第5話 旅の合間の、収穫祭
《アストリア》を出航してから数日。心地よい追い風に吹かれ、シーウィンド号は穏やかな海を進んでいた。
やがて水平線の彼方に、まるで絵本から切り抜いたような島が見えてきた。
なだらかな緑の丘が連なり、空には白い綿菓子のような雲がぽかりぽかりと浮かんでいる。そして風に乗って、甘い果実と牧草の香りが漂ってくる。
そこは海図にものっていない小さな島《豊穣の島 グラスランド》
大地と共に生きる、大地の妖精族たちが暮らす楽園だった。
「ようこそ、旅人さん。急ぐ旅じゃなければ、ゆっくりしていくといい」
港に降り立った一行を迎えたのは、土色の肌着を纏い、人と同じ姿ながらどこか木の根のような温かみを感じさせる妖精族の長老だった。
この島には「時計」がない。
あるのは、太陽の動きと、お腹が空く時間だけ。
「せっかくだ。船の補給がてら、何か手伝わせてもらえると助かる」
サリヴァンの提案で、一行はこの島で一日、島民たちと共に汗を流すことになった。
丘の上では、ノアとシロが歓声を上げていた。
「うわぁ~っ! もっふもふだ~!」
そこは《雲綿羊》の牧場。
空に浮かぶ雲と同じ成分の羊毛を持つ羊たちが、のんびりと草を食んでいる。
ノアは羊の背中にダイブし、顔を埋めて深呼吸した。
「お日様の匂いがする……! シロ、見て見て、埋まっちゃうよ~」
「ピィッ!」
シロも羊の頭の上にちょこんと止まり、我が物顔で羽繕いをしている。
「よしよし、いい子だねぇ。ブラッシングしてあげるからね~」
ノアがブラシを入れると、羊は気持ちよさそうに目を細め、その身体からはポロポロと小さな綿雲がこぼれ落ちた。
一方、南斜面の葡萄畑では。
「すごい……! 一粒一粒が宝石みたい」
リィアとアイリスは、葡萄の収穫を手伝っていた。
ここの葡萄は《宵蜜葡萄》。昼間は透き通るような翠色をしている。
「よいしょっと……。ふぅ、意外と重労働ね」
リィアは額の汗を拭うと、軍手をはめた手で葉をかき分け、熟した房をそっと掌に乗せた。ずっしりとした実の重みを感じながら、慎重に鋏を入れる。
「でも,こうして直に触れると、大地の温かさが伝わってくるみたい」
彼女は籠に入れた葡萄を、愛おしそうに指先で撫でた。
「対象個体の糖度、基準値をクリア。……カッティング、実行」
隣ではアイリスが、超精密動作で、目にも留まらぬ速さで次々と葡萄を摘み取っていく。
「リィア、なぜ手摘みなのですか? この作業効はとても繊細だとは推測されますが」
「ふふ、手間をかけた分だけ、美味しくなるでしょう?」
「……理解が困難です。ですが……不思議です。この果実、微弱な『幸福感』を示す波長を出しています」
「それが、作り手の愛情ってやつよ。ほら、アイリスも食べてみて」
リィアが摘みたての一粒を、アイリスの口にポンと放り込む。
アイリスは目を丸くして、咀嚼の動きを止めた。
そして、納屋の方からは、カーン、カーンと小気味よい音が響いていた。
「おう、ここの建て付けが悪いのか? 任せときな」
サリヴァンは、島の男衆に混じって大工仕事をしていた。
年季の入った腕前で、傾いていた柵をあっという間に修繕していく。
「おっさん、すげえな! 本土の職人かい?」
「へっ、海の上じゃ何でも自分で直さなきゃならねえからな。……それにしても、ここの木材はいい香りだ。仕事をしてるだけで酒が飲みたくなってくる」
悠はというと、あっちへ行ったりこっちへ行ったり。
羊の餌を運んだり、重い葡萄の籠を担いだり。
「ありがとう、旅人さん」
すれ違う村人たちが、みんな柔和な笑顔で挨拶をしてくれる。
誰も急いでいない。誰もイライラしていない。
「……いい島だなぁ」
悠は額の汗を拭いながら、心地よい疲労感に包まれていた。
日が沈むと、島は魔法のような変貌を遂げた。
畑の《宵蜜葡萄》が、内側から淡い金色の光を放ち始めたのだ。
島全体が、地上の星空となって輝き出す。
広場には大テーブルが並べられ、収穫を祝う宴が始まった。
「さあさあ! 焼き立てだよ~!」
白いエプロンを着けたノアが、大きなバスケットを抱えて走ってくる。
中には、昼間に集めた羊のミルクと葡萄の酵母で焼いた、特製の丸パンが山盛りだ。
「外はカリカリ、中は雲みたいにフワフワだよ!」
村人がパンを割ると、湯気と共に甘い香りが広がる。
テーブルの主役は、もちろん“宵蜜”のワイン。
琥珀色に輝くその酒は、グラスの中で美しく揺らめいていた。
「くぅ~……ッ。染みるねぇ」
サリヴァンは石造りの段差に腰掛け、愛用のタバコをくゆらせながら、グラスを傾けている。
「熟成された味だ。……俺たちの旅も、こうありたいもんだな」
その横では、とんでもないことが起きていた。
「ひっく……! あー、リィアさぁーん、もう一本いきましょー!」
「ちょ、ちょっとアイリス!? あなた顔が真っ赤よ!?」
アイリスが、空になったボトルを掲げて千鳥足になっている。
どうやらこの島のワインに含まれる高濃度のエーテルが、彼女の論理回路を少しだけ「ハッピー」な方向へショートさせてしまったらしい。
「分析不能……エラー発生……でも、なんかすごく、ふわふわしますぅ~! マスター悠はどこですかー! 抱きしめて強度テストさせてくださぁい!」
「わわっ、アイリス落ち着いて!」
リィアが慌てて支えるが、そのリィアも上機嫌だ。
彼女はリュートを手に取ると、軽やかに爪弾き始めた。
「じゃあ、酔い覚ましに一曲歌うわね! 風と星のバラードよ!」
リィアの透き通るような歌声が夜空に響き渡る。
それに合わせて、ノアが手拍子をし、シロが楽しそうに飛び回る。
そして悠は――
「ほらほら、旅人さん! こっちで一緒に踊ろう!」
「えっ、俺!? いや、踊りなんてそんな……!」
村の娘や若者たちに手を引かれ、広場の中央へ引っ張り出されていた。
笛と太鼓のリズムが早くなる。
見よう見まねでステップを踏む悠。
最初はぎこちなかったが、温かい手拍子とリィアの歌声に乗せられて、次第に心が軽くなっていく。
「ははっ、目が回る!」
「いいぞー悠! 腰が入ってねえぞ!」
サリヴァンが野次を飛ばして笑う。
「マスター! 回転数計測……最高記録ですぅ!」
アイリスがふにゃふにゃと拍手をする。
「悠さーん! かっこいいよー!」
ノアがパンを齧りながら手を振る。
悠は息を切らしながらも、心からの笑顔で踊り続けた。
足元の土の感触、夜風の涼しさ、仲間と村人たちの笑い声。
それら全てが溶け合って、身体中の細胞が喜んでいるようだった。
やがて夜が更け、葡萄の光も優しく瞬く頃。
宴はお開きとなり、一行は羊毛で作られた特製のゲストハウスで眠ることになった。
「……楽しかったな」
布団――というより、雲そのもののようなベッドに沈み込みながら、悠が呟く。
「ええ。魔法の知識もいいけど、こういう魔法のような時間も素敵ね」
隣のベッドでリィアが微笑む。
「明日のお土産、パンいっぱいもらったよ……むにゃ」
ノアは既に夢の中だ。
「……再起動……メモリ整理中……今日は……いい日、でした……」
アイリスもスリープモードへ移行していく。
「さて、明日もいい風が吹きそうだな」
サリヴァンがランプの火を消した。
穏やかな暗闇の中、窓の外ではまだ葡萄畑が淡く光っている。
悠は心地よい疲れと共に目を閉じた。
ただ笑って、食べて、踊った一日。
それは彼らにとって、何よりの冒険の糧となったのだった。




