幕間『彼女の声が麗しい理由』
充が、異世界のことについて、ミヤという女性について。
また1つ、彼の世界観を揺るがす新事実を知ったのは――。
これまで、突発的なミヤの召喚に始まり、勢いのみで過ごしてきた異世界。
細かいことを考えている余裕もなかった、自分の知る常識の外にある世界。
少しはそれに慣れてきたと充が感じはじめたころ。
そうした心のゆとりが生んだ、異世界をもっと本格的に知りたいと思う気持ち。
それが形となって発露した、異世界文化の勉強会の最中であった。
* * *
この日、ミヤの書斎には普段見慣れぬホワイトボードが置かれていた。
定位置のソファに座った充は、ボードを眺めながら、お茶を啜ってくつろぎ。
ボードには、ミヤの手により、次々と達筆な筆文字が踊っていく。
書架総延長……日本列島をひとまわりする程度。
蔵書数……およそ10億品目。
主要設備……天文台、宇宙船の港、工廠、魔力塔(跡地)。
それは、ミヤとエンシェの家である“古代図書館”についてであったり。
“水の国”の荒廃……50年以上前から傾向あり。40年ほど前から深刻化。
“災いの竜”起動……30年以上前に再起動。暫く全国土を荒らす。
“災いの竜”討伐……“災いの竜”起動から数年後。
“魔王”討伐……さらに数年後、国土荒廃の原因、“魔王”が打倒される。
異世界の近代史であったり。
“水鏡の迷宮”……牧場型、呼吸タイプ、唯一の第1種迷宮。
“扉の迷宮”……駆動機型、取引タイプ、第2種迷宮。
“火の迷宮”……駆動機型、宝箱タイプ、第2種迷宮。
“星空の迷宮”……駆動機型、宝箱タイプ、第2種迷宮。
“人形の迷宮”……駆動機型、取引タイプ、第4種迷宮。
“帰らずの迷宮”……複合型、生贄タイプ、第9種迷宮。
“星を穿つ迷宮”……複合型、多層構造、主に宝箱タイプ、第10種迷宮。
迷宮の情報であったり。
そこには様々なデータが、綺麗に列記されていく。
「はい! まずは全体的に感覚を掴んでもらうために、ふわっとした概要ですが、充さんが“水の国”で生活している最中、よく周囲で話題になっていたことに関する情報と、あとこの図書館の情報ですね」
文字を書き終えたミヤが、そう言って充を振り返り、
「そろそろ先程までのおさらいとして、一問一答をはじめたいと思いますが、充さんの準備はよろしいですか?」
笑顔で確認を取る。
それに対して充も、ティーカップを置くと、力強く頷き。
「いいよ。いつでもどうぞ!」
そう答えて、自信に満ちた笑顔を見せる。
そうしてはじまる、2人の楽しげな問答。
その声は、ミヤの書斎に響き渡り、部屋を暖かな雰囲気で包む。
今日は、充の依頼による、ミヤを講師に据えた異世界文化勉強会の日であった。
「充さん、それでは“水の国”における迷宮とはなんでしょう?」
きりりと凛々しい表情で、ミヤが質問を投げかける。
模範的学生よろしく、充は一声「はい」と返事をして視線を上空に泳がせた。
「1000年以上前に滅んだ“古代の民”が築いた遺跡の内、魔法によって遺跡のなかが外界から切り離され、特別な空間になっているものの総称です。現在の“水の国”に住む人々は、その魔法の力による恩恵を受けるため、迷宮のそばに町を作り、そこで文明を発展させてきました。そのため、歴史の揺り籠とも呼べる存在です」
充の回答を聞き、ミヤは相好を崩して嬉しそうに頷いている。
凛々しい表情は短時間しか保たないのだな、と。
自分まで笑いそうになるのをこらえながら、充はさらに言葉を重ねる。
「迷宮の様式は200年から300年ごとに大きく様変わりしていて、建造された時代によって第1種、第2種などと区分され、直近の、1200年ほど前の迷宮が第1種となり、時代を遡るごとに数字が増えていきます。また、古い時代のものほど凶悪な魔物が潜んでいたりなどして、冒険者にとって踏破が困難な、危険な迷宮である傾向にあります。現在“水の国”で発見されている稼動状態の迷宮で最も古いものは第10種迷宮です」
そしてここ“古代図書館”がラストダンジョンですね、と充は付け足した。
「今の説明のなかにあった『魔物』とは、どういった生物を指すでしょうか?」
「“古代の民”が“石の国”から持ち込み、迷宮内で飼育していた生物たちの総称が『魔物』です。魔力器官が未発達な“水の国”の生物を優先的に襲うように品種改良された生物で、極めて獰猛な性格をしています。元々は縄張り意識が非常に強く、迷宮の外に出る魔物はいませんでしたが、近年では、魔力切れとなった迷宮から脱走した魔物が野生化し、町を襲うなどの被害も発生しています」
ミヤは、さらに質問を続け。
充も、次々と投げられる質問に、朗々と答えていく。
「では、それら“水の国”の常識を作っている意思決定機関、あるいは人々の生活の礎ともいうべき“水の国”の運営形態をお答えください」
「“水の国”は約200の主要な町と、その10倍ほどの小さな町の集合体です。基本的に、各町は擁する迷宮からの収益を元に独立自治しています。ただし、有事の際の各町の平和維持などを円滑化するため、3つの『常任町』と4年任期で持ちまわり制の『非常任町』4つ、あわせて7つの町による中枢機関が設けられており、複数の町をあげての大事業が必要な場合や、町同士のいさかいが起きた場合などは、この中枢機関が町と町のあいだを取り持つ仕組みとなっています。普段の町同士の連絡は各町代表の“念話魔法”の使い手が『通信手』として執りおこない、交易は町々を旅する『冒険者』が担っています」
「“水の国”は星の名前でもありますが、町の集合体としての“水の国”の規模は、星としての“水の国”と比べてどの程度のものでしょうか?」
「星としての“水の国”は大部分が過酷な環境のため、およそ9割は人跡未踏の地となっています。国としての“水の国”が把握できている領域は、星全体の10分の1程度しかありません」
充が、すべての質問に答え終えると。
さすが充さん、とミヤが胸の前で小さく拍手をしてみせた。
手放しに褒められるとなんともくすぐったい。
充はそれに、照れ笑いを返した。
「これならティーチング・アシスタントも問題なさそうですね」
「やれるだけはやるよ」
このたびの突発的勉強会。
きっかけは、充のアルバイトの下準備であった。
ミヤが不定期に臨時講師をしているという冒険者学校。
その講義の手伝いを、充は引き受けたのだが。
ミヤの通訳により生徒との意思疎通は可能になるという。
だが、それでもその世界の常識は知っておかねば困ることも多かろう。
それに、改めて異世界のことをよく知っておきたい気持ちもある。
持ち前の律儀さを発揮し、そう言い出した充により設けられたこの時間。
各町で働くだけでは得られない知識を、充は喜々として学んでいた。
異世界の歴史、国の制度、迷宮について――。
そうした話を経て、
「後は……そうですね、“水の国”の人種についてをざっくりと覚えておけば、そうそう失言をしてしまうようなこともないと思います」
「人種かぁ……」
この日、最後の議題は、“水の国”に住む人々の人種についてであった。
その、講義のなかで。
ミヤが唐突に使った単語――「ドワーフ」と「エルフ」。
それが、充に新たな気付きをもたらしたのである。
その1つ目の単語は、順調に進められていた講義中。
ミヤの口から、唐突に発せられた。
「まずは“丘の民”ですが、これはもう充さんが『人』と聞いて最初にイメージするものと思ってもらえれば。“古代の民”の血を引く人もちらほらいます」
「“丘の民”ね」
「続いて、“山の民”は切り立った断崖や急峻な山々を生活の場とする種族で、崖に穴を掘って住居としたり、強い風や寒風の影響を抑えられるよう、背は低く、代わりに体格はがっしりと頑丈で、鼻は大きく、体毛は濃く……充さんに伝わりやすいようたとえると、『ドワーフ』ですね」
「んん!? ドワーフ!?」
それまで、異世界の独自文化を話題にしてきたというのに。
突如、飛び出したドワーフという単語。
「身も蓋もない呼称! いや、確かに伝わるけど!」
聞き慣れた響きに、充はこらえきれず笑い出した。
ミヤは、良い名称に翻訳できたと満足気な表情である。
「本当に、この世界ってゲームに登場する舞台みたいだよね」
「そうかもしれませんねぇ」
軽口を交わし、お互いに笑い。
そこまでは、いつもの雑談と変わらぬ調子であった。
だが、ミヤが続けてもう1つの単語を口にしたとき――。
「“森の民”は森を生活の場所とする種族で、果実の採集や視界の悪い木々の間を縫って生きる環境に適応するよう、背は高く、細身で、耳と鼻が発達していて、だいたい色素の薄い肌や髪の色をしている人たちで……はい、『エルフ』ですね」
「――ちょっとミヤさん?」
一度ならず二度までも飛び出した、ファンタジー好きならば馴染み深い種族名。
ドワーフの時点では笑っていた充も、ここでさすがに待ったをかけた。
ドワーフに続けての、エルフという単語。
その単語の選出について。
そのとき、笑ってばかりだった充の頭に、疑問が浮かんだのだ。
なんでしょうか、と首を傾げるミヤを前に。
どう聞いたものか、と充はしばし悩み。
それから、浮かべていた疑問をどうにか言葉にした。
「ミヤさん――そういう言葉って、どうやって覚えたの?」
「そういう言葉、ですか?」
それは、今更すぎる疑問。
本来ならば、充が異世界を訪れた日に浮かべるべき疑問だった。
異世界などという尋常ではない状況に投げ出され。
はじめて会った相手が平然と日本語をしゃべっていたがために。
つい、考えそびれていた事柄。
思い返してみれば。
初対面でミヤがダンジョンデザイナーと名乗った時点で考えるべきだった。
「ダンジョン」と言って、充にとってお馴染みの、あのダンジョンを想像する。
それができるのは、そういった内容を扱う文化に――。
漫画やアニメ、コンピューター・ゲームに親しんできた人物だけのはずである。
だが、彼女は充に紹介されるまで、ゲームに触ったことはないと言っていた。
彼女は辞書を使って日本語を覚えたと言っていた。
ならば――。
「辞書を見て勉強してもわからなそうな言葉も、ミヤさんは結構知っているからさ。どうしてなんだろうかって」
「ダンジョン」「宝箱」「ボス」「ゴーレム」「ドワーフ」「エルフ」。
彼女がこれまで口にしてきた固有名詞の数々である。
だが、それらの呼称がスラスラと出てくるのは――。
彼女の来歴を想像すると、本来、妙な話であったのだ。
「横文字とか、辞書に載っていない単語とかのことでしょうか?」
充の疑問に対し。
ミヤは「僕はおかしなことを言ったのだろうか」といった困惑気味の表情で。
「ええと……僕はこれで知識を仕入れているんです」
年季物の機械を、棚から持ち出してきた。
差し出された疑問の答え。
それは、予想外に現実的な一品だった。
「……ラジオ?」
「はい。はじめて日本を訪れた際に貰ったもので、動力は簡単に再現できたので、ずっと使っているんです」
ミヤの手には、古風な見た目の乾電池式のラジオが握られていた。
「だからあの部屋はときどき不思議な匂いがしていたのかぁ」
「電波を拾うために小さく空間をつなげていたので、そこから僕の魔法の薫りがしていたんだと思います。ただ、最近は雑音が酷くなったので、今では充さんの部屋の外につなげる場所を変えたんですけれど……」
「それ、私が部屋に電子機器を持ち込んだせいだな」
ミヤから詳しい話を聞き終えた充は、すべてが腑に落ちた、と頷いた。
ミヤは、はじめて日本を訪れてから数十年。
現地で覚えた日本語と辞書を基盤としたうえで。
さらに、ラジオ放送を聞き続けることで日本語を学習していたのだという。
道理で彼女の日本語が流暢なわけである。
日本語を聞いてきた期間でいえば、充よりも先輩なのだ。
そして、彼女が好んで聞いてきたラジオの番組が肝であった。
いわゆる「アニメラジオ」を、彼女は頻繁に聞いていたのである。
なるほど、実際に魔法も魔物も存在する世界に生きる者としては。
そういった番組のほうが、内容的に親近感が湧くものなのかもしれない。
だが、ミヤはそういった番組で日本語を覚えたがために。
かつて充を異世界に招くきっかけとなる勘違いをしたのである。
剣や魔法の物語がよく語られるアニメラジオ。
それが日本のエンターテイメントを扱った番組だという情報は得られる。
だが、どこまでが実際の日本に存在する概念で、どこからがフィクションか。
そこが曖昧な状態のまま、彼女はラジオを聞き続けた。
結果として、日本には魔法使いが住んでいるのだろうと彼女は勘違いし。
充にとって運命のあの日、彼女は魔法使い宛のチラシを作ったのである。
「だからゲームをしないのにダンジョンの概要は知っていたのね。日本のファッションを知らないのに、妙にマニアックなことに詳しかったりする理由も納得した」
これまで深く気に止めていなかったが。
考えてみれば、彼女の少しずれた日本知識には思い当たる節がいくつもある。
充は、今更ながらにミヤの言動の数々に納得し――。
「そうか……」
そして、そうやってミヤの言動を思い起こすなかで。
これまでの情報から、充はもうひとつの新事実に気付いた。
「どうかしましたか?」
はじめてこの異世界を訪れたとき。
ここはなんとゲームのお約束が満載な世界なのだろう、と思ったものだった。
だが、事実は逆だったのだ。
この異世界の情報を充に伝える立場だったミヤが。
彼女なりに、異世界のことが日本人に伝わりやすいようにと。
ゲームの用語を的確に選んで翻訳してくれていたのだ。
だからこそ、自分は。
この世界の仕組みをゲームのような世界として把握したのだ――と。
彼女の翻訳能力の妙技に感じ入り。
充は、改めてミヤという人物の配慮に感心した。
そういえば、“水の国”の町名は妙に長く説明的だと思っていたが。
あれも、町名は元の意味を損なわないよう直訳調にしている、とか。
そういった理由があってのことなのだろう。
状況と聞く相手に合わせて、どれだけ細やかな配慮をしているのか。
普段はどこか抜けた言動も見られる彼女だが、やはり凄い人らしい。
「いや、ラジオを聴いてそこまでしゃべれるようになったって、凄いなって」
「そ、そうですか? ありがとうございます」
感心する充の心情を知ってか知らずか。
ミヤはそうですラジオといえば、と自分の喉元を指で示した。
「僕のこの『声』もラジオを参考にしたんですよ。『とても美人の声』って、番組で讃えられていた声を聞いて真似してみたんです」
「綺麗な声をしてると思ったらそういうこと!」
凄い、かと思えば、このようにどこか可愛らしい。
充は、ミヤからもたらされた追加情報に手を叩いた。
さらに、美人といえば――と。
充はまた、彼女の過去の言葉を思い出す。
彼女の人としての姿は、図書館に飾られた女性の胸像がモデルだというが。
そのとき、なぜその像をモデルにしたのかと充は彼女に尋ねた。
「これが世界で最も美しい女性の像だ」からだ、と。
図書館にかつて住んでいた学者見習いの少年がそう語ったのが理由だと。
人の姿になるなら美しいほうが良いと思ったからだと言っていた。
尺度や方向性は、人の範疇を超えているかもしれない。
だが、考えてみれば、彼女の言う、綺麗になりたいという思いは。
その行動原理は、女性ならば不思議ではないものに則っているのかもしれない。
充はそこまで考え――。
「……違う違う! どんどん話が脱線してる!」
そこで慌てて首を振った。
ちょっとした疑問から、思わぬ方向にまで話が広がってしまっていた。
ミヤの過去から、彼女の人となりについてまで思いを馳せていた充は。
そこでようやく、今日の本来の目的を思い出したのだ。
「あ……そうでした。今は“水の国”の話でしたね」
ミヤも、はっと口元を抑え、話の脱線に気付く。
ミヤと話をしていると、どうにも脱線話が多くなる。
前に長話をするミヤを制したこともあったが。
自分も偉そうなことは言えないな、と充は苦笑する。
「話を脱線させちゃってごめん。人種の話をしているところだったよね」
「はい。“山の民”と“森の民”まででしたね」
気を取り直した充は背筋を伸ばし。
ミヤもまたきりりと表情を引き締めた。
「それでは次に、“川の民”ですが――」
そして、ミヤの書斎に、再び彼女の艷やかで伸びのある声が響き渡る。
その心地良い声を聞きながら、充は。
ゲームのナレーションよろしく、小さく呟いたのであった。
「充は、“水の国”とミヤのことについて、少し、詳しくなった――」
* 彼女の声が麗しい理由 了 *
次回、第5章『救世の勇者の恋愛事情』に続く
※迷宮のタイプ……迷宮の魔力補給方法に主眼を置いた種別。迷宮外部から自発的に魔力を補給する呼吸タイプ、冒険者に特定の行動を強いる取引タイプ、宝箱で冒険者を誘き寄せる宝箱タイプ、迷宮内に冒険者を招かず外から魔力を帯びた物を捧げさせる生贄タイプなど。
※古代の民……“石の国”から6000年以上前に宇宙船で移民してきた人々のこと。“水の国”に迷宮を造った人々でもある。1000年以上前に滅んだとされるが、その血を僅かながらに引く者はまだ存在する。
※ラストダンジョン……“古代の民”が造った最も古い迷宮のこと。“石の国”はすでに“古代図書館とその周辺施設”のみを残して滅んでいるため、“古代図書館とその周辺施設”が最も古い迷宮となる。
※エルフ……日本語訳すると、およそ「妖精」のこと。約30年前から日本でブームとなった諸々の作品群のイメージが元になり、現在、日本では1つの種族名として扱われる場合が多い。30年以上前の神話辞典(ミヤが所有する辞典)に記載されるエルフの記述から現在の日本でイメージするエルフを想像するのは困難なため、充はミヤの発言に違和感を覚えた。
※アニメラジオ……アニメ(ゲーム等含む)の情報を紹介するラジオ番組。作品のキャストである声優がパーソナリティを務めることも多い。30年以上前から存在する。




