第三話:Eroding Everyday Life・侵蝕される日常
折角、落とし主との接触が出来たのは良かったのだが、持ち主?の勘違いで一方的に切れてしまったので、途方に暮れる。
仕方がないので、とにかく何かヒントがないかこのスマホを調べてみることにする。
改めて、持ち主が自分より多分若い女性の持ち物であるということに対する背徳感が押し寄せるが、それよりもややこしい勘違いを解いて返してあげなければという義務感の方が勝り……いや、それを言い訳にしているのに気づきながらも、ホーム画面から設定、アカウント情報を確認する。
他人のスマホを勝手に操作している。
この背徳感は、中年と言われてしまう独身の男性が、女性のプライベートを暴くという禁忌に対して、躊躇するに十分な要素ではあるが、今は誤解と持ち主を特定して返却するという義務感が都合よく後押ししてくれる。
設定画面からプロフィールを見る。
「近藤さやか」
「うん?」思わず声が出た。
苗字が偶然一致したからだが、まあ「近藤」という名前自体、希少性は高くないので、偶々だろうなと思う。
「さやか」という名前は、響きが良いなと思う。
爽やかな明るい性格の、ちょっとおっちょこちょいだけど、愛くるしい笑顔が可愛い年下の女性――
ヘアスタイルはポニーテールかショートボブが似合うといいな……などと、我ながらキモイ想像をしつつ、背徳感に興奮しながら先を進める。
電話番号はこの携帯電話本体のものとは別に、固定電話の番号が記載されている。
……え?
「実家じゃん……え?」
その番号は、実家の番号だった。
飛び出して何年経ったか……かれこれ15年くらい経つか。
両親は健在だ。だが、ここ数年実家には帰っていない。
いやいやいや……いや、えっと……考えが当てはまらない。
さっきまで「夜でも温かくなった」なんて考えながら歩いていたのに急激に背筋がぞくぞくする。
悪寒が走る。
深夜の暗い夜道が急に不気味に感じる。
妄想で可愛い女性……などと想像していたものが、急激に受け入れがたい恐怖にすげ変わる。
居ても立っても居られず、なりふり構わず走り出す。
自宅のマンションの一室迄走った。走っても別に追われているわけでもないのに、意味ないのは分かっている。大体において、逃げるならそのスマホを放り出すべきだ……でも、出来なかった。
今放り出したら、この解決しない問題に憑りつかれると考えたからだ。
いや、「さやか」がもしかしたら、知らない親戚の可能性もあり得るし、何かの勘違いの可能性も……いや、自分で何言ってるのかよく分からない。
家に入って、鍵を閉める。チェーンロックをする。
久しぶりに走って足が痙攣していることに気づく。ふくらはぎがつりそうである。
学生時代ではあるまいに……無理したものである。
心臓が飛び出しそうなくらい脈打ち、喉が渇いて張り付きそうだ。
気持悪い……そのまま台所で冷蔵庫を開けて、ペットボトル2リットルの麦茶をそのまま口をつけて飲む。
「かはぁっ!」ハアハアハア……がむしゃらに走って、何が何だか分からないまま自宅に飛び込んで目が回るような感覚が身体の中を巡る。
部屋の電気を点けて、ようやく少し余裕ができる。
暗い夜道、周囲の暗さとスマホ画面の明るさのコントラスト、深夜の住宅街の重い沈黙の不安から逃れることが出来て、全身の疲労感も併せて危険を回避できた、自分の見知った世界に囲まれた安心感がある。
時計は深夜の1時を超えている。もう寝なくては……明日も仕事はある。
シャワーを浴びて着替えてから、髪の毛を乾かしながら湯を沸かし、夜食のカップ麺をつくる。
腹を満たして、改めて拾ったスマホをテーブルの上に置く。
アレ以降、着信はない。
まあ、こんな時間だ。先方が勘違いしているのであったとしても、夜が明けてからだ。
だが、それでも、プロフィールの違和感に関しては、納得いく解釈に行き着かないと、目覚めが悪い。
『なぜ実家の電話番号が被っているのか』
久しく掛けていないから似たような番号で勘違いしているのではないかとも考えて、改めて確認する。
自分のスマホも取り出して、登録している実家番号とも突き合わせる。
「……一致している」
学生時代は両親についていって、親戚の集まりには参加していたが、さやかという名前の親戚はいなかった気がする……ただ、それもしばらく前の話だ。
いとこが結婚して娘が出来てとかなるともう分からないが、電話の声のニュアンスからして、そこまで若いわけでもなさそうだ(子供なんていたことがないから分からないが)。
その対応を思い返すにつれ、ますます混乱してくる。
「実家に電話するか?」
何て電話する?「さやかって誰?」としばし音信不通の母に電話できるか?
「とりあえず寝よう。実家に電話と言っても、この時間は流石に無理だ……」




