133話
麦秋が終わり、冬が近づいている。今年は豊作であった。草原はすでに雪がちらついているであろう。北側の柔然の動きも鈍くなっていた。
ケイは北側の動きを見定めて、夏への出兵を決めた。統万城からはジュンカンが4万で南下し圧をかける。ボクスウの3万は後秦の支援だ。ケイは13万を率いて邯鄲から西進し、長安を目指した。後秦のヨウセキトクも5万で洛陽にいる。魏と後秦の連合軍は25万の大軍であった。
「ついに来たかケイ.......決着をつけてやる」
カクレンは魏が夏への侵攻の準備を始めていることを察知していた。遠く敦煌などの河西回廊の都市にも出兵を命じ、総力を挙げて迎え撃つ準備を整えた。西域からも傭兵を派遣させた。総勢で15万である。
3万を天水に残す。ジュンカンに対する抑えとした。決してこちらから仕掛けず徹底して守れと命じた。残り12万で潼関に向かった。魏が長安を落とすにはここを通らなければならない。
「やはりカクレンは備えていたか。潼関を落とすぞ」
ボクスウが合流してきた。魏軍は16万で潼関の前に布陣した。後秦は洛陽を空けるわけに行かず、1万の軍を送ってきただけであった。
潼関は巨大と言っても夏軍12万全軍が立て籠もるわけではない。潼関と連なる山に砦があり、そこに2万が入っている。
ケイはその布陣を見て、砦にボクスウの3万を当てた。後秦の1万はやや離れたところに布陣させた。
ケイの本陣13万と潼関と向き合った。数の上では優勢である。だが要衝である。兵力の差は無いに等しかった。そしてカクレンの事だ。何か仕掛けを用意しているかもしれない。ケイは慎重に構えた。
かつてカクレンは洗脳による恐怖で支配していた。だから一度崩れると、族長たちの離反も早かった。だが夏では恐怖支配が行われている形跡がない。むしろカクレンが後秦を隠れ蓑に使い、長年育ててきた印象を受ける。戦の準備と並行して調略も仕掛けたが揺らぐことはなかった。
潼関の前は13万を布陣させるには狭く、魏軍はかなり密集していた。
「ふふ。百戦錬磨の割には随分と雑な布陣をするじゃないか」
カクレンは関の上から魏軍の布陣を見下ろし鼻で笑った。
いきなり門が開き夏の騎馬隊が突撃してきた。先頭はカクレンである。男の姿を失い前のように大剣は扱えない。その代わりに鉄鞭を持った。二刀流であった。左右の腕から繰り出される鉄鞭は、次々と魏の兵たちを打ち砕いていった。
「まさか!撃って出てくるとは!」
ケイは面食らった。カクレンの騎馬隊1万がケイの居る本陣に向かっている。
「落ち着いて対処せよ。敵は1万に過ぎない」
本陣の前は歩兵が槍を構え、騎馬隊を迎え撃つ態勢を取る。分厚く組まれ、いくらカクレンでも突破するのは不可能であると思われた。
「ふふん。狙いはこっちだよ」
カクレンは急に方向を変え横に逸れた。その先にサクの遊撃隊が居た。
「お前のことは覚えている!散々邪魔をしてくれた弓女だ!」
「まずいサクが狙われている!」
ケイはサクに回避の合図を送った。そして自身も馬に乗り救援に向かう。だが、魏軍は密集しており、道を開けるのに時間が掛かった。
サクが矢を放つ。だがそれは鉄鞭に払い落された。
「サク逃げろ!」
ケイは叫んだ。だがその声はサクまで届かなかった。
サクは危険を感じ馬首を返して反転した。カクレンは馬腹を蹴ると一気に加速する。
「は......はやい......」
サクは咄嗟に身をよじり鉄鞭をかわそうとした。だが鉄鞭は自在に動き、サクが避けたほうへ向きを変える。
「ぎゃ!」
背中を撃たれ、サクは短い悲鳴を上げ馬から落とされた。
止めを刺そうとするカクレンに火の虎が迫る。ケイが怒りの形相で放ったのだ。カクレンはその気配を察し鉄鞭を高速で回転させる。火の虎は鉄鞭が起こす風で霧散した。
「ふふ。今日はここまでにしてやる」
カクレンはそう言うと潼関へ戻っていった。
「逃がすな!追え!」
潼関から矢が雨あられと降り注ぎ、魏軍は追撃を断念した。
「サク!大丈夫か!」
ケイはサクの元に駆け寄る。サクの呼吸は浅く苦しそうにしていた。背中が仰け反ったままだ。どうやら鉄鞭で背骨を砕かれたようであった。
サクを後方へ運ばせ治癒士に手当てをさせた。命の危険もあり予断を許さない状況であった。
ケイは軍営に籠り、サクの無事を祈った。カクレン相手に油断してしまった。後悔の念がこみ上げてきた。
「ケイ......よいかしら」
ハクエンが軍営に入ると、ケイは頭を抱えて震えていた。
「ハクエン......サクが.......」
「大丈夫よ。サクは死なないわ」
根拠は無い。だがハクエンは気丈に言った。いや気丈を装ったことに気づきハクエンは愕然とした。いつ死ぬか分からない戦場。ハクエンだっていつ死ぬか分からないのだ。サクの事を聞き、そのことを改めて思い知り、ケイの元に来たのだ。
「ケイ。私を抱いて......」
ハクエンの突然の言葉にケイは聞き間違いかと思い顔を上げた。
「抱いて欲しいの。愛しているわ」
「こんな時に何を.......それにここは戦場だぞ」
「だからこそよ。分かって!」
ハクエンはケイに抱き付いた。ケイはハクエンが小刻みに震えているのに気づき抱きしめた。モクランの思いを受け継いだ女性。ケイは思い違いをしていた。ケイはかつてハクエンが愛した男を殺した。だからハクエンは完全に心を開くことは無いと思っていた。ケイはモクランの思いを成就させようと思いなおした。
ハクエンに口づける。そしてハクエンの鎧の留め金を外す。押し倒すと鎧がカランと床に落ちた。燭台の火を消した。
暗闇の中、ケイは果てた。
「モクラン.......思いは受け取ったよ......」
ケイは体を起こした。乱れた衣服を整えようとした。
その時である。
ケイの背中に剣が深々と突き刺さり、胸まで貫通した。
血が溢れる。
「え?どうして......ハクエン?.......」
ケイは振り返ると、ハクエンは悲しそうな顔をしていた。ハクエンの口元が動いている。だがケイは意識が薄れ何を言っているのか聞き取れなかった。
視界が暗くなる。ケイは何も感じることが出来なくなった。意識が遠のいていった。
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「ハッ!」
ケイは目を覚ました。周りには見覚えのない男たちがいた。
「ここは......」
ケイは頭が混乱して状況を把握できなかった。
「先生!よかった!生きていた!」
「ごめんなさい!まさかこんなことになるなんて......」
ケイは思い出した。ここは大学の学舎の中だ。学生に階段から突き落とされた。心配そうな顔をしている学生たちと救急隊員がいた。
「まさか夢だったのか......」
ケイは邯鄲の夢という故事を思い出した。ある男が立身出世するが、それはうたた寝している間に見た夢だったという話だ。
奴隷から皇帝へ。全ては夢物語であったのか。ケイは信じられない思いであった。
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ケイは検査の為、入院した。階段から落ち頭を打ったが異常はなかった。
「体が痛いのだが......」
「打撲はあります。ところで背中と胸に大きな古傷があるのですが、昔、刺されたのですか?」
「え?」
ケイは慌ててシャツを捲ると、胸に傷跡があった。ハクエンに刺されたのと同じ場所であった。
ケイは退院後、研究室の文献を読んだ。北魏に関する記述の部分は何故かほとんど記載がなかった。
「珪!よかったな。国が文系の予算をもとに戻したぞ。これから忙しくなるぞ!」
学長が興奮した様子で研究室に飛び込んできた。
「何があったのですか?」
「何を呑気なことを言っているのだ。中国で今まで謎とされてきた4世紀から5世紀の資料が発掘されたんだぞ!君は急いで中国へ行くんだ!邯鄲だ!ニュースを見ていないのか?」
ケイは動きが止まった。不意に笑いがこみ上げてきた。そして別れた妻に久しぶりに電話をかけた。あの時、ケイは最後の最後で答えを間違った。その答えが分かった気がしたのだ。
ー完ー
最後までお付き合い頂きありがとうございました。次回作もよろしくお願いします。




