第二十話 失われたもの
⸻
朝。
冒険ハウスの食堂に、かすかな足音がした。
階段を降りてきたルルは、明らかに眠たそうだった。
髪は少し乱れ、目の下にはうっすらと影がある。
「……おはよ」
「おはようございます」
「朝ごはん、できてますよ」
シノがそう言って、湯気の立つ皿を並べる。
「ありがとう」
ルルは椅子に腰を下ろし、ぼんやりとパンを手に取った。
ゼンはその様子を見て、軽く眉を上げる。
「徹夜か?」
「魔導書の研究、どうだ?」
ルルは一口かじってから、少し間を置いた。
「……そのことなんだけど」
「すごいことが、分かったわ」
シノが動きを止める。
「すごい、ですか?」
「ええ」
「正直、頭が追いついてない」
ルルは魔導書を机の上に置いた。
⸻
「この魔導書ね」
「七つの属性魔法が、それぞれ一つずつ記載されてたの」
「火、水、風、地、光、闇、無」
ゼンが静かに言う。
「そう」
「でも、問題はそこじゃない」
ルルはページをめくる。
「全部――詠唱も、理論構成も、まったく違うの」
シノが首を傾げた。
「……同じ魔法、ではないのですか?」
「同じ“魔法”とは思えないくらい、考え方が違う」
ルルは少し考えてから、続けた。
「おそらくね」
「魔法は、最初から一つの体系じゃなかった」
⸻
ルルは“無属性”の頁を開いた。
「見て、この無属性魔法」
「詠唱も理論も、私たちが今使っているものとほぼ同じ」
シノが頷く。
「はい……見覚えがあります」
「でも、他の属性魔法は違う」
「魔力の捉え方も、詠唱の意味も、まったく別」
ルルは指で別の頁を示す。
「つまり――」
「魔法が生まれた当初」
「七人の魔導士が」
「それぞれ自分の考え方で魔法を作った」
「その結果が、属性魔法なのよ」
ゼンは短く息を吐いた。
「……統一されてなかった、ってことか」
「ええ」
⸻
「……前に」
「ゼンの短縮詠唱を、私が真似したことがあったでしょ」
シノが思い出したように言う。
「はい」
「ですが、発動しませんでした」
「そう」
「私がやっても、何も起きなかった」
ルルは小さく拳を握る。
「あれは」
「私たちが知っている魔法理論を前提にした詠唱じゃなかった」
「原初の考え方のままの魔法を」
「そのまま短縮したもの」
「だから、理論が合わなくて発動しなかったの」
ゼンは黙って聞いていた。
⸻
ルルは一度、ゼンを見る。
「ゼンがどうして、それを使えるのかは……」
「正直、分からないけど」
一拍置いて、話を戻す。
「でも」
「私たちが今使っている属性魔法は」
「無属性魔法を基準に」
「使いやすく、分かりやすく作り直されたものよ」
「原初の考え方が、失われたあとにね」
⸻
「失われた魔法が、なぜ失われたのか」
ルルは、静かに言った。
「それは――」
「無属性以外の“原初”を知っている者が」
「何らかの形で、いなくなったから」
シノが息を呑む。
「……いなく、なった?」
「理由は分からない」
「殺されたのか、追放されたのか、封じられたのか」
「でも、結果ははっきりしてる」
ルルは魔導書を軽く叩いた。
「この国には」
「無属性魔法だけが、多く残っている」
ゼンが低く言う。
「だから、それを基準にするしかなかった」
「ええ」
「そうやって作られたのが、今の属性魔法」
⸻
シノが、静かに尋ねる。
「……それは、本物ではないのですか?」
ルルは首を横に振った。
「使えるし、効果もある」
「偽物じゃない」
「でも――」
ゼンが言った。
「俺の魔法は、再現されない」
ルルは頷く。
「ええ」
「原初の魔法を、そのまま削ったものだから」
⸻
食堂に、静寂が落ちる。
朝の光が、窓から差し込んでいた。
「……この魔導書は危険よ」
ルルは、そっと本を閉じた。
「失われた魔法を取り戻す鍵であり」
「同時に、この国の魔法そのものを揺るがす」
ゼンは低く言う。
「世界の根っこだな」
ルルは、眠そうな目のまま頷いた。
「ええ」
⸻
食事を終えた三人は、次の目的地へ向かうため歩き始めた。
島の小道を進み、
丘を越えた先。
ゼンが足を止める。
「……」
シノも前を見て、言葉を失った。
「……村、ですね」
そこにあったのは、
半壊した村だった。
⸻
家屋は崩れ、
壁は焼け、
屋根は傾いたまま残されている。
人の気配はない。
だが、生活の痕跡だけが、生々しく残っていた。
「……襲われた跡だな」
ゼンが低く言う。
「最近だ」
「魔力の残り方が、新しい」
その言葉を聞いた瞬間――
ルルの視界が、揺れた。
⸻
崩れた家。
泣き声。
助けを求める声。
――ラディ村。
記憶が、容赦なく蘇る。
「……っ」
胸が締めつけられ、息が詰まる。
「ルル?」
ゼンの声が届く前に、
ルルは走り出していた。
⸻
「ルルさん!」
シノの呼び声も、耳に入らない。
壊れた家々の間を抜け、
村の奥へ。
「誰か……!」
「誰か、いませんか……!」
返事は、なかった。
広場に出た、その瞬間。
足が止まる。
⸻
必死に逃げた痕。
崩された瓦礫。
「……また……」
力が抜ける。
「……間に合わなかった……」
視界が暗くなり、
音が遠のく。
その場に崩れ落ちる直前――
「ルル!!」
ゼンの声が、かすかに聞こえた。
⸻
「……ルル、どうした!」
ゼンが駆け寄り、抱きとめる。
シノも膝をつき、必死に呼びかけた。
「ルルさん!」
「しっかりしてください!」
返事はない。
ゼンは脈を確かめ、静かに言った。
「……大丈夫だ」
「気を失ってるだけだ」
⸻
三人は村を離れ、
冒険ハウスへ戻った。
ベッドに横たえられたルルは、
苦しそうな表情のまま眠っている。
ゼンは毛布をかけながら言った。
「今日は、もうここで休もう」
シノが頷く。
「はい」
「……ルルさん、大丈夫でしょうか」
「問題ない」
「今日は、寝かせてやろう」
⸻
夜。
冒険ハウスの周囲は、深い静けさに包まれていた。
風が止み、
虫の声も、いつの間にか消えている。
眠るルルの呼吸は、規則正しい。
――だが。
闇の中で、
異様な気配が、ゆっくりと近づいてきていた。
足音は、抑えられている。
一定の間隔。
迷いのない歩み。
魔獣のものではない。
人の意志を感じさせる、気配。
影は、家を囲むように散り、
闇に溶け込んでいく。
扉の前で、
誰かが静かに息を整えた。
眠る家へ向けて――
確実に。
⸻
第二十話 完
⸻
ここまで読んでいただき、ありがとうございます。
魔法が「失われた理由」に少し踏み込んだ回になりました。
そして最後に、静かに不穏な気配が忍び寄ります。
次回、物語は一気に動き出します。




