12 執務室に呼ばれて(4)
「薬を届けさせよう。塗るくらいはできるだろう」
ハイルは、わずかに視線をコルテオに向ける。それだけで指示が出されたようだ。
コルテオは「かしこまりました」と頭を下げた。
一応、心配をしてくれているようだ。気遣ってもくれているのだろう。
だから。
「ありがとうございます」
素直に言葉が出た。
ハイルはわずかに目を見張り、私から視線をそらしてしまった。
(私を呼んだ理由はこれだったのかな)
ならば、もう、用はないだろう。
「では、私はこれで」
失礼します、という前に、ハイルに名を呼ばれた。
(しまった、帰りそびれた)
もう、本当に帰りたい。
一人になりたい。
厨房へ行きたい。
「あの時は何をしていたのだ」
「・・・あの時?」
いつだろう、と考えてみたが、ハイルと会ったのは火傷をしたあの日しかない。
「あの時は・・・コーヒー豆を炒っていました」
「コーヒー?」
ハイルは知らない単語を聞いたかのように繰り返した。
「・・・知りませんか?」
「旦那様が飲むようなものではありません」
後ろからコルテオが私の言葉を遮るように言った。
「南方より輸入される豆の一種です。お茶のようにして飲みますが、苦すぎるために平民でも好んで飲む者はおりません」
「そのコーヒーをなぜミリアが」
ハイルの興味がコーヒーに向けられている。そのことに憤っているコルテオが、私を責めるように睨んできた。
(余計なことは言うなってことでしょ。でもなんで私があんたに従わないといけないのよ)
コルテオというこの男は、どうも最初から好きにはなれなかった。
対抗心が生まれたからか、つい、余計なことを言ってしまう。
「コーヒーは苦いだけではありません」
あなたの認識は間違っていると、思い知らせてやりたい。
そう思ってしまった自分が間違っていた。
帰るに帰れない状況を自分で作ってどうするんだ。
後に引けない状況に、何とか会話を終わらせたくて、手短に説明して終わらせようと考えた。
それなのに。
「正しい淹れ方をすれば、とてもおいしく飲むことができます」
「ほう」
ハイルの興味がコーヒーに注がれる。
じっと私を見てくるハイルの視線に、まさか、と思った。
(こんなことしてる場合じゃないのにっ)
無視できない視線に、つい出そうになるため息を何とか飲み込んだ。
「・・・飲んでみます?」
ただの社交辞令だ。断られる前提の提案だ。
だが、そんなこちらの都合を配慮することを公爵閣下は知らないようだった。
「用意できるのか」
(本当に飲みたいんだっ)
「・・・まだ豆が残っていると思うので」
この前マロウが炒ってくれた豆がまだ残っていたはずだ。
あれから、マロウはコーヒーを淹れることを覚えた。
炒り方から、淹れ方まで、細かくレクチャーすれば、すぐにマスターしてしまったのだ。
さすが調理人だ。
今では私が淹れるよりもうまかもしれない。
私では味が感じられないために、判定ができないけど。
そんなマロウは、切らすことなく豆を炒って保管している。
夜にコーヒー目当てに訪れる父親に嫌な顔をしながら、3人分のコーヒーを淹れることが日常となっていた。
(本当は夜にコーヒーを飲んだら眠れなくなるのに、私に合わせてくれてるんだよね)
夜中しか自由に出歩けない私のために。私を受け入れてくれる場所をわざわざ作ってくれる優しさが、今の私の心を支えてくれている。
「準備してきます」
覚悟を決めるしかない。
コーヒーを淹れたら、解放してもらえることを願って。
「必要なものを言いなさい。お前が動く必要はない」
それはどんな意図で言っているの、なんて聞けない。
「でも・・・」このヴィスコス公爵家で、私のために動いてくれる人間は2人しかいない。その二人は、今日、私のために休みを取っている。
「豆のある場所も、必要な道具も、私でないと分からないので」
そう答えると、仕方ないと思ったのか、ハイルは何も言わなくなった。
とにかく急ごう。
私は執務室を出て、厨房へと向かう。そのあとをコルテオが付いてくるのがなんとも居心地が悪かった。
厨房には、初めて見る人が何人もいた。昼間に稼働している厨房へ来たのは初めてだったから、そのあふれる活気に圧倒される。
昼と夜であまりにも違いすぎて、まるで拒絶されているかのように感じてしまった。
マロウの姿は、どこにもない。
厨房の中にいる調理人たちは、私を見て訝しげ、コルテオに気づくと慌てたように手を止めて、全員が直立する。
その中でも料理長らしき年配の男が一歩歩み出た。
「ネブリオーレ様、いかがいたしました」
何か自分たちに不備があったかと、表情に不安の色がにじんでいる。
「旦那様がコーヒーを所望された」
「は?コーヒー?」
「ミリアお嬢様がお淹れになる。道具を取りに来たのだが」コルテオが私を見る。「何を準備すればよろしいでしょうか?」
マロウが仕舞っているコーヒーセットの場所は分かっている。
今の私が準備できないものと言えば、
「沸かしたてのお湯と、カップが二つ」
さすがに公爵閣下に出すコーヒーを、その辺のカップに淹れるわけにはいかないだろう。
「かしこまりました。お湯はこちらで準備いたします。旦那様の執務室に持ってくるように」
コルテオが料理長に言った。
「お湯だけ、ですか?」不安そうに料理長が聞く。
コルテオがちらりと私を見るから、私は頷いた。
あとは。
「中に入っても?」
料理長に聞いた。何も返事が返ってこないから、肯定と勝手にとらえることにする。
私は厨房の奥へと進み、食器棚の隅にまとめておいてある道具を取り出していく。
丁寧に挽いたコーヒーの粉も、ちょうど残っている。
(よかった)
豆を挽くのはさすがにできないから。「ミリア」の体では、豆に力負けしてしまうのだ。
近くのテーブルに並べた一式を確認すると、
「こちらをお持ちすればよろしいですか」
コルテオが聞いてくる。
足りないものはない。
私は頷いた。
どうやって運ぼうかどうやって運ぼうかと悩んでいると、初めて見るメイドが二人、厨房の中に立っていた。
「こちらを旦那様の執務室へ」
コルテオが支持を出す。
メイド二人は私を見ようともしない。
手際よく大きめのトレイに道具を乗せ始めた。
「では戻りましょう」
促されて厨房を出た。
もう一度中を見回すが、やはり、マロウの姿はなかった。
夜には会えるよね。
一抹の不安を感じながら、私はコルテオの後を付いていく。
そういえば。
ふと、思いいたる。
ハイルからは、長男アロルドや、次男ベルトから感じられるような敵意や軽蔑のような視線を受けなかった。
好意的とは言えないが。
(気に掛ける価値もない、ってことかも)
どちらにしても、早くコーヒーを淹れて、退散しよう。
そう心に決めた。




