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04 もう一人の公子(1)

 今日は朝から熱っぽかった。

 特に頭痛やだるさを感じるわけではない。ミリアの体は、基本的に何も感じられないのだから。ただ、普段よりも体がほてっているように思えるだけだ。立ち上がったり室内を歩き回るときに、いつも以上に動きたくないと感じるだけだ。ついでに視界がぼやけたり、時折足元がゆらりと揺れるため、余計に疲労感を意識してしまうだけだ。かといって、一日中寝ているのももったいない。現代社会で、常に時間に追われた生活をしていたからだろうか、何もすることなくのんびりと過ごす一日というものに焦りを感じるのだ。たとえ熱があっても仕事は休めない、そんな常識を若いころに叩き込まれたせいかもしれない。

(そういえば、あの時の上司は今なら査問委員会間違いないな)

 大学卒業したばかりの新入社員のころ、典型的な嫌がられる上司がいた。何よりも縦社会を重視し、毎日社訓を大声で復唱させ、勤務時間数が能力と比例するという理解不能な理論を振りかざす男だった。「いついなくなるか分からない奴らに仕事なんて任せられん」と女性社員に平然と言い放つ。それを聞えないふりしないといけない、と先輩の女性社員から教わった。女性で部長まで駆け上った人だった。私の憧れだった。

「私たちが男と同じ仕事をしようとしたら、男の倍、働かないといけない。プラス、雑用をこなしてね。ほんと、あほらしい。家で奥さんに文句ひとつ言えないで、その憂さ晴らしを私たちにするんだよ。家で逆らえない分、会社で威張り散らすんだ。同じ女だって理由だけで女子社員を卑下する。奥さんに一言でもモノ申してから来いよって感じ。だから熟年離婚が増えるんだって分からないのかね。奥さんたちはみんな、全部分かってるのに」

 そう言って、夜の職場で缶ビールをあおっていた。そんな彼女の姿が懐かしい。

 誰が見ても仕事は完璧、そんな先輩でも、いや、だからこそだったのだろう、たった一度の失敗、それも部下のやらかした不始末の責任を取らされて、彼女は取引先の下請け業者に出向させられたのだ。

 会社を去るとき、彼女は笑っていた。「運が悪かったんだよ」と。だけどその目は、すべてを軽蔑するように冷たく濁っていた。

「やるんならうまくやんなよ」

 そう言って私の肩を叩いた彼女は、自分をゴミのように捨てた会社に残る私に、本当は何を言いたかったのだろうか。彼女と同じように出世を目指して奮闘していた私を、どう思っていたのだろう。

 出向先の会社を退職していたと聞いたのは、彼女が会社を立ち去ってから3年後、彼女が出向先の会社を退職してから2年以上も経った頃だった。


 さて、行こうか。

 らしくなく、昔のことを考えすぎてしまった。

 毎日部屋と会社の往復をしていたころは、忙しいということもあって、昔のことを振り返るなんてしてこなかった。過去を思い出して時間を使うより、次の対策の手を考えるほうが有効だと思ってきたからだ。

 それなのに、今日に限って昔のことをつらつらと思いふけってしまったのは、この「世界」で私ができることがすくな少ないからだ。それからきっと、昨晩の鞭うちが、いつもよりも長かったからだろう。昨日のメイドたちは、いつも以上に気合が入っていて、ミリアを罵倒する声音に熱がこもっていた。

 理由はだいたい想像がつく。

 今日、私が部屋から出る理由と同じだろう。

 私は廊下へと続く部屋のドアノブをつかんだ。

 緊張する。

 この部屋を出るときは、本当に、心臓が壊れるのではないかと思うほど早く収縮するのだ。

 この胸の高鳴りは、期待ではなく、恐怖だ。「私」ではなく、この体が覚えている恐怖だ。勝手に震える指先が、他人事のようにも感じる。思うように動かせないから、煩わしい。

 汗ばむ手を服に擦り付けて、改めてドアノブをつかんだ。

 ゆっくりとドアを開ける。

 顔を出し左右を確認すると、人の気配は感じられなかった。

 ようやく私は、深く息を吐いた。先ほどまで息を止めていたのだと気づいて苦笑する。ここまで怯える必要はないと思うが、ただ体が意志とは関係なく反応しているようなのだ。


 さて、目的地までどうやって進もうか。

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