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初心者ダンジョンでゴミ掃除してたら、落ちた先でダンジョンごと掃除してしまった  作者: ギズモ


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第1話 掃除をしていただけなんですが

 ダンジョン探索者と聞いて、多くの人が思い浮かべるのは、剣や槍を手にモンスターと戦う姿だろう。


 希少な魔石を持ち帰って一攫千金を狙ったり。

 強力なスキルに目覚めて、有名クランから声をかけられたり。

 探索配信がバズって、一夜で人気者になったり。


 実際、そういう探索者もいる。


 ――ただし、俺は違う。


「……うわ。今日はひどいな」


 俺――佐倉直人が向き合っているのは、そんな華々しいものじゃなかった。


 東京都郊外にある初級者向けダンジョン、《多摩第一ダンジョン》。

 その地下二階。初心者探索者がよく利用する広間の床一面に、半透明の粘液がべったりと広がっている。


「スライム三体……いや、四体分くらいか?」


 壁には赤黒い血痕。

 隅には空になったポーション瓶。

 少し離れた場所には、刃の折れた安物のショートソードまで転がっていた。


 どうやら、ここでそこそこ派手な戦闘があったらしい。


 俺は背負っていた大型バッグを床に下ろし、右手を粘液へ向ける。


「《浄化》」


 手のひらから淡い白い光が広がった。

 床を覆っていた粘液が、光に触れたところから見る見る薄れていく。


 ただ、一度では消えきらない。


「もう一回。《浄化》」


 二度目で、ようやく床が元の石色へ戻った。


「よし」


 続いて壁へ手を向ける。


「《浄化》」


 こびりついていた血痕が、一瞬で消えた。


 俺は空のポーション瓶を拾い、腰の回収袋へ放り込む。

 折れたショートソードは専用の収納ケースへ。


「持って入った物くらい、持って帰ってくれれば楽なんだけどな」


 頭上から電子音が鳴った。


『探索者番号D―二七四一。清掃業務開始から四十七分が経過しました』


「はいはい」


 斜め後方、二メートルほどの高さを、小型の球形ドローンがふわふわと追従している。


 正式名称は《探索活動記録用中継端末》。

 もっとも、そんな長い名前で呼ぶ探索者はいない。みんな単に、中継ドローンと呼んでいる。


 今の日本じゃ、ダンジョンに入る探索者にはこのドローンの同行が義務だ。

 活動記録、位置確認、遭難時の救助支援。ついでに探索者同士の揉め事や犯罪の抑止も兼ねている。


 ダンジョンの中なら何をしてもいい、なんて時代は、とっくに終わったらしい。


「残り予定時間は?」


『一時間十三分です』


「了解」


 俺は作業を再開した。


 探索者になって三か月。

 戦闘経験はほとんどない。


 というより、そもそも俺は戦闘向きじゃない。


 探索者登録のときに発現したスキルは、一つだけだった。


 《浄化》。


 汚れや軽度の汚染を除去する生活系スキル。

 協会の資料にも、そう分類されている。


 当然、攻撃能力なんてない。


 登録講習のとき、教官には笑いながら言われた。


『ゴブリンに使ったら、綺麗なゴブリンになるかもしれんな』


 本当に綺麗になるのかは知らない。

 確認する気もない。


 俺は死にたくない。


 そんなわけで、俺が普段請けているのはダンジョン内の環境整備依頼だった。

 要するに、清掃だ。


 探索者が残したゴミ。

 モンスターの血液や粘液。

 壊れた装備。

 粒子化せずに残った素材。


 指定されたルートを巡回し、それらを回収していく。


 報酬は高くない。

 だが仕事は安定しているし、回るのも協会が安全を確認した区画が中心だ。戦闘系の依頼に比べれば危険もずっと少ない。


 もしモンスターを見つけても、戦わなくていい。

 距離を取って中継ドローン経由で報告すれば、それで終わりだ。


 俺にはそれで十分だった。


 探索者になったからといって、全員が英雄を目指す必要なんてない。

 自分にできる仕事をして、普通に食っていく。


 それの何が悪い。


「《浄化》」


 通路脇の血痕を消す。

 その横に転がっていたゴブリンの棍棒を回収する。


 十メートルほど進んだところで、また空のポーション瓶を見つけた。


「今日、多いな……」


 拾う。

 さらに進む。

 もう一本。


「ここ、ゴミ箱じゃないんだけどな」


『発言を業務記録へ保存しますか?』


「しなくていい」


『了解しました』


「そこは聞くんだ……」


 妙なところだけ律儀だった。


 やがて、前方から二人組の探索者が歩いてきた。

 男は短剣。女は杖。装備を見る限り、俺と同じ駆け出しだろう。


「あ、清掃の人」


「こんにちは」


「どうも」


 俺は通路の端へ寄って道を空ける。

 二人は軽く会釈して、そのまま通り過ぎていった。


「さっきの広場、すごかったよね」

「スライムのとこ?」

「そう。床べったべた」

「あれ誰が片付けるんだろ」


 少し離れたところから、そんな声が聞こえてきた。


 俺です、とは言わない。


 別に感謝されたくてやっているわけじゃない。

 仕事だからやっているだけだ。


 ただ、空き瓶くらいは持って帰ってほしい。

 それだけだ。


 地下二階の巡回ルートを半分ほど終えた頃には、周囲から人の気配がなくなっていた。


『前方三十メートル以内、探索者反応なし』


「了解」


 この先は行き止まりの多い区画だ。

 モンスターの出現率も低く、探索者がわざわざ来る理由はほとんどない。


 その分、清掃する側からすれば楽だった。


「今日はこっち綺麗そうだな」


 石造りの通路を進んでいく。

 壁には一定間隔で照明用の魔石。床に大きな損傷もない。ゴミもほとんど落ちていない。


「こういう日ばっかりなら――」


 そこで足が止まった。


「ん?」


 右側の壁。

 胸くらいの高さに、黒い染みがあった。


 墨汁でもぶちまけたような、真っ黒な汚れ。

 大きさは人の頭ほどだ。


「なんだこれ」


 血ではない。

 焦げ跡でもない。

 油汚れとも違う。


 表面に何かが付着しているというより、石の内側から色が染み出しているように見えた。


 俺は不用意に近づかず、少し離れた位置からドローンを見る。


「危険物反応は?」


『測定します』


 青い走査光が壁をなぞった。


『有毒ガス反応なし。熱源反応なし。生体反応なし。周辺魔力濃度、通常範囲内です』


「清掃しても問題ない?」


『現時点で接近禁止条件には該当しません』


「了解」


 見た目は気味が悪い。

 だが危険反応がないなら、仕事の範囲内だ。


 右手を向ける。


「《浄化》」


 淡い白い光が染みを包んだ。

 数秒後、光が消える。


「……落ちない?」


 黒い染みは、ほとんど変化していなかった。


 これは珍しい。

 少なくとも、三か月この仕事をしていて一度もなかった。


 乾いた血なら一回。

 スライムの粘液でも二回程度。

 長く放置された汚れだって、何度か使えば目に見えて薄くなる。


「頑固だな」


 もう一度、手をかざす。


「《浄化》」


 今度は、ほんのわずかに色が薄くなった。


「あ、効いてはいるのか」


 二度、三度と《浄化》を重ねる。

 黒い染みは少しずつ薄れていった。


 そして四度目。


「《浄化》」


 ようやく黒色が消えた。


「よし」


 俺は手を下ろして――そこで気づいた。


「……ん?」


 染みがあった部分だけ、壁がわずかに窪んでいる。


 目の錯覚かと思った。

 だが横から見ても、やはり周囲と高さが違う。


「ドローン。壁、測ってみて」


『測定します』


 青い光が壁面を走る。


『周辺壁面と比較し、対象箇所に平均三・八ミリメートルの後退を確認』


「後退?」


『対象部分の壁面が、周囲より三・八ミリメートル奥に位置しています』


「……《浄化》で削れた?」


『原因は判定できません』


「だよな」


 自分の右手を見る。


 今まで何百回と、ダンジョンの床や壁に《浄化》を使ってきた。

 石そのものに影響したことなんて、一度もない。


「これ以上は触らん方がいいな」


 一歩下がる。


「異常箇所として管理センターに送っといて」


『映像および測定データを送信します』


「頼む」


 俺は清掃員だ。

 研究者じゃない。


 分からないものを、勝手に弄る理由はない。


「あとは専門家に任せ――」


 視界の端で何かが動いた。


「……ん?」


 壁を見る。


 消えたはずの黒い染み。

 その中心から、黒色が再び滲み出していた。


「うわ……」


 さっきより速い。


 石の内側からインクが噴き出すように、じわじわと広がっていく。


「ドローン」


『記録中です』


「これ、普通じゃないよな」


『直前の状態との差異を検出しています』


 黒い染みは壁を下へ這うように広がり、床との境目に届いた。


「……離れよう」


 もうこれは、清掃対象かどうかなんて話じゃない。

 完全に異常事態だ。


「管理センターに異常発生を――」


『送信しています』


「よし。じゃあ俺は戻る」


 踵を返した、そのときだった。


『警告』


「え?」


『床面に異常を検知』


 振り返る。


 壁から伸びた黒色が、いつの間にか床へ広がっていた。

 しかも、こっちへ向かってきているように見える。


「……来てる?」


 まるで染み込むように、黒色が床を這っていた。


 反射的に後ろへ下がる。


 パキ。


 小さな音がした。


「……え?」


 足元の石床に、細い亀裂が走っていた。


『警告。床面強度に異常――』


 ミシッ。


「まずっ!」


 黒い染みを踏んだわけじゃない。

 なのに、亀裂は一気に広がった。


 俺は反射的に後ろへ跳ぼうとする。

 だが、踏み込んだ足の下で床が沈んだ。


「ちょっ――!」


 バキンッ!


 石床が抜け落ちた。


「うわああああああっ!」


 身体が宙へ放り出される。


 照明魔石。

 石壁。

 中継ドローン。


 全部が頭上へ遠ざかっていく。


『緊急事態。探索者落下。緊急事態――』


「うそだろおおおおっ!」


 落下したのは数秒だった。


「ぐっ!」


 背中に激しい衝撃。

 硬い何かに叩きつけられる。


 石だ。


 そこで止まるかと思った。

 止まらなかった。


「うわっ!?」


 落ちた先は急な斜面になっていた。

 身体がそのまま滑り落ちていく。


「ちょ、待っ――痛っ!」


 壁へ手を伸ばす。

 掴めない。


 尻を打つ。

 肩を打つ。

 砂埃を巻き上げながら、ひたすら下へ滑っていく。


「痛い痛い痛い!」


 何秒続いたのか分からない。

 やけに長く感じた。


 そして最後に、


「ぐえっ!」


 尻から床へ落ちた。


「…………」


 しばらく動けなかった。


 腰が痛い。

 肩も痛い。

 だが、指は動く。足も動く。頭も打っていない。


「……生きてる」


 ゆっくり身体を起こす。


 服は砂埃まみれ。

 腕や脚にも擦り傷がある。


 だが、大怪我ではなさそうだった。


「最悪だ……」


 見上げる。


 俺が滑り落ちてきた斜坑が、暗闇の上へ続いている。

 途中で大きく曲がっているらしく、元いた通路は見えない。


 そのとき。


 ゴロゴロゴロ……。


 上から石の転がる音がした。


「うわっ!」


 慌てて斜坑から離れる。

 直後、大きな石片がいくつも転がり落ちてきた。


 ドンッ。

 ドンッ。


 入口付近へ積み重なっていく。


「…………」


 嫌なものを見た。


「これ、戻れないよな」


 上から、小さな機械音が聞こえた。


「ん?」


 暗闇の中から球形の影が降りてくる。


「あ」


 中継ドローンだった。

 俺を追ってきたらしい。


 今までで一番頼もしく見えた。


『探索者番号D―二七四一。生体反応を確認しました』


「生きてる。腰と肩打ったけど、たぶん大丈夫」


『負傷状態を記録します。救助要請を送信します』


「頼む。本当に」


 大きく息を吐く。


 中継ドローンがいる。

 位置情報さえ届けば、管理センターが救助を寄越してくれるはずだ。


 あとは動かずに待てばいい。


 ――そう思った。


「しかし……ここ、どこだ?」


 ようやく周囲を見る余裕ができた。

 そこで、違和感に気づく。


 ここは単なる地下の空洞じゃない。

 明らかに通路だった。


 幅は二メートルほど。


 壁も床も石造りだ。

 上の階層と造りがよく似ている。


 ただし、照明用の魔石が一つもない。

 中継ドローンのライトだけが、暗闇を白く照らしている。


『警告』


「……今度は何?」


『現在位置を登録地図と照合できません』


「は?」


『周辺構造を再照合します』


 数秒後。


『該当経路なし』


「いやいや」


 俺は腰を押さえながら立ち上がった。


「そんなわけないだろ」


 多摩第一ダンジョンは初心者向けダンジョンだ。

 一般開放から何年も経っている。毎日大勢の探索者が入っているし、内部地図だってとっくに完成しているはずだった。


『未登録空間を検知しました』


「未登録?」


『現在地点より前方に、既存マップに存在しない経路を確認』


 ドローンのライトが前を照らす。


 石造りの通路。

 光の届く範囲には何もない。

 その先は完全な闇だ。


「……救助要請は?」


『送信を試行中です』


「試行中?」


『現在地点では管理センターとの通信が不安定です』


「届いてないのか?」


『送信を継続します』


「……マジかよ」


 俺は落ちてきた方向を見る。


 急な斜坑。

 そのうえ、入口には崩れ落ちてきた岩が積み重なっている。


 登るのは無理だ。


 登れない。

 通信も不安定。


 なら、ここで待つしか――


 ゴゴッ。


「……え?」


 足元が小さく揺れた。

 天井から、さらさらと砂が落ちてくる。


『警告。周辺構造に変動を検知』


「変動?」


『落下地点周辺で複数の亀裂を検出。構造安定性が低下しています』


「…………」


 ライトを上へ向けてもらう。


 天井に亀裂が走っていた。

 一本ではない。何本もだ。


 そのうちの一本が、音を立てながらじわじわ伸びていく。


 ミシッ。


「おいおいおい……」


『この地点からの退避を推奨します』


「どこに!?」


『安全経路を算出できません』


「だろうな!」


 背後は崩落した斜坑。

 ここに留まれば、さらに崩れるかもしれない。


 横道はない。

 残っているのは――前だけだ。


 地図に存在しない、真っ暗な通路。


「…………」


 行きたくない。


 当然だ。


 俺は戦闘向きの探索者じゃない。

 まともな武器すら持っていない。


 スキルは《浄化》だけ。


 こんな正体不明の場所を探索するために、ダンジョンへ来たんじゃない。

 今日だって、ただ掃除をしていただけだ。


 なのに。


 ミシッ。


 背後で、もう一度大きな亀裂音が響く。


 中継ドローンのライトが、目の前の暗闇を照らした。


 俺は回収バッグの肩紐を握り直す。

 喉の奥がひどく渇いていた。


 それでも、小さく息を吐いて、前を見る。


「……行くしかないのか?」

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