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明日香を加えた四人は、高座の上の紗代を讃えるように全力で拍手を送る。明日香の落語も最高だったが、紗代の落語も一年というブランクが嘘のように笑えるものだった。明日香と同じ、落語をやることを自分自身が一番楽しんでいる者にしかできない語りだ。
「大学時代のことを思い出したよ。ありがとう、紗代さん。最高だった」
大輔が紗代を称賛する。ただ、それは大輔だけの思いではない。後半の賞賛は、ここにいる全員の気持ちを代弁していた。
「紗代さん、久しぶりに落語やってどうだった?」
「……楽しかった」
大輔がゆっくりと穏やかに問うと、紗代はどこか悔しげに答えた。大輔に乗せられる形で落語をやり、結果として楽しんでしまったのが、まんまと策に嵌ってしまったみたいでむかつくのだろう。
そんな妻に対して、大輔は「だと思った」と愉快そうに微笑む。
「だって、『寿限無』やっている時の紗代さん、すごく輝いていたしね。――それじゃあ、最後の質問にいこっか。落語やるの――まだ怖い?」
「さっきの質問に答えた後じゃあ、怖いなんて言えないじゃない」
紗代が、「いじわる」と言いたげに唇を尖らせた。
何だかそんな紗代がかわいらしくて、志希は思わず笑ってしまった。
「今だから明かすけど――実は僕、大学の入学式で紗代さんに一目惚れしてさ。紗代さんを追って落研に入ったんだよね」
不意に大輔が、頬を掻きながらの惚気話を始めた。
志希と明日香は、両手の掌を合わせた格好で大輔の方を見つめ、「おお!」と感嘆の声を上げている。恋バナが好きなお年頃なのだ。ちなみに、紗代の顔は真っ赤だ。
「そしたら、紗代さんと一緒に『寿限無』を練習することになって……。それから紗代さんと仲良くなっていくうちに、近付くための手段だった落語のこともどんどん好きになって……」
大輔が、まっすぐにステージの上の紗代を見つめる。
「心の底から思うよ。紗代さんが落語女子で本当に良かったって。紗代さん、僕と出会ってくれて、ありがとう。落語と出会わせてくれて、ありがとう」
大輔の恥ずかしいくらいまっすぐな気持ちが、ホールの中に反響していく。
「私も、あなたと出会えてよかった。私と一緒に落語をやってくれて、ありがとう」
大輔の気持ちを受け止めた紗代も、同じく偽りない気持ちで返す。
紗代から最高の言葉を返してもらった大輔は、続いて「明日香」と娘の名を呼ぶ。
「はじめて高座に上ったとは思えないくらい堂々としていた。さすが、紗代さんの血を引いているだけのことはある。僕も鼻が高いよ」
「えへへ。ありがと、おとっさん!」
大輔が頭を撫でて褒めると、明日香はくすぐったそうに笑った。
「なあ、明日香。おとっさん、実は昔からこっそり明日香の亭号を考えていたんだ。――だからさ、もしよかったらだけど……初高座のお祝い代わりにもらってくれないかな」
「本当!? ほしい! 聞かせて、おとっさん!」
初高座に対する最高のご褒美に、明日香の目がこれでもかと輝く。
そんな娘の期待を一身に受け、大輔はオホンと咳払いをして、亭号を告げた。
「お前の亭号は――『明日ノ家秋桜』だ」
「こすもす?」
「そう。明日香は秋の生まれで桜花の娘だから、秋の桜で『秋桜』。どうかな?」
笑顔の中に緊張を滲ませて、大輔が問う。
すると、明日香は腕を組んで「うーん……」と考えるような素振りをし――。
「うん、気に入った! ありがとう、おとっさん!」
すぐに二カッと笑って、父からの最後のプレゼントを受け取った。
娘に亭号を受け入れてもらえた大輔は、安心した様子でホッと一息。そして――彼は確認するように志希と荒熊さんの方を見る。
大輔からの視線を受けた志希は、少し表情を硬くしてコクリと頷いた。明日香たちが、夢から覚める時間が来たのだ。
「二人とも、僕の夢を叶えてくれて、ありがとう。これで――思い残すことはなくなった。僕は“本の記憶”の一部でしかないけど、あの世の僕もきっとそう言うと思う」
紗代と明日香の方へ視線を戻した大輔が、穏やかに言う。
その言葉に、別れの時が来たと悟ったのだろう。明日香が、再会した時と同様に「おとっさん!」と大輔に抱き着いた。
「ずっと明日香の成長を見守っていたかったんだけどな……。ごめん、明日香。大きくなるまで一緒にいてやれなくて」
大輔があやすよう抱きしめると、明日香はブンブンと首を振った。
「紗代さんも、本当にごめん。明日香のこと、頼むよ。それと――ずっと愛してます」
「ええ、私も」
明日香を抱きしめたまま言う大輔に、紗代は涙を零しながら最高の笑顔を見せる。
最愛のふたりに挨拶を済ませた大輔は、明日香を離し、三歩ほど下がった。同時に、世界が再び白い光で満ちていく。
「それじゃあ二人とも、これで本当にさよならだ」
光の向こうから、大輔の声が聞こえてくる。その声はどんどん遠くなっていく、
「もう落語のことで喧嘩しちゃダメだよ。落語は、人を楽しませるためのものなんだからね」
そして最後にそんな大輔の言葉が聞こえてきて、世界は白一色に染まった。
* * *
気が付けば、志希たちは全員、あらいぐまへ戻ってきていた。
「明日香ちゃん、紗代さん、お疲れ様でした」
「姐さん、今のは……」
「まあ、『ちょっと特別な夢』くらいに思っておいてください」
呆然としたまま訊いてくる明日香に、志希はいたずらっぽく笑って答える。
そして、明日香と同じく呆然としたままの紗代を見た。
「紗代さん、心の整理、つけられましたか?」
尋ねられた紗代は、志希と荒熊さんを交互に見つめる。
「あなたたちは、本当に不思議な方々ですね。けど――おかげでこれ以上娘を悲しませずに済みそうです。ありがとうございます」
憑き物が落ちたというか、吹っ切れた様子で紗代が志希たちに深く頭を下げる。彼女はそのまま、明日香に手を差し出した。
「帰りましょう、明日香。サークルに復帰の連絡をして、鈍った腕を磨き直して……。やることだらけだわ」
「うん!」
明日香はパッと表情を輝かせ、紗代の手をうれしそうに握る。そして、志希たちに向かってブンブンと空いている方の手を振った。
「旦那、姐さん、ありがとう。またね!」
「この御礼は、またいずれ」
「そうですか? では、いつかうちで落語会でも!」
昨晩の志希の発破が効いたのか、紗代の社交辞令に乗っかって荒熊さんが早速営業を始める。しかし、さすがに空気が読めていなさ過ぎるので、志希が笑顔でアライグマの店長を抱き上げ、その口をしっかり塞いだ。
紗代はそんなふたりのやりとりをおかしそうに笑って見つめ、ひとつ頷いた。
「ええ、ぜひ。――では、また」




