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第二十話 独り赤備えな源四郎

「あなた、とてもお似合いですよ!」

 いや、佐奈よ。何もそこまで声を張り上げつつ、強調しなくても良いのではないだろうか。おまけに左右の家人たちへ同意を求めるような視線を向けるのは……止めて欲しい。

 逆に、不安心が高まるばかり。

「わたしは、好きですよ!」

 なんだその、わたし”は”は。もう少し、言い方というものがあるだろう。

 とはいえ、動揺した表情をわずかにでも見せるわけにはいかない。


 婚儀をあげてよりおよそ半年。源四郎は三度目の出陣の日を迎えていた。緊張をしないわけではないが、慣れてきつつもある。

 けれども、佐奈から見れば夫であるおのれを見送るのは今回が初めてということ。よって、憂い心を気取られるわけにはいかない。

 別段、出陣そのものに危惧を抱いているわけではない。しかしながら、気になっていることはある。その点を勘違いされてしまう恐れがいくらかでもないだろうか。

 見栄を張ってこそ、(おとこ)というもの。


「当然のこと!」

 源四郎は短くそう応えた後、佐奈の肩をぽんと叩き、目をのぞきこむ。次いで、うなずきを一つ入れる。我ながら頼りがいのあるこの感じ。なかなかなもの。

 ……けれども、であった。面と向かって見詰め合うなど、未だに慣れていない。照れくささを意識した途端、顔がまるで梅の花のように転じている。赤みを帯びてきていた。

 すぐ様に身体の向きを変え、(あぶみ)(足を乗せる道具)に足をかけ馬上の人となる。後ろは振り返らない。「ご無事のお帰りをお待ちしております!」との名残惜しそうな声を背中越しで受けながら飯富家屋敷の門を後にする。


 古府中の通りを北へ北へと向かう飯富家の手勢の先頭、その一部とともに進む。

 ともすれば、くすくすと笑われているような気がしないでもない。考え過ぎだろうか。きっと気のせい。そうに違いない。とは思うものの、おのれの装いを目にした町の人たちより、なんともいえない気配がただよってきている。


 ううむ、早まってしまったか。段階を踏んで変えていくべきだったのかもしれない。だがしかし、金というものは持っていれば何だかんだと消えていくもの。

 たとえば、海の魚を活きたまま駿河の港より甲斐古府中にまで運ばせるのはどうにも止められそうにない。我慢に我慢を重ねてもふた月に一度はどうしたって口にしたくなる。海魚の刺身の美味さときたら、冥府魔道の所業に違いない。

 だからこそ! 持ち金に余裕がある内にこそ、成し遂げた。それはやはり正解。

 そうだ、きっとそういうことなのだ! 悔いても時が戻るわけではない。

 この道を、行く。と、そう決心したのだから。自らに活を入れる。


「若様よ!」

 まるで十間(じゅっけん)(約20メートル)も先へ呼びかけているかのような声がすぐ側より届く。考え事をしていたので、思わずびくりとする。

 馬を源四郎の左隣りへ寄せて合わせてきた郎党の河野彦助がこちらを眺めて、うんうんとうなずいていた。

 いい加減にその呼び方は変えてくれないものだろうか、と言いたい。既に妻のあるおのれに若様はない。勘弁して欲しくなる。

 だが、代案がないのであった。源四郎は知行を持っているわけではない。よって当然ながら主君ではない。そもそも彦助はもとより、この隊列の後ろに従っている他の者たちにしても、自らの家来ですらない。全てこれ、飯富家の当主である兄者の家臣団であった。

 まあ、豪胆様などと往来の路上において大声で呼ばれる悪夢を考えれば、大分ましか。


「どうした?」

「いやあ、まことお似合い! 見事なものですな! 斬新にして秀逸!」

 戸惑いを覚えてしまう。誉められているのだ、うれしいことはうれしい。

 けれども彦助である。美へのこだわりや審美眼などを持っているとは到底思えない。

 何せ、兜は濃い緑色で鎧はよく晴れた空のような明るい青。草摺(くさずり)(太ももの上に垂らす防具)は茶色の親戚のようなくすんだ黄色で、篭手(こて)脛当(すねあて)は黒染め。てんでばらばらな装いで身を覆っていた。

 戦場(いくさば)における振る舞いならば、全幅の信頼を置いているものの……その色合いはないだろう、と口にしたくなるというもの。


 どう応えれば、と悩んでいる内に沿道の者たちより向けられる好奇に満ちた視線が(いや)が応でも目に入ってくる。

 なるほどこれは! おのれの器量の見せ場。お披露目、晴れ舞台ともいえよう。しかしながら、良き思案がとっさには浮かばない。


「当然のこと!」

 飯富家の門前において佐奈へかけた言葉と全く同じ返しをしてみた。すると、どうっと周囲より歓声が上がっていく。ざっと見渡す限り、好意的な視線は源四郎の想定していたよりもやや少ない。いかん、やや焦りを覚える。そこへ。

「飯富様、まことにお似合いですぞ!」「華麗ですなあ!」という聞き覚えのある声が耳へと達する。旗指物指南役を務めとする旗奉行としては、すっかり顔見知りな間柄となっている染物屋や呉服屋の連中であった。

 まるであらかじめ練習していたかのような、いわば阿吽の呼吸。さすが、お互いに持ちつ持たれつの間柄。つうといえばかあ。

 なにしろ、こういう場では初めが肝心。格好良いと断言する声が大きければ大きいほどに、聞いている他の皆もなるほどそういうものか、と信じ込みやすい。その場の勢いというものは馬鹿には出来ない。


 良くやった! という想いを込めて軽くうなずきながら目線を送ってみる。当然のことです、といわんばかりに、小さく首を縦に振ってきていた。きっと彼らの胸中では、他の武家へ提案すべき新たなる陣羽織や具足の染め直しなどにおける需要を当て込んだ算盤をはじいているのであろう。

「いやあ、迫力が違いますね!」「よくよく見れば、実に目にも鮮やかですなあ!」「腕の良い職人の仕事ですなあ!」と感心しきりな調子の、聞き知っている声がする。こちらは武具師の座(同業協会のようなもの)の者たち。

 ちょっとあざと過ぎないか。染物屋や呉服屋のやり様を見習うべし、と言えるものなら言いたい。

 ……いや、この流れこそ大事。良い按配というもの。源四郎の顔見知りではない町人たちも単なる奇抜な装束を眺めている様子といった驚きの視線から、感心しているかのような表情へと変わりつつあった。

 ところが。

「五月人形じゃ!」「飾り雛(かざりびな)(雛人形のこと)じゃ!」というかん高い童の叫びが周囲へ轟いていた。その母親であろうか、慌てた様子で子の口を押さえている。済みません、としきりに頭を下げてくる。


 く! ばか者めが! あと少しで、大勢は決していたというのに!


 薄い氷の膜を張った湖の上をそろりそろりと歩いていたようなものであった。ひとたび足で氷をぶち抜いてしまえば、最早どうしようもない。

 手綱より右手を離し、手のひらをひらりひらりと振ってみせる。気にしてなどいないぞ、という意志はどうやら誤解なく伝わったようで、母親が深々と頭をかがめていた。

 しつけのなっていない子供を持つなど苦労が絶えぬなあ、と憐れみを覚える。


 沿道の者たちのざわめきが止まない。馬を進めつつ、時折耳へと届く声は賛否両論といった辺りに転じていた。

 ええい、是非もなし。再び、染物屋を……いやいや、それは上策に思えて実は下策。視線を送れば意図は察してくれるだろうが、桜に見えてしまう恐れが大いにあろう。


 これからだ。焦ることはない。実績によって強引にねじ伏せていけば良い。そう、見切りをつける。

 既にしてサイコロは振られたのだ。これより先は迷い心など捨て去り、開き直るより他に道はなし。



 兜に鎧具足。篭手に草摺に脛当も。陣羽織はもちろん帯紐、太刀や懐剣の鞘、槍の柄に至るまで。

 身にまとう全ての物を、源四郎は赤く染めあげている。

 阿呆と呼ばれるようになるのか、畏敬の念を抱かれるようになるのか。それは今後の働き次第であった。


 もっとも本来は……源四郎のものではない。そのはずであった。甘利家の次女佐奈姫様との祝言を終えてしばらく経った後、これまで育ててくれたお世話になったお礼にと、けっこうな大枚をはたいて兄者へ用意した品々こそが赤一色の戦装備であった。

 紅天月星旗は幻となってしまったけれど、赤き意匠を身にまとえば良いのではないか。婚儀の準備のあれやこれやに追われていたある日、不意にこの着想へといたっていた。

 良いではないか! 実に素晴らしい! 我ながらこの身に宿す美への才が恐ろしくなる! そう自画自賛し、胸中でほくそ笑んでいた。


 だがしかし、であったのだ。

 感激の余りに飛び上がり、得意の舞の一つでも即興で舞うほどに喜んでくれるに違いない! とばかり思ったいたものの、あっけなく断られてしまう。「いやいや、その気持ちは実に嬉しい。けれども、せっかくの好意を受けるわけにはいかない。この兄は使い慣れた鎧道具で充分というもの」と。

 まさか拒否されてしまうなど考えてもいなかった。とはいえ、とうの昔に依頼を武具師や染物屋、呉服屋といった関わりのある店へ出している。既に実費がかかっていたので、今更なかったことになど出来やしない。


 今振り返ってみるならば……兄者より断られた時点で捨て金と割り切って諦めてしまえば、それで事が済んだと言える。無駄な費えを惜しんだ為に、仕方もなく自ら用へと寸法を変更させていた。結果、余計に費用がかかっている。


 こうして、たった独りきりでの赤備え装束での出立となってしまっていた。


 なるほど、そういうことか。古府中の人々からの好奇の眼に晒されながらようやく気付く。

 この展開が兄者には見えていたのであろう。きっと、そうに違いない。だからこそ、即答で断られてしまった、ということなのであろう。

 ……ならば、教えてくれても良かったのに。

 いやいや、これは兄者よりの試練。独り身の頃ならいざ知らず、妻を娶った身である。何でもかんでも、兄者に頼りきりになるのは悪し。危ない危ない、もう少しで兄者の深き心配(こころくば)りを無下にしてしまうところであった。


 なんとかしなければならない! ではない。なんとかしてみせようではないか!

 このままでも目立つには目立つ。戦場でどこにいるのかなど、すぐに知れる。武功を上げたならば、味方はもちろん敵にすらすぐに伝わるだろう。あの赤き武者にやられました、と。

 その情景を想像してみる。うむ、素晴らしい。思わずにやりと笑みがこぼれてしまう。

 けれども、なんというか……全身が赤いのは。

 悪目立ちし過ぎ、という気がしないでもない。まるで芝居における、たとえば猿の仮面をかぶった道化者とほぼ変わらないような。先ほどの、将来が心配になるほどに場の雰囲気を読めない愚か者な子供の言いようを認めるのは悔しいのだが、雛人形のようだ、というのは的を射ていた。


 何か手立てを講じる必要がある。けれども、そうそう都合よく閃きが浮かぶはずもない。どうしたものか、と悩みを抱えつつ馬の背に揺られ古府中の街を後にしていく。




 天文十九年(1550年)の七月。武田家は信濃への侵攻を再び開始した。天文十七年の初春に北信濃の村上義清相手に上田原の地で大敗を喫し、夏には中信濃の小笠原長時を塩尻峠で一蹴して以来、およそ二年ぶりの出陣である。

 兄者より伝え聞いたところによれば、塩尻峠の戦における策を献じて以来お舘様の良き相談相手というか軍師役に就いている山本勘助殿よりの提言に沿った出兵とのことであった。

 元は三河浪人で数年前に故板垣信方様に召抱えられたばかりの陪臣(大名から見て家臣の家臣)があっという間に直臣。家格こそ足軽大将ではあるが、家来の一人も連れずに裸一貫で仕官して、もう足軽大将格にまで登ったとも言える。何せその先は奉行で、もう一つ上は中老なのだ。

 大出世というものであろう。


 これには感心するより他はない。というよりも、あこがれている偉人に近い立場といえた。はっきり明言すれば、少々うらやましくもある。もっと精進を重ね手柄をあげて、おのれもその地位を目指さねば、と思う。

 何故ならば、白い扇を持って椅子に腰掛けながら敵の大群をはるかに高みから見下ろし「今です!」などと命令を下す軍師こそが源四郎の思い描く将来の理想像であった。

 いや、もちろんなかなかに難しいであろう。それくらいは承知している。


 三国志演義という書がある。今より七年ほど昔、十四歳の当時に飯富家の倉を何とはなしに探索していた折のこと。葛篭(つづら)(箱のようなもの)の奥より古ぼけた書物を見つけ、ふと手に取ってみたのがきっかけ。

 目を通すと止まらなくなり、夢中になって読みふけっていた。数多の英雄豪傑の生き様に心が熱く燃え盛り、更には無念にも志半ばで死に行く情景に涙を禁じえなかった。

 たくさんの登場人物の中でも、最もというか、群を抜いてお気に入りなのが、(いにしえ)の大陸における名軍師諸葛亮孔明しょかつりょうこうめいというお方。

 帷幄において計を(はか)り、采配一つで敵を翻弄する。実際に軍勢を率いての進むも退くも見事というより他はなし。主君より幼き遺児を託されるという信頼の深さに加え、更には厚き忠義の心持ちもまことに素晴らしい。

 二十一歳となった今でも源四郎の座右の書、その筆頭の座に三国志演義はでんと鎮座し続けている。


 兄者が言うには「山本勘助は、我らにはない斬新な着眼点を持っている。まるで荻原昌勝殿のようである」と。なるほど、武田家のご先代信虎様が若かりし頃の御世において名軍師とうたわれたお方と並べられるほどなのか。

 羨ましい。

 こたびの小笠原征伐。軍師と呼ばれているほどのその手腕。見せてもらおうではないか!

将来に備えて、学ばせてもらおう!


 源四郎は高まる期待に胸を躍らせていた。



 突然ですが、次回更新まで間が空きます。スミマセン。

 というのは私事ですが月末に引越しします。あれやこれやな荷造り梱包やら各種手続きなどで仕事終わりの平日夜&休日に小説へあてるまとまった時間が取れそうにないのです。

 これまで最初の数話以外、毎週日・火・木の週3回の更新を守ってきていたのですが><

 なお、再開は11月6日を予定しています。

 上記について訂正します。ドタバタしていて全然無理でした。落ち着いたら再開します。

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