第140章「ざわめきの中から」
「ほら、しゃべってないで早く進んで!」
部長高梨の元気な声の響きに、現実に戻される。
教師たちがいない場を任されており、はりきって取り仕切っている。
(高梨先輩らしいな……)
現実に戻されつつ苦笑した。
高梨のような先輩がいるおかげで美乃理も部の細かい調整に忙殺されず、練習に打ち込めているのだ。
「どこで食べようか」
さつきと一緒に席を探していた。どこも混雑していてなかなか空いていない。
その直後。
「あら、あなたたち。一緒にどう?」
その聞き覚えのある綺麗な声に後ろを振り返る。もちろんすぐに誰だかわかった。
「宏美さん……」
声の正体は龍崎宏美だ。
ジャージ姿で、食事が乗せられたお盆を抱えて、すぐ後ろに立っていた。
いつも誰かに囲まれているはずの彼女が一人であった。むしろ、自分たちと話をするために、一人になっているというべきか。
「あ、そうだ、あたし、あっちで木下さんたちと一緒に食べようって話にしてたんだ。ごめん、みのりん」
食事を受け渡し口で受け取って席に移ろうとした。
ふいにさつきが、急にその場を離れた。
「え? そうなの?」
引き留めようとしたがさつきは、そそくさと去ろうとする。
「ええ、せっかくだからさっちんも一緒に龍崎さんと……」
さつきは、美乃理の後ろをちらっと見た。そしてささやいた。
「ほら、美乃理、行きなよ」
「え?」
そのままさつきはすっと消えてゆく。
「気をつかってくれてありがとう」
宏美は去っていくさつきを引き留めなかった。さつきが自分たちに気を使ったことをきちんとくみ取っていた。
「ねえ、美乃理ちゃん、せっかくだから二人で食べましょう」
「はい」
確かに合宿中は宏美は高等部の練習にかかりきりで、あまり会話を交わす機会が無かった。直接話したいことはあったのは確かだ。
(ごめんね、さっちん)
心の中で感謝し、謝った。
「美乃理ちゃん、あっちのテーブルに行きましょう」
広い食堂の遙か奥の方を示した。
頷いて宏美の後について、お盆を抱えたまま歩き出す。
近くのテーブルは、もう先に座っている子たちでいっぱいだった。
せっかくだから相席になるより二人きりで話したい。
そんな美乃理の気持ちを神様がくみ取ってくれたのか、ちょうど一番隅にある窓際のテーブルが空いているのを見つけることができた。
そこに移動して座った。
ちょうど二人用の席であった。
「ここなら、落ち着いて話ができるわね」
「そう……ですね」
入り口からは遠く離れているが、外の景色が望めるいい席だった。
お盆をテーブルの上に置いて椅子を引いて座った。
「いただきます」
そして、二人で手を合わせる。昼食を取りつつ話を始めた。
箸をとり、お盆の食事に手をつけつつ。
先に言葉を口にしたのは、宏美の方だった。
「美乃理ちゃんは、合宿は楽しんでいる? 今年は後輩の面倒で大変でしょうけど」
「ええ、でも今年は去年から比べても内容が充実していますね、先生たちのおかげですよ」
始まった他愛もない会話。
美乃理も、留学の話、聞きたいことは色々あった。
どうやって切り出せばいいかまだ掴めない。それに昨日の清水敦子のこともある。
「昨日は寝不足だったのかな? 美乃理ちゃん、疲れてるように見えるけど……」
いきなり直球の質問が来たかと思って焦った。昨日の敦子とのやりとりを思い出させる。
「そ、そんなことありませんよ。ちゃんと寝てます」
「そうかな? なんだか目の下に隈があるような気がするけれど」
心の中を見透かされているような気がした。
「そ、それより、宏美さんの方が疲れてるように見えますよ。 わたしなんかよりももっと練習してるみたいですね」
動揺を隠しつつ返した。
しかし美乃理は心底感心しているのは本当だ。
あんなに練習して、どこからパワーが湧いてくるのだろうか。さらには自分を気遣う余裕もある。
さらには、当人は別にどこというわけではなく、振る舞いは変わらない。もっとも宏美は、以前から疲れたとか練習が厳しいとか音をあげるところをみせたことがない。
そういう素振りを露ほどもみせない人物であることを良く知っている。
「あら、そう? 美乃理ちゃんがそう言うのなら、忠告は受け止めておくわ」
「練習も気合い入りすぎると良くないですよ」
「ふふ、気を使ってくれてありがとう」
何気ない会話が流れていく。練習の話題だけでなく、夏休みの宿題や、お盆にはどこかに行くのか。
「美乃理ちゃん、今年はお母さんの実家には戻るの? 毎年従兄弟に会うって言ってたわね」
「いいえ、今年は帰省する余裕がなくて……。その代わりに日帰りで湾岸ネズミの王国に行くんです」
「ふふ、お父さんも、家族サービスが大変ね」
宏美は美乃理の家族の話を聞くのを好む。何気ない家族のやりとり、妹の話を、自分のことのように喜んだり悲しんだりする。
「そう、美香ちゃんも、もうそんなに大きくなったのね」
「はい。もう、最近は我が強くなってきて。なんでも自分でしようとするし、あたし、もう子供じゃないもんっていうのが口癖なんですよ」
「美乃理ちゃんも、そろそろ追い越されちゃうかもね」
「もう、そんなことないです。あたしがまだ子供みたいに言わないでください」
「あら、違うの?」
「ひどいですって」




