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第四十九話 朝鮮半島の混沌

 九月四日。

 清国人との男との話を終わらせて無事にアマリの屋敷にクサガは戻ってきた。

 クサガの口から、チャーリーは朝鮮半島で行方不明だった夫のジャンの情報をさらに聞くことができた。

「サイモン氏の探索に加わった朝鮮兵たちは、探索よりも略奪強盗に熱心だったようです。

 清国人の密偵を自分たちで殺しておいて、その犯人捜しと称して、近隣の裕福な村に押し掛ける。

 朝鮮に入った清国人たちも馬鹿馬鹿しくなって、実はジャン・サイモン氏の探索にあまり熱心にはなれなかったみたいです」

「え?」

 チャーリーは驚いた。

 追跡する側の熱意の乏しさは、ジャン・サイモンが一か月近くも朝鮮半島で発見されなかった原因の一つである。゛


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


 生まれてからの九年間を朝鮮で過ごしたジャンと違って、チャーリー・サイモン自身の朝鮮体験は二か月程度しかない。

 一八八二年五月二十二日に米朝修好通商条約が結ばれ、六月初旬に、チャーリーはジャンとともに上海から朝鮮の漢城に渡った。

 ジャンは在上海アメリカ公館の朝鮮語通訳である。まもなく朝鮮に赴任することになる初代の米国公使の朝鮮滞在のための下準備を命じられた。

 チャーリーは、六月初頭に漢城の日本人街に来たと思えば、壬午軍乱に巻き込まれ、七月二十五日に朝鮮を脱出している。

 この時点の彼女の実際の朝鮮体験は、二か月間にも満たない。

 魔都・上海で育ち、若いながらに多くの善と悪を見てきたとチャーリーは自負していた。それでも彼女は知らなかった。

 善も悪も存在しない混沌を。

 

 功利主義(社会的自由主義)に通じる中国古来の教え、儒教には「衣食足りて礼節を知る」という言葉がある。

 貧しい者に対しては道徳的義務・社会的責任を一切に問わない。

 金力を養うことだけは絶対の義務であるとする功利主義よりも徹底している。

 そういう面において、儒教は、社会の下層に対して優しさを見せる教えではある。

 しかしながら、自己責任を【完全に】否定された者たちはどうなるか? 

 社会的役割を与えられない。

 ヒトではなくモノとして扱われるようになる。

 上位下達の命令に絶対に従うだけ。

 下は責任を問われることもないかわりに、上が腹を立てれば叩き壊されても文句をいえない。

 ボーヴォワールは好著『第二の性』において、女性の地位の向上のために「女性に責任を与えてくれ」と主張した。

 朝鮮通信使の鶏泥棒事件についての無罪論には、鶏をもった朝鮮通信使が棒でなぐつけられている画像をカットして紹介するものの他に、「無断で持ち出しただけであり、 朝鮮の役人は庶民のものを取り上げるのは当然の日常の行いなので犯罪の故意がない」とするものがある。

 自己責任否定論=人格否定論には、確かに、弱者救済につながる光の側面がある。

 しかし、それと同時に、人を人と思わず物として扱う暴虐につながりかねない闇の側面があることも留意するべきだろう。

 

 儒教世界の朝鮮半島は壬午軍乱のときに、朝鮮の官憲は如何なるものだったか?

 ━━朝鮮人民も事変の事を聞いて居住の婦女子を諸所に避難させるなどしていたが、その途中で府の弁察官の官憲らがその婦女子を取り押さえて金を奪い指輪などを略奪するなど粗暴の振る舞いをした(磐城天城両艦長朝鮮釜山浦近況報告)━━

 襲いやすい獲物が近くに現れたら、役人が率先として襲いにいく。

 善も悪もない。

 当時の朝鮮半島を支配した混沌は、同じ儒教社会から来た清国人たちも怖気づくレベルであった。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


 クサガは語る。

「朝鮮スタイルに耐えきれぬ者たちは、【神さまから使命を与えてもらえる】という理由で、キリスト教に入信しております。

 八千名以上の信者が虐殺されたという一八六六年の大院君による弾圧がありましたが、一八七三年に大院君が失脚し、実験を握った閔妃一族が開国政策を取るようになり、キリスト教徒は息を吹き返しています。

 サイモン氏はフランスから朝鮮に布教のために潜入したカトリックの牧師の従者の息子。

 朝鮮人キリスト教信者のネットワークにつながることで、サイモン氏は仁川から朝鮮半島の南の釜山近くまで辿り着いたようです」

 そして、

「奥さんのご主人、サイモン氏は、なかなか大した御方ですな」

 と賞賛した。

「彼が死んでいるわけがない。だって彼は」

 笑いながらそう言いかけてチャーリーは口をつぐんだ。

 ジャンの顔を思い浮かべる。

「私に余計な心配をかけるのが得意なんだもの。絶対にこれが最後の最後のはずがないのよ、あの馬鹿野郎。

 それだけは私は信じていた。でも、彼の消息がわからなかった。それが今わかったわ。クサガ、ありがとう」


 クサガは続けた。

「釜山付近で朝鮮の役人たちに捕まったとき、向こうから『朝鮮では清国人と日本人の他に外国人が存在するはずはない』と言われたそうです。

 おそらく、役人たちは今年のアメリカと朝鮮の条約を知らなかった。

 それで、サイモン氏は自分が日本国籍を持っていると言い出し、ハナブサ公使の個人的友人であるとまで大胆に主張した。

 ちょうど今、ハナブサ公使が日本の軍艦を引き連れて仁川にやってきていますから、タイミングが非常によかったです。

 もしも、本当にサイモン氏がハナブサ公使の個人的友人であるという可能性があるとしたら、朝鮮の役人たちはサイモン氏に失礼な態度をとれません」



朝鮮通信使は『鶏泥棒』ではなかった?

http://specificasia2.blog12.fc2.com/blog-entry-3439.html

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