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人事担当、魔王軍を退職させる

 東門前に、二つの軍が揃った。


 東側には、魔王軍。


 黒い馬車。


 魔族兵。


 四天王。


 そして、魔王ゼルギウス。


 西側の外周路からは、勇者軍。


 王国旗。


 騎士団。


 弓兵。


 聖女。


 そして、勇者カイル。


 辺境都市アークライトは、その二つの暴力に挟まれていた。


 町の人々は、門の内側の広場へ避難している。


 商人の荷車は倉庫前へ寄せられ、農民たちは領主館側の通路へ退いた。


 子どもと老人は、役場職員が誘導している。


 冒険者たちは、防衛線を作ったまま固まっていた。


 誰も、声を出さない。


 風の音だけが聞こえる。


 魔王ゼルギウスが、一歩前へ出た。


 黒い外套が揺れる。


 その魔力に、空気が重く沈んだ。


「勇者」


 低い声が響いた。


「こんな場所まで、よく追ってきたものだ」


 勇者カイルは剣を抜いた。


 金色の剣が夕陽を受けて光る。


「魔王ゼルギウス。ここで決着をつける」


 その声に、勇者軍が一斉に武器を構えた。


 騎士団が盾を並べる。


 弓兵が弦を引く。


 聖女が杖を握る。


 魔王軍も動いた。


 魔族兵たちが剣を抜く。


 魔法陣が足元に浮かび上がる。


 ヴァルガは立ち上がろうとして、膝を押さえた。


 イリスは資料を落としかける。


 ナハトの影が伸びる。


 リリスは静かに息を吐いた。


 ミリアが短剣を構える。


「レオンさん」


「はい」


「これ、止められる?」


 レオンは答えなかった。


 止められるかどうかは、わからない。


 だが、見えてしまうものはあった。


 勇者カイルの足運びは、わずかに遅い。


 右足に体重が乗りきっていない。


 目の焦点も、時々ぶれている。


 聖女は肩で息をしている。


 杖を握る指先が白い。


 騎士団長は右肩をかばっている。


 弓兵たちは、矢筒の残量を何度も確認している。


 補給荷車は少ない。


 一台は車輪が歪んでいる。


 もう一台は、荷を積みすぎて沈んでいる。


 魔王軍も同じだった。


 ヴァルガは立っているだけで限界。


 イリスの判断は遅れている。


 ナハトの影は薄い。


 リリスの笑顔は、もう外交用ではない。


 魔族兵たちの鎧も乱れていた。


 吸血鬼部隊は日傘を持ったまま震えている。


 ゴブリン兵は、剣よりも腹を押さえている。


 スライム部隊は、何体いるのか誰も把握していない。


 レオンは、思わず手帳を取り出しかけた。


 だが、手首を軽く叩かれた。


 ミリアだった。


「一人で全部やろうとしない」


「……まだ何もしていません」


「顔がしてた」


「顔」


「うん。全部自分で背負います、って顔」


 レオンは一度、手を止めた。


 深く息を吸う。


 そして、魔王と勇者の間へ歩き出した。


「レオン!」


 ミリアが呼ぶ。


「大丈夫です」


「大丈夫じゃなかったら、戻ってきなさい」


「はい」


「あとで休憩は倍ね」


「……はい」


 レオンは、剣を持っていない。


 魔法も構えない。


 ただ、両軍の間に立った。


 勇者カイルが眉をひそめる。


「誰だ」


「レオン・ハルバードです」


「魔族か」


「半分は」


 勇者軍がざわつく。


 魔王が苛立ったように言う。


「どけ、レオン」


「どきません」


「これは戦争だ」


「はい」


「人事担当の出る幕ではない」


「いいえ」


 レオンは、勇者軍を見た。


「むしろ、人事担当の出る幕です」


 勇者カイルの目が鋭くなる。


「ふざけているのか」


「ふざけていません」


「魔王を倒せば、戦争は終わる」


「その前に、あなたが倒れます」


 空気が止まった。


 勇者の眉が動く。


「何?」


「あなたは三日以上、まともに寝ていませんね」


 勇者軍がざわめいた。


 聖女の顔色が変わる。


 カイルは剣を握り直す。


「なぜわかる」


「足の運びが遅い。視線が時々外れる。あと、剣を構える時に一瞬だけ左手の反応が遅れています」


「疲労など、気合いで」


「抜けません」


 レオンは即答した。


「気合いで判断力は戻りません。睡眠不足の剣士は、強敵より先に自分の足元を見失います」


 カイルは言い返そうとした。


 だが、言葉が出ない。


 レオンは聖女を見る。


「聖女様」


 聖女が肩を震わせる。


「な、何ですか」


「回復魔法を使いすぎています。魔力切れの手前です」


「私は、まだ」


「杖を握る手が震えています」


 聖女は思わず自分の手を見た。


 震えていた。


 隠しきれないほどに。


「騎士団長は右肩を痛めています。弓兵隊は矢が足りない。補給部隊は荷車が二台不足。歩兵の何人かは、空腹で集中が切れています」


「黙れ!」


 勇者軍の騎士団長が叫ぶ。


「我々は勇者軍だぞ! 魔王を討つために来た!」


「はい」


 レオンは頷いた。


「ですが、今のあなた方は魔王を討てる状態ではありません」


 騎士団長が剣を抜きかける。


 その瞬間、右肩がわずかに跳ねた。


 痛みをこらえる動きだった。


 勇者カイルが、横目でそれを見る。


 聖女も、言葉を失っていた。


 魔王が低く笑う。


「勇者軍も、ずいぶん情けないものだな」


「陛下」


 レオンは魔王を見た。


「笑える立場ではありません」


 魔王の笑みが消える。


「何だと」


「魔王軍も、同じです」


 レオンは振り返る。


 ヴァルガ。


 イリス。


 ナハト。


 リリス。


 魔族兵たち。


 誰も万全ではない。


 誰も、勝利のために立っているようには見えなかった。


 倒れないために立っている。


 それだけだった。


「今ここで戦えば、どちらかは勝つかもしれません」


 レオンは言った。


「ですが、勝った側も残りません」


 勇者が剣を握りしめる。


「魔王を倒せば、平和になる」


「その後、あなたは何をするんですか」


「何?」


「魔王を倒した後です。消耗した兵士を誰が治療しますか。死んだ補給兵の代わりを誰が埋めますか。聖女様が倒れた場合、負傷者はどこへ運びますか」


 勇者は答えられなかった。


 レオンは魔王を見る。


「陛下も同じです」


 魔王の目が細くなる。


「人間を退けた後、誰を守るんですか。前線は止まり、参謀局は沈み、暗殺部隊は消え、外交局は血盟を作った。残った兵たちも限界です」


「黙れ」


「黙りません」


「勝てばよい」


「誰が立っているんですか、その勝利の後に」


 魔王は言葉を失った。


 風が吹く。


 東門前の砂が舞う。


 誰も動かない。


 レオンは両軍を見渡した。


「三日間の完全休戦を提案します」


 勇者軍がざわつく。


 魔王軍もざわつく。


 レオンは続けた。


「負傷者の治療。捕虜交換。補給路の確認。行方不明者の照合。そして、両軍の勤務状況調査」


「勤務状況調査?」


 勇者カイルが呆然と呟く。


「魔王との決戦を、勤務状況で止めるのか」


「止められるなら、止めます」


「戦争だぞ」


「戦争だからです」


 レオンの声は静かだった。


「戦争という言葉で、人が倒れることを当然にしないでください」


 沈黙。


 最初に動いたのは、聖女だった。


 彼女はゆっくりと杖を下ろした。


「私は……」


 その声は震えていた。


「少し、休みたいです」


 勇者カイルが振り返る。


「セリア」


 聖女セリアは、唇を噛んだ。


「すみません。でも、もう回復魔法を使うのが怖いんです。誰かが倒れるたびに、私が立っていないといけない。私が倒れたら、皆が死ぬって思うと……」


 言葉が途切れる。


 勇者軍の空気が揺れた。


 次に、魔王軍の方で小さな手が上がった。


 ゴブリン兵だった。


「自分も、休みたいです」


 その一言は、小さかった。


 だが、異様なほど響いた。


 別のゴブリン兵が続く。


「給料も、まだです」


 さらに別の声。


「吸血鬼部隊です。昼の砂漠には、もう行きたくありません」


「スケルトン整備班です。骨密度検査を受けたいです」


「スライム部隊です。自分が何人分の勤務なのか確認したいです」


 リリスが小さく吹き出しかけ、すぐに咳払いした。


 勇者軍側でも、兵士たちが顔を見合わせる。


「俺も、昨日から食ってない」


「矢が足りないのに、前に出ろって言われた」


「荷車の車輪、ずっと壊れてます」


「聖女様ばかりに回復を頼るの、もう無理だろ」


 勇者カイルは剣を下ろせずにいた。


 魔王ゼルギウスも、魔力を収めなかった。


 二人とも、止まる方法を知らない顔をしていた。


 レオンは、その二人を見た。


「勇者様」


「……何だ」


「剣を下ろしてください」


「魔王の前で、剣を下ろせるか」


「下ろせます」


「なぜ言い切れる」


「あなたの後ろで、聖女様が杖を下ろしました」


 勇者の肩が揺れた。


 セリアは、もう杖を構えていない。


 ただ、疲れた顔で勇者を見ていた。


 カイルは唇を噛む。


 そして、ゆっくりと剣を下ろした。


 魔王軍側がざわつく。


 魔王の目が細くなる。


 レオンは魔王を見る。


「陛下」


「何だ」


「魔力を収めてください」


「命令するな」


「お願いです」


 魔王は沈黙した。


 レオンは続ける。


「陛下の後ろで、四天王はもう戦えません」


 魔王は振り返らなかった。


 だが、目だけがわずかに動いた。


 ヴァルガは包帯だらけで座っている。


 イリスは資料を抱えたまま立つのがやっと。


 ナハトは影の中で沈黙している。


 リリスは、魔王ではなく兵士たちを見ている。


 魔王の手から、少しだけ魔力が引いた。


 完全ではない。


 だが、空気がわずかに軽くなる。


 その瞬間だった。


 リリスが一歩前に出た。


「陛下」


 魔王が彼女を見る。


「何だ」


 リリスは、腕章を外した。


 そして、懐から一枚の羊皮紙を取り出す。


「夢魔外交局は、本日をもって魔王軍を退職いたします」


 魔王の顔が固まった。


「何?」


 リリスは微笑んだ。


 いつもの完璧な笑顔ではない。


 疲れている。


 けれど、目は死んでいなかった。


「陛下。私はもう、笑えません」


 羊皮紙が、魔王の前に差し出される。


 退職届。


 魔王軍全体が静まり返る。


 続いて、ナハトが動いた。


 音もなく前に出る。


「影刃諜報局」


 短い声。


 彼もまた、羊皮紙を置いた。


「退職」


 魔王の目が揺れる。


「ナハト」


「部下は、もう一人も戻らない」


 次に、ヴァルガが立ち上がった。


 ミリアが思わず言う。


「座ってた方がいいんじゃ」


「今だけだ」


 ヴァルガは苦笑した。


 そして、魔王の前に立つ。


「炎獄第一軍団もだ」


「ヴァルガ」


「部下をこれ以上、潰せねえ」


 ヴァルガは退職届を出した。


 手が震えている。


 戦いの恐怖ではない。


 魔王に逆らう恐怖だった。


 それでも、出した。


 最後に、イリスが前へ出た。


 抱えていた資料を、氷精に預ける。


 そして、一枚の紙を差し出した。


「氷霜参謀局も、退職します」


 魔王は、四枚の退職届を見下ろした。


 夢魔外交局。


 影刃諜報局。


 炎獄第一軍団。


 氷霜参謀局。


 魔王軍の柱が、紙になって並んでいる。


「貴様ら」


 魔王の声が震えた。


「裏切るのか」


 レオンは一歩前へ出た。


「違います」


 魔王がレオンを見る。


「壊れる前に、辞めるんです」


 その言葉に、四天王たちは何も言わなかった。


 だが、誰も否定しなかった。


 魔王は、退職届を握りつぶそうとした。


 しかし、できなかった。


 握った手が震えている。


「魔王軍がなくなれば、魔族はどうなる」


 その声は、怒号ではなかった。


 初めて、問いだった。


 レオンは答えた。


「だから、次の場所を作ります」


 ミリアが一歩前に出た。


「まだ、看板は作ってないけどね」


 レオンが少しだけ目を瞬く。


「今言いますか」


「大事でしょ。物理的にはまだないんだから」


「それはそうですが」


 緊張しきった空気の中で、リリスが小さく笑った。


 ミリアは堂々と言う。


「アークライトは、元魔王軍だからという理由だけでは追い返さない。もちろん、罪を犯した人は別。けれど、戦う以外の生き方を探す人間と魔族は、受け入れる」


 勇者軍がざわつく。


 魔王軍もざわつく。


 ミリアは続けた。


「そのための窓口を作るわ」


 レオンは息を吐く。


「人魔共同再就職支援所」


 その言葉に、場が固まった。


 勇者カイルが、呆然とする。


「再就職……支援?」


「はい」


「戦争中だぞ」


「だからです」


 レオンは答えた。


「戦争しか仕事がない世界を、終わらせます」


 その言葉は、派手な魔法ではなかった。


 剣撃でもなかった。


 だが、東門前にいた者たちの胸に、静かに落ちた。


 ゴブリン兵が呟く。


「自分、戦う以外にも仕事あるんですか」


「あります」


 レオンが答える。


「荷運び、倉庫管理、農地警備、夜間巡回。あなたは小柄で足が速い。連絡係にも向いています」


 吸血鬼部隊の誰かが言う。


「昼勤なしでも?」


「当然です」


「夜だけでも?」


「夜が得意なら、夜に働けばいい」


 スケルトン兵が骨を鳴らす。


「骨密度検査は」


「必要です」


「死後も?」


「死後だからこそです」


 スライムが震える。


「分裂した場合は」


「後で面談します」


 ミリアが小声で言う。


「今ここで受け付け始めない」


「はい」


 レオンは少しだけ反省した。


 勇者軍側からも、声が上がる。


「俺たちも、相談していいのか」


 歩兵の一人だった。


 勇者カイルが振り向く。


 兵士は慌てて目を逸らす。


「いや、その……勇者軍を辞めたいとかじゃなくて」


「辞めたいなら、辞め方の相談から受けます」


 レオンが言う。


 勇者軍が大きくざわめいた。


 カイルの顔が引きつる。


「待て。お前、今度は勇者軍まで崩すつもりか」


「崩すのではありません」


「では何だ」


「壊れる前に、逃がすんです」


 聖女セリアが、ぽつりと言った。


「……それは、悪いことですか」


 勇者カイルは、答えられなかった。


 魔王ゼルギウスも、何も言わない。


 ただ、四枚の退職届を見つめていた。


 かつて自分を信じてついてきた者たち。


 強く、恐ろしく、頼もしかった四天王。


 その彼らが、今は紙一枚を差し出している。


 剣ではない。


 魔法ではない。


 退職届。


 それが、魔王軍の終わりを告げていた。


 魔王は、ようやく顔を上げた。


 ヴァルガを。


 イリスを。


 ナハトを。


 リリスを。


 四人の顔を、静かに見つめる。


 数字ではない。


 報告書でもない。


 自分が今まで見ようとしなかった、限界を超えた部下たちの顔だった。


 魔王の手から、魔力が完全に消えた。


「……私は」


 声がかすれていた。


「何を守っていた」


 誰も答えなかった。


 レオンも答えない。


 それは、魔王自身が考えるべきことだった。


 勇者カイルが剣を下ろしたまま、魔王を見ている。


 彼もまた、勝利の形を見失っていた。


 東門前に、奇妙な静けさが落ちた。


 戦争は、終わっていない。


 世界も、すぐには変わらない。


 それでも、その日。


 魔王軍は、戦場で敗れたのではなかった。


 退職された。


 それだけだった。


 その夜。


 遠くの丘の上で、魔王ゼルギウスは町を見ていた。


 黒い外套は、もう風に荒れていない。


 彼のそばには、誰もいない。


 四天王もいない。


 兵士たちも少ない。


 魔王軍の旗は、巻かれたままだった。


 ゼルギウスは、灯りのともる町を見つめていた。


 魔族と人間が、同じ門の中にいる。


 かつて、自分が夢見たものに少し似ていた。


 けれど、それを作ったのは自分ではなかった。


 魔王は、何も言わなかった。


 ただ、静かに背を向ける。


 その背中は、以前より少しだけ小さく見えた。


 数日後。


 辺境都市アークライトの役場前には、妙な行列ができていた。


 先頭には、元魔王軍のゴブリン兵。


 その後ろには、元勇者軍の歩兵。


 さらに後ろには、吸血鬼、スケルトン、スライム、騎士、魔法使い、なぜかドラゴンまで並んでいる。


 看板は、ミリアの手書きだった。


『人魔共同再就職支援所』


 文字は少し曲がっている。


 だが、よく目立った。


 受付にはリリス。


「はい、次の方。前職は?」


「魔王軍第三補給隊です」


「退職理由は?」


「吸血鬼部隊を昼の砂漠に送った責任を取らされそうになりまして」


「正直でよろしいです」


 警備にはヴァルガ。


「列を乱すなよ。あと、無理して立ってる奴は座れ。俺が言うと説得力があるからな」


「将軍、いや、元将軍。肩は大丈夫ですか」


「大丈夫じゃねえから座ってる」


 書類整理にはイリス。


「イリスさん、分類がさらに倍に増えてるんですが!?」


「増えていますが、流れています。次の黒の書類を第三棚へ」


「すごい……」


 案内係にはナハト。


 彼は無言で案内板を指差している。


 案内板には、ミリアが大きく書いた文字がある。


『相談内容が一言で済まない方は、こちら』


 ナハトはその下に立っていた。


 誰よりも説得力があった。


 聖女セリアは、治療院と連携して、回復役の休憩表を作っている。


 その時、役場の窓辺に一羽の連絡鳥が舞い降りた。


 足には、王国軍の封蝋がついた書簡が結ばれている。


 ミリアがそれを取って、レオンに渡した。


「勇者から?」


「そのようです」


 レオンは封を切り、中を確認した。


 しばらく黙る。


「何て?」


 ミリアが覗き込む。


 書簡の表題には、力強い字でこう書かれていた。


『魔王軍残党への警告書』


 ミリアが眉をひそめる。


「まだ諦めてないの?」


「いえ」


 レオンは中身を読み進める。


「内容は、完全に勇者軍の勤務改善相談です」


「表題だけ強いのね」


「はい。補給隊の勤務時間、聖女様の回復魔法使用制限、騎士団の休養周期について、かなり具体的な愚痴が書かれています」


「勇者も大変ね」


「勇者軍勤務改善相談として処理します」


「名前が弱い」


「内容は強いです」


 レオンは書簡を青い札の山に置いた。


 ミリアは、役場前の行列を見て、深いため息をついた。


「本当に作っちゃったわね。人魔共同再就職支援所」


「作るしかありませんでした」


 レオンは山積みの相談票を見ている。


 机の上には、書類。


 書類。


 書類。


 魔王軍にいた頃より、多い気がする。


「魔王軍にいた頃より忙しい気がします」


「でも、今度は一人で抱えないんでしょう?」


 ミリアが言った。


 レオンは少しだけ黙った。


 そして頷く。


「ええ」


「本当に?」


「……努力します」


「減点一歩手前」


「厳しいですね」


「あなたにはこれくらいでちょうどいい」


 ミリアは笑った。


 そこへ、受付からリリスの声が飛んでくる。


「レオンさーん。スライムさんから相談です」


「はい」


「分裂した場合、履歴書は一枚でいいのかって」


 レオンは額を押さえた。


「……まず、同一個体かどうかを確認してください」


「どうやって?」


 スライムたちが一斉にぷるぷる震える。


 全員が言った。


「私が本体です」


 レオンはしばらく沈黙した。


「面談を分けましょう」


「何人分?」


「そこから確認します」


 ヴァルガが笑った。


 イリスが小さく息をついた。


 ナハトが無言で判子を押した。


 リリスが楽しそうに次の相談者を呼ぶ。


 ミリアが肩をすくめる。


 レオンは、新しい勤務表を広げた。


 人魔共同再就職支援所。


 初日の勤務表。


 まず一番上に、大きく書く。


『全員、週に二日は休むこと』


 ヴァルガが覗き込む。


「二日も休むのか」


 ミリアが即座に睨んだ。


「何か?」


「いや、何でもねえ」


 イリスが静かに言う。


「合理的です。処理速度は落ちません」


 リリスが笑う。


「むしろ、休まない方が落ちるわね」


 ナハトが頷く。


「休む」


 レオンは、勤務表の下へ視線を落とした。


 そこには、自分の名前がある。


 レオン・ハルバード。


 その横は、まだ空欄だった。


 いつもの癖で、手が止まる。


 やることは山ほどある。


 相談票は積み上がっている。


 魔王軍も勇者軍も、まだ完全に落ち着いたわけではない。


 アークライトの役場も、元通りにはほど遠い。


 自分が休む余裕など。


「レオンさん」


 ミリアの声。


 リリスの視線。


 ヴァルガの咳払い。


 イリスの無言の圧。


 ナハトの影。


 全員が、こちらを見ていた。


 レオンは、ゆっくり羽ペンを動かした。


 自分の名前の横に、初めて文字を書く。


『休暇』


 たった二文字。


 それだけなのに、やけに手が重かった。


 書き終えて、息を吐く。


 少しだけ、胸の奥が軽くなった気がした。


 ミリアが満足そうに頷いた。


「よし」


「確認が厳しいですね」


「大事なところだから」


 こうして魔王軍は滅びた。


 勇者の剣ではなく。


 魔王の敗北でもなく。


 一枚の退職届によって。

ここまで読んでいただき、ありがとうございました。


ひとまず、このお話はここで完結です。


少しでも面白いと思っていただけましたら、ブックマークや評価、感想などをいただけるととても励みになります。


反応をいただけたら、続きを書くかもしれません。

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