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七人の少女とたった一人のバッドエンド  作者: 灯月 更夜
第三章 幸せな結末を探して(上)
70/192

3-7 王宮では

「ヴィンセント様」


 ピンクのドレスに春めいたイエローのレース。いつも身に着けてくれる贈り物の薔薇とリボンの髪飾り。朗らかな笑みを浮かべて突如腕に抱き着いてきた少女に、ふっとヴィンセントの顔が緩む。


「アイラ。母上の御前だよ」


 そう口にすると、「まぁいけない!」と慌てて手を離して、目の前の椅子にゆったり腰掛ける夫人に、この一年ですっかりと様になるようになった礼を尽くす。


「王妃様、いきなりすみません。ヴィンセント様がいらしたのが嬉しくて」


 そうニコッと屈託なく微笑む少女に、母は「まぁ」と紅茶のカップをソーサーに戻すと、声をあげて笑った。


「まったく、本当に可愛らしいこと。あの可愛げの微塵も無かった悪賢い誰かさんとは大違いね」

「悪賢い? そんな方が王妃様の周りにはいらっしゃるのですか?」


 無垢に首を傾げるアイラに、「貴女はそれで宜しいのよ」と、フレデリカが再び笑う。


「気に入ったお茶はあったかしら?」


 そうフレデリカが見やったテーブルには、幾つもの色とりどりのティーポットと茶葉が並んでいて、これでもかというほどに贅沢な内宮中の上等なティーカップが並んでいる。

 この日はフレデリカ主催のお茶会で、そのコンセプトは、卒業パーティーでおきた騒動のお詫びを兼ねた再祝いであった。主に学院の卒業生とその関係者が招かれた、パーティーの仕切り直しである。

 集められた食器も茶葉もすべて王宮大茶会に匹敵するほどのもので、えりすぐられた有名な茶菓子の数々も、様々なところで招待客をうならせていた。


「私、サイランというお茶が気に入りました。色もバラ色で、香りもお花のような香りがして」

「あら、嬉しい。サイランは私の実家の、メイフィールド領で加工されている茶葉なのよ」

「えっ。王妃様のご領地では紅茶が作られているのですか?! 素敵!」


 そう食いついたアイラに、まぁまぁ、とフレデリカは満面の笑みを浮かべながら、クイ、と侍女に指先で紅茶を出すように指示を出した。

 すぐにも控えていたアマリアが、ピンクのポットに茶葉をいれて紅茶を注ぐ。


「こちらも飲んでちょうだい。皆には振舞っていない、一番良い茶葉なのよ」


 そう促したフレデリカに、「まぁ! 宜しいのですか?」と、無邪気にヴィンセントの手を離れてフレデリカに駆け寄ったアイラが、紅茶を受け取る。


「あぁ、紅茶はお座りになって飲むべきね。そこに座りなさい」


 そう促したフレデリカに、「ヴィンセント様のお母様とご同席できるなんて夢のようです」とはにかみながら腰掛けるアイラが、「ヴィンセント様も」と促す。

 それに突き動かされながら隣に腰かけたところで、ずっと黙りこくっていたアンナマリアが席を立った。


「アン? 何処へ行くの?」


 それを厳しい視線で見やった母に、アンナマリアはチラリとも視線を向けることなく、息を吐く。


「お花摘みですわ。恥ずかしいからいちいちお聞きにならないで、お母様」


 そうクルリとドレスを翻して去ってゆく後ろ姿に、アイラが眉尻を下げる。


「私のせい……やはり私、アン王女には嫌われているのでしょうか……」


 そう呟くアイラの手を、思わずぎゅっと握りしめた。

 そんな不安な顔をしないでほしい。この関係を、不安に思わないでほしい。


「あれはエイネシアと親しかったから。私に腹を立てているだけだ。アイラは何もしていないのだから、気にする必要はない」


 そう口にしたところで、むっ、とアイラの顔色が曇る。


「あら、折角のこの楽しい場所で、あの方のお名前なんて口になさらないで」


 そうツンと言った声色に、思わずヴィンセントはクツと笑い声を溢した。

 真っ直ぐとぶつけられる感情が心地よいのだ。


「これはこれは王妃様。“妹”が失礼をしていませんか?」


 そこに大仰に手を広げてやって来た青年に、あっ! とアイラが目を瞬かせる。


「ダリッド様!」


 そう名を呼んだアイラに、ダリッド・バレル・シンドリー侯爵令孫は、「違うだろう?」と、アイラの座る椅子の背に手を置いた。その声色に、アイラは少し恥ずかしそうに肩をすくめて、「ダリッドお兄様」と呼び直す。


「あぁ、駄目だわ。やっぱりまだ慣れないわ。同級生のダリッド様が、私のお兄様だなんて。だって私、男爵家では一人っ子のような扱いでしたもの」


 そういうアイラはほんの数日前、このダリッドの義理の妹になった。

 というのも、初めて母にアイラを紹介した時、男爵令嬢と聞いて大層訝しんだ母は、そんな娘を王子の許嫁になんてと色々と調べさせたらしい。

 その結果、アイラの母……キャロライン男爵に手籠めにあい不遇にさらされてきたというその妾妻が、幼少期お腹を抱えて男爵領をさまよっていた女性が産み落とした孤児であったこと。そしてどうやらその子供の父がシンドリー侯爵であったことが明らかになったのである。

 即ち、アイラの母は庶民に身をやつしていたが、その素性はシンドリー侯爵家の庶子で、ダリッドの父の腹違いの兄妹にあたり、アイラとダリッドは従兄妹だったのである。

 これが明らかになるなり、シンドリー侯はすぐにもキャロライン男爵家からこの母子を引き取った。

 まさかかつて愛した女性に子供がいたとは思ってもみず、孫までいるなんて知らなかった。そのことをとても後悔し、改めて我が子を認知し、アイラを息子ダーズリー・バレル・シンドリーの養女とした。これによりアイラは男爵令嬢から一転、侯爵家の令孫。ダリッドの義理の妹となったのだ。

 ヴィンセントにとって、これほど嬉しいニュースはなかった。

 これまでアイラが被ってきた不遇を、拭い去ってあげることができたのだから。


「失礼なことなんて何もない。母上もアイラのお蔭で楽しんでくださっている」


 そう口にすると、「まぁ。本当ですか?」と、アイラがきらきらと目を輝かせる。

 こうして母と楽し気に話してくれているのを見ると、とてもほっとした。

 なんて穏やかな会話。なんて穏やかな居心地なのだろうか。

 かつてとは、まるで違う……。


  ***


「馬鹿みたい」


 そんな貴賓席の様子を遠目に見ながら、一人深い深いため息を吐いたアンナマリアに、「お客様に聞こえてしまいますよ」と声をかけたのは、ジュスタス・ニーズ・ノージェントだった。

 その顔を見た瞬間、「あら」とアンナマリアが目を瞬かせる。


「ジュスタス。このお茶会にいらしていたの?」


 そう今日一番の弾んだ声で駆け寄ったアンナマリアに、ジュスタスは苦笑を溢す。


「遺憾ながら。来るつもりはなかったのですが……」


 そう言ったジュスタスは、チラリとこの会場の中を見渡した。

 卒業生である三年の内、出席者は二割程だろうか。それに、アイラの取り巻き……味方をしていたような一、二年がそれ以上の数出席していて、そこにアンナマリアとジュスタス以外のエイネシアに近しい出席者はいない。

 ビアンナは卒業後早々と、所領に引き籠って長いラングフォード家の方針に従って、『花嫁修業がありますので』という理由で王都を離れたので、この場にはいない。同じく三年だったエブリルも『お見合いがあります』と言って所領に帰ってしまった。アンナマリアの友でもある一年のイザベルは実家の方針でフレデリカの催す社交には顔を出さなくなって長く、今この場にいる星雲寮の出席者はこの二人だけだ。

 いつもならアイラの傍に居るシシリアやセシリーが見当たらないのも気にかかったが、しかしその他は確実にアイラとフレデリカ派の貴族の子弟たちばかりである。

 この状況の中にいると、いかに現状が歪んでいるのかがよく分かる。

 王太子に許嫁返上を突きつけながらお咎めを受けなかった公爵令嬢への批判が声高らかに叫ばれ、そしてある日突然『実はシンドリー侯爵家の縁者だった』などという噂が流れたアイラを、さも当然のように疑いも無く“アイラ様”と呼ぶ。

 これまで王宮内で築かれていた空気とはまるで異質な、礼も作法もない醜い悪口と愚痴の飛び交う嫌な空間だ。確かに感情が明け透けで、解放的といえば解放的なのかもしれないが、到底気持ちのいい解放感ではない。

 でもだからこそ、ジュスタスはここにいる。


「誰かが見ておかねばいけませんから。何しろ来月、また学院は始まるんです。その時、あのアイラ・キャロラインを取り巻く情勢がどうなっているのか。学院がどうなっているのか。星雲寮の次の寮長として、ここにいるのは私の役目です」

「逞しくなったのね、ジュスタス。失恋のお陰かしら」


 そう言ったアンナマリアには、ジュスタスも思わず肩をすくめた。


「言わないでください。まだ結構(こた)えてるんです」

「ふふっ。ごめんなさい。でもそんな貴方だから、ビアンナも貴方に『次を任せる』と言ったのですわ」

「ええ。ビアンナ寮長のように、星雲寮の居心地は何としてでも守りますよ」


 そう頼もしいことを言ってくれるジュスタスに、うんうん、とアンナマリアも頷いた。


「ところで……王太子殿下の側に、アルフォンス卿がいらっしゃらないようですが?」


 そう首を傾げたジュスタスの疑問には、アンナマリアも息を吐く。


「お兄様はすっかりと馬鹿になられたのよ」

「王女殿下……」


 流石に窘めるような声色で呼ばれたけれど、しかしアンナマリアは少しも遠慮などすることなく、シンドリーやアイラと一緒になって楽しげに話をしている兄を見やった。


「エドワードは実質近侍から外れたわ。あれほどアーデルハイド家の心証損ねたのだから当然ね。その変わりがダリッドだそうよ。アルも。近侍としての肩書きは残っているけれど、今ではあの通り……」


 そうアンナマリアが指を指した先には、柱の陰に帯剣して立つマクレス・シグノーラの姿があった。

 本来ならば近衛の役目である場所で、しかも宮中で“帯剣”を許されている。その意味は、言わずともジュスタスにも分かった。そしてアンナマリアがため息を吐いた意味も、すぐに理解した。

 いつの間にか王太子殿下の護衛は、栄えある近衛騎士長である侯爵閣下のご令息から、成り上がりの大将軍子爵閣下のご子息へと変わり果てたらしい。

 シグノーラ大将軍の英傑ぶりは疑う余地も無く、成り上がったことを馬鹿にするつもりも侮るつもりも微塵もないが、しかし宮中を職場とする近衛ではなく“外”を守るべき軍の縁者が近衛を差し置いて王太子に近侍するなど越権行為も甚だしい。これは近衛に対する侮辱ともとれる。これまでの伝統的なものを打ち破るその光景に、それを固辞しなかったシグノーラへの批判的な感情が巻き起こるのも仕方がないというものだ。


「まさか……殿下が、本気で? エドワード卿は事情がありますからまだしも、アルフォンス卿は第一の殿下のご側近であったはずでは……」

「そのまさかなのよ。アルは卒業パーティーの日以来、一度も登城していないわ」


 アンナマリアの元には一度、『不躾ながら』という言葉を添えた手紙が届いた。

 手紙には、申し訳ないがしばらく宮中を離れること。そうするようにと、“上からの指示”があったこと。ただこのような状況下ではアンナマリアが心配であるので、何かあればすぐに言って寄越してほしいとの配慮だった。


「でもアルがいないのは当然よね。この状況。本当に笑えて仕方がないと思わない?」

「ええ。外廷では今宰相閣下が職務をボイコットなさって、国王陛下は休む間もなく政務に明け暮れ、治世は滞り、この状況への国民の不安は日に日に高まっている。だというのにそのすぐ側の内廷で、高価な茶器と茶葉を並べ立て、国の柱たる公爵家を貶めながら笑い声をあげてお茶会をしているのですから」


 しかもその主催者が、国王の側妃と王太子だ。笑えるに決まっている。


「ちなみにビアンナからは、宰相閣下のボイコットは何でも国王陛下が自ら申し出た謝罪としての一貫で、王太子殿下に自分のしでかしたことの重大さを知らしめるための罰らしい……と聞いたのですが」


 ハァァ、と、アンナマリアが再び重たいため息を吐いた。

 そう。まったくもって、その通りなのだ。

 今あくせく宰相の不在に対応すべく身を粉にして働く父は、ヴィンセントに対し、この状況に国と国王を追い込んだことを反省させたかったのだ。だがその王太子殿下は、今そこで、元凶ともいえる少女と呑気に談笑している。これでは誰も、ちっとも報われない。


「状況はもっと深刻よ」


 そう言うアンナマリアに、「というと?」とジュスタスは先を促す。


「まずお兄様は、寮の名誉を汚したと言って、エイネシア様を星雲寮から追放なさろうとしたの」

「なんですって? 聞いていませんよ?!」

「そうなる前に私が止めたわ。そんな馬鹿な話はありません、って。もしそうなさるのであれば私も一緒に寮を出ます、とも言ったわ」

「殿下……」


 思わずパチクリと感心に目を瞬かせたジュスタスに、「私も中々やるでしょう?」とアンナマリアは笑って見せる。


「でもそしたら今度は、“新しい寮を作る”という話になっているわ」

「新しい、寮?」

「お母様が学院に寄付をなさって、使われていなかった職員寮を全面改装させているらしいの。そこを新しい寮にして、“貴賤にわけ隔てのない寮”を作るそうよ」

「……分け隔ての、ない……」

「まぁお分かりでしょうけれど。入寮予定者は“そこにいらっしゃる方々”よ」


 そうアンナマリアの視線の先にいるのは、アイラを始め、その柱の影のマクレスや、アイラの取り巻きと化しているメアリス達だ。それに今まさにフレデリカに挨拶をしている小柄な二人組の男女は、たしかメイフィールド家の双子……フレデリカの甥姪だったか。彼らも来年度、学院に入学してくるはずだ。

 メイフィールド家は王太子殿下の外戚だからと一度は星雲寮にも名前が挙がった。だがジュスタスがそれをどうやって拒絶しようかと悩んでいる内に、呆気なくあちら側から星雲寮辞退の通達が来たから、一体どうした事かと思っていたのだ。

 しかしこれでその理由がわかった。彼らはまったく別の寮を作って、そこを新しい拠点にするつもりなのだ。


「シシリア嬢は? 退寮の届けなどは受理していませんが」

「それが分からないのよね。今日も絶対に来ると思ったのに見当たらないし」


 アンナマリアはそう一度首を傾げた。


「でも取りあえず星雲寮に残るつもりのようね。実際この一年、彼女からお義姉様の動きが漏れたりしたことが何度もあったもの。もしもこれからもそういう役回りを果たすというのであれば、私達も気を付けないといけないわ」


 エイネシアの印章が盗まれた件についても、シシリアを疑っていた。だが疑わしいのは彼女ばかりでなく、一件中立の立場でどちらにも加担していない二年のフレディ、一年のグエンなんかもかなり怪しい。

 彼らの親は貴族院の評議員議員であり、それは昨今、まことしやかに“メイフィールド家に買収されている”との噂が絶えない役職でもあるのだ。その影響がないとはいいきれない。


「星雲寮の中も、あまり良い状況とは言えないわね」

「新しい入寮者については、私が厳選していますから安心してください。ビアンナの弟や、先に卒業したシャーロット侯爵家の次女に、グランデル侯爵家の長男。グランデルはザラトリア侯の縁者で近衛の家系です。信頼もおけますよ」

「そういう方々がいらしてくれて良かったわ」


 そうほっと息を吐いたところで、一層賑やかになった貴賓席の方からちらほらと声が漏れ聞こえてくる。



「この間、ヴィンセント様に連れて行っていただいた王妃様の離宮。とっても可愛らしかったです!」


 アイラの良く通る高い声が耳に触る。


「でも驚きました。離宮って、もっとこうヴェルサイユみたいな感じかと思っていたから」

「ヴェルサイユ?」


 首を傾げるヴィンセントに、あっ、とアイラが慌てて口に手を添えた。


「ごめんなさいっ、私の空想上の理想のお城です」

「ははっ、どんな城なんだ?」

「えーっと、床とか天井がどこもキラキラしていて、沢山金とか使ってあって、高い天井にシャンデリアがずらーっと並んでいる、お姫様の住んでいるようなお城です」

「まぁ、王宮でさえそんなに贅は尽くしていないわよ」


 そうカラカラと笑うフレデリカは、「先の女王陛下がそう改装なさったのだけれど」と、吐き捨てるように付け加える。


「でもいいじゃない、そのような離宮も。私も昔は王宮ってそういうところかと思っていたわ」


 そう言うフレデリカに、「そうなんですか?」とヴィンセントが首を傾げる。


「そうだわ。ヴィンセント。アイラさんのために素敵な離宮を建てておあげなさいよ」

「離宮を? しかしいきなり建てるとなると……」

「今ある物を改装すればいいわ。王宮の森には使っていないところが沢山あるでしょう?」

「あぁ。アイラはどんなところがいい?」

「えっ! あのっ。私、そんなっ。離宮をいただくだなんて!」

「私が、アイラの気に入る場所で一緒に過ごしたいんだよ。いいから、言ってごらん。どんなお城に住みたいんだい?」


 えっ、えっ、と困惑して見せるアイラに、「未来の王妃陛下なんだ。貰っておけ」と、ダリッドが言う。


「あの……では……大きくなんてなくていいんです。でも……あ、そうだわ! 湖があると良いわ。湖畔でピクニックをしたり、夏には船を浮かべて涼むの!」

「ああ。いいな」

「豪華ではなくて良いけれど、お姫様みたいな気分になれるお城がいいわ! なんてっ。ふふっ。子供っぽいですか?」

「いいや。いいじゃないか。部屋はどうする?」

「とっても大きなシャンデリア! それに天蓋のついた大きなベッドがいいわ! いっぱいの花を飾って、大きなソファーで寛ぐの!」


「そうだわ。“イリア離宮”を潰してしまえばいいじゃない」


 フレデリカの一言に、ハッと思わずアンナマリアは身を乗り出しそうになった。

 それをぎゅっと堪えながらも、忽ちにきつく拳を握りしめて奥歯を噛む。


「イリア……ですか?」


 ポツリ、と呟いたヴィンセントは、一体その言葉に何を思うのか。

 駄目だ。あそこは駄目だ、と、アンナマリアが必死に祈る。

 だがその祈りは呆気なく、「あぁ、あそこなら大きさも場所もちょうどいい」という言葉に裏切られた。


「私、あの城が大嫌いだったのよ。薄暗くて鬱蒼として。周りの木ももっと刈って華やかに致しましょう。あの白い壁と青い屋根も変えた方がいいわ。そうだわ! いっそ取り壊して、新しく建てましょう。その方が手っ取り早いわ!」

「ふふっ。まるで母上の方が新しい離宮を欲しがっていらっしゃるようですよ」

「あら、だって楽しみじゃない? 私も昔はそういう離宮を夢に見たものだわ。アイラさんとは趣味があいそうで嬉しいこと」

「私も嬉しいですわ! お義母さま!」


 そう華やぐその会話に、ギリ、と、更にアンナマリアがきつく奥歯を噛む。

 それに気が付いたジュスタスが、「殿下……」と、気遣わしげに様子を伺う。


「イリア離宮は……お義姉様とお兄様と、エドとアルと。幼い頃に私達が皆で良く過ごしていた離宮よッ。それを勝手にッ……」


 爆発しそうな怒りをぎゅっと堪えながら、クルリと彼らに背を向ける。

 兄はあの思い出も。すべて無くしてしまいたいのだろうか。

 何もかも。エイネシアの事だけじゃない。エドワードやアルフォンス。アンナマリアとも過ごした、あの場所のことも。

 エイネシアがあの場所を、特に気に入っていたことも知っていながら……。


「そもそもあのイリアンナ王女の離宮は、アーデルハイド家出身のエリーシアス王妃が建てた離宮なのよ。縁起が悪いわ!」


 そう声高らかに言ったフレデリカの言葉に、さらにアンナマリアは愕然とした。

 縁起が悪い? 違う。エリーシアス王妃は賢女として名高く、よく王を支え、民を想い、三人の我が子を皆それぞれ賢明な人物にと育て上げた偉大な人物だ。

 残念ながら王子に恵まれず娘ばかりを儲けたが、しかしその才覚溢れる王女達は歴代の国王にも何ら遜色なく、少しとして王子を産めなかったことを非難されるようなことは無かった。

 そしてそのエリーシアス王妃所生の長女が、先の女王陛下にして現上王陛下その人であり、今フレデリカが口にした言葉は、紛れも無く上王陛下のご尊母を貶す言葉なのだ。

 アンナマリアにとっても、エリーシアス王妃とは実の曾祖母だ。王国の歴史を学んでいた幼少期、その人の沢山の業績を教わりながら、先祖にはこんな素敵な女性がいたのだとドキドキしたことは、昨日のことのように思い出せる。

 またエリーシアス王妃は、早くに両親を失った夫の弟達や末の妹であるイリアンナ王女を養育したと言われている。その王妃が王女のために建ててあげた離宮が、このイリア離宮だ。

 母はそれを知っていながら、それを壊したいと言っているのだ。

 とても信じ難い話だった。

 それがどうしようもなく許せず、思わず拳を握りしめて足を踏み出そうとした瞬間。


「まぁまぁまぁ。これは一体何事なの!」


 そこに思わず声を出してしまったとでもいうような甲高い声色が響き渡り、庭先から現れた白髪の黒のドレスの老婦人に、皆の視線が釘付けになった。

 招待のない客は茶会には来てはならないのが仕来り。そう冷たい視線が、嘲笑うようにしてそちらを向いて……しかし次の瞬間、誰もがギョッッと息を呑んで飛び上がった。


「これは何? 何の騒ぎ?!」


 そう言いながら、会場に足を踏み入れた婦人の視線がグルリとあたりを一周して、それからフレデリカを。そしてヴィンセントを見ると、見る見る眉を吊り上げた。


「お祖母様!」


 思わずそう口にして駆けて行ったアンナマリアに、皆は一斉に我に返ったかのように膝をついて叩頭する。

 おいでになったのは、表舞台を退いて久しい先の女王。件のイリアンナ王女の姪でもあらせられる、エリーシアス王妃陛下のお生みあそばされた上王陛下だった。


「アン、教えてちょうだい。これは一体何の騒ぎなの?」


 そうアンナマリアを向いた視線に、アンナマリアはすぐにも祖母の元に駆け寄ると、「申し訳ありません。このような時勢だというのに、私が不甲斐ないばかりに止めることもできず」と、深くため息交じりの謝罪をした。

 それだけで概ねの状況を見て取ったらしい上王陛下は、ハァ、とため息を吐いて上座を見やる。


「ヴィンセント、貴方が(おっしゃ)い。これは何の催し?」

「陛下……これは先日の騒動で空気を悪くしてしまった卒業パーティーのお詫びの茶会です。私が母上にお願いをして、開いていただきました」

「茶会ですって!?」


 そう素っ頓狂な声をあげる上王陛下に、チラ、とヴィンセントを見やったアイラが、途端に顔を跳ね上げる。


「私がご提案したのです! 私のせいで空気を悪くしてしまいましたから、何かお詫びを皆様にしたいと」


 そう口にしたアイラに、途端に上王陛下の眉間に深い縦皺が刻まれた。

 身分の低い者は、高い者へ先に声をかけて張らない仕来りを失したばかりか、王太子と上王の会話に割って入ったのだ。これには流石に傍らのダリッドが、「口を閉ざしておけ!」と、慌てて義理の妹の背を引っ張った。


「でも、私のせいですもの! えっと……ヴィンセント様の、お祖母様?」


 そう首を傾げたアイラに、ザワッ! と、流石に場が騒然となった。

 それには流石のヴィンセントも顔を青くして、ハッと顔をあげて慌ててアイラの前を庇う。


「申し訳ありませんッ、陛下っ。陛下のご尊顔を存じていないのです。お許しください!」


 そうヴィンセントが声をあげるのを聞いて、流石にとんでもない人物だと察したのか、アイラが慌てて頭を下げて、「ごめんなさいッ、私、またとんでもない失敗を!」と言う。


「まぁまぁ、良いではありませんか。お若いのだもの。退位なされた陛下のお顔をご存知なくても仕方がありませんわ」


 そう呑気に言うフレデリカには、上王は視線の一つさえも寄越さずに、ただただ頭を抱えて首を横に振った。


「ヴィンセント。その子が、噂のキャロライン男爵令嬢なの?」

「いえ……生母がシンドリ―侯爵の落胤であったことが分かり、シンドリー侯爵息の養女となっています」

「そんなことはどうでも宜しいわ。その子が、アーデルハイドを貶した無礼なお嬢さんなのかとお聞きしているのよ」


 カッとみるみるアイラが表情を取り繕うのも忘れて剣呑とした顔をあげたけれど、それに微塵もひるまない先の陛下は、その凛とした視線一つでアイラを黙らせた。


「陛下……どうかそのような言い方はおやめください。私の許嫁です」

「何ですって!?」


 またも素っ頓狂な声をあげた上王陛下は、あぁ、と、もう一度頭を抱えてから、困ったようにアンナマリアを振り返った。

 その視線に、アンナマリアもぐっと眉をしかめながら視線を落とす。

 信じがたいことに、ヴィンセントはそう主張している。国王は未だにそれを認めてはいないが、ここに集まった貴族達がそれを認めているのだ。そのことがどれだけ信じがたい物であったとしても、それが事実。上王陛下が呆気にとられるのも当然だ。


「まったく、なんてこと。ヴィンセント。貴方は自分が何をしでかしたのか分かって、そのようなことを言っているのかしら?」

「承知しています。そもそも婚約の破棄もエイネシアから申し出てきたこと。問題はないはずです」

「そうではないわ! 今、この政局が王太子にはちゃんと見えているのかを問うているのよ!」


 ピリッとしたその声色は老女とは思えぬほどに威厳高く、かつてはこの国の王座を守ったその声色に、ヴィンセントも思わず顔を青くして背筋を伸ばした。


「ッ……申し訳、ありませんッ。私に至らぬところがあるのであれば、すぐに改めて……」

「国王陛下がジルに暇を出した理由を貴方は理解していないのかしら!? 驚いたわ。いつから私の孫は、こんなにも不出来になったのかしら!」

「陛下ッ」

「フレデリカ! 貴女もよ」


 ピリッとした声色が、呑気にツンとした顔で余所を見ていた国王の側妃を見やる。


「お言葉ですが上王陛下。陛下がお忙しい今、皆様へのお詫びの会を開くのは私の務めでございましょう? それにこの度のアーデルハイド家のご令嬢のしでかしたとんでもない事件に、世は動揺しておりますわ。王太子は一刻も早く、新しい許嫁を迎え、民を安心させるべきではありませんか?」


 そう言うフレデリカには、まるで信じがたい、とでもいうように、上王は首を横に振った。


「なんということなの。とにかくフレデリカ、貴女は今すぐに会を締めなさい。お詫びならば別の方法を。これ以上、四公爵家を刺激して国王陛下のご心労を増やさないでちょうだい!」


 そう言われなおフレデリカはツンとした顔をしたけれど、流石にヴィンセントは慌ててそんな母の前も庇うように立つと、「分かりました。私がすぐに」と、そう首肯した。


「いいえ、ヴィンセント! 貴方は少し私といらっしゃい!」


 そうピリッとした声色で命じられ、ヴィンセントが一瞬たじろぐ。

 しかし、と戸惑う様子に、アンナマリアは一つ息を吐くと、そんな兄と祖母の間に立った。


「お祖母様。この場は私が。私もこんな馬鹿騒ぎ、早く終わらせてしまいたかったのです」

「ええ、アン。貴女に任せるわ。あぁ……まったく。なんてことなのかしら……」


 ハァ、と深い深いため息を吐いて踵を返した上王陛下に、アンナマリアが恭しく礼を尽くす。

 周りも慌ててそれに倣うけれど、今だなおフレデリカだけはツンとして、アイラもまたキョトンとした顔をして見せて佇んでいた。

 それがどれほど礼を失しているかなど言わずと知れたこと。

 だがアンナマリアは敢えてそれを窘めもせず、なすがままにした。

 精々、上王陛下の不興を買えばいいと思う。


「アイラ、すまない。不快な思いをさせた……」


 上王陛下が先んじて庭の方へ戻るのを見やってから、そっとヴィンセントは小声で囁きアイラの手を取る。


「いいえ。あの……私、また何か酷い失敗をしたのでは……」

「大丈夫だ。陛下は些細なことなど気に留める御方ではないから。安心なさい」

「そうだと宜しいのだけれど。どうかくれぐれも、私がお詫びを言っていたとお伝えしてくださいね」

「あぁ。また後ほど手紙を遣わすから。シンドリーと家に帰って、ゆっくりとしていてくれ」

「はい。お手紙待ってますね、ヴィンセント様」

「何をしているの、ヴィー!」


 厳しい声色に誘われて、慌ててヴィンセントが振り返る。


「アン。くれぐれも皆を……」

「早くお行きになっては如何です?」


 冷たく言ったアンナマリアにヴィンセントは一度眉を顰めたけれど、庭先でなお「ヴィンセント!」と呼ぶ厳しい声色を耳にすると、やがてぐっと言葉を飲み込んで、ヴィンセントは急ぎ上王の跡を追った。

 それに背を向けたままに見送って。


「なんて怖い方。ヴィンセント様が可哀想」



 ポツリ、と呟いたアイラの声色が耳に届き、深いため息を吐きだした。


 可哀想なのは誰なのやら。

 長年苦労して支え繁栄させてきた王国の未来を憂えねばならない上王陛下の方が、よっぽど可哀想だった。






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