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今日は平日ということもあって、お客さんの入りは比較的緩やかなものだった。
お昼時は荒熊さんのサンドイッチメニューを求めてお客さんが入ったが、それを過ぎると店にいるお客さんはほとんど常連さんだけになった。
「ごちそうさま! 旦那、新作のキウイジャム、甘酸っぱくてメッチャうまかったよ!」
「ありがとう。挑戦してみて良かったよ」
手伝いを終えた明日香と荒熊さんが楽しげに会話するのを、志希は横で洗い物をしながら聞いていた。
荒熊さんの新作ジャムは、どうやら当たりだったらしい。カフェが閉店したら、味見させてもらおうと心に決める。
志希がそんなことを考えていると、不意に荒熊さんがカウンターの下から座布団を取り出して、明日香にニヤリと笑い掛けた。
「それはそうと、今日もやってくかい?」
「いいの!? やるやる!」
荒熊さんから座布団を受け取り、明日香がうれしそうにコクコク頷く。
明日香が椅子の上に座布団を敷いて正座すると、荒熊さんは店中に聞こえるようにアナウンスを始めた。
「えー、みなさん! お立合い~、お立合い~。ブックカフェあらいぐま、本日もイベントの時間がやって参りました。うちの看板娘その一、明日香ちゃんの落語会、間もなく開演で~す!」
荒熊さんのアナウンスを聞くと、常連たちは本を読むのをやめて「よっ! 明日香ちゃん!」「待ってました!」などと囃し立て始める。常連以外で唯一残っていたお客さんたちも、何が始まるのかと明日香の方に注目した。
店中から注目を集めた明日香は、トレーナーのカンガルーポケットから愛用の扇子を取り出し、「どうも、どうも」と色んな方向へ会釈する。
「ようこそのお運び様で、厚くお礼申します。さてさて、荒熊の旦那のご厚意でこの場を設けていただきましたのでね、一生懸命一席申し上げさせていただきます」
お客さんみんなからの注目を浴びている明日香だが、その態度は小学生とは思えないくらい堂々としたものだ。物怖じすることなく、流れる水のようにスルスルと言葉が出てくる。
「さてさて、時に江戸時代ってえのは、何ともまあ独特な時間の数え方をしていたようでしてね。夜の十時頃を“夜四つ”、深夜十二時頃を“暁九つ”なんて数えていたそうです」
そして、明日香は流れるように演目に入っていく。
時間の数え方が出てきたので、今日は『時そば』をやるつもりのようだ。いくつかあるレパートリーの中で、明日香が最も得意としている演目である。今日は常連さんではないお客さんも残っているので、自分の得意かつ有名どころの演目を選んだのだろう。
「いいねえ、この割り箸! ここら辺に出る二八蕎麦は割ってある箸ばかりだよ。誰が使ったかわかんなくていけねえ。それってえと、この割り箸は気持ちいいや。それに、いいどんぶり使ってるねえ。物は器で食わせろってえが、実にうまそうだ!」
箸やら器やら。やたらめったら褒めまくりながら、明日香は扇子を箸に見立てて蕎麦を啜る仕草をする。
この演目の醍醐味のひとつは、蕎麦をすする音の表現だそうだが、明日香のそれは、実に見事だ。志希に耳には、本当に蕎麦を食べているようにしか聞こえない。
「おい、蕎麦屋さん。この蕎麦、いってえいくらだい? ――へい、十六文でございやす。――ふうん、そうかい。生憎と細けえ銭しかねえんだ。手え、出してくんな」
そう言って、明日香は「一、二、三」と銭を出していく仕草をする。
「七、八……おっと、今何時でい! ――へい、九つでい。――十、十一、十二、十三、十四、十五、十六。うまかったよ、ごちそうさま!」
明日香が帰っていく仕草をすると、笑いが起きた。
その後も噺は続く。お代をちょろまかす手口を見た別の男が、自分もそれを真似てみようと試みる。しかし、ちっともうまくいかない。そしてクライマックス。男は蕎麦屋に勘定を尋ねる。
「へっへ、十六文ね。しっかり数えてくんな。一、二、三、四、五、六、七、八……今何時でい。――へい、四つでい。――五、六、七……。――あらあら、余計に払ってしまいました。悪いことはするもんじゃないですねえ」
明日香がお辞儀をすると、拍手が巻き起こった。
常連さんたちは、笑いながら拍手をし、「明日香ちゃん、日本一!」などと囃し立てる。一見のお客さん方も感心した様子で、熱心に拍手をしてくれていた。
「やっぱり、明日香ちゃんの噺はいいですね! 私、落語は詳しくないので技術的なことはわかりませんが、明日香ちゃんの噺は聞いていて楽しいです!」
「明日香ちゃんは、本当に落語が好きだからね。技術以上に、その気持ちが伝わってくるんだよ」
お客さんに交じって自分も拍手を送りながら、志希は興奮した様子で隣の荒熊さんに話し掛ける。一週間前に初めて明日香の落語を見て以来、すっかりファンになってしまったのだ。
一方の荒熊さんも、明日香の落語を気に入っている様子で、志希と同じく小さな手で拍手をしながら満足げに頷いている。
「旦那、いつもありがとね。はい、これ」
お客さんたちからの拍手と声援に応え終えた明日香が、座布団を荒熊さんへ返す。
ちなみにこの座布団、荒熊さんが明日香のために用意した一級品らしい。
「お疲れ様です、明日香ちゃん。今日もすごくおもしろかったですよ。お蕎麦を食べるくだり、何度聞いても本当に食べているようにしか思えないです!」
「えへへ。ありがと、姐さん。そう言ってもらえると、頑張って練習した甲斐があるってもんだよ」
志希が目を輝かせて熱弁すると、明日香はニカッと笑ってブイサインで応えた。
笑顔が本当に眩しい。妹になってほしいくらいのかわいらしさである。
「――ん? おっと、いけない。もうこんな時間だ」
志希が胸を撃ち抜かれていると、明日香はそう言ってカウンター席からぴょんと飛び下りた。
どうやら、家に帰らなければいけない時間らしい。
「それじゃあ、旦那、姐さん、今日はここらで失礼するよ」
「うん。今日もありがとうね。お疲れ様」
「明日香ちゃん、また来てくださいね」
ブンブンと志希たちに手を振って「またね」と言い、明日香はタッタッタと軽い足取りで店から出ていく。
そんな明日香の後姿を見ながら、志希はふと今朝のことを思い出していた。
「明日香ちゃん、ここではいつも笑っていますけど、家ではお母さんとギクシャクしているんですよね」
「そうだね。ご家庭のことだからあまり口は出せないけど……唯一の家族と気まずい関係っていうのは結構きつい状況だと思う」
明日香ちゃんは本当に強い子だよ、と荒熊さんは感心するような口調で言う。
その隣で、志希は明日香が去っていった入り口の扉を心配そうな面持ちで見つめていた。父を亡くして母子家庭という昔の自分と似た境遇である故か、明日香の今の親子関係が心配でならないのだ。
何かのきっかけで、明日香とお母さんの関係が良い方向へ向かってくれればいいのだが……。
そう願わずにはいられない志希だった。




