産声
天城家の寝室風景。
ベッドの上に敷いた防水シートの上にはプライ・マハが脱皮した殻が積んであった。
その横には、脱皮を終えて、天城が出してあげたシャワーガウンを纏ったマハが、水分補充にとセレステが出したスポーツドリンクをちびちび飲みながら、脚を組んでベッドの上に座っている。
…よく見ると、まだ涙ぐんでいた。
そして、この光景を作った張本人の天城はどうしているかというとーー
「なんとか、この首一つでお許しいただけますでしょうか!」
それはそれは見事な土下座だった。
なぜこうなったかというと、マハの体調があまりにも危なそうだったので、後のことなど考えずに一旦行動はしていたが……
ほとぼりが冷めて、頭が冷えてから考えてみたら、これはもう、大事件だったのだ。
王宮での突発事態で当惑して、勢いで拉致まがいなことに走っただけでも大犯罪だというのに、その後…
他国の国王を裸にして
勝手に全身くまなく触り倒し
『ついてない』とか不遜な言葉使いで
見方によっては卑猥と取れなくもない行動まで…
『やっちゃった…いや、完全に詰んだよおおおお!!!!』
急がなければならないことだったとはいえ、なんでここでやってしまったのか。
脱皮のことならバリアーダのヒトたちの方が詳しいに決まっているのに、なんでバリアーダに戻って彼らに任せようとせず、爬虫類を飼ってみた経験もない自分が勝手にやらかしたのか。
それに、脱皮が終わってからのマハはというと、怒鳴りつけたり、殴りかかったりせず、ただただシクシク泣いていた。
…屈辱感がすぎて、気がおかしくなったかと慄いていたけど、幸いそうではなかった。
だからと言って、屈辱を感じなかったわけでもないけど。
とにかく、これだから『忌み時期』と称してタブーとしているのだということだけははっきりと理解したが、今はそんなことを考えている場合ではない。
今は何より、詫びて詫びて詫び倒して、黙り込んでいるマハからのお沙汰を待つしかない。
「面…いや、頭をあげなさい。
詫びようとしているのは分かったが、いつまでそうしているつもりだ?
できれば顔を見て話がしたいな?」
バリアーダの文化に平伏しはあっても、どうやら土下座はないようだ、と悟ったセレステは、ゆっくりと顔をあげ、床に正座した。
「朕に、とんでもないことをしてくれたな?」
「ははーっ!
誠に申し開きのしようもございません!」
また頭を下げる天城――セレステを見ながら、マハは思った。
自分の長い生涯でも、全く予期できていなかった事態が起きたのだ。
忌み時期など考えてもいなかったので、自分でもただ、体調を崩したとしか思っていなかった。
だから、異世界人のセレステの驚きは、尋常ではなかったんだろう。
それなのに、自分を助けようと、彼なりに頑張ってくれた。そこまでは理解できる。
しかし、その頑張りぶりというのが…
『あそこまで赤裸々に脱がさなくても!』
しかし、天城は図らずも正しいやり方に沿っていたことを、ここにいる脱皮初心者の二人組は、まだ知らない。
「……朕もそうだが、そなたも言いたいことはあるんだろう。
しかし、これだけは言っておこう。
今の朕は、普段よりも好調だ。
もはや絶好調と言ってもいいぐらい、体のキレがいい。
手伝ってくれたそなたのおかげだろうな。
礼をいう」
なんとかなるのか、と天城が安堵し、「ありがたき幸せ」と答えようとしていた瞬間だった。
「だからと言って、朕を凌辱したことが許されるとは、思うまいな?」
『はい、そうでしょうね!』
自分でもやりすぎたと思っていたところだ。
なんとしても、国際問題にまで広がることだけは阻止しないと、と脳みそをフル回転しているセレステに、マハが再び話しかけた。
「…そなたの返答次第で、許してあげられないこともないと思っておるがな」
「……とおっしゃいますと?」
天城はまだ気づいていないようだけど、今の二人は意思疎通になんの問題もなかった。
ということは、ダルカルヌピカか、少なくとも彼の一部がこの状況を見ているということを意味する。
世界が変わったと言っても、下手なことは言えない。
「今日そなたに聞こうとしていた質問への答え、ここで聴かせてもらおう。
そなたはその力で、トゥシタの世界をどうする気だ?」
「えっ」
マハの質問に、一発くらったかのような顔になるセレステーー天城。
そのまま、二人の間にしばらく沈黙が流れた。
「あの…」
「なんだ」
「…何もしませんよ?
いや、しないというか、一人の力で、世界をどうこうできるはずがないじゃないですか。
超常的とかなんとか言われていますけど、ただの物質複製と形質変換能力にすぎません。
あんなのでは、たかが地球の商品を複製して売り捌いてお金を稼いだりするしか…」
マハは、イラっとした。
前回、ラガネマパイサたちに阻止された時、言いかけて何かに検閲されたかのように掻き消されたが…天城の力の本質は、決してそんなものではなかった。
それを本当に知らないのか、知らないふりをしているのか、その判断ができない。
「そうは言っているがな。
そなたのその行為によって、実際フェリデリアは目ぼしく発展しているそうだが?」
「それは…
私は、資本と研究のきっかけを提供したにすぎません。
全ては、フェリデリアの魔術師と技術者たちが、寝る間も惜しんで頑張ってくれたおかげです。
あれでは体調を崩すから、ちゃんと休みながら働けと言っているのに、全く…」
「そなたはそのように軽く言っているが。
そなたのその軽い行動で、トゥシタの世界は変革を迎えようとしている。
それでも何もしないというのか?」
「いやそれが…
私がいなくても、どうせいつかは起きることでしょう。
私はきっかけを提供して、それをほんの少し、前倒しにしたいと思っているだけです」
「ほんの少しか…
千年以上生きてきた朕ならそう言ってもおかしく無いが…
聞くに、そなたは100年も生きていけない短命種だそうだな。
自分の寿命以上の時間を、『ほんの少し』と言えるか?」
そう言ったマハは、天城の顔に宿る、少し不穏な色を察知した。
あれはなんだ?怒り?苛立ち?ヤサグレ?ヤケクソ?
「お言葉ですけどね…
本当、羨ましいですね。『超』のつく長命種のお方は。
なんでも時間の余裕がありまくるから、そんな呑気な発想もできるわけだ」
「な…何?」
「おっしゃる通り、私は百年も生きられない微物ですよ、あなたから見れば。
でもですね、だからこそ、残りの寿命を全部捧げてでも、やりたいことがあるわけです。
私なんかより、さらに短い時間しか生きられなかった猫たちが、トゥシタに転生したことを分かったんですよ。
幸いなことに、あの薄幸だった短い生が報われるかのように、人間以上の長命種になって、一国の王一家として生まれ変わったと知って…
そして、この力に気づいた時。
地球で短く生きていた分、あいつらを幸せにしてあげようと決心したんです。
あいつらの国をもっと豊かにしてあげたい、それだけだったんです。
…それが、いつの間にか『あいつら』の範囲がだんだん、広がってしまって…
友達になったダーハラトのやつも
使用人だったはずが、今では息子同然な気がするラインバルトや、双子のことも
厳しいけど、時には姉貴のように感じるビアラ夫人のことも
ちょっと紛らわしい気もしますけど、カルカンとガーネサの兄妹も
宰相のジジイも、大臣たちも、ユーレも、ルイナも、ダスペも…
もう知り合いになってしまって、関わりを持ってしまったみんなのために、この世界がもっといい世界になってくれればいいな、それだけです。
いけませんか?」
プライ・マハとしては、到底理解できない話だった。
聖母龍は、世界が動く力の理そのものである。
彼はそんな聖母龍と世界との契約の要石として産み落とされた。
最初から成体の姿のままで、支配者として君臨するために生まれ落ちたのだ。
自分とお母様の関係がそうであるように、周りの臣下や国民など、道具であり、部品にすぎないと、いつも感じていた。
彼だけではなく、先代のプライ・マハ全員がそうだった。
先代と言っても、血が繋がる祖先などではない。
ただ、聖母龍が『発生させた』世界との連結端末にすぎない。
生まれてから何一つ変わらず、『機能』だけを遂行して、寿命がくれば回収され、記憶を継いだ新しい個体と交替されるだけ。
『関わり』も、『絆」も感じたことはない。
ただ、それだけの存在であり、生き物としての機能は欠落していた。
成長もしなければ、生殖も必要としない。
だから、これまで一度も、脱皮を経験していなかったのだ。
だから、『愛情』など、感じることも、求めることもなかった。
いや、ただ一つ。
『お母様』たるラガネマパイサにだけは、自分のことを認めて欲しかったかもしれない。
だからこそ、その『お母様』に存在を否定された時、生涯最大の恐怖を感じていたのだ。
だからこそ、機能不全にまで追い込まれて…
「解せぬ。
何が、そなたをそこまで献身的にさせるのだ?」
「何って…
照れくさいけど、『愛』でしょう?
マハも、誰かに愛された記憶ぐらい…
母后さまとか…」
「お母様…」
それを口にした瞬間、マハの思考が途切れた。
ガタガタ、黄金の体が痙攣し始めた。
「マ、マハ?」
「お、お母様…
お許し…ください…
この…ラガマダ…生きとう…ございます…
ちゃんと…働きますから…
処分だけは…」
生物としての本能が欠落している彼にも、『生きたい』という感覚だけは残っている。
そんなことなど、毛頭知らない上に、こうなったのが自分のせいだとは全然気づいていない天城は、完全に勘違いをしていた。
「マハ!マハ!お気を確かに!
…目を覚まして!」
ガタガタ震えるマハを両手で掴んで揺さぶってみても、反応がない。
「自分の子供に処分だなんて…どれだけ毒親だよ!
マハ!大丈夫です!誰もあなたに危害を与えたりはしません!」
どれだけ揺さぶっても、ビンタを打っても、ガタガタ震えるだけ。
そんなプライ・マハを見たセレステは、心を決めて言い出した。
「ラガマダ!」
「!」
びくん、一瞬痙攣が止まる。
その隙を逃さず、天城はマハ、いや、震える子供に戻ってしまったラガマダの体を、ぎゅっと抱き締めた。
錯乱した相手には、抱き締めてあげるのが安定させる応急措置だと知っていたから。
「いいか、ラガマダ!
お前はもう、この世に生まれ、1千年も生きて来た!
ヒトとして、王様として、立派に生きてきたんだよ!
あんな無責任な毒親なんかに、負けるな!
何?最初から成体?
だからと言って、自分の子を愛さなくてもいいわけがない!
何?処分?
ふざけるな!
あんなくそ親なんか、ぶっ飛ばしていい!
なんなら、私が手を貸してやるから!
処分なんか、させるか!
お前は生きていい!いや、勝手に生きろ!」
正直、天城は『処分』という言葉に、甚だしい拒否感を持っていた。
野良猫や野良犬の『殺処分』に怒り、反対していたから。
場違いな感覚かもしれないけど、『処分』という言葉にイラッとし、つい、あんな強引な行動に出てしまったんだが…
ラガマダには、それで十分だった。
「生きて…いい?」
「いいも何も!そんなの、誰に聞く必要などないよ!
許可なんか要るものか!生きろ!命だろう!」
ラガマダの目から、大粒の涙が落ちる。
すぐ、溢れ出る涙が後を絶たない。
わーっと、赤子が産声を上げるように、泣き出した。
錯乱していた途中、ガウンがはだけていつの間にかまた裸になってしまったラガマダ。
そんな彼を、天城が暖かく抱き締めていた。




