幕間『魔女の手習い料理』
そのよもぎ餅は、片手で持って食べるのに丁度良いサイズであった。
しっかりと練り込まれたよもぎにより鮮やかな緑色をしているその餅は、店頭で焼きたてを販売しているだけに、きつね色の焼き目がついて良い香りを漂わせている。
忍野八海といえば店頭で売られる団子や煎餅の歩き食い。
そしてこのよもぎをふんだんに使った草餅である。
「……いただきます!」
白い指先でよもぎ餅をつまんだ少女は、それをそっと小さな口へと運んだ。
指も口のなかも火傷の心配などない、竜の身体である。
焼きたて、出来たて、熱々の餅へためらいなく、もっちりと歯を立てた。
舌先で感じる、焼き目の香ばしさ。
歯を通して感じる、ねっとりもちもちの食感。
餅の切れ目からとろりと溢れ出す、上品に甘いこし餡。
最後にふわりと口中に広がる、よもぎの青く清々しい香り。
「……ぅ!」
声にならない感嘆をこぼし、少女は目を細めた。
そしてもぐもぐと爽やかな甘味を噛みつつ、少女は餅の断面を興味深く眺める。
緑色の餅のなかから、餡が零れそうになっている。
「あっ」
少女は餡が零れないよう、急いでその断面に吸いつく。
ちゅうっと餡を吸い、その甘さに頬を緩ませながら。
一安心したようにゆっくりと餅を齧っていく。
もちもち、もぐもぐと口元を動かす少女の姿。
それは、ヒマワリの種を齧るハムスターでも見ているようで。
同行していた保護者役の2人は、思わず笑みを溢していた。
「りゅーちゃん、よもぎ餅は気に入った?」
「はい!」
「良かったですね、主人。日本は美味しいものが沢山あるそうですから」
観光客の人混みの中、少女もまた、笑顔の花を咲かせていた。
* * *
「ミヤさん、なにやってるの?」
「――っ!? 充さん!? あ、あの、こんにちは!」
その日、異世界へとやってきた充が目にしたのは、実に奇妙な光景であった。
自分の寝室の押入れを開け、その奥に広がる書斎へと足を踏み入れた充。
ミヤの姿を探して書斎の本棚の波を抜けてみれば。
空中に映し出された何かの映像と。
いつもの談話スペースのソファで、それを熱心に鑑賞する彼女の姿があった。
後ろ姿なので、その表情は窺えない。
だが、ミヤは興奮すると魔力による花を周囲に咲かせる癖がある。
彼女の周囲に光の粉が舞っていること。
金色の火花がパチパチと彼女の黒髪を飾っているところから見て。
彼女がかなり浮かれているだろうことだけはすぐに分かった。
いったいなにを見ているのだろうかと近づいてみれば。
空中に映し出されていたのは、先日の山梨旅行のワンシーンであった。
おそらくは彼女が魔法によって旅の記録を残していたのだろうそれは。
彼女の主人である竜の少女、エンシェの食事風景の一部始終を。
接写気味に、あますことなく、いっそ情熱的に捉えていた。
少女が嬉しそうに食事する様子を記録映像として残し。
その映像を食い入るように見つめ、浮かれている。
どうにも背徳感のある光景だな、と思いながら充はミヤに声をかけ。
その声に反応して、まさに仰天といった様子で飛び上がったミヤ。
彼女は大慌てで振り向き、挨拶を返したのであった。
「料理の勉強?」
「は、はい……お恥ずかしいところをお見せしました……」
お茶を淹れて一息を入れて。
落ち着いたミヤが語った、先程の奇妙な光景が生まれた理由。
それは、充にとって予想外のものであった。
「レシピ本を見たりとか、試しに作ってみたりとかじゃなくて……さっきのが?」
「はい……僕の身体に食事する機能がないことはご存じかと思いますが……」
なんでも、ミヤは近頃、新たに料理に挑戦しようと考え始めたのだそうだ。
それは、彼女の主人であるエンシェが食事好きであることと。
特に、日本旅行後のエンシェがいっそう熱心に美味しいもの探しを始めたこと。
それが動機であった。
しかし、魔女ミヤはもともと魔導書である。
人間の女性のような今の姿は、図書館に飾られた胸像をモデルにしたもの。
その身体には、味覚はもちろん、食事をする機能も備えていなかった。
「匂いについては、魔法の見た目へのこだわりにも使えますので、嗅覚の機能をこの身体に備えさせましたけれど……」
「味覚もそんな感じで備えさせることはできないの?」
「できなくはないですが、主人とまったく同じ味覚を再現することはできないので……あの、僕の魔法でも竜の身体を完全再現することは無理で……指針もなく味覚を備えた身体を作るのは、コストパフォーマンスが悪いものですから……」
ならば、主人がこれまで食べてきたものを再確認し。
その食べ物を食べたときの反応を細かく分析すれば。
もしかすると、主人に喜んでもらえる料理を自分でも再現できないだろうか。
そうした考えが、先の奇行に及んだ理由なのであった。
「はぁ……」
話を聞いた充は、ぽかんと口を開けるしかなかった。
しかし、ミヤの気持ちを思い、すぐにその口を引き締めた。
彼女は、自分なりに愛する人を喜ばせたいと奮戦しているのである。
それがどれだけ明後日の方向への努力に見えようとも、その思いは純粋だ。
「私が教えられるものだったら、ミヤさんに料理を教えようか?」
となれば、充としては面倒を見ようという気持ちを抑えられるはずもなく。
「えっ!? いいんですか!? あの、お願いしてしまっても!?」
そこにすがりつくようにミヤが反応するのもまた、当然であり。
こうして、充による異世界の魔女への料理講座がはじまったのである。
図書館の展望室にミヤが用意した簡易キッチンに、油のはねる音が響く。
ミヤにとって初挑戦となる料理。
メニューは、充の得意料理であるオムライスが選ばれた。
「お米、塩とコショウに、刻んだタマネギとニンニク。量をしっかりと覚えておけば、そこまで味は変わらないから」
「はい!」
「今日は鶏肉の買い置きがなかったから冷凍の挽肉を使うけど、鶏肉とバターでバターライスを作るのも今度やってみようか」
「よろしくお願いします!」
「それで、りゅーちゃんはふわふわしたものが好きってことだから、一番重要なのはこのご飯の上にかける半熟の卵。フライパンを予めよく熱しておけば、表面がさっと固まる代わりに中はとろっとふわっとしたままになるから」
「風穴ができた原理みたいなものですね!」
「ああ、言われてみれば似てるかも。あっちは表面が先に冷えて中身だけドロドロ、こっちは表面が先に熱せられて中身だけふわとろってね」
料理講座は、粛々と進んでいた。
ひととおり、充がオムライスを作って見せ。
続いて、その手順を真似るようにミヤも同じ料理作りに着手する。
充は、ミヤの調理を横から見守るなかで――。
「タマネギとニンニクを刻んでみじん切りにして……」
「あ、いつもの感覚でニンニク入りにしちゃったけど、大丈夫だったかな?」
「ニンニクですか? えっと、主人は食べて毒になるものはありませんが……?」
「あ、いや、そうじゃなくて……」
「え……?」
「これ、女性に対して私から聞くのはけっこう申し訳ない気になるな……」
「あ! 理解しました! 食べ物の移り香には対応できるので、大丈夫です! すみません、充さん、気を使わせてしまいまして……」
「ミヤさんが普段まったく食事をしていないってことが実感できた気がするよ」
「お、お恥ずかしい……」
「いやいや」
ときに、料理をしない者に料理を教える――ではなく。
食事をしない者に料理を教える難しさ――そういったものを感じ。
「あの、包丁ではなくて、魔法で素材を刻んでしまっても大丈夫でしょうか?」
「おお、ミヤさんだとその手があるのか……。多分、大丈夫だと思うけど」
「では、タマネギを充さんと同じようなサイズにみじん切りに……」
ときに、魔法を有効活用した調理法が披露され。
道具もなしに、前触れなくタマネギがみじん切りになる光景が出現し。
「おおっ!? いきなりバラバラになった!? なにそれ凄い!」
「あっ……すみません、僕に余裕がなくて魔法のエフェクトが出せなくて」
「ああ、いや、びっくりしたけどこういうのも面白い。というか、目がまったく痛くならないけど……切り口がめちゃくちゃ鋭いなコレ……凄い」
超常の存在相手に料理を教えているのだということ。
それゆえに料理を教えるにしても省ける手間が多々あること。
それらを、フライパンのなかでひとりでにかき混ぜられる卵を見て実感し。
「ミヤさんの箸さばき凄いね……箸さばきというか……卵が勝手にかき混ぜられてるだけだけど。やっぱりそれ、手がぶれたりとか、しないの?」
「手ぶれ……のようなものはないですよ。魔法のコントロールはばっちりです!」
「ミヤさんは、きっちりと作り方を覚えれば大丈夫そうだね、これは」
「そうですか!? ありがとうございます!」
「あ、そろそろ卵を折り畳む感じで」
「はい……!」
そうして賑やかに調理は進み。
やがて、ミヤの初挑戦、試作第1号のオムライスが。
見事、充の作ったものと変わらぬ見栄えのものが、完成したのであった。
「じゃあ、実食するね」
「よろしくお願いします……!」
突発性の第1回料理教室の終わりに。
いよいよ実食の段になり、充はスプーンを片手にミヤの料理の前に立った。
横で見ていた感じでは、特に失敗もなかった。
料理下手のお約束のような、妙なアレンジもしていない。
見た目も、このとおり綺麗なものである。
特に心配することもなく、彼はふわりとしたオムライスを口へ運んだ。
味わう寸前。
ミヤの手料理を食べるというのは、嬉しいような、気恥ずかしいような。
美人の手料理だからか、あるいは子供の手料理でも食べる気分なのだろうか。
どこかくすぐったい、ちょっとした昂揚感も覚えながら。
しっとりと柔らかく、とろけるように口の中でほどけるオムライスを頬張り。
舌の上に広がるその味を噛み締め――。
「――ぅんっ!?」
異様な甘さに、悶絶した。
「えっ、充さん!?」
「――ぐっ……えっと、あー、これは……」
充の反応に、慌てるミヤを手で制し。
口に入れたものをなんとか飲み込み、充は調理台の上に目をやる。
塩の容器は、砂糖の容器と一体化したタイプ。
これはどうやら――。
「ミヤさん、塩と砂糖、間違えてる……」
「えっ!? す、すみません!」
結局、料理下手のお約束のような展開を踏襲してしまいつつ。
「いや、こっちも、タマネギのみじん切りに興奮して、ちゃんと見てなかったから……」
「うう……すみません……こちら、お水です!」
「まあ、次から気を付ければ……って、ミヤさんだと塩と砂糖は舐めてもわからないのか! あれ、どうすれば区別できるんだ?」
ミヤならではの問題を発見し、今後の苦難の道程を少しばかり予感しつつ。
「砂糖をもっと色のあるものにするか……湿らせれば匂いがするか……?」
「ご迷惑をおかけします……」
「あ、そうだ、ミヤさんなら指先に火を熾せるよね?」
「えっ? あ、はい」
「塩と砂糖がわからなくなったら、どっちも一粒燃やしてみて。黒く焦げるほうが砂糖だから」
「覚えておきます!」
主人の敵の料理なら任せてくださいと豪語する魔女の。
そのいっぽうでからきしの、主人のための料理作成の手腕。
そのような、1人の魔女の――。
長く険しい料理の道程の第一歩が、この日、踏み出されたのであった。
それからというもの、“古代図書館”の展望室では。
充と共に料理の特訓をするミヤの姿が見られるようになるのだが。
その成果が披露されるのは、もうしばらく先の話である。
* 魔女の手習い料理 了 *
次回、幕間『勇者が救った平和な世界』に続く
※タマネギと涙……タマネギを切ると涙が出るのは、タマネギに含まれる催涙成分が気化して目や鼻に入るため。タマネギの細胞をなるべく壊さない切れ味の良い包丁で切れば、涙は出にくくなる。催涙成分を作る酵素を減らした涙の出ないタマネギも現在栽培されている。
※塩と砂糖……ほぼ塩化ナトリウムの精製塩は火で炙っても炭化しない。別の成分が豊富な塩(天然塩など)の場合はこの限りではない。砂糖は炭素たっぷりなので炭化する。




