59. 剣に託すもの
「剣術大会に出ることにした」
「……えっ?」
とある朝。
馬車の中で、殿下は何でもないことのように、そう告げた。
「……人材のチェックは、どうなさるのですか?」
「控え室からも見られるし、エリックにも任せるよ」
「そう、ですか……。何か、心境の変化でも?」
剣術大会は二週間後。
この時期での変更は、どうにも殿下らしくない。
「……アリーヌは、剣術大会の伝統を知ってる?」
「ええ。優勝者は、勝利を女神に捧げるのですよね」
「うん」
一拍置いてから、殿下は言った。
「アリーヌに勝利を捧げる。だから、待ってて」
「……はい」
(まさか――そのために?)
問いかけは、そのまま飲み込んだ。
「ほら、着いたよ」
「ええ。ありがとうございます」
いつものように差し出された手を取る。
その背中は変わらず凛としていて――けれど、その想いまでは、まだ読み取れなかった。
◇
そして、剣術大会当日。
この大会は、領地の騎士団へのスカウトも兼ねている。
そのため、会場には多くの貴賓が訪れていた。
受付で来場者を捌いていると、ルデュック家の一行が姿を現す。
「お姉さま――!」
「あら、ローズ! いらっしゃい」
「この前はお茶会に行けなくて、残念でしたわ……」
「ふふ。またお茶会しましょうね」
「ぜひ!」
「おい、後ろも並んでるんだ。早く行くぞ」
「もー、お兄様はせっかちね。では、また!」
「ええ」
その去り際に、ふとアンリと目が合った。
「……悪いな」
殿下を剣術大会に引っ張り出したのは――おそらく、アンリだったのだろう。
「急で驚きました。でも……シリルが剣を振るう姿を見てみたかったので」
「……優しいんだな」
「本当ですわよ」
その言葉に、アンリの肩からふっと力が抜ける。
「ま、俺も負ける気はしないんでね」
「ふふ。頑張ってください」
やがて受付業務も終わり、私はナタリーの隣に腰を下ろした。
「何があったのかは分からないけれど、殿下の勇姿が見られるからよかったじゃない」
「そうね。楽しみだわ」
「今年の勝利の女神は、きっとアリーヌね」
「もう、ナタリーったら。……ほら、始まったわ」
剣と剣がぶつかり合う音が、会場に響く。
「有効打を入れるか、剣を落とすかしたら勝ちみたいね」
「……なるほど。でも、動きが速すぎて、よく分からないわ」
何試合か進み、いよいよ殿下の出番となった。
自然と、胸が高鳴る。
(……殿下、がんばれ)
開始の合図と同時に剣を構えた殿下は、瞬く間に相手の剣を弾き落とした。
「さすがね」
「本当に……何が起こったのか分からなかったわ」
その後も殿下は順調に勝ち上がり、同時にアンリもトーナメントを進んでいく。
そして、準決勝。
「いよいよね」
「……ええ」
幼馴染である二人の対決。
この対戦そのものが、殿下が出場を決めた理由のひとつなのだと――今なら分かる気がした。
(勝利の女神、ね)
王太子としてなら、選ばなかったであろう戦い。
それでも彼は、自ら剣を取った。
もし――この戦いに勝ったなら。
その勝利を捧げられるということは、ただの伝統以上の意味を持つのだろう。
歓声に包まれながら並び立つ二人を見つめて、私の胸の奥に、静かなざわめきが広がった。




