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彼女の頭の中にある寓話 9

 

 


 ***本作のエンディングはいささか暗いものです。その旨、留意していただくか、日を改め心が元気な時にお読みくださいな***



 今や鬼の内臓と信念とを腕に込める樵は、火を噴く勢いでフルスイグし続けました。まるで木製の崖へ疲れを知らずに喰らわす、しかも正確な角度で食い込むちょっとした歴史ある斧は、息の長い残響を森の隅々まで届けました。きっと雲の上にだって響いていました。

 画策した嫉妬深い古木は、どんなに耳を塞いでも聞こえてくる密約の履行に今更震えあがりました。誰よりも上手に嘘をつく若い木は、首謀者の古木へ新たな恐怖を禁じ得ません。その他の樹々もこれまでのターゲットがこと切れる事態を感知すると、地中の根の先まで恐れながら興奮しました。内に宿る原始的な精霊それは「愛」。彼らも幹の中で同じように事態を見守り、あるいはパニックになり、恐れと興奮の混じる霧のような「アン・ファンタジー」を吐き続けました。

 「アン・ファンタジー」にすっぽり包まれた森には、死んだ地下水に似る臭いの霧雨が発生しました。苔と下草はこれまでに成したことのない色に変色しそうですし、花は無言で枯れ、ようやく鳥になり始めていた鳥は一時飛べなくなり、獣は咽喉が潰れてしまい今後は吠えることしか出来なくなってしまうことでしょう。虫は恐れる器官なのか、持っていたのかもしれない感情だったのかを失いました。土と岩はこれから流れる永い時間に、今すぐ疲れてしまいました。


 こいつの息子に角だけでも持ち帰ってやった方がいいのだろうか? 

 樵はそんなことを考えながら、次の一撃の用意をしました。右利きの彼はグリップの一番下になる左の小指と薬指に「鬼」の力を込め、右手に関してはほぼ添えるだけです。千人でも二千人でも子孫を残せる気にもなる、今や岩のような腰骨を、普段ならそこまで曲げてはいけないはずの角度まで捻り、割れてしまうことを留意しなければならない程度に奥歯を噛みしめました。崖の奥へ奥へとグングンめり込む斧に身体ごと持っていかれる驚異にも慣れてきました。ただ一撃ごとの爽快は残っています。

 それにしても、実際、風ってモンも真っ二つに切れちまうんだな・・・・・・痩せた胸に穴を開けて横たわる鬼の角の扱いをどうするか決める前に、樵は斧と斧の歴史と共に握り潰されてしまいました。


 最後の風が二つに裂かれだした途中で、ようやく「愛」を掴み出した「影」にお礼と別れを言いそびれた後悔を、光の速さで忘れた巨木は無駄な根を自ら引きちぎりました。当然、初めは全く歩くことは出来ませんでした。


 そんなわけで、森の全ての木々が千年二千年単位の気絶をしているとき、全ての「愛」が「精霊」への進化を始めていて、土にようやく土の匂いが戻ってきたとき巨木は自由に歩けるようになりました。

 本当の自由とは何なのか? 転がっているとき、いつも考えていた答えはすっかり必要なくなり、むしろ、どうして俺には「影」がないのか? その不思議は今後生涯に渡り忘れませんでした。



 河原の「虫」は今も一人でおかっぱが戻ってくることを信じて待っていました。季節はとっくに夏が終わり、秋もどんどんと深まり、落ち込む気分次第では冬の気配だって探せば見つけられたかもしれません。河原の小石の上で待つ「夏の虫」にはいささか厳しい状況でした。でも「虫」には信じて待つことしか出来ません。

 余りに孤独な気持ちになるとき、それはときどきなのですが「花」に場所を伝えてこなかったことを後悔したりもしました。



 「影」は幽霊に別れを告げました。

 「お前ならまたどこかで立派な愛に戻れるはずさ」

 「ねぇ、あのとき私を連れ出してくれたこと、今では本当に感謝してるわ」

 「世界には迷惑だったろうがな」

 「いつか必ずあなたに会いにいくから。大きな樹だから目立つだろうし」

 「待ってるよ。そのとき今みたいに、こうして通じ合って何かを、何でもいいから語り合えたらいいと思うよ」

 「大丈夫。心配しないで。幹に触れるだけかもしれないけれど、それはあなたに触れているのよ。約束するわ」

 「地面を踏んづけてくれたらそれでいいよ」

 「分かったそうする。会いに行ったとき私は誰かの足であなたを踏むから、私を忘れないでね」

 「虫野郎によろしく頼んだぞ。一二週間もすれば俺があいつの影に戻って、どこか適当なところで根を張らしてやる。確かに俺を探していたのかもしれないな。お前かもしれないけど・・・・・・」

 「私は一緒に戻れないの?」

 「話し合って納得したんじゃなかったっけ?」

 「言いたかっただけよ」

 「いいか、必ず人間に宿れよ。あいつらが一番の問題だ。お前を必要としているんだよたぶん間違いない」

 「分かってる」

 「愛」から剥がれた「影」は小さな「愛」を抱きしめました。「愛」は「巨木」から離れたときとは違う喪失感に襲われたのですが、気丈に振舞いました。

 「あんまり長く包まれていると私があなたの影になっちゃうよ。元気でね」

 「お前こそ元気でやれよ」

 「影」は真っ黒な腕の中から「愛」を手離しました・・・・・・


 「愛」はもう二度と誰かと共にいることはありませんでした・・・・・・なぜなら人間には自分とは違った「愛」が実はすでに宿っていたのです。彼らの内にある「憎悪」に思えていた歪なそれは、実際彼らの「愛」でもあることを知ったのでした。なるほど奴らも色々と、まぁ苦労するわけだ・・・・・・「影」と別れた「愛」はすこし笑ってしまいました。

 このとき本物の幽霊は、影のない本物の幽霊になったのです。ただ、行き場を失った「愛」のその後の行方は誰にも分かりません。「愛」は「虫」の待つ河原にも戻らなかったのです。  


 どうしてでしょう?

 たとえばあなたなら戻れましたか?



 「夏の終わり」というどこかの空間に横たわっていた乱暴者の巨木は、呼びかけられた声に片目を空けました。

 「あぁ、お前さんだね。えらく小さいけど間違いない」

 巨木は起き上がりかけましたが「影」はそのままでいい、と言いました。

 「愛のことは覚えているか?」

 「忘れるものか」巨木は頷きました。

 「そうだったんだ。勘違いしていたよ」

 「そんなこと大した問題じゃない」

 「連れてきてやれば良かったろうか?」

 「俺と死にきたんだろ? 何のためなのか誰のためなのか分からんが」

 「俺は死なない。光とお前の身体がある限り俺は生きている。朽ちて土になったら死ぬ」

 「気の遠くなる話だ」

 「誰のためでもないし、目的は一つだけさ」

 「愛のためだろ?」

 二人は初めて笑いました。

 「歩き回る気分はどうだった?」

 「お前がもっと早く戻ってきたら、もっと最高だったろうな」二人は再び笑いました・・・・・・

 「お前に戻って根を生やすぞ、いいな?」

 「根を生やして腐らせるんだろ?」

 「・・・・・・」

 「自由過ぎて、ほとほと疲れたから好きしてくれ」

 巨木は横たわる自身の幹の上に小さな影を乗せて目を閉じました。

 「なぁ、俺の愛は美人だったか?」

 「もちろんだ。気が強いくせに女々しい、可愛い美人さんだった。でも、あいつはお前だけの愛じゃないぜ、俺たちの愛だ。勘違いしないでくれよ」

 「お前も俺の愛なのかもな」

 「・・・・・・」

 影は「お前」も「俺」だったのかもしれない、と初めて気が付きました・・・・・・



 影を失くしたおかっぱから放っておかれた河原の「虫」は本格的な冬を待たずにその場で倒れてしまいました。春になって誰かが見つけてくれたらいいのですが、平和になった世界ではきっと誰にも発見されることはないでしょう。やがて「花」も枯れ、もっともっと多くの誰からも忘れられてしまうのでしょうから・・・・・・



                                        おわり。




 本作に出てくる「馬笹村のひまわり」と「サンソンくん sunflower/typoon No7 編」で8月3日の早朝に枯れた「ひまわり」は同一単体の花です。

 もともと「8月4日に出会った彼女」と「彼女の頭の中にある寓話」と「サンソンくん sunflower」は一つの作品として構想し書き始めました。しかし二週間もせず、構成的にも技術的にも、こりゃあ無理だ、と頓挫してしまいそれで「本作」と「サンソンくん」とに分割することにしました。

 とは言え「馬笹村のひまわり」はどちらの作品にとっても欠かせないエピソードでしたので、いくらか切り口を違えどちらにも登場させました。

 なぜあのように咲くのか? なぜ今年はすぐに枯れてしまったのか? それらの理由はぼく自身にも分かりません。ただ本作の「彼女」とサンソンくんの「8月3日の朝の当番」は同じように誰かが誰かを待っていた、と言いますし「当番」の方は、誰かと誰かを見た、とも証言します。つまりそれがぼくなりの仮説です。


 「どこかで誰かが誰かを待っている」全く意図していなかったのですが、書き終わってみると本作のテーマはこのことだったのかもしれません。






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