魔法少女の祈りごと⑥
全てが深紅に染まった、隔離された世界。未だ辛うじて紫色の光を保つ小夏の身体には、幾本もの触手や蛇の身体のような――あるいは指のような霧が巻き付き、締め付けていた。
「小夏おねーさん……芋っぽいと思ってたけどさ、よく見るとめっちゃ素材良いじゃん! しっかりお化粧したらぜっっっっったいに可愛いって! もったいないなーもー!!」
紗夜は小夏の髪を弄りつつ狂喜している。だがしかし、それに対して小夏は何もしない。何も出来ない。何をする猶予も与えられていない。
小夏は『霧の腕』がリストに載っている理由を身をもって味わっていた。大剣を振るおうにも、まず霧の指を避けなければならない。幸いにもドームの壁から伸びてくることはなかったが、しかし紗夜の気分次第でその肩口から五本だろうと十本だろうと無尽蔵に迫ってきた。
魔力の奔流を放つ機会も訪れたが、それは小夏に届くまでに立ち込める霧によって阻まれ、相殺されてしまう。霧の制御には姿勢など関係なく、魔力で一時的に相殺したところでまた湧き出すだけだった。
(――時間を……稼げ……若葉さんのために……あの子の為に……!)
そう自身を奮い立たせたが、それすらまともに叶わなかった。大見得を切ったくせ、早々に押し切られ拘束されてしまった。
(『霧の腕』……虚道紗夜……こいつ、魔法少女の域じゃない……っ! 魔物……それもあたしですら戦ったこともないようなヤバいやつ……! こいつがその気なら一瞬で……あたしは……っ)
小夏は死を覚悟したが、しかし若葉の言う通り――紗夜は遊ぶ。歪な形であれ時間稼ぎは出来ていたと言えるだろう。
「絶対変身解けたら黒髪でしょ? 髪染めたりしないの? ポニテはそのままにするとしても、インナーカラーだけでめっちゃ可愛くなると思うんだけどなぁ……」
「そう? 嬉しいこと言ってくれるじゃない……。それなら高校デビューの暁には髪型も雰囲気も一新してやろうかしら」
「うんうん、絶対良いと思うな! アイラインはっきりめに描いてさ、格好良い感じはどうかなぁ? ……若葉おねーさんみたいな……うへへ……小夏おねーさんもかわいいな……」
紗夜の瞳が輝き、締め付けが増す。骨が軋む。大剣を創り出してどうにかしようにも、宙に固定されているせいで媒体となる物体に触れられない。
「ぐぅっ……! あ、あんたさ……虚道紗夜……」
「ん、なぁに?」
「あんたはさ、なんでこんなこと……やってるのよ……? キッカケとかそういうの、結構気になるタイプでさ……あたし……」
「んー……そうだねぇ」
ギシギシと骨が悲鳴を上げ、そして右腕が耐えきれずにへし折れる。
(――んぐぅ――っ!!!)
顔を顰めながらも激痛と叫びを何とか噛み殺し、耐える。今まで辛うじて浮かべていた気丈な笑みが消える。その様子に気をよくしたのか、紗夜は一層笑顔を増して白く可愛らしい八重歯を覗かせた。
「僕ね、いつから魔法少女だったか覚えてないんだ! なんなら親の顔も覚えてないや」
「な……っ……?」
魔法少女への扉は心の痛みによって開かれる。その瞬間を覚えていないなど、普通はありえない。
「でもね、記憶があるその瞬間からやりたいことは分かってたの。笑って、戦って、殺して、可愛い人といっぱい気持ちいいことして、それで楽しむ! ずーっとそれだけしてたくて、ずーっとそれだけしてきたんだ!!」
「な、なるほど……なかなかお気楽で楽しそうじゃない……!」
「でしょー! 小夏おねーさんも一緒に来る? それならイメチェンのお手伝いもできるし!」
「……そ、それは嬉しいお誘いだけど……生憎、仲間ならもう居るのよ……! だから……お断りね……」
「そっかー。残念だなぁ」
紗夜は小夏の後ろ髪をくるくる編み込みつつ、またしても霧の拘束を強める。表情は伺えずとも、気配のような……殺気のようなものが明確に増していた。小夏は恐怖する。今度は左腕か、右脚か、左脚か、それとも肋か。
「――ぐぅっ……! そ、そういや、あんた……!」
「ん? なぁに?」
「なんでさ、若葉さんに……執着するのよ……?」
「あっ! それ聞きたいの!? おねーさん分かってるじゃーん!!」
ぱあっと露骨に声が明るくなり、僅かに拘束が緩んだことで大きく息を吸う隙が生まれた。切り札として取っておいた話題ではあるが、これで放っておいても勝手に話が続くだろうと小夏はやや安堵する。
「それね、海よりもふかーい理由があるの! なんだと思う?」
「げほっ、あー……そうね……。命を救われた、とかはあんたにとっては理由にならないわよね? 何かしら……浮かばないわね……」
「えー想像力ないなー。正解はねぇ――」
くるくるとまるで踊るように沙夜が小夏の前に歩み出し、そしてにっこりと微笑む。その笑顔に限っては邪悪など微塵も感じられず、年相応の可愛らしいものであった。しかし。
「――顔でしたっ!! えへへ!」
「が、ひぐぅっ!!?」
「海よりも深い理由だって言ってたのに」とか、そんなことを思う暇も無く小夏の左腕がへし折れる。
「え、小夏おねーさん声かーわいいー!! でも、そのくらいならやっぱり若葉おねーさんの方が好きだなぁ。普段は格好良い人が追い詰められた時の顔とか、叫び声とかさ……ギャップ萌えじゃん? それがどうしても見たくてさー」
「……かはっ……はっ……あぐ……ぐ、ギャップ萌えは分かる、けど……泣き顔よりも照れたり、嬉しそうに笑う顔のほうが良いんじゃないの……?」
「むー! それも魅力的だけど、でも僕は泣き顔の方が好きなのー! 多様性ってやつだよ!」
「な、なんかズレてるし……それに、あんたみたいなやつに適用される言葉じゃないわよ……それは……」
「そーかな? ま、どうでも良いよ! とにかく今は向こうが終わるまで……いっぱい楽しもっか。ね?」
紗夜が言うと、肩口からもう一筋の霧が伸びる。それは四肢を縛るものとは違い、パワーや耐久性よりも動作性を重視して魔力を編み込んで作られているような……。その指が顔に触れ、頬をなぞり、細首を撫で――そして血の滲んだ唇へと添えられた。
「……美咲ちゃんはきっとやられちゃうだろうけどさ、時間は稼いでくれるだろうし。可哀想だけど……僕はその間にギア上げといて、その後に今日こそ若葉おねーさんを……えへへ……」
紗夜の笑みがより濃く狂気を孕む。
「小夏おねーさん……今からさ、口にこれ突っ込んで喉も内臓もぜーんぶぐちゃぐちゃにするね! ほんとは下の口に突っ込みたかったんだけど、そっちは若葉おねーさんに取っときたいから」
「――ぐ――っ!」
小夏は必死に唇を結び、霧の侵入を防ぐ。幸いにも紗夜はその反応すら楽しんでいるようで、無理にねじ込んでくることは無――
「――えいっ」
ぐしゃり。三度目のその音とともに、小夏の右脚が小枝のようにへし折られた。そして、苦痛に歪んだ顔へ、その口へと霧が捩じ込まれる。
「……がぁ、おご……っ! んぅ……ぅぇ――っ!!」
「あー涎ダラダラにしちゃって、もー! まだまだ喉のところだよ? 先は長いんだから、怖がらないで。力抜いて……ね?」
言葉にならない。言葉が出ない。押し込められた霧によって嗚咽すら封じられ、噛み千切ることも、舌で押し返すことも許されない。ただ剥いた目いっぱいに涙を浮かべ、祈ることしか出来ない。
(――わか――ば、さん……っ!!)
紗夜が何かを呟き、食道が押し拡げられる感覚が強まる。顎が千切れるほど軋む。意識が途切れる。死ぬ。そう小夏が直感したとき、祈りが届いたか――
「――ッオラァ!!!」
深紅の壁の一部が吹き飛び、紅一色の世界に夜の闇が入り込む。薄緑色に輝く拳を突き出し、そこに立つのは無論――
「――すまん、待たせちまった!」
「あーっ! 若葉おねーさん!! ほんっとに待ったよー!!!」
「テメーじゃねぇよ!」
紗夜の意識が若葉に寄せられる。その瞬間、紅の世界へと白く輝く何か――ナイフが投げ込まれ、小夏の口へ捩じ込まれていた霧を切断、消滅せしめた。
「え、あっ……美咲……ちゃん……」
「……虚道さん」
若葉の陰から現れた美咲は、紗夜と悲しみとも怒りともつかぬ表情を見合わせる。だが、そんな暇は無いと知る若葉は霧の中に飛び込むと、小夏を拘束するそれら全てを瞬時に引き千切って満身創痍の彼女を抱え上げた。
「――逃げるぞ、美咲!!」
「……はい!」
二人と担がれた一人は嵐のように立ち去る。が、紗夜はその背を追わない。速度の出る攻撃ではないものの、霧の腕を伸ばして阻止しようと試みることもしない。
「……そっかぁ……そっちか……。戻っちゃったんだ。……短かったなぁ」
ドームは消え失せ、フリルに覆われた肩口へ吸い込まれる。深紅の輝きを解いた少女は、新月のような表情を携え、暗がりへと消えていった。
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「……あの……すいませんでした」
小夏を担いだまま建物の上を跳び継ぎ駆ける中、後ろについていた美咲が口を開く。
「ただ謝れば良いことではありませんが……その、私のせいで……お二人とも……」
「何を辛気臭いこと言ってるのよ」
まず応えたのは小夏。満身創痍ではあるが、美咲の持っていた『幸福の譲与』のお陰で痛みは薄れ、意識もハッキリと保っていた。
「ま、とりあえずもう気にすることはねぇさ。アタシらを匿ってくれるところの手筈もつけてあるし……心配要らねぇよ」
「そうそう。だから、そんなつまんない謝罪なんかより……もっと言って欲しいことがあるわねぇ?」
「――ありがとうございます。若葉さん、木枯さん」
美咲は白い輝きと共に感謝の言葉を告げた。心に空いていた穴に、あたたかいものが流れ込むのを感じながら。
「あら、あたしのことも名前で呼んでくれて良いんだけど? というかそっちで呼んで欲しいわ。……ね、美咲ちゃん」
「……は、はい……! 小夏さん……!」
「はっははは!! なんか聞いてるこっちがむず痒くなる会話だな、それ!」
三者三様の、しかし同じ意味を持った笑いが、同じものを見る笑顔が零れる。小さなこの空間いっぱいに溢れる。
名を持たぬ白き魔法少女は、喪った多くのものと引き換えに――かけ替えのない仲間を得た。




