第四十八話 人を人と思う者も強い
九月四日。
甘利の屋鋪におとずれた清国人の男と久佐賀は二人きりで話すことになった。
どこが適当な場所か、長崎の地に久佐賀は不案内であり、よくわからない。
横から兼に、
「近くの好きな飯屋を甘利の名前で貸し切りにしてください」
と言われた。
久佐賀が頭を悩ませた問題は、金力であっさり解決された。
━━金銀の能力は甚だ盛大にして人事の成敗十に八九は金力に依頼━━
福沢諭吉の教え。
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清国人の男に適当な店を選ばせた。二階建ての牛鍋屋。甘利の名前を出して、久佐賀は借り切った。支払いも当然のように甘利仙十郎に回すことにする。
清国人は男は言った。
「いろいろ事情があって、私は本名を名乗ることができません。ただ、完遂と呼んでください。
何から話しましょうかね?
まず、とりあえず、言うべきこと。もはや、私たちはもう貴方たちに敵対する意思はないです。大院君の身柄を確保できたことで、サイモン夫人を狙う必要はなくなりました。
だから、安心してください。もはや、私たちは貴方たちと争うつもりはないですよ。むしろ、その逆です。本来、私たちの派閥は、東洋の平和のために日本と協力することを願っています」
「協力?」
いぶかしむ久佐賀に、完遂は説明した。
「本来にロシアの南下を押さえるため、清国と日本と米国で連帯して朝鮮を中立地帯として保証する。私たちの派閥(東洋団結派) は、そのような構想を抱いています」
駐日清国公使である何如璋は、一八八〇年に渡日した朝鮮側の修信使である金弘集に対して、ロシアへの警戒のための親中・結日・連美を説き、日本・清国・アメリカによる朝鮮半島の安全保障を主張する『朝鮮策略』を朝鮮に持ち帰らせた。
一八八二年九月に井上毅が記した『朝鮮政略案』は、日本・清国・アメリカにイギリス・ドイツを加え、朝鮮永世中立化を説くものであった。
その構想を実現するために日本は国際会議開催のために奔走した。
清国側の朝鮮問題を管轄する北洋大臣・李鴻章は、朝鮮を清国に内属しないものとした。彼の配下である朝鮮駐留清国軍指揮官・呉長慶も、日本公使に対して、清国が日本が朝鮮を「共ニ保護」するべきであるという考えを示した。
一八八六年の巨文島事件の後、イギリスとロシアの間で開催された天津会議とペテルブルク会議でも朝鮮永世中立化構想は前向きに話し合われた。
清国の清流派の懸命の横槍がなければ、朝鮮永世中立化は相当の確率で一八八七年に実現していたものと近年の研究では考えられている。
完遂は続けた。
「しかし、清流派は、朝鮮を完全に清国に内属するとしなければ、清国皇帝の体面が失われると強く主張しています。
実は、清国にとってまともな属国と言える国は、朝鮮しかありません。
ベトナム・琉球・シャムがも一応の藩属国とされていますけれども、ベトナムは自ら元号を定めて皇帝を称し、琉球は薩摩に服属し、シャムはそもそも中華の世界観をよく理解できていない。
朝鮮では、清国の使者を送るたびに、国王が自ら出迎えて、三回ひざまづいて地面に頭を九回たたきつけます。
三跪九叩頭の礼です。
実質的に唯一の属国である朝鮮を放すことは、清国皇帝の権威を損ねることになる、と清流派は主張しています。
それには我々も表立って反対しづらい。いくら、それが国際社会のパワーバランスを無視した非現実的な考え方とわかっていても」
苦笑。
そして、溜め息。
「今回の朝鮮の軍乱で大院君の後押しをした者が、確かに、清国の側にいました。
しかし、それが明らかにされてしまうことは、国際協調による朝鮮半島の中立地帯化を目指す者たちにとっても、具合がよろしくない。
あまりにも明らかに清国が悪であり日本が善であるという構図ができてしまうと、今後の清国と日本との協調も困難になってしまいます。
そこで、私たちも不本意ながらジャン・サイモン氏を狩り出す作業に手を貸すことにしました。
もういいでしょう? 漢城における大院君の捕獲によって私たちのゲームは終わりました。もはや、お互いに敵対する理由がありません」
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完遂は話の本題を入っていった。
「もはや、私と貴方は敵ではありません。だから、久佐賀さんにおたずねしたいことがあります」
「何でしょうか?」
「先月二十七日の戦闘で、いったい、どうやって、郵便配達夫に扮装した男を使ったこちらの銃撃の狙いに貴方は気づきました?」
「あれですか・・・?」
久佐賀は絶句した。
完遂は言った。
「よくできた計画だったと思うのです。
狭い橋で女に文句をつけさせて動きを止める。美人計。
少しずつ人を集めていつのまにか囲ませる。瞞天渡海。
人数を増やすことで相手の意識を散漫にする。順手牽羊 。
橋の上の出来事に相手の意識を集中させて川の岸から背後を撃つ。声東撃西。
郵便配達員に化けて油断を誘う。暗渡陳倉。
まさか女たちを巻き込んで攻撃するとは思うまい。李代桃僵 。
それが失敗したら、相手が油断したところをさらに狙う。欲擒姑縦。
相手の心を途切れさせる策を七ついれた連環計でした。
しかし、貴方の心は途切れなかった。貴方の気づきによって私たちの必殺の計画は失敗しました。
聞くところによると、貴方は私の年齢の半分にも満たない若さだという。興味が湧きますよ。どうやって、こちらの銃撃の狙いに貴方は気づきました?」
久佐賀は答えた。
「まず、あの郵便配達夫に扮装した男の動きが怪しかったですな。サイモン夫人を助けるつもりがあるならば、怒鳴って声をあげるべきでしたよ」
完遂は言う。
「それをやってしまうと、サイモン夫人の背中の警備を固めれてしまうおそれがありました。しかも、そんな怒鳴る男ばかりとは限らないでしょう?」
「そうですね」
と、久佐賀は認めた。
たたみかけるように、完遂はたずねた。
「他には?」
「あと、もう一つ」
「それを是非にもお聞かせ願いたい」、
「川のような水の流れがあれば、その向こう側に、意識が及びにくくなる。それを、先月二十七日の戦闘の十日ほど前に、経験して驚いたことがあったのです、偶然に」
久佐賀がそう言うと、
「偶然ですか?」
と露骨に失望の表情を完遂は浮かべた。
ところで、と久佐賀からの質問。
「あなたたちは自分たちのやったことを隠すために、関係のない日本人の郵便配達夫を殺しましたね? 自分たちにとって都合の良い遺書も無理やり書かせた上で」
「彼には気の毒なことをしましたね」
というのが完遂の答え。
あっさり認めた。
久佐賀は溜め息をついた。
「本当に気の毒なことをしたと思っていますか?」
ふん、と完遂は笑った。
「何を言いたいのですか、久佐賀さん? まさか非道とは言いますまい?
兵は凶器なり、争いは逆徳なり。それぐらいのこともおわかりにならないのならば、失礼ですが、久佐賀さん、貴方は覚悟が足りない」
覚悟。
それには久佐賀も思うところがあった。
「先ほどに、二十七日のそちらの銃撃の狙いに気がついたのは、たまたまと申し上げました。
しかし、よくよく考えてみると、何から何まで全てが偶然だったというわけでもない」
「え?」
完遂は驚いて目を大きく見開いた。
「面白そうな話ですな。お聞かせ願えるでしょうか?」
無論、と久佐賀はうなずいた。
「あなたのおっしゃるように、俺は覚悟を決めるまでに時間のかかる男です」
「そんなことは」
「ですが、その分に心の流れというものに俺は気を遣っております。同じ心の流れを感じた時には、状況の対処に必要となる過去の記憶を俺はすぐ頭の中から引き出せますよ。
だから、あの時に間に合った。それは偶然ではありません。選んだ生き方から来る必然でした」
「ふむ」
完遂は考え込んだ。
かまわず久佐賀は言葉をつづけた。
「人を人と思わない者は強いですよ。確かに、人を人と思わない非道の所業でしか切り開けない未来もあります。
しかし、それでも、また、人を人と思う者も強いのです。人の心の流れを見つめる者は過去を武器に変えることができます」
「人を人と思う者も強い」
呻くようにそう言って、完遂は両手を強く打ち合わせた。
一呼吸。
やがて拍手に変わった。
「その一言を聞いて、久佐賀さんは高士であったかと了解しました。
二十七日の策が破られて以来のもやもやした気分が吹き飛びました。戦う前から負けていたのか、と。ならば、仕方ありません。負けて悔いなし。
こいつは愉快です。久佐賀さん、貴方にお会いすることができて、今日は本当によかった」
明治外交と朝鮮永世中立化構想の展開 : 一八八二~八四年
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