第3話 ダンジョンごと掃除するとは聞いてない
「これも、掃除しろってことか?」
言ってから、自分で嫌になった。
そんなわけがない。
目の前にあるのは、人の背丈ほどもある巨大な結晶だ。
しかも中継ドローンによれば、ダンジョンコア関連構造体の可能性がある。
清掃依頼の対象に、
『ダンジョンコアらしきもの』
なんて項目は当然ない。
「……見なかったことにして帰ろう」
決めた。
今日二度目の、見なかったことにする宣言である。
問題は。
「帰れないんだよなあ……」
振り返る。
俺が通ってきた黒い膜。
《浄化》で無理やり開けた穴は、もうほとんど塞がっていた。
頑張ればもう一度開けられるかもしれない。
ただ。
さっき三回使っただけで、かなり身体から力を持っていかれた。
同じことをもう一度やったら、途中で動けなくなる可能性がある。
「ドローン。通信は?」
『接続を試行中です』
「まだ駄目?」
『安定した通信経路を確立できません』
「だよな」
だったら、ここで少し休んでから膜を開け直す。
それが一番まともな選択だ。
俺は中央の結晶から距離を取り、清掃バッグを床へ下ろした。
水筒を取り出す。
一口。
「……はあ」
冷たい水が喉を通る。
落ち着け。
俺は清掃員だ。
研究者でもなければ、ダンジョン攻略の専門家でもない。
分からないものには触らない。
異常を見つけたら報告する。
あとは専門家に任せる。
今までもそうしてきた。
今回だって、それでいい。
ドクン。
「…………」
結晶が脈打った。
青白い光が、一瞬だけ強くなる。
ドクン。
もう一度。
それに合わせて、表面に絡みついている黒い筋が蠢いた。
「気持ち悪いな……」
『周辺魔力濃度の上昇を検知』
「また?」
『地下二階平均値比、四・八倍』
「さっきより上がってない?」
『上昇しています』
「上昇しています、じゃないんだよ」
ドクン。
黒い筋の一本が、結晶の根元から伸びた。
床を這う。
ゆっくりと。
だが確実に。
「……おい」
俺が入ってきた方向へ向かっている。
ドクン。
さらに一本。
今度は別方向。
黒い筋が、少しずつ広間へ広がっていく。
「ドローン。これ、増えてるよな?」
『黒色物質の占有面積拡大を確認』
「止まる気配は?」
『現時点では確認できません』
「…………」
帰ろう。
やっぱり帰ろう。
今すぐ膜を開け直した方がいい。
俺は立ち上がった。
そのとき。
黒い筋の一本が、俺と出口の間を横切った。
「うわっ」
反射的に止まる。
床を這った黒は、そのまま奥の膜へ到達した。
じわり。
黒い膜が厚くなる。
「……増えた?」
『対象物の厚さに変化を検知』
「どのくらい?」
『先ほど通過時と比較し、約一・二七倍』
「やめろよ……」
ただでさえ開けるのが大変だったのに。
さらに厚くなるのか。
ドクン。
また黒い筋が伸びる。
じわり。
『約一・三一倍』
「数字で実況しなくていい!」
『了解しました』
このまま待っていたら、本当に出られなくなる。
俺は結晶を見る。
黒いもの。
通路で見た染み。
靴に付着した粘液。
道を塞いでいた膜。
そして今、結晶を覆っているもの。
見た目は違っても、《浄化》は全部に効いた。
しかも、ここから新しい黒い筋が伸びている。
「……これを消せば、止まる?」
『因果関係は判定できません』
「だよな」
分かってる。
分かってるけど。
他にできることがない。
黒い膜を何度も《浄化》して脱出する。
それとも。
黒いものの中心らしき、ここを《浄化》する。
「…………」
どっちも嫌だ。
できれば第三の選択肢がほしい。
「ドローン。何かいい案ない?」
『現在取得している情報では、有効な脱出経路を提示できません』
「ですよね」
期待した俺が悪かった。
ドクン。
また黒が伸びる。
「……しょうがない」
俺は結晶を見る。
「黒いのだけだからな」
念を押す。
誰に対してなのかは分からない。
「コアをどうこうする気はないからな」
『発言を業務記録へ保存しますか?』
「今それ聞く?」
『確認です』
「……保存しといて」
『了解しました』
万が一、あとで何かあったときの証拠にはなる。
俺は結晶へ近づいた。
一歩。
二歩。
近づくほど、青白い光が強く感じる。
黒い筋は結晶の表面に深く食い込むように絡みついていた。
ところどころ、青白い部分が見えている。
「危険物反応は?」
『既知の有毒物質なし。生体反応なし』
「表面温度」
『二十一・三度』
「触っても火傷はしない?」
『温度上は問題ありません』
「温度上は、ね……」
その言い方が怖い。
俺は結晶から一メートルほど離れたところで右手を向けた。
「まず一回」
深く息を吸う。
「《浄化》」
淡い白い光が結晶へ飛ぶ。
黒い部分へ触れた。
ジュッ。
「っ……!」
一気に身体が重くなった。
黒いものが消える。
手のひら一枚分くらい。
その下から、透明感のある青白い結晶面が現れた。
「やっぱり……」
結晶そのものには変化がない。
消えているのは黒いものだけだ。
「だったら」
もう一度。
「《浄化》」
ジュッ。
「ぐっ……」
今度は腕一本分くらいの黒が消えた。
同時に膝から力が抜ける。
慌てて踏ん張った。
『心拍数上昇。休息を推奨します』
「分かってる……」
たった二回。
それだけなのに、全力で走ったあとのように息が荒い。
普段とは違いすぎる。
「これ全部やるの、無理じゃない?」
結晶の大半はまだ黒い。
俺の《浄化》が効くとしても、このペースでは先に俺が倒れる。
ドクン。
結晶が脈打った。
「うわっ」
さっき綺麗にした部分へ、周囲の黒い筋が伸びる。
「ちょっと待て」
じわり。
青白かった部分が、再び黒く覆われ始めた。
「戻るのかよ!」
これじゃ終わらない。
消しても。
また黒が集まってくる。
「どうしろってんだ……」
俺は息を整えながら結晶を見る。
離れた場所から少しずつ消す。
それでは間に合わない。
だったら。
「……近くからやったら違う?」
『質問の意図を特定できません』
「独り言」
『了解しました』
《浄化》は手のひらから広がる。
距離があっても使える。
でも普段の清掃では、頑固な汚れほど近くから使った方が狙いやすい。
壁の染みも。
床の粘液も。
近ければ、その分だけ狙った場所へ集中させやすい。
なら。
「直接やったら……」
嫌だ。
ものすごく嫌だ。
正体不明のダンジョンコアらしきものに、素手で触る。
どう考えても、やってはいけない行動にしか思えない。
ドクン。
黒い筋がさらに増える。
出口の膜も厚くなっている。
「…………」
選択肢がどんどん消えていく。
「ドローン」
『はい』
「俺が変なことになったら、全部記録残しといて」
『探索活動は常時記録されています』
「そうだったな」
安心できるような、できないような。
俺は右手を伸ばした。
黒い部分は避ける。
さっき《浄化》して露出させた、青白い結晶面。
そこへ。
そっと手のひらを触れた。
冷たい。
石というより、ガラスに近い感触だ。
何も起きない。
「……よし」
少しだけ肩の力が抜けた。
「黒いのだけ、綺麗にするからな」
息を吸う。
「《浄化》」
次の瞬間。
バチンッ!
「うわっ!?」
手のひらに鋭い衝撃が走った。
指先から肘まで、一瞬で痺れる。
反射的に腕を引こうとした。
動かない。
「なっ……!」
手のひらが結晶へ吸いついている。
力を込める。
離れない。
「ちょ、待て! ドローン!」
『急激な魔力変動を検知』
「それは見れば分かる!」
結晶が強く輝き始めた。
青白い光。
そして、手のひらの奥が熱くなる。
「っ……!」
熱い。
いや。
皮膚が焼けているわけじゃない。
もっと内側。
腕の中を、何かが一気に流れていくような感覚。
《浄化》を使ったときに感じる、いつもの力の抜け方。
それが何十倍にもなって、一気に右腕から吸い出されていく。
「何だよ、これ……!」
『スキル反応、急激に増大』
「止め方は!?」
『不明です』
「だよな!」
俺の手を起点に、白い光が結晶の内部へ走った。
「……え?」
一本。
二本。
細い白い線が、透明な結晶の奥へ伸びる。
そこから。
バチッ。
バチバチッ。
一気に枝分かれした。
まるで、離れた場所から表面だけを掃除していた《浄化》が、直接触れたことで結晶の中まで入り込んでしまったみたいに。
もちろん、本当にそうなのかは分からない。
でも。
そうとしか見えなかった。
「待て待て待て!」
俺はこんなことをするつもりじゃない。
黒いものを落とそうとしただけだ。
白い光が結晶全体へ広がっていく。
そして、表面を覆う黒い筋へ触れた。
ジュッ。
消える。
ジュジュッ。
次々に消えていく。
「…………」
さっきまで何度《浄化》しても少ししか消せなかった黒が。
今は。
結晶の表面から一気に剥がれ落ちるように消えていく。
『黒色物質、急速減少』
「俺、何もしてない!」
『スキル反応継続中』
「だから止め方!」
『不明です』
「知ってた!」
結晶から黒が消える。
半分。
三分の二。
ほとんど全部。
そして。
最後の一本が白い光に飲まれた。
青白い結晶が完全に姿を現した。
「……綺麗になった」
思わず呟く。
本当に。
綺麗だった。
濁りのない、透き通った青白い結晶。
さっきまでの不気味さが嘘みたいだ。
「これで……終わり?」
ふっと、手のひらの拘束が消えた。
「うわっ」
勢い余って尻もちをつく。
そのまま、しばらく動けなかった。
全身から力が抜けている。
腕を上げるのすら面倒なくらいだ。
「……もう無理」
『著しい疲労状態を確認』
「知ってる」
でも。
黒いものは消えた。
広間の床を見る。
そこら中を這っていた黒い筋も、消えている。
壁も。
天井も。
綺麗な灰色の石へ戻っていた。
「ほんとに全部消えた……」
ドローンが周囲を走査する。
『黒色物質の反応を検出できません』
「よし」
何が起きていたのかは分からない。
でも、とりあえず。
掃除は終わった。
「じゃあ今度こそ帰――」
ピシッ。
「…………」
嫌な音がした。
俺は動きを止める。
「今の何?」
『構造変化を検知』
「どこ?」
『対象結晶』
「…………」
見上げる。
青白い結晶の表面。
一本の細い亀裂が走っていた。
「おい」
ピシッ。
増えた。
「おいおい」
ピシピシッ。
亀裂が広がる。
「待って待って待って!」
『高密度魔力反応、急速低下』
「それって大丈夫なの!?」
『前例データが不足しています』
「今日そればっかりだな!」
結晶全体へ亀裂が広がった。
そして。
パキン。
小さな音とともに。
結晶の先端が。
光の粒になった。
「……は?」
欠けたわけじゃない。
砕けたわけでもない。
そこにあった部分が、青白い光になって消えた。
さらに。
パキ。
パキパキッ。
結晶が上から少しずつ光へ変わっていく。
「ちょっと待って」
嫌な予感がする。
ものすごく嫌な予感がする。
「これ、消えてない?」
『対象構造体の質量減少を確認』
「やっぱり!?」
止め方なんて分からない。
そもそも俺は、もう触ってすらいない。
結晶はどんどん光へ変わっていく。
半分。
三分の一。
そして最後に。
小さな青白い光を残して。
消えた。
「…………」
広間の中央には、何もなくなった。
「え?」
俺は呆然とする。
「コア……消えた?」
『対象構造体を確認できません』
「…………」
やった。
たぶん。
やってしまった。
「いや」
違う。
「俺、黒いの掃除しただけだぞ?」
『発言を業務記録へ保存しますか?』
「保存しといて! 絶対!」
『了解しました』
その直後。
ゴゴゴゴゴゴ……。
広間全体が揺れ始めた。
「今度は何!?」
『周辺魔力反応に急激な変化』
「具体的に!」
『低下しています』
「どのくらい?」
『計測開始時比、七十二パーセント。五十八パーセント。四十一パーセント――』
「下がりすぎだろ!」
揺れが強くなる。
だが。
天井が崩れる様子はない。
代わりに。
「……え?」
壁が。
光っている。
灰色だった石壁の一部が、淡い光の粒へ変わった。
「嘘だろ」
床も。
天井も。
石柱も。
部屋を作っていたものが、端から少しずつ光へ変わり始めている。
『登録ダンジョン構造との照合に異常』
「どういう意味?」
『周辺構造の消失を確認』
「消失!?」
光は広間から通路へ広がっていく。
ものすごい速さで。
今まで歩いてきた道が。
壁が。
床が。
次々と消えていく。
「ちょっと待て!」
『通信状態に変化』
「今それどころじゃ――」
ブツッ。
ノイズ。
そして。
『管理センターとの通信を確立しました』
「え?」
一瞬。
俺は固まった。
「繋がった?」
『通信良好』
「救助要請!」
『送信します』
すぐに電子音が鳴る。
『送信完了』
「送れた!」
初めてまともな知らせが来た。
だが喜んでいる暇はない。
周囲は光に包まれている。
『緊急通知を受信』
「何?」
『多摩第一ダンジョン全域において、急速な魔力反応低下を確認』
「…………」
嫌な予感。
『第一階層、構造反応消失』
「え?」
『第二階層、構造反応消失』
「ちょっと待って」
『ダンジョン入口部、魔力反応――』
一瞬の間。
『消失』
「…………」
俺は黙った。
理解したくなかった。
「ドローン」
『はい』
「それって」
聞きたくない。
でも聞かないわけにもいかない。
「ダンジョンが……なくなってる?」
『現在、多摩第一ダンジョンの既知領域からダンジョン反応を確認できません』
「…………」
俺は。
中央にあったはずの結晶を見る。
何もない。
黒いものも。
コアらしきものも。
全部綺麗に消えている。
「俺のせい?」
『因果関係は判定できません』
「だよな」
今日一番聞きたかった答えを、こいつは答えてくれなかった。
でも。
答えなんて、たぶん分かっている。
俺があれに《浄化》を使った。
直後にコアらしきものが消えて。
そのままダンジョンまで消え始めた。
これで無関係ですと言われても、俺だって信じない。
「……マジかよ」
光が視界を埋め尽くす。
「うわっ」
反射的に目を閉じた。
身体がふわりと浮いた。
「え?」
床の感触が消える。
落ちる。
そう思った。
だが。
次の瞬間。
「ぐえっ!」
尻に衝撃が走った。
「痛っ……!」
恐る恐る目を開ける。
「…………は?」
明るい。
照明。
白い天井。
コンクリートの床。
目の前には、黄色と黒の規制線。
そして。
何人もの人間が、こっちを見ていた。
協会職員。
警備員。
救助隊員。
全員、固まっている。
「…………」
俺も固まった。
ここ。
知っている。
多摩第一ダンジョンの入場管理施設だ。
正確には。
ダンジョン入口があった場所。
「佐倉さん!?」
誰かが叫んだ。
「佐倉直人さんですね!?」
「……はい」
救助隊員が一斉に駆け寄ってくる。
「怪我は!?」
「腰と肩をちょっと……」
「担架!」
「いや、歩けます」
「いいから座っててください!」
「はい」
言われるがまま座る。
というか、もう立つ気力がない。
周囲を見る。
管理施設の奥。
本来ならそこに、多摩第一ダンジョンへ続く入口があるはずだった。
ない。
代わりに。
ただの壁がある。
「…………」
俺は何度か瞬きをした。
「ダンジョンは?」
近くにいた職員の表情が引きつった。
「こちらが聞きたいです」
「…………」
ですよね。
別の職員が駆け寄ってくる。
「あなたの中継ドローンから、地下二階の異常箇所についてデータが送信されています。その直後に位置情報が消失。こちらでは緊急封鎖を実施しました」
「封鎖?」
「内部にいた探索者は全員退避済みです」
俺は力が抜けた。
「……よかった」
それだけは、本当によかった。
さっきすれ違った二人も。
他の探索者も。
少なくとも、誰かを巻き込んだわけではないらしい。
職員は一度、入口があった場所へ視線を向けた。
「その後、約二十分前からダンジョン全域の魔力反応が急速に低下しました」
「はい」
「最初に第一階層。続いて第二階層。入口周辺の構造反応も次々と消失して――」
言葉が一度止まる。
職員自身も、まだ信じ切れていないような顔だった。
「数分前、多摩第一ダンジョンそのものが消失しました」
「…………」
改めて言われると。
さっきドローンから聞いたときより、ずっと現実味があった。
何年もそこにあった。
毎日、何人もの探索者が出入りしていた。
俺自身も三か月、仕事場として通っていた。
それが。
今はただの壁だ。
「……本当になくなったんだ」
思わず口から漏れた。
「原因は現在調査中です」
「そうですか」
「あなたが地下で何をしていたのか、記録を確認させてください」
「どうぞ」
俺は中継ドローンを見る。
「全部残ってるよな?」
『探索活動開始から現在までの記録を保持しています』
「よし」
これで少なくとも。
俺がわざとやったわけじゃないことは分かってもらえる。
たぶん。
職員がドローンのデータを確認し始める。
その横で、救助隊員に肩を診てもらう。
「大きな怪我はなさそうですね」
「よかった……」
「ただし念のため病院には行ってください」
「はい」
その日は結局、検査と簡単な事情確認だけで夜になった。
身体は痛い。
頭も重い。
帰宅した頃には、何かを考える気力すら残っていなかった。
もう終わった。
少なくとも今日は。
そう思って、ベッドへ倒れ込んだ。
――当然、終わっていなかった。
翌日。
多摩第一ダンジョンの消失は、朝からニュースになっていた。
原因不明。
人的被害なし。
内部構造および魔力反応が完全に消失。
国内初の大規模ダンジョン消失事例。
専門家による調査開始。
そして。
俺は協会の会議室で、昨日から何度目か分からない事情聴取を受けていた。
「ですから」
向かいに座る調査官へ、もう一度説明する。
「俺は本当に」
嘘偽りなく。
心の底から。
「掃除をしていただけなんですが」
最後までお読みいただき、ありがとうございました!
全3話、これにて完結です。
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