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七人の少女とたった一人のバッドエンド  作者: 灯月 更夜
第三章 幸せな結末を探して(上)
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3-6 春の夜祭

「姉上はアレクシス様に甘すぎますよ」

 そうむすっとしたのはエドワードだった。

 甘い? というわけではないと思うのだけれど、と首を傾げたエイネシアに、きちんとした装いの紳士が手を差し伸べる。

 約束通り、少しの迷いも無くその手を取ったところで、ハァ、とエドワードが一つため息を吐く。

 一体どうしたのだろうか。

「すまないね、エド。君の大切な姉さんのエスコート役を奪ってしまって」

 そう笑うアレクシスに、むっと口を噤むエドワード。

 はて。もしかしてそれに拗ねているのだろうか。

「エド……」

「ご心配なく、姉上。何も怒ってなどはいませんよ。ただこのへらへらといつも良いところを持って行く殿下に文句が言いたいだけですから」

 そうあけすけに言われると冗談じみて聞こえて、少しほっとした。

 エイネシアにとってはアレクシスもエドワードも大切だから、折角なら二人にも仲良くしてもらいたい。

「その代り姉上。後で私とも踊って下さいよ」

「勿論よ、エド。沢山踊りましょう」

 そのためにアゼッタで予行練習したのだから。


 そうして三人で城の広間へと階段を下りて行くと、そこには広々としたはずの広間が埋め尽くされるほどに沢山の人であふれかえっていて、まぁ! と目を瞬かせてしまった。

 集まった民たちも、城の方から美しい装いのお嬢様方が現れると、顔を輝かせて一つ恭しい礼をしてゆく。

 親に促された小さな子供達が見よう見まねで真似をするのはとても可愛らしくて、王都の茶会やパーティーではまずお目にかかれないカントリーな雰囲気が、自然とエイネシアを微笑ませた。

「ごきげんよう、皆様。ようこそフロイス・フィオーレハイド城へ。子守唄では目覚めずに氷に閉ざされてしまうお城だけれど、今年は皆様のお陰でエッタが目覚めてくれたようだわ。どうぞ、思う存分に賑わってもっと沢山の春を呼びこんで下さいね」

 そう声をかけたエイネシアに続けて、「顔をあげて、寛いで欲しい」と促した若様の言葉に、わっと皆元のようににぎわい始める。

 今日は無礼講。身分なんて関係なく、ただ皆が食べて踊って春を祝うお祭りだ。すぐにも沢山の民達が駆け寄ってきて、お城やお料理、パーティーの感想を沢山述べながら、春告げのお祝いの言葉を述べてくれた。

 ただ皆一様に、エイネシアをエスコートする見知らぬ麗人には首を傾げて、「どのようなお方なのですか?」と疑問を口にした。日頃所領で見かける人ではないし、アーデルハイドの顔立ちとも少し毛色が違う。明らかに外から来た人なのが、皆も気になったのだろう。

 だがさて、どう答えたものだろうか。ここで王室との間にスキャンダルをおこしたばかりのエイネシアが、軽々しく“こちらは王弟殿下です”だなんて言えない。だからその返答には困っていたのだけれど、そこはすぐにもアレクシス自身が、「星降りの国からやって来たナーダの王子です」とおどけた様子で自己紹介したものだから、わっと笑いが広がって話題が沈静化した。とても助かった。

 中にはアゼッタからやって来た子供もいて、数日前に見かけた星降りの王子様だと気が付いた彼らが「あ、星降りの王子様だ!」とはやし立ててくれたのも幸いだった。

 とはいえ流石に冗談めかしすぎたのだろうか。「本当に王子様みたい!」と遠慮なくアレクシスに飛びつく子供達には、護衛のはずのリカルドが如何ともしがたい顔でそわそわしていたのが面白かった。ついでに言えば、沢山の子供に引っ張られたアレクシスが、「シア、ちょと助けてっ」と情けない声で助けを求めるのも、なにやら面白おかしかった。

「こりゃ、お祭りに来ていたお嬢様とお坊ちゃんではないのかね?」

 傍観に徹していたら、今度はそんなおばさまの声がした。あまりはっきりとは覚えていなかったけれど、多分アゼッタで言葉を交わしたご婦人だ。

「ごきげんよう。先日はとても楽しませていただきました。お返しに、どうぞ楽しんで行ってくださいね」

「ははは! ご領主様のところの若様と姫様だったのかい? そういえば二人とも、離宮の方から来なさったね」

 わっと賑わったアゼッタ衆に、「何だい。何の話だい?」と、きっと違う町からやってきた集団が声をかける。そうやって色々な町の人たちが入り混じって会話を始める光景が色々なところで目撃されて、どうやらこの催しは情報交換の場という思いがけない副産物を生みそうだった。随分と遠方から来ている人達もいるようだ。

「皆様から頂いた沢山のリンゴでお菓子を作って、チャリティもやっているんです。もしよろしければ見て行ってくださいませ」

 せっかく人が集まってくれたことだからとそう宣伝をかけると、すぐにも職人風の男性の集まりが、「あぁ、告知が出ていたな」「聞いていますよ」と興味を示してくれた。

 奥様方も、「最近は教会も一杯で大変だって、聞いていたんですよ」「是非私もご協力させてくださいな」と、のんだくれている旦那たちを捨て置いてきょろきょろとチャリティースペースを探す。それを「どうぞこちらに」と誘導しようとしたところで、ふとエドワードの手がエイネシアを制した。

「姉上、ここから先は私が。姉上はどうかお祭りを楽しんでください」

「あら、でも……」

「というか、“アレ”から目を離さないでください。行方不明になられては困りますから」

 そう呆れ顔をしたエドワードの視線の先には、「私のこと?」と、いつの間にやら子供達に沢山髪やらポケットやらに百合を突っ込まれたアレクシスがいて、その姿には思わずエイネシアも吹き出してしまった。

 ちょっと見ない間に、随分と子供達におもてになっていたらしい。

「ではエド。甘えても、よいかしら?」

「ええ、勿論ですよ、姉上」

 有難う、とお礼を述べて、エドワードがとても頼もしい様子で皆を引きつれて行くのを見送る。

 その様子にそわそわと子供達がついて行ってくれたおかげでようやく解放された王子様は、「取りあえず全部取ってくれるかな?」と眉尻を下げる。そのどうにも頼りない姿にクスクスと笑いながら、一本一本百合の花を回収していったら、すっかり花束になってしまった。

 となると、もうやることは一つだけ。

「また、花冠を編んでくださいますか?」

「勿論。今日はシアの綺麗なプラチナの髪が露わだから、きっと白百合がとても映えるよ」

 そうエイネシアの手から一本の百合を取り上げた指先が、クルリといともたやすく輪を作り、一本、一本と百合を編み込んで行く。

 そうして出来たみずみずしい百合の花の花冠は、以前よりももっと素敵に見えた。

 緩やかに波を打つ頭に乗せてもらうのはやっぱり少し恥ずかしくて、「よく似合っているよ、エッタの女神さま」と言われると、「もう……」と頬が赤く染まった。

「はい! ナーダの王子様にも王冠あげる!」

 だがエイネシアを辱めた天罰か。ちっちゃな女の子たちが満面の笑みで、ちょっと不器用な花冠をアレクシスに突きだしたものだから、「えぇっ!?」と、素っ頓狂なアレクシスの声が響いた。

「花冠は女の子を可愛くする魔法だよ。私よりも君の方がずっと似合うと思うな」

 乗せてあげるからそれを貸してごらん、と花冠に手を差し伸べたアレクシスに、でも、でも、と女の子たちが顔を見合わせる。

「でも王子様はとっても綺麗だから、きっとこの花冠が似合うの!」

 そう主張する女の子たちに、「うーんっ」と、アレクシスが困った顔をする。

 この人でもこんな顔をすることがあるのだなと何だかおかしくて、ちょっとだけ、好奇心が疼いてしまう。

 もう少し、困らせてみたら……そしたらどんな顔をするのだろう、だなんて。

「可愛いお嬢さんたち。その花冠を私に貸していただける?」

 そう身を屈めて手を差し伸べたエイネシアに、「王子様に渡してくれる?」と女の子たちが首を傾げる。

「ええ、勿論。私がきっとナーダの王子様を花冠の国の国王様にして差し上げますわよ」

「ちょっ。シア?」

 困っているアレクシスを余所に、「だったらどうぞ!」と満面の笑みで花冠を差し出してくれた女の子からそれを受け取る。

 不器用で不揃いだけれど、なんだか手作り感があってとても可愛らしい小ぶりの花冠。

 それを手に身を起こしたエイネシアは、胸に手を当てると、王子様に挨拶する精霊よろしくとても可憐な礼を尽くして頭を下げる。

「星降りの国の王子様。どうぞ、花降りの国の国王様にご戴冠下さい」

「シア、シア……私の場合、それはちょっと笑えないのだけれど」

 そう青い顔をなさる“王弟殿下”に、エイネシアはクスリと笑ってみせた。

「平気ですわ。春祭りは今宵で終わりですもの」

 だからどうぞ受け取って下さい、と言うと、まだ少し困った顔をして。

 それから仕方なさそうに、「春の女神のお申し出なら仕方がない」と、僅かに身を屈めた。


 その頭上にそっと花冠を差し伸べて。

 指先がさらりと、その柔らかなクリーミーブロンドの髪に触れる。

 なんだかそれにドキドキとして。

 小さな花冠を乗せるだけなのに、とても緊張した。

「似合うかな?」

 困った顔で微笑んでみせるその人に、花冠はとってもお似合いで、どうしようもなく頬が上気する。

「ええ。金や銀の冠より、ずっと」

 そうはにかみながら口にしたら、ふわりとその人の顔がほころんだ。

 あぁ、本当に。

 とても良く似合う。


「さぁ。こうなったら恥はかき捨てだ。シア、踊ろう!」

 パッと腕を掴まれるとあっという間に引っ張られ、クルクルと皆が躍る輪の中へと紛れ込んで行く。

 やって来た若い二人組にはすぐにもチラリチラリと視線が向いて、殿方の頭の花冠に、「あら」「まぁ!」と奥様方のおかしそうな声色が飛び交ったけれど、ちっとも気にした様子も無くエイネシアの手を握ったアレクシスは、音楽に合わせて踊り出す。

「私、この曲の踊り方なんてっ」

「大丈夫。適当にまわって適当にステップ。はい。ここで適当にターン!」

 くるり、と片手を取られてターンを促され、きゅっと腰を支えられてくるりくるりと軽やかなステップを。

 全く知らない曲なのに、なぜだかちっとも考えたり迷ったりすることなく、いともたやすくその二本の腕に翻弄されてゆく。

「あ、あれっ。すごいっ! 私、踊れてます?」

「うん。完璧だよ。はい、ここでもう一度ターン!」

 クルリ、と回るとドレスのスカートが軽やかに舞って、なんだか楽しくなってくる。

「ふふっ。すごい。アレク様、この曲ご存知なんですか?」

「いいや、ちっとも。でも中々上手でしょう?」

 クルクルとエイネシアを翻弄するステップに、「そんなまさか!」と驚いた。

 だってこんなに上手なのに。

「彼らの踊りに決まり事なんてないんだよ。あるのはたった一つ。楽しく踊ること。如何かな? お姫様」

「とっても楽しいですわ、国王陛下」

 クルクル回ってトントンはねて。ぶつかりそうになった別のカップルと交差して、何故だか四人で手を繋いで回って。そうやって少しの決まりごとも無く楽しげにまわる輪舞。

 きっとワルツというのは、本当はこういう踊りのことをいうのだ。

「エッタ様。おじさんとも踊っておくれ!」

 そう割り込んできたおじさんに、「勿論です」と自然と手を取って、くるりくるりと舞っていると、次へ、次へ、と相手が変わり、いつの間にやら会場中が大きな円を描くフォークダンスになっていた。

 ぐるりと一周回ったところで久しぶりのアレクシスに遭遇して、「やっと戻ってきた」と笑いあう。

 くたくたになるまで踊り明かして、時には小さなお嬢さんと。時には精悍な紳士と。

 うんと動き回ってもう限界! という頃になって、そっとエイネシアの手を取ったアレクシスが輪の中から連れ出してくれた。

 パチパチと賑やかな拍手に見送られても少しも恥ずかしくなんてなくて、「皆さんはもっと踊っていらして!」と手を振ると、皆も気さくに手を振ってくれた。

 ダンスを踊って拍手をされて、こんなに嬉しいのは初めてだった。

 ちゃんと上手く踊れていたか。王太子妃候補として恥ずかしくない踊りができたか。そんなことを気にする必要はもう微塵もなくて、誰にどう思われたってちっとも何ともない。

 ダンスはもっと怖くて切ないものだと思っていた。

 でもちっともそんなことなかった。


「あぁ。とても楽しかった」

 だから思わず自分の口からそうこぼれた時、自分で自分に驚いた。

 あぁ、そうか。楽しかったのだ、と。

「それは良かった。でも疲れただろう? 少し座ろうか」

 そうさりげなくエスコートしてくれるその人の手を思い切り頼って、少し離れた四阿(あずまや)に腰を下ろす。

 皆の喧騒が少し遠ざかり、熱気が離れてほっとする。

 すぐにも様子を伺っていたらしいジェシカがリンゴのジュースと軽い食事をテーブルに置いてくれて、「どうかごゆっくりなさいませ」と、気を利かせてくれた。

 冷たい飲み物が喉に心地よい。


「えっと。そろそろこれ、外しても良いかな?」

 そう自分の頭の花冠を指差すアレクシスに、「駄目です」と笑う。

「え。駄目なの?」

「ふふっ。だって本当に、とてもお似合いなのだもの」

「困ったなぁ」

 指先で頬を掻きながら、でも律儀に花冠を外したりはせずにいるその人は、本当に優しい人だ。

「でもまぁ……シアのそんな顔が見られるのなら、構わないか」

 ポツリと呟くその言葉があまり良く聞こえなくて、ん? と首を傾げたけれど、笑顔で誤魔化されてしまった。

「君が楽しそうで良かった」

「ええ、とても。もう、大丈夫ですよ。本当に、もう」

「でもこの程度では、君が流した涙の数にはちっとも足りない。君はもっと、楽しいことを沢山しなくてはね」

「……アレク様」

 あぁ。だから彼はこんなにも賑やかに、沢山の人たちの中に連れて行ってくれたのだろうか。

 それはどうしてだろうか。

 ヴィンセントの……身内の不始末を、肩代わりしようというのだろうか。

 でもそんなこと、アレクシスにしてもらう理由なんて何もないのに。

 彼にはもう十分すぎるほどに助けてもらった。

 思い返せば少し恥ずかしいくらいに、色々と助けてもらった。

 小さな頃からいつもいつも泣いているところを見られてしまって。

 卒業パーティーの日なんて、無遠慮に泣きついて、失礼なこともいっぱい言った。


「どうしてアレク様は……色々と、残してくれたのですか?」

 だから思わず、ずっと聞きたかったことが口からこぼれ出た。

 一瞬何の話か理解しかねたのか、ん? と不思議そうな顔をしたアレクシスに、エイネシアはちょっと言い辛そうに眉尻を下げながら顔をあげる。

「私……とてもひどいことを、アレク様にしてしまいました」

「それは……私が学院に入る前の。戴冠の祝典の時のことかな?」

「あの時も。それにその後も。沢山お手紙をくださったのに、一通も返さなかった」

「まぁ、返事が欲しくて書いていた手紙ではないからね。その事は、ちっとも気にしなくて良いよ」

 実際に、独り言みたいなものばかりだったから、とアレクシスは肩をすくめて笑う。

 けれど残念ながら……エイネシアはその頃の手紙を、一通も目に通していないのだ。

「言う事も聞かずに突然背中を向けられて。嫌にはならなかったのですか?」

「どうして?」

 どうして、って……、と言葉に困った。

「私にとってシアは、小さな妹のようなもので。いつも図書館で好奇心旺盛に色々なことを問うてきた、とても優秀でちょっとかわったお姫様だよ。私もハインもそんな君のことを可愛く思っていたし、少し構いすぎかな、と不安になるくらい構っていたと思う」

 君はヴィンセントの言いつけどおり、私のことを避けようとしていたのにね、と言うその言葉には、ドキリとした。

 やっぱり……わかっていたのだ。

 でもそれでも声をかけてくれた。あのとても楽しい議論の中に、強引に混ぜてくれた。

「あの日禁苑に紛れ込んできた少女と君が何を話していたのかは知らない。でも何かがあったんだろうなという事は分かるよ。何かがあって……そして私はあの日、涙を呑んでどこかへ走り去った君を見つけ出すことができなかったんだ。それは全部、私のせい。私の自業自得だ」

「あぁ……」

 そうか。がむしゃらに茨に手を傷つけて、靴も脱げ、ドレスも汚してボロボロになって銀の月を仰いでいたあの日のあの瞬間。どうしようもなく孤独を感じていたはずのあの刹那にも、この人はエイネシアのことを探してくれていた。どこかでずっと、名前を呼んでくれていたのだ。

「だから手紙に返事がないことも、少しもおかしいとは思わなかった。ただシアのそれからの未来が辛いことだけは、何となくわかってたから。何かを残したかったんだ」

「どうして、私の未来が辛いと?」

「だって、人前であんな辛そうな顔をした君を見たのは、あれが初めてだったから」

 思わず、驚きに目を瞬かせた。

 そんな顔をしていただろうか。

 いや、していたとしても、そんなことだけで? と。

「あの子が何者で……私と何を話していたのか。聞かないのですか?」

「あの子の事はすぐに近衛に引き渡して事情を聞いたよ。キャロライン男爵令嬢、だったかな? その後聞こえてきた色々な噂でも、同じ名前を聞いた。だからやっぱり、“そうなったんだ”と思ったよ」

 そしてあの時、きっとエイネシアと彼女はこうなる未来について話していたのだと。


「何を話していたのかは……本音を言えば気になるけれど。でも重要ではない」

「重要ではない?」

「シアは知らないかな? 王家やその近縁にはね、時折“漠然とした未来が見える”という人がいるんだ。あの男爵令嬢がそうだというのは腑に落ちないけれど、そういう人がいることについては驚かないよ」

 それは初耳で、驚いてしまった。

 それは要するに、このエーデルワイスには自分達のようなデスケアサービスに放り込まれた人達がかつてもいたという事なのだろうか。

 それとも未来を漠然と知っている自分達を浮かせないための補正だろうか。

「だから彼女が言っていた、私がいつかシアを投獄する……という未来は。まぁ今でもちっとも想像がつかないのだけれど。彼女には何か見えたのかもしれない。それからもう一つの方もね……」

 ブラットワイス大公が、ヴィンセントから王太子の地位を奪う……そんな未来も。

「ふふっ。でも私は今夜エッタの女神に花冠の国の王様に任命されてしまったから。エーデルワイスの王座は継げないのだけれど」

 そう茶化して見せたその人には、エイネシアもほっと表情をほころばせた。


 やっぱり、少しも信じられない。

 この人がエイネシアを牢に入れ、あの冷たい顔をした張本人だなんて。

 そしてこの自由と放蕩を愛する王子様が、王位を奪おうとするだなんて。

 実際にエイネシアの行動は、未来を変えた。

 アイラの行動。そしてアンナマリアの行動も、未来を変えている。

 アイラは星雲寮には入ってこなかったし、アンナマリアはエイネシアの味方になってくれた。

 エドワードはエイネシアを大切にしてくれているし、アルフォンスもエイネシアを庇ってくれた。

 未来は確実に、ゲームには無かった新しいシナリオを描いている。

 だったらこの人も。アレクシスも。

 シナリオにはない未来を歩むのかもしれない。


「私にも……その“未来”が見えたと言ったなら。アレク様は、信じますか?」

 恐る恐ると。

 でもこの人ならばきっと頭ごなしに否定なんてしないだろうと、そう思い問うて見る。

「ああ。信じるよ。君の目にも、私が君を投獄するように……そう、見えたのかな?」

「……ええ」

「そうか……」

 とても悲しそうに、とても切なそうに。静やかな声色がそう呟いた。

「その時の私は、どんな顔をしているのかな?」

「……とても。とても、冷たいお顔を……」

「……」

 言葉を噤んだアレクシスは、困ったように眉尻を下げてエイネシアを見やった。

 冷たい顔? そんなのはちっとも想像がつかない。

 でも想像がつかないからこそ、小さかったエイネシアをあれほどまでに怯えさせ、逃げ出させたのだろう。

 しかしもう、そんなのは嫌だった。

 折角こうして再び、この腕の中に飛び込んできてくれたのに。


「ではシア。私は今ここで、君に誓うよ」

 ポツリと呟かれた声に、ふと持ちあがる薄紫の瞳。

「私は君を、投獄なんてしない。するはずがない。もしも本当にそんなことがあるとしたら、きっとそれは私が君を守りたくてそうするのだと思う。それを信じて欲しい」

「守りたくて……」

「もしも私が君に冷たい顔をしたのだとすると、それはきっと君にではない。君をそんな目に合わせた自分に、絶望しているのだと思う。私が君を蔑むようなことはない。例え裏切られたって、悲しみはすれど恨んだりなんてしないよ。それを今ここで、すべての精霊に誓おう」

「そんな……」

 どうしてそんなにまで寛容なのか。

 もしかしたら本当に、どうしようもないほど恨む日が来るのかもしれないではないか。

「来ないよ」

 なのにそうきっぱりというその人の言葉が、エイネシアの顔を泣きそうに歪ませた。

「だから信じておくれ。私はシアを、傷つけたりなんてしない」

「アレク様……」


 知っている。

 本当はもう、分かっている。

 この人は少しだって、エイネシアを傷つけたりなんてしないと。

 いつもいつも、真綿にくるむように大切にしてくれて。

 どうしようもないほどに甘やかしてくれて、優しくしてくれて。

 それはエイネシアだけじゃない。

 きっと彼は誰も傷つけたくなんてない。

 そういう、優しい人なのだ。


「それでも私は……怖いのです」


 未来が変わることは分かっている。

 でも変わらない未来もあった。

 それにその人が途端に変わらない保証なんてどこにもない。


 かつての小宮雫が、行きつけの店の気のいい卸屋に、ある日突然殺されたように――。


「ただ……」

 だけど。

 だけどこの人は。

 この人だけは……。

「もう、逃げて顔を背けたりなんかはしません。ちゃんと“見ている”と。そう、お約束しましたもの」

 そう俄かに顔をほころばせたエイネシアに、彼もまた顔をほころばせた。

 それでいいよ、と。そう言っているようで。

 いつもと変わらぬ穏やかなその顔が、ただただエイネシアを慰めた。

「未来は変わりました。私はこの春を迎える前に、アーデルハイドではなくなるはずだったのに。今こうしてこの場所で、エイネシア・フィオレ・アーデルハイドでいる」

「シア……」

「だからきっと私の知っている未来も、変わるのだと。それを、信じています」

 そしてできることならば、これからの未来で。

 貴方が私の味方でいてくれたならと。

 そう望んでしまうのは、我儘なのだろうか。


「頼っても……いいですか?」

「あぁ」


「甘えてしまっても、いいのですか?」

「勿論だよ」


「沢山泣き言を言うかもしれません」

「それは私にとっては嬉しいことだね」


「愚痴も言うかもしれませんよ?」

「シアはもっと、愚痴を言った方がいい」


 ふふっ、と肩を揺らして微笑んで。

 でもなんだかぽろぽろと、暖かい涙が頬を伝った。



「アレクシス様を……信じていても、良いですか?」

「有難う、シア。信じていたいと思ってくれたことがね。とても嬉しい」




 涙を拭ってくれる指先が嬉しくて。

 いつまでたっても泣いていたいくらいだった。

 困ったな、と笑うその人の顔が好きで。

 もっと困らせたいくらいだった。

 シアは悪い子だね、と子供扱いしてくるその人の言葉が聞きたくて。

 わざと唇をとがらせてみせた。


 そのすべてを許してくれるその人に。

 ぽっかりと失って久しかった心の空白に、暖かさが戻るのを感じた。






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