魔法少女の恨みごと③
前髪に櫛を通した後、ポニーテールの結目を確かめると、ローファーに踵を入れ、ドアを開く。両手をいっぱいに広げて朝の陽射しを受け止めると、身体の芯から元気が湧き上がってくるように感じた。
「んん――っ! あー今日も良い天……あれ?」
大きく伸びをした少女、佐藤 愛華は異変に気づく。山田と鈴木……いつも家の前で待っていてくれる二人の友達が、今日はどちらも居ないのだ。
「今日って二人とも日直だっけなぁ? いやでも、昨日そんなこと言ってなかったし」
家はすぐ近くだし寄ってみるのもアリかなと思案しながらスマホを取り出し、歩き出す。と、視界の端に、ブロック塀に寄りかかる少女が映り込んだ。
「あ、おはようござい……ま……?」
腕を組んで寄りかかる、シャツとジーンズの長身の少女。ツンツン外に跳ねた髪型に目が行きがちだが、今はその足元に意識が向いた。何故なら、そこに居た……否、倒れていたのは見慣れた二人組だったから。
「な……!? 山田っ! 鈴木ちゃん!?」
「よう、おはよう。この辺りはなかなか良いとこじゃねぇか。静かで、人通りも少ねーし」
「はぁ!? な、何言ってるの!? 貴女が……こ、これ……っ!?」
「ちげーよ。ま、アタシだって余裕だけど……やったのはお前の後ろの奴だよ」
言われ、愛華は振り向く。そこに居たのは元凶である少女。肩まで伸びた真白な髪に色白の肌。小柄な体躯を覆うのは胸部にある淡い青色をしたアーマーと、同じ色のシンプルなミニスカート、それにスパッツや半袖のアンダーシャツといった軽いものだけ。しかし、それらに反して重苦しく無骨な黒いブーツは相手を威圧するようで。
愛華はそんな、海のように深い瞳を持つ少女の名を知っている。『宝石の盾』の構成員であれば周知されているその名前。
「……白い……魔法、少女――」
――鏡座 美咲。口をパクパクと動かすだけで、声は出なかった。出せなかった。
「そいつがな、お礼参りしてーんだとよ。『よくも通報しやがって』ってな」
「ひぃ……っ!?」
愛華は一歩後ずさるが、そこには長身の少女――若葉が立ち塞がる。退路はない。そんな愛華に対し、美咲は一歩踏み込んだ。
「その人は手出ししません。私と一対一です。……ほら、理解できてますか? そうやって怯えたままだと……私に殺されちゃいますよ」
「――っ!!」
その言葉で愛華の心臓は大きく鼓動する。やらなければやられる。唐突に訪れた危機に怯えていたのが嘘のように、全身の血液が沸き立った。幼い頃から修め続けてきた柔道はこの為にあった、と。
(殺される……やるしか、ない――っ!!)
追い詰められた脳が極度に回転し、状況を分析する。すぐ手を伸ばせば掴みにゆける距離だが、しかし美咲の服には襟も袖もない。つまりは生身そのままを掴むしかないが、経験がない。すぐに崩せるか、綺麗に投げられるかが分からない。
(なら引き倒す……っ! 私の方が頭一つ以上身長もあるし、強引に倒してから締め落とす!!)
最善は両腕を封じつつの裸締め。恐らくそうはさせてくれないだろうが、情報によると使うらしいナイフを封じることを優先として臨機応変に対応すれば良い。力と技術で勝っていればそれだけの余裕は産まれるはず。
(……掴んで、倒して、締め落とす……!!)
愛華は腰を落として踏み込み、美咲に肉薄する。そして腕を伸ばすと同時に身体が銅色の光に包まれ、魔法少女へと変身を遂げ――
「――!?」
その瞬間。変身のため、光が身体を包んだほんの一瞬。視界が開けた時、目の前が黒く染まっていた。伸ばした腕は黒に突っ込む形となったが、しかしお陰でその正体を看破した。
(肌触り良い……? 柔らかな、服……大きい……コート……!?)
魔法少女は固有の魔法と別に、あるいはその延長として武器や装備を創り出すことが出来る人も居る。先ほどまでは影も形も無かったことを考えれば、即ちこれは美咲の持つ――
「――ッ!!」
美咲は愛華の変身に合わせ、出現させたコートを互いを遮るように投げていた。今まで着たままだったコートは、例えば小夏で言うところの大剣のように扱える、自分にとっての『武器』であると知ったのだ。
(ここまでは良し……!)
柔道を使うという情報は紗夜から聞いていた。であれば打撃よりは投げを選びたがるだろうし、少しでも掴みやすいと思わせられるように距離も詰めた。そして掴む余裕がない服を着ている自分に対してなら、まずは両手で無理やり掴みに来るだろうと予想していた。
結果はその通りである。コートによって両手を絡め取られた愛華は、強く引っ張られたことでつんのめる。それを待ち受けるのは膝。
「――ぶぐっ――」
美咲の膝が顔面に叩きつけられ、切れた口内から溢れた血が唇の隙間から噴き出した。それと同時に美咲はコートから手を放すことで、膝蹴りの勢いのまま頭が持ち上がる。愛華に対して身長で劣る美咲にとって、やや屈んでいることで下がっている現在の頭の高さは、打撃を叩き込むのに絶好の位置であった。
(私にはパワーが無い……だから攻撃は一撃で終わらせず、必ず次へと繋ぐ……!)
若葉に教わった言葉を脳内で復唱し、拳を握る。狙うのは連打。しかし、技術など持たない美咲に華麗な連撃は不可能。それ故に泥臭く、卑怯にすら見えようとも『実』を取る。
痛みで怯んでいる愛華に対して出すのは大振りの右フック。その狙いは頬や顎ではなく、耳であった。
「――づうっ!!」
愛華の顔が更に苦痛で歪むが、止めない。連打。連撃。次へと繋ぐのだ。
フックは振り抜かず、耳をしっかりと掴む。そのまま下に引くことで体勢を戻させない。痛みによる反射で自由を与えない。そうして絶好の位置に在り続ける顔面を、フリーのままである左腕で殴りつける。
頬骨に拳骨がめり込む。愛華はコートから引き抜いた両腕でガードを試みるが、美咲は耳で体勢をコントロールしつつその隙間から拳を叩き込んでいた。顔が狙えないならうなじに鉄槌を振り下ろし、亀になるように防御されれば頭頂部へと肘を叩き付ける。しかしそれでも決定打とならないことに、美咲は自身がナイフを持たない場合の弱さを痛感していた。
(もたもたしてはいられない……。魔法の正体が分からない以上、使われる前に攻め切るのが吉……!)
美咲の持つ打撃の中で特に威力のあるものは膝蹴り。早々に意識を、あるいは戦意を断ち切るべく、膝蹴りを狙うためまた耳をぐいと引っ張る。その際に放った左拳はガードされることなく、愛華のこめかみへと深く突き刺さった。
「……ったく……急ぎ過ぎだ」
美咲はそれを吉兆だと判断した。次の膝蹴りが確実に決まると。しかし、観戦しつつ呟いた若葉の表情は苦い。
膝蹴りは美咲の予想通りに抵抗なく叩き込めた。だが。
「な――」
蹴り脚を戻せない。右腕で脚を絡めとられていたからだ。それを外させるため耳を引っ張ろうとするも、愛華はそれより素早かった。美咲が驚いた一瞬の隙を突いて、耳を掴む右手の親指を取りにゆく。
(――指を折られる!)
寸前、美咲は手を放す。お陰で指を取られるのは免れたが、しかしそれは同時に、耳を掴んでのコントロールという大きなアドバンテージを失ったということ。
状況は常に動いている。無論、有利不利も。愛華は美咲のもう片足の膝裏を折るように抱え込み、地面に引きずり倒す。さながらレスリングのタックルといった形でのテイクダウン。この瞬間、有利側は愛華となった。倒しさえすれば勝てる可能性は大きく高まるからだ。
(良し――)
愛華は心中でガッツポーズを取った。相当殴られたが、まだ余力は残っている。勝てる。しかし、また次の瞬間。
「――っ!?」
愛華が体勢を戻すより速く。前傾していた頭の位置が戻るより速く、美咲の腕が首に巻き付いていた。美咲の腋に抱えられるように頭が固定され、細腕は首を締め上げる。フロントチョークと呼ばれる形の締めだった。状況は常に動いているのだ。この瞬間、有利側は美咲となった。
「……か……が、ぁ……っ……!」
「終わりです、これで……!!」
愛華はここから抜け出す方法を必死に探った。テイクダウンしてしまったせいで地面が邪魔して両脚は使えず、両腕は動かせるものの大きく振りかぶることもできない。ならばと再度指を狙うものの、そうさせないためにしっかりと握り込まれていた。
酸素が足りず、頭が働かない。もがく。無理やり腕を引き剥がそうとするが、叶わない。それでも必死にもがく。
(――……殺……され……や……だ……死――)
やがて銅色の光が瞬き、解けて消える。愛華の服が制服へと戻り、完全に落ちているのを確認すると、美咲はすぐさま立ち上がり若葉の方へ駆け寄る。
「若葉さんっ」
その顔は戦っている時のべったりと張り付いた無表情ではなく、小さな花のような可愛らしさを帯びたものであった。まるで得物を飼い主に自慢する猫のように。
「……あの膝蹴りは早計だったが……まぁ上手くリカバー出来たじゃねぇか。三人とも殺してねーし。よくやったな、美咲」
「……はい!」
若葉はズボンに突っ込んでいた手を取り出すと、ポンと美咲の頭に置く。その顔は伏せられており、若葉からは見えなかったが、髪の隙間から覗く耳はやや朱に染まっていた。
「んじゃ美咲、朝飯食ってから呼ぶか」
「へ……? い、良いんですか? ゆっくりしちゃっても」
「ああ。さっきお前が二人と戦ってる間、街中の方に魔法少女が居ねぇのは確認した。ここには『箱庭』もねぇし……それに、飯食うぐらいの時間はあるしな」
「……ありがとうございます」
「おう」
美咲は頭に置かれた若葉の手に両手を添える。すると白色の光がゆるりと解け、美咲の髪が白から黒へと、そして服装も装束からただのトレーナーとスカートに戻った。変身を解いた。解けたのだ。
「やっぱり、若葉さんが傍に居てくれると変身が解けるみたいです。……前は何をやっても駄目だったのに」
「ほんとにな。なんでいきなり解けるようになったんだか知らねぇけどよ、とにかく良かったじゃねーか」
「……はい」
気絶した三人を申し訳程度に道の端に寄せると、二人は並んで歩き出す。二十センチほどの身長差があるにも関わらず、その歩調はしっかりと合っていた。美咲はいつも通りに歩きつつ、そんな若葉の優しさを噛みしめる。
「しかしよ。美咲もそうやってると普通の子供みてーだな」
美咲はキョトンとした顔で隣を見上げた。
「と、言いますと?」
「いやなに。戦ってる時ってか、変身してる時のお前は基本的に顔が怖ぇんだよ。悪い意味で実年齢より上に見えるんだよな」
「……それなら若葉さんはいつも怖いじゃないですか」
「ほほーん? 言ってくれるじゃねぇか、こいつ!」
わしゃわしゃと撫でられ、ぼさぼさになった髪の下で美咲は笑う。その笑顔は、かつて姉の優香と共にあった時のそれに似ていた。
「あ、若葉さん! あそこで食べたいです!」
「ん? 牛丼か。なんだお前、そんなんで良いのか?」
「はい。……というか、この時間だとまだろくに開店してませんし」
「まーそれもそうだな」
美咲の足取りは軽い。小走りで店に入り、席に着くなり脚をのんびりと伸ばすほどに。変身が解けているのも相まって、戦っている時との落差に若葉は思わず笑いを溢した。
「……おお、ここの注文ってタブレットになってるんだな。いつの間にこんなハイテクになりやがったんだよ」
「えー、結構前からですよ。ね、若葉さんはどれ食べます? この辛ねぎとか期間限定メニューですって」
「アタシは辛いの食えねぇんだよ。普通の牛丼で良いわ。特盛な」
「はーい」
注文を確定し、二人はそれぞれ店員の持ってきた水に口をつける。
「美咲は何頼んだんだ?」
「私は朝限定の定食です。この鮭のやつ」
「うわ、なんか渋い好みしてんのな。中学生っつったらチーズとかのが好きなんじゃねぇのか?」
「あ、いえ……確かにそういうのも好きなんですけど……。小鉢でついてくる卵焼きが食べたくなっちゃって」
美咲は笑顔で居つつも、そこにやや陰がかかる。その脳裏に浮かんでいたのは大好きな人の顔。
「得意料理だったんです。その……お姉ちゃんの……」
「……そうか」
若葉はコップの水を飲み干す。心にかかった靄を取り払うかのように、一気に。未だ渇いた口で、ただ注文が届くのを待っていた。




