鳴らした。
「ディーゼルは、圧縮した高温の空気に軽油を吹き込んで爆発させ、回転する力を作り出すもんだ。原理さえ知ってれば、あとはドワーフの技で何とかなる」
「でも、軽油は? この世界にも、石油は確かにあるとは思いますが……」
「おう、あった。ノームに頼んで探してもらった」
「まさか、それを精製した?」
「何とかな。大変だったぜ。だが、純度は低い」
「……でしょうね」
「だから、多分長くは持たん。でも、結界の中は風が吹かねえ」
「シルフが、いませんからね」
「だから、結界を越えたらこいつを使え。無茶しなけりゃ、島までたどりつけるだろうよ」
「無茶したら?」
「途中で焼ききれる」
「なるほど、よくわかりました」
「じゃ、操船方法を教えるな、まず……」
「あ、ちょっとごめん」
じっと話を聞いていたアドが、エギルの言葉を遮った。
「あのさ、俺、ちょっと買い物してくるよ」
言い放つと、踵を返し、船の外へと出て行った。
「……逃げましたね」
「ハッハハッ!」
豪快に笑うエギルの横で、リートはため息をつくのだった。
「結界を越えます。気をつけて下さい」
「おう」
さらに三週間後。
リートはようやく聖歌をマスターした。
直ちにアンゴル島へ向かう一行。
天気は快晴。
波は良好。
しかし、『いつもの暴風雨』こそなかったものの、結界を超えるその瞬間、アドは意識を失ったようだった。
「………ド君、アド君!」
リートに揺り起こされる。
「あ………」
「大丈夫ですか」
「何とか………。今の、何?」
「シルフの結界を越えたんです。さ、気をつけて下さい。ここから先は、『悪しき気』に染められた『化け物』たちの領域ですよ」
「わかった」
気を取り直して辺りを見回す。
「なんだか、海の色まで違うみたいだ……」
「みたい、じゃなくて、実際違います。油断しないで下さい」
舵輪を握るリートが忠告する。と、その時
「ピィ―ッ!」
突如、メラから警報が出された。
「気をつけて! 来ます!」
リートがものすごい勢いで舵輪を回しながら叫ぶ。
「うわッ!」
突如巨大な波飛沫があがる。
その頂点から天高く伸ばされたものは
「タ、タコの足!? でかすぎッ!」
「クラーケンです! 避けて!」
バシャーーーーンッ!
打ち下ろされたクラーケンの足が手すりを叩き割り、甲板を打ち抜く。
はずみで放り出され、甲板に叩き付けられるアド。
「痛テテテテ……」
腰をさすりながら起き上がる。海に落ちなかったのは幸運以外の何者でもない。
ゴオォォォォォッ!
熱気に振り向くと、メラがクラーケンの足に向かって、必死に火を吐き出している。
「無理ですメラッ! 退がって!」
リートの声に飛び退くメラ。
二瞬遅れて、クラーケンの足がその空間を薙ぐ。
「海のモノに火は効きません! アド!」
「おうよッ!」
スラリ、と聖剣を引き抜く。
「どりゃぁぁぁ!」
スパッ!
小気味良い手応え。
ヒュウ。
思わず口笛が出る。
「切れ味最高!」
「あぶない!」
舵輪を投げ出し、アドを横抱きに抱えて飛び退く。
半瞬遅れて『切られた足』が甲板を叩いた。
「うげ……。マジ、化け物だよ……」
唖然とするアドを余所に、リートは舵輪に取って返すと、進路を修正する。
「メラ!」
『ナニ?』
「ここに来て、舵をこの位置で固定してて下さい!」
『エ、エ、エ、エ?』
流石に困惑するメラ。しかし
「頼みましたよ!」
リートは委細かまわず押し付けた。
『ワ、ワ、ワ!』
あわてて舵輪にしがみつく。
メラ自身の重さで、どうやら固定できそうだ。
『フゥ……』
安堵のため息をつくメラの横で、リートは竜の水晶を取り出した。
高く捧げて、叫ぶ。
「雷光!」
声と同時に水晶から、一直線に眩い光が放たれ、海に突き刺さった。
グ……ゲァァァ……
ひどく耳障りな呻き声。
ややあって海面に、ぽかりと、巨大な軟体動物の遺骸が浮かび上がった。
「これが………」
「クラーケンです。もとはきっと、タコでしょうね」
「じゃあさ、これ食えるかな」
アドが、未だに跳ね回る切られた足を剣で示す。
「活きの良さだけは保障付ってとこですね」
「活きが良すぎて、料理するのも難しいってか?」
言いながら足に切り付ける。
害のない程度の大きさになったところで、全部、海に蹴り入れた。
「魚の餌になっちまえッ! なあリート、船、大丈夫か?」
「何とか。航行に支障はないようですよ」
答えながら舵輪を握る。
メラは舵輪から離れると、船の舳先へと飛んでいった。見張りのつもりだろう。
「にしても、やっぱ竜の力って凄ぇなぁ」
「けど、3回しか使えないんです。そう頼り切らないようにしないと……」
「とは言え、相手は海の中だぜ?いくら聖剣でも、ちょっとなあ……」
と、その時
「ピィ―ッ!」
再びメラの警報が響いた。
「うっ……。今度は二匹ですよッ」
「だ~~~~~! デートなら余所でしろ!」
「羨ましいんですか?」
「ンなんじゃねえッ!」
「冗談ですって」
「余裕ぶっこいてる場合?」
「いえ、余裕じゃなくてちょっと現実逃避」
「どっちにしても、ンな場合じゃねーだろーがッ」
掛け合い漫才の間に戦闘準備を整える二人。メラは再び舵輪の上だ。
「来ますッ」
二匹の姿が海面に浮かびあがる。
一匹は、もう一匹に比べてかなり小さい。
「夫婦じゃなくて親子かよ」
二匹は二手に分かれ、船の両側から同時に襲い掛かる。
「じゃ、親からいきますか」
リートが大きい方へ水晶を向ける。
「雷光!」
ガ……ギエェェェ……
巨大な身体がビクリと痙攣し、肉の焦げる嫌な匂いと共に波間に沈む。
その隙に、小型の――と言っても、体長は軽く6mはありそうだ――クラーケンが、長い触手を手すりに巻き付け、船上にのそりと這い上がろうとする。
ぐらり、と大きく船が傾いだ。
「アド君!」
「まだまだ!」
揺れる甲板の上で間合いを計るアド。
「っしゃあッ!」
ダンッと甲板を蹴ると、アドはクラーケンの鈍く光る巨大な目をめがけて、跳んだ。
ブスリ。
ギィアァァァァァァ!
苦悶する身体を蹴り、甲板に戻るアド。
着地の際に、ちょっとよろめいたのはご愛敬。
小型クラーケンは、その目から毒々しい緑色の液体を吹き出しながら海へ落ちていく。
「とばします!」
この隙にと、リートは船の速度を最大にあげた。
ブォォォォォ………
辺りに焦げくさい臭いが漂う。
スクリューの軸が焼ける臭いだ。
が、あえて無視する。
「………とりあえず、大丈夫そうだぜ。追ってこねえ」
しばらくして告げられたアドの言葉に、ようやくリートは減速した。
「アド君、ケガ、ありませんか?」
「ヤツの体液が毒じゃなけりゃ、問題なし」
顔をしかめるアドの身体は、クラーケンの返り血……というか返り体液で緑に染められていた。
「あ、それは大丈夫です。連中が毒性だと言う話は聞いたことないですから」
ちょっと考えて付け加える。
「……新種じゃなければ、の話ですけど」
「あのなあ……」
「気分が悪くなるようなら言って下さい。念のため治療します」
「良いわけないだろ? こんな気色悪ィ緑色……あ、いや、毒にやられた類の気分の悪さはないから、いいよ」
「治療より風呂ですか。当分無理ですねえ」
「リート、これが終わったら温泉な。ご馳走つきで。当然お前の奢り!」
「はいはい、お好きなように。………あ、島が見えてきましたよ」
リートの指す方向に島影を確認し、流石にほっとする一行。
しかし。
「ピィ―ッ!」
「リート! 後ろ!」
振り向き、流石に青ざめる。
「……今度は大家族ですね。先刻が親子だったから今度は、三世帯に叔父叔母従兄弟ってとこですか?」
「冷や汗垂らしながら言う台詞じゃねえッ!」
「ですね。メラ! 舵輪ッ!」
「ピィ!」
舵輪をメラにまかせて後部へ走る。
集団の先頭に照準を合わせ
「雷光!」
水晶から放たれた光が先頭の固体に命中する。
断末魔をあげる個体の、すぐそばにいた数匹が巻き込まれる。
思ったより数を仕留められた僥倖にホッとした次の瞬間、生命絶えた数匹は、後ろからやってきた集団に囲まれた。
「うげ……」
思わず、アドが口を押さえる。
「………共食い、してやがる……」
「この隙に、行きます!」
再び、最大船速。
軸の焼ける臭いが、先刻よりも強い。
「焼き切れるぞッ」
「島までもてば構いません!」
ぐんぐん近付く陸地。
砂浜が見える。
ガクンッ!
衝撃はいきなりだった。
「……焼き切れたッ!」
唇を噛むリート。
急激に減速する船。
上陸するには、まだ遠い砂浜。
「来るぞッ!連中、食べ尽くしやがった!」
アドの報告が追い討ちを掛ける。
「クッ……」
後方を睨むと、リートは再び水晶を取り出した。
「どうすんだよッ。もう雷光は残ってねぇぞ?」
「わかってますッ! それより、ちょっと無茶しますから、その辺にしっかり掴まってて下さい!」
「え? ムチャって……」
「早くッ!」
「わわ、はいはい」
あわててマストにしがみつくアド。
メラも舵輪に掴まる。
「疾風!」
ゴオオオォォォォッ!
水晶から吹き荒れた風は、クラーケンどもを吹き飛ばし、同時に反作用で、リートらの船を押し流す。
「うわぁぁぁッ」
ガウンッ!
衝撃と共に、船は島の砂浜に、半ば埋もれるように上陸した。




